空間隔離の能力⑧
時間がかかってしまいましたが、巫女編最終話です。
「私だって……本当なら誰かの役に立つ能力が欲しかったわよ。それこそ――日之衛旭奈、貴女の空間隔離の様な能力をね」
「月織さん……?」
敵対中の筈である少女の態度が変化していた。彼女が見せている憂いのある顔に旭奈は見覚えが有った。
――かつての自分。能力を過信しすぎた事で家族を殺した自分が、そこに居たのだ。
「風紀委員にスカウトされていたんだってな、月織愛依華」
祐雅の声が凛と響く。その言葉を耳にして旭奈は幼い過去を振り払い、また意味を理解しようとした。
話題に上がった風紀委員とは、学園における能力者を取り締まる委員会だ。取り締まる相手は能力者という事もあり、彼等には違反行為に及んだ生徒にのみ武力介入が許されている。つまりは戦闘ありきの集団なのだ。
「あそこに入るには攻撃的な能力である事が必須だからな。学校そのものを動かす生徒会とは違い、能力を悪用する馬鹿を痛めつけなきゃいけない」
「……ええ、そうよ。誰から聞いたのか知らないけど、確かに私は風紀委員にスカウトされたわ。そのおかげで、私の学校生活は滅茶苦茶になったけどね」
「スカウトされたと言う事実が学校に広まり、あんたの能力が図らずとも人を傷つけるタイプだと知られた。……そして、あんたは」
言い淀んだ祐雅の後を月織愛依華は自主的に引き継いだ。自傷の様な暗い笑みを浮かべながら、彼女は過去を話す。
「私はね、本当は美術部員だったの。将来は画家になりたいって思うくらいには熱心だったわ。大富豪何て呼ばれている実家は後回し。とにかく絵が好きだったのよ。――でも」
遠い目をして語っていた少女の声は急変する。絶望で表情を彩り、年頃の少女には似合わない低い響きを発していった。
「風紀委員にスカウトされたせいで、私は部活の中で居場所を失った! 皆、私を避ける様になったのよ。私は何もしていないのに。ただ人を傷つけられる能力があるだけで、私は美術部には居られなくなった!」
月織愛依華の絶叫に旭奈が身体を震わせる。見開いた視線の先で能力に振り回された少女を捉えていた。
「……嫉妬、か? お前が旭奈を執拗に付け狙うのは」
祐雅は顔色を変えずに訪ねていく。両目が長い前髪に隠れているので表情までは分からない。しかし、祐雅の周辺では確実に空気が変わっていた。彼女の過去に彼自身も思う所があったのだ。
愛依華が苦笑を零した。その頭上で、黒雲が不気味な音を唸らせている。
「嫉妬? そんな安い感情じゃないわよ。私は――卑怯者を罰しているだけよ」
「卑怯者……って、私の事ですか」
第八階級の能力者が捕捉される。旭奈は愛依華の雰囲気に負けじと、声を張り上げて彼女に対抗した。
「私が何だって言うんですか。私は、月織さんに責められる様な事は何も――」
「能力を使って、捨て犬を殺したでしょ」
「っ!!」
旭奈の顔が一瞬にして青ざめた。
その動揺を愛依華が見逃す筈もなかった。執拗に絡み付く、高音の声色。愛依華は唇を嘗てない程まで吊り上げ、罪の意識に苛まれる少女を責め立てた。
「忘れてなんかいないでしょ? 子供の頃、日之衛旭奈は能力の制御に失敗して、隔離空間に隠していた捨て犬を潰している! ……それ以降、貴女は能力を使って動物を育てる事は禁じているみたいだけどね。でも、それは私からすれば卑怯なのよっ!」
人を傷つけかねない能力持ったせいで、人の輪から外された月織愛依華。
動物を殺した能力を持ちながら、捨てられた動物を育て続ける日之衛旭奈。
二人は両極の立場に居ながら、似通った部分があった。愛依華が旭奈を狙う理由もそれが関係していたのだ。表と裏――成功と失敗。旭奈と愛依華は相反する境遇に晒され、二人とも傷付いている。
「わ、私は……」
「ねえ、どうしてなの!? 何で貴女だけが堂々とやりたい事をやれているの? 私は画家になる夢を奪われたって言うのに。私は何もしてないのよ。でも、貴女は犬を殺したんでしょ!? 反省して能力を封じる? それだけで許されるなんて――卑怯よ」
畳みかけるような怒声が最後になって消え入っていく。力を失くして掠れた批判は、これまでに耳にしたどの皮肉よりも旭奈の心を抉った。
「そんなつもりじゃ……ない……んです」
黒髪を垂らし、旭奈は深く俯いた。目の焦点を虚ろにして殺してしまった犬が眠る地面を見つめていく。彼女が自力で顔を上げる事はなさそうだった。
だからこそ、支える。古崎祐雅が手で旭奈の肩を掴み、良く通る声音で語り掛ける。
「もうちょっと、胸を張っていいんだ」
「――え?」
浮き彫りにされた能力の差別。攻撃的な能力は前科があろうがなかろうが、理不尽な判断を押し付けられてしまう。
その不平等があった故に傷ついた旭奈を、祐雅は後ろから静かに押し上げた。
「旭奈は間違ってないと思うぞ、俺は。……あいつにもちょっぴりと同情するところはある。だけど、これは違う」
そう言い、祐雅が旭奈の背中から横に逸れた。
「おい、月織愛依華」
「……何よ、部外者」
冷たい視線を向けたまま、愛依華が祐雅の話を聴き入れる。祐雅という第三者が関わった事により熱が収まったらしい。彼女からすれば自分の忌まわしい過去を話してしまったのだ。聞かれた祐雅を罵りつつも、愛依華には退けられなかった。
敵対する少女へ指を突き付ける、祐雅。
胸の底から湧き上がる思いが言葉になって、真っ直ぐ吐き出された。
「ふざけんなよ、お前」
一切の謙虚さを消した上で祐雅は怒っていたる。
愛依華に落雷の能力を発動させては駄目だった。旭奈の空間隔離には範囲制限があるのだ。任意の場所に落とされる雷を全ては防ぎきれない。愛依華に機嫌を損ねられ、大切な家族が居る社を狙われては一巻の終わりだった。
だからこそ、祐雅はわざとこの様な言動を行っていた。愛依華が目を鋭くする合間を縫い、第二の発言を足す。
「能力があったせいで居場所を失ったのは分かる。でも、それで画家に成れなかった事を引き合いに出すのはおかしいだろ。お前が本当に何もしてないなら、他人の目なんて気にしなくていいだろうが」
部活動は複数の人間と関わる場所であるが、活動自体が必ずしも共同ではない。絵を描くという行為ならば尚更個人だけとなる。
「嫌っている能力そのものに、お前が囚われたんだ。本当に画家に成りたかったなら、どんな事があっても諦めるべきじゃなかった。それこそ、旭奈の様にだ」
「……古崎……さん」
旭奈は能力の暴発で罪を犯した。しかし、その過去に彼女は負けなかった。
「旭奈は卑怯なんかじゃない。こいつは心の底からの願いを、少しずつ、確実に叶えているだけだ。取り返しのつかない過ちがある? それがどうした。――そんなものよりももっと大事な思いがあるんだよ」
背後から聴こえる言葉に旭奈の心が灯されてゆく。胸に手を当て、旭奈は自分を肯定してくれた祐雅に感謝の念を抱いた。真珠の様な白い頬が、ゆっくりと赤くなる。愛依華に気を配らなければと思っていても、どうしても後ろに首が回ろうとした。
一方で、血が滲みそうな程に愛依華は歯ぎしりをしていた。熱くはっきりと論じる祐雅に明らかな憎悪を向けている。
強く閉ざされた口がゆっくりと開いた。
「…………黙りなさいよ」
「嫌だね。お前の言う事を聞く理由がない」
「雷、落とすわよ。……沢山の動物が死ぬけど。いいの?」
愛依華が空高く腕を伸ばした。その先で黒い雷雲が次々と集まっていく。規模はこれまでの中で最大だ。暗雲の増殖が止まる様子もなく、一向に体積を蓄えている。その威力や範囲は想像する事さえも恐れられた。
三人の影が一層と濃くなる。日を遮った為か、周囲の気温までも冷えていった。ばちばち、と空が愛依華の憤怒を代弁している。
黒雲の騒めきが段々と大きくなった。太い閃光が隙間から覗いている。身体の芯から焼き尽くしそうな輝きだ。
「――合図出したら、全力で能力使え」
こっそりと、祐雅が旭奈へと小声で話す。
「っ?」
上空の異変に意識を向けていた旭奈は耳を疑った。祐雅の指示は聞き落としていない。合図と同時に空間を隔離する。しかし、旭奈の能力は広範囲に張れないという制限がある。従ったとしても動物達は救えないのだ。例え全力で発動させても、だ。
「俺を信じろ」
旭奈の焦りを読んだ様に祐雅は言い放った。愛依華が呼び寄せた雷雲によって二人の間にしか声は聞こえていない。旭奈は数秒間を顔を強張らせた後、小さく頷いた。
肺の底まで、深く息が吸われる。
「自分の夢より能力の評判に負けちまったのを後悔してんのか、月織愛依華!?」
旭奈の確認を見届けた祐雅は大声を発した。対する愛依華は片手を持ち上げたまま微動だにしない。
「お前の動機は嫉妬でさえない! 自分で嫌っている能力を使って脅しているんだ! 夢に対する心意気に負けて嫉妬したならまだ可愛げがあった! でも、今は違う。ヒステリック女――お前は自分の代わりに他人を蹴落としたいだけだっ!」
月織愛依華は能力の性質によって迫害を受けた。それは彼女の疑心暗鬼に過ぎなかったかもしれない。破壊に徹した落雷の能力。確かにそれが苦痛を与えたきっかけだ。しかし、自分の経験を他人に押し付ける理由にはならない。嫉妬とは異なる感情が働いているのだ。
能力の差異に嫉妬を抱いていたなら、愛依華はきっと自分の能力を使おうとはしなかっただろう。落雷能力を忌み嫌い、旭奈の能力を羨ましがっているのだから。
復讐心でもない。狙っている旭奈は愛依華が居場所を失くした要因とは完全に無関係なのだ。対峙する第八階級ではなく元美術部の仲間か風紀委員を狙う筈だ。
そして、正義感も本質が外れている。卑怯と称していたが、愛依華は別に旭奈の慈善活動に興味は抱いていない。寧ろ脅迫の材料としている。捨てられた動物に愛着を示している人間の行為とは考えられなかった。
では、愛依華を突き動かしている感情は何なのか。それを祐雅が的確に、簡潔に、言い放っていった。
「八つ当たりだ。お前がやっているのは」
日之衛旭奈という訳ありの過去を持つ少女を利用した、鬱憤晴らしだ。
「自分が傷つけられた事にムカついて、その代わりに他人を傷つけて嘲笑おうとしているんだ。――お前も気付いてんじゃないのか、それを!」
「うるさい……黙れ」
宙に掲げられた指先がもがく様に蠢いた。愛依華の視線は研ぎ澄まされ、旭奈と祐雅の二人に降りかかる。
「いいか、月織愛依華。お前がやっている事は、能力を使った犯罪なんだぞ。それこそ風紀委員が取り締まる様な事件だ」
本性を暴かれた愛依華の顔が徐々に赤くなる。眉根に皺を寄せ、凄まじい表情で祐雅を睨んでいた。燃える様な怒り、屈辱が一目で分かった。
祐雅は負けじと、腕を振り払って大げさに追い詰めていく。傍らで心臓をばくばくと鳴らしている旭奈を尻目に、祐雅による反論は容赦なく進んだ。
「”今のお前”みたいな奴がいるせいで、”昔のお前”が苦しんでいるんだ!! 何でこんな簡単な事が分からない! お前に旭奈をどうこう言う資格なんてあるのかよ!?」
「――黙れ、焼き尽くすぞ!」
バチン、と天が怒気を露わにした。雷撃の先端が姿を見せる。迸る電流の一本一本が激しく波打っている様だった。しかも一ヶ所だけではなく、四、五ヶ所の輝きが暗雲に立ち込めている。
それでも止まらない、祐雅。
「お前なんか自業自得――いや、自得自業だ! このヒステリック女!」
行く先もなく彷徨っていた理不尽が愛依華へと矛先を戻す。突き刺さるべき心は被害者である彼女自身のものだった。耐えられなかった。収まりきらなかった。元へと戻っただけの感情は、月織愛依華の枠組みを無意識の内に飛び出していたのだ。
事実を指摘された少女は、否定する様に、祐雅の方へ腕を振り下ろす。憎悪と悲痛で壊れたヒビだらけの顔が大きく告げた。
「消――え――ろおおおおおおおおおおお!」
天より雷が飛翔する。その中の一つは旭奈が守るべき社へと向かっていた。認識は刹那の間しか働かない。旭奈の草鞋がいつの間にか抜けていた。本人は意識をしていなかったが、走り出そうとしていたのだ。
駆け出そうとした足は引き止められた。旭奈の白衣を祐雅が掴んでいた。
「――今だ!」
合図が出された。反射的に旭奈が真上の空間を隔離する。
「ひゃっ!?」
間髪入れずに悲鳴が上がった。祐雅に引っ張られて体勢を崩した事が原因ではない。すぐさま旭奈はその胸板に支えられていたのだ。
だが、それ自体が問題だった。
「悪い、旭奈!」
……祐雅が、旭奈を強く抱きしめていた。
異性に密着された旭奈は驚愕する。しかも祐雅の片手によって胸が掴まれている。残りの手は腰元に回され、自分から離さない様にと力が込められていた。
「~っ!!」
言葉にならない声が旭奈の口から溢れ出た。それでも、祐雅は離そうとしない。逆に暴れたせいで祐雅の掌が旭奈の肌へ余計に埋め込まれた。互いの温度を感じ合い、二人は頬を赤く染めていく。
この時――旭奈は気付いていなかった。
否、気付けなかった。
頭の中は混乱で満たされていた。五感も全く働いていない。目も耳も、不能。落雷が迫っているという危機が迫っていようが感じ取る事は出来なかったのだ。
何も見えず、何も聞いていない。
その認識は――手遅れから遠く離れた結果に結びついていた。最終的に、複数の雷は地上の何処にも落ちなかったのだ。
「…………な、何で……?」
愛依華が唖然とした声を出す。破壊は不発に終わり、落雷能力を発動させた彼女の予想を大いに裏切っていた。
雷が降り注ぐはずだった半径数メートルの敷地。そこには薄暗い日影が円状に浮かんでいる。十人以上を包み込めそうな広さだった。
「どうして……そこまで――――っ?」
上を向いて驚愕していた愛依華が突如として前方に傾いた。言葉を区切った彼女は重心を崩し、ゆっくりと倒れ込む。砂利だらけの地面に顔を埋めようとした愛依華。その身体は一本の腕によって抱えられた。
「やあ、随分とピンチだったらしいね」
アルトに近い声音が凛と響く。
愛依華の背後から一人の女性が現れた。長身にして端麗な顔立ち。少し短めの茶髪が映える美人だ。一度見たら忘れられない。容姿も含め、随分と特徴的な格好をしていた。
「よっと……」
突如出現した女性が抱えていた愛依華を地面にそっと降ろす。能力の使用に体力を削られたのか、あまり顔色は良くなかった。しかし、つい先程まで意識は保っていた。それが急に途切れて気を失ったのである。
「あ、貴女は?」
旭奈が様々な疑問を持って尋ねた。愛依華の気絶と女性の出現したタイミングが余りにも良すぎる。二つの出来事は密接に関わっている、と旭奈は本能的に悟った。
女性が軽く唸って悩む様な素振りを見せる。その視線は旭奈から気まずそうに距離を取っていた祐雅へと注がれた。そして、唇が薄らと吊り上がる。
「私は、祐雅君専用のメイドだよ」
そう名乗り、彼女はメイド服のスカートを軽く摘まんで挨拶をする。下げられた頭に旭奈も咄嗟に自己紹介を返した。「日之衛旭奈です」、と。初対面にして初遭遇のメイドにどういう対応をすれば良いのか分からなかった。とにかく巫女は頭を一緒に垂れておいた。
「ああ、知っているよ。君が”四人目”だね?」
「え?」
目を見開く旭奈。――知っている。その真意を旭奈は即座に問い返そうとした。
「……祥子さん。どうして神社に居るんだよ?」
だが、祐雅がより早く口火を切った。
「さっきの雷を見てね。何かあるなと思って来たんだよ。君のお世話が私の使命だから……守るのは当然さ」
「――そういう意味じゃなくてさ。俺、本屋に寄るって言ったよな? 何で落雷の所に俺が居るって分かったんだよ?」
「ああ、それか」
メイド服の女性が自分の腰元を弄った。そして、電源が付いた携帯機器の画面を祐雅の方へと突き出す。地図が映っている。場所は丁度神社の周辺だ。祐雅の居る現在地に光点があり、何度も点滅を繰り返している。
「君の居場所、これで筒抜けなんだよ。――エロ本でも買うのかと思ってたら神社に居るんだもの。何かあったのかと心配して来てみたんだ」
「ちょっと待てええええ!? GPSかっ? いつの間に――いや、どこにだ? 俺の携帯? それともデバイスに発信器でも……!?」
「ああ、君の脳波を感知して表示するんだ。取り外す事なんて不可能だよ」
「プライバシーの侵害だああああ! 洒落にならねえええ!」
祐雅は大いに絶叫し、頭を抱えた。深い絶望に悩み、思いのたけをありのままに吐き出していった。
「本当にエロ本を買う時、俺はどうすればいいんだっ?」
「ははは。思春期だねえ」
メイド服の女性は祐雅の叫びを軽々と笑い飛ばした。二人の会話からは親密な関係が窺える。知り合って数日しか経っていない旭奈よりも関係が深いのだろう。
「あ、あのー」
踏み込み難い空気を前に、旭奈は遠慮がちに境界を跨いだ。
「ああ、すまない。説明がまだだったんだね」
旭奈の困惑に女性が気づく。
彼女は自分の足元で眠る月織愛依華に視線を落とした。そして旭奈と愛依華を見比べ、申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「悪いけど……この子を学園へと戻してからでもいいかな。流石に今回は取り締まって貰わなければいけない」
そう言った彼女に、旭奈は食って掛かった。
「ま、待ってください。月織さんは、その、悪くは」
「同情ならやめた方がいいよ」
両の手で愛依華を抱きかかえる女性は冷淡に言い放った。意識がない少女を軽々と持ち上げている。祐雅が「手伝おうか」と尋ねたが、女性は首を縦に振る。細身に見える身体つきだが、相当の筋力は有る様だった。
旭奈は引き止めようと手を伸ばしていた。しかし、メイド服の女性から受けた戒めが耳の中で反響する。しばらく悩んだ後、旭奈は腕を下げた。
代わりに自分の声を伝える事にする。眠っており、きっと聴こえない筈だ。それでも旭奈は言わずにはいられなかった。
「月織さん。……私は、確かに貴女の言う通りの卑怯者かもしれません。能力を過信して、罪を犯しました。……でも、だからこそ。私は諦めたくなかったんです」
愛依華は憑き物が落ちた様に安らかな寝顔だった。聞こえている様子はない。旭奈の声は全く届いていないのだろう。
だが、愛依華の穏やかな表情が守られて欲しい、と旭奈は心から願った。
「――上手く言えないんですが、愛依華さんも諦めないでください。私、応援しますから」
旭奈の応援を聞き終えた女性は、愛依華を連れて神社から離れていった。学園には既に事情を通しているらしい。対した罰は下らないとメイド服の女性は言っていた。被害者である旭奈が追及しない限り公にならないらしい。安堵の溜息を吐き、旭奈は胸を撫で下ろした。
本題は、その後。
祐雅が目を逸らしながら重い口調で説明を始めた。古崎祐雅が日之衛旭奈に接触したのは偶然ではない。当初は時間をかけて説明する予定だったが、愛依華の事件により計画が狂ったと祐雅は愚痴る。色々な諸事情――ほぼ祐雅自身の問題であるが、旭奈は粗方の理解を示してくれた。
「まあ、アレなんだよ。俺の能力って……。しかも、ああしないと発動しないし」
「そう……ですか」
旭奈と祐雅の頬が赤く染まる。先程の出来事が二人の脳裏で再生されていた。気まずさでお互いが目を逸らす。祐雅は人差し指で頬の辺りをぽりぽりと掻いていた。横にいる旭奈は熱を帯びた顔を伏せている。
話す事が尽きた。
祐雅の諸事情はほぼ明かされている。これからも関係が続くという事だけは旭奈も承知していた。
「なんつーか。色々とあり過ぎたんだな、今日は。……うん、きっとそうだ」
自分で勝手に頷く祐雅。旭奈の横から一歩進んだ。首を後ろに回して旭奈を顧みては、掌を軽く左右に振った。
「今日の所はもう帰るわ。ああ、壊れた神社は心配しないでくれ。明日にでも知り合いに頼んで治すから」
「え、でも。あれは流石に難しいのでは」
愛依華による落雷は社の一部を破壊していた。端に落ちたとはいえ、雷の衝撃によって焼け焦げて跡形もない。能力によって治すのは難しいと思われた。
「大丈夫だって。――俺の、”知り合い”なんだよ」
にかっ、と祐雅は唇を吊り上げた。
「?」
旭奈が首を傾げる。長い黒髪が軽く傾いていた。言葉の意味を正しく理解できなかったらしい。そんな旭奈から祐雅は背を向けた。
「……俺も応援しているからな。じゃ、また明日」
そう言い残し、祐雅は神社の出口へと歩いていった。ざっ、ざっ、と砂利の上を踏んでいく。旭奈に見せた背中には雷の影響で付いた焦げ跡が付いている。それに気づく事無く、祐雅は遠ざかった。
胸の中に溜まっていた空気を吐き出し、旭奈が大声で別れを告げる。
「祐雅さーん! 今日はありがとうございましたー! また明日、会いましょうっ!」
腹の底から響いた声は周辺の森林に木霊する。吹っ切れた声音が延々と繰り返され、祐雅の帰りを長く見守っていった。空はいつの間にか茜色だ。愛依華が呼び寄せた暗雲は何処にも見えない。旭奈は騒動の終わりを今になって深く実感した。
翌日。
少し古びた台所にて、旭奈は制服の上にエプロンをかけて調理に勤しんでいた。少し離れた所では数匹の犬や猫が朝食を食べている。朝日が彼等の姿を明るく照らす。食事の奪い合いをしない彼等を眺め、旭奈は満足そうに微笑を浮かべる。
やがて料理が終わり、用意していた弁当箱に作った物を詰めていく。ご飯も美味しそうに炊けており、少し覚ました白米が半分の敷地を占めている。
「これでよし」
エプロンを外し、旭奈が弁当箱をカラフルな手拭いで包んだ。
準備は万端。
鞄に弁当をしまい、浮足気味の歩調で玄関へと向かう。出発を見守ってくれる家族を振り返り、旭奈は恒例の挨拶を交わした。
「では、行ってきます」
わん。にゃぁ。色々な鳴き声に背中を押される。
扉を開けると眩しい朝日が顔に当たった。今日も天気がいいな、と旭奈は肌で感じる。外で食べる昼食が今から楽しみになった。
ちょっとした早足で旭奈は学校を目指す。慣れない事をやっているせいか、途中で足をつまずきかけた。
その手で持っていた鞄はいつもより重い。
二つ分の弁当が、入っているのだから――。
次回は妹編に入る予定です。主人公の能力は具体的にはばらしません。少しずつ情報を開示していこうと思います。




