万物再生の能力⑲ 「約束」
遅くなって申し訳ありません。
暗闇に紛れながら、慎重に進む。口から吐いた呼吸さえも慎ましやかになっていた。こんな小さな音すら気になってしまう。
吐きそうになるまで警戒している証だった。
「……ここだ」
祐雅は発見した警備の隙間へと辿り着いていた。数人が視界の両端に映っているが、見事に中央だけは無人だ。間近で見て、改めて確信する。ここには誰の目も届いていない。祐雅に取って好都合な侵入経路である。
「行けるか?」
身を低くしつつ、地面に足裏を着ける。
荷物を厳選したので、身体は先程よりも随分と軽かった。だが、どうしてもホテルを目の前にして竦んでしまう。中に突入してしまえば、引く事さえ難しくなる。後戻りは出来ないと頭で考えていながら、本能は酷く怯えていた。
(ああ、くそ……。祥子さんに頼りたいな……)
自分の無鉄砲さに、思わず苦笑する。
迷いは何時までも続きそうだった。悠長に足踏みしている暇は無い。そう自身に強く言い聞かせ、祐雅は地面を蹴った。
一思いに茂みから飛び出す。
振り返る間も無く、非常階段まで駆け抜けていった。がちゃり、と鞄から取り出した道具が擦れる。小さな音だ。大丈夫だ。でも、急げ。
伸ばした腕の先が非常階段の錆びた手すりに触れた。その部分を支点として掴み、祐雅は大きく回った。高鳴る鼓動を伴い、慌てて影に潜む。
「…………」
乱れた息が闇に飲まれる。ばれてはいないか。不安に胸を締め付けられる。
「……よし……!」
数十秒の安全を経て、敵に気付かれていないと悟った。それでも油断は出来ない。祐雅は慎重に非常階段を昇り始める。
かつん、かつん。剥き出しな鉄骨が無作為に音を刻む。
「最悪」
止まない緊張が口を滑らせる。この程度なら簡単には聞こえないだろうが、より神経を使う必要があった。
「…………やっべ」
胃に穴を開けるかの如く、祐雅に追い打ちがかかる。不利な思い付きが頭の中に浮かんだのだった。
「どこの階だ? あいつが出てきたのは……?」
閃きはきっと正しかった。だが、詰めが甘い。祐雅はあの生徒が扉を抜けた瞬間を目撃していなかった。
「他は開いてねえよな、普通」
出られるという事は、その扉の鍵が開いている事も意味している。それ以外は全て締まっていると考えるのが妥当だった。
とにかく階段を静かに駆け上がっていく。そして、適当な階の踊り場でドアノブに手を添えた。開かないという結果は目に見えている。落ち込む未来も遠くはない。けれども、試さずにはいられなかった。
手首を捻る。
若干の抵抗を感じた後、ドアノブは素直に回転した。
「は?」
そのまま腕を動かす。扉は祐雅の予想を裏切り、簡単に開いていった。
「おいおいおい……ざる過ぎるだろ」
幸運にも、ここが唯一の正解だったとも考えられる。偶然か単なる相手側の失態か。どちらにせよ、この場に留まるのは危険だった。わざわざ他の階まで移動して、疑問を解消するつもりもない。
顔を近づけ、隙間から中を覗く。
「よし。誰もいない」
視界の範囲では人気は見受けられなかった。それでも緊張は解けない。祐雅は神経を張り詰めたまま、ゆっくりと建物に足を踏み入れていった。
「――ふぎゅ」
祗蓮は重心を崩して前方へと倒れ込んだ。幸いにもベッドの上に身体が乗る。ぼすん、と両手からこぼれた花瓶が埋もれる。
「重い……ですわ」
顔の先に転がる鈍器を眺め、祗蓮が呟いた。
ホテルのスイートルームで目覚めてから、約一時間が経っていた。祗蓮は脱出可能な経路はないかとずっと探し回った。結果は無駄に終わる。そこで、完全に施錠された窓を破壊しようと、置いてあった花瓶を持ち上げたのだった。
その結果、重さに耐え切れずに転んでしまった。
「うう……」
祗蓮は自分の非力さを嘆く。
「一体、どうすれば」
このままではいけない。それを分かっているからこそ、もどかしい気持ちを抱いた。
「ワタクシの能力では……脱出できませんわよね」
自身の能力は、あらゆる者を再生する《万物再生》。一定の効力を発揮出来れば、部屋からの脱出は可能である。しかし、出力に伴って払うべき代償も大きくなってしまうのだ。結果として動く事さえ難しくなる。アジトそのものからは逃げきれない。
ベッドに上半身を横たわらせながら、祗蓮が自分の掌を見つめた。
傷一つない手だった。白い指先がすらりと伸びている。戦闘どころか、力仕事さえ似合わない様な形である。
「ワタクシだけでは、何も出来ませんわね。昔も、今も」
呟きが自らの胸に染みていく。祗蓮は無力さを噛みしめては、眉に皺を刻んだ。
真横に寝返りを打った。すると、監視カメラが視界に飛び込んだ。天井の定位置で、部屋の中を凝視していた。
「ようやく来ましたわね」
不意に、祗蓮は勢いよく上半身を起こす。
たった一つの扉に目を凝らした。祗蓮の耳に留まった規則正しい足音が、外側からはっきりと響いてくる。間もなくして、ノックも鳴った。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
扉が開いた。部屋に入って来たのは、またもや春井明人だった。
「……おや」
幾つかの皿が乗ったお盆を持ちつつ、春井は祗蓮の周囲を見回した。ベッドの上に埋もれた花瓶に一瞬だけ注目する。
「模様替えでもしていたのですか? 言って下されば、お手伝いしましたのに」
「うるさい、ですわ」
低い声色で祗蓮は拒絶した。機嫌を損ねたのだ。
状況は一目で理解出来る筈だった。それを冗談で済ませられた。全てが無駄だと言っているに等しい。脅迫でもない、子供をあやす様な誤魔化し方が祗蓮の癪に障った。
「さあ、席に着いて下さい」
「先程と同じですわ。貴方達が出した物を、素直にとる訳には」
言葉を遮って、祗蓮の腹の虫が泣いた。きゅるるる。たちまち、毅然としていた両頬が紅に染まる。
「私達は教主様を崇拝しております。お身体に障る様な物を、お食事に入れたりはしませんよ。……それよりも、無理をなさらないで下さい」
春井は出来立ての食事をテーブルに乗せた。匂いが湯気と共に祗蓮の方へと揺蕩う。
「う……」
思わず胸一杯に吸い込んでしまった。祗蓮は両手で必死に腹部を抑える。だが、抵抗は無駄だった。小さな振動が何度も繰り返される。
「…………」
そして、誘惑に負けた祗蓮がベッドから降りた。ふらふらと歩いて、春井が用意した食事の元へと近づく。椅子に腰を落ち着けさせ、お盆と向かい合った。
「いただき……ます」
(これは戦略的な補給に過ぎませんわ。ワタクシの能力なら、春井が作った物質の影響も元に戻せる。……だから、大丈夫ですわ!)
胸中で言い訳を施し、春井が用意した食事を夢中で食べた。常に注意はしていた。違和感を覚えたら、すぐに箸を置くつもりだった。
「――ご馳走様、ですわ」
けれども、気づいた時には完食していた。数秒の間を置いて、祗蓮は唖然とする。
「お気に召していただけたようですね」
微笑が祗蓮を見つめる。
「ま、まあまあでしたわ……!」
声を裏返させながら、祗蓮は薄い胸を張った。本心では美味の一色に染まっている。幼少時に口にした味と寸分変わっていない。懐かしさが込み上げ、様々な食事を経験した今だからこそレベルの高さに驚嘆していた。
「……春井。貴方、料理がこんなにも上手でしたのね」
「いえ。褒められる程の腕前ではありませんよ」
謙遜を舌先で呟き、春井は空になった皿を片付けていく。かちゃかちゃ、と手元に重ねていった。残り物がないせいか。長年の世話をしているせいか。すぐに終わった。
「食後のお茶を淹れますね」
手際良く、春井が白いカップをテーブルに用意する。缶に入っていた茶葉を急須に移し、電気ポッドからお湯を注いだ。蓋をしては、続けてカップも熱湯で満たした。
(ああ、そうでしたわ。春井は、いつもこんな風に……)
昔の記憶が、現在の光景と重なった。
仮初の価値観に支配され、当時は幸せな過去を抱いていた。両親の教育に従い、天慧教団の教主であった祗蓮。その歪さは充分に理解している。だが、どうしても振り返らずにはいられなかった。脳裏で描かれているのは、自分だけが幸せと呼べる儚い思い出だった。
「どうぞ」
満腹感に心を委ね、祗蓮は春井が渡したカップを黙って受け取った。
「…………」
かつての事は、自分にとっての罪。それを言い聞かせているからこそ、祗蓮は幸福に浸りきれなかった。
口の中に、鮮やかな香りと仄かな甘みが広がる。いい味である。
「ぶふぉっ!?」
無意識に紅茶を飲んでしまっていた。祗蓮は慌てて吐き出す。油断していては、能力による対応が遅れてしまう。危険性は充分に考慮していた筈だった。何て間抜けな、と自分を叱咤した。
唇から溢れた雫が制服の上へと飛び散る。
「大丈夫ですか?」
傍らで待機していた春井が語り掛けた。膝を屈めて、手に持ったハンカチで染みを拭きとろうとする。
「失礼します。教主様」
祗蓮の耳元で、春井明人が小声を発した。腕を僅かに伸ばす。スカートにハンカチを軽く触れさせ、丁寧に撫でていく。
「――そのまま、動かずにお聞きください――」
(…………え……?)
思わぬ囁きに祗蓮は硬直した。
「ご無礼をお許しください。全ては、貴方の為にやっている事なのです」
初めは自分の身体に触れている件かと思った。しかし、春井の動作や口調から悪意は感じられない。寧ろ暖かな優しさだけが読み取れた。
ハンカチが目前で畳まれる。春井は少し濡れたハンカチをお盆に乗せては、改めて祗蓮と向かい合った。
「私は教団の一員でも、木場京悟の部下でもありません」
強く断言しては、祗蓮の掌を両手で握る。
真の忠誠を誓った相手。その少女に対して、彼は決意を滾らせながら約束した。今まで以上の、柔らかな声色で。
「私は、貴方の味方です。命をかけて、貴方をここから脱出させてみせます」
次回はなるべく早めに更新したいと思います。木曜日を目標にしています。




