空間隔離の能力③
登場人物の名前が判明する話です。
「ここがいいかな。日もよく当たるし、風通しも強すぎず弱すぎない。ちょっと校舎から遠いのが面倒だけど、大丈夫か?」
「はい」
少年と少女は共にベンチへと腰かけた。周囲には適度な草花が生い茂っており、視覚に鮮やかな刺激を与えてくれた。
「あー、腹減った」
購買で買ったパンの袋を少年が開けた。ばり、と音が鳴り、芳ばしい匂いが鼻をくすぐる。少年が選んだのは照り焼きチキンを挟んだサンドイッチだった。袋の内側に着いたマヨネーズをパンの端で掬い取り、早速一口かぶりつく。
「いただきます」
「むぐっ」
少女の整った作法に少年は思わず畏まった。自分の行為が何となく恥ずかしくなり、先走った食事を中断して少女と同じ言葉を呟いた。そしてもう一度サンドイッチを口まで運んだ。
風が柔らかに二人の間を吹き抜ける。少年の視界で長い黒髪が飛び込んできた。透明な流れに乗った少女の髪は小さく持ち上がり、漆黒の輝きを少年へと見せつけた。
「えっと」
少女が困った様に少年を眺めていた。見惚れていた、と言い辛い雰囲気がベンチの周辺で発せられる。
「貴方の名前を、訊いても宜しいですか?」
「……あ、名前? 言ってなかったっけ?」
少女は首を縦に振った。
「悪い悪い。俺の名前は、祐雅。古崎祐雅だ。改めてよろしく」
祐雅は口元を吊り上げて微笑んだ。
彼の友好的な笑顔が黒髪の少女から名前を引き出した。祐雅の瞳を真っ直ぐ見返し、類が異なる柔らかな微笑で少女が自分を紹介する。
「はい、こちらこそ。私は、日之衛旭奈です」
「日之衛、旭奈……ね。呼び捨てでも大丈夫か、旭奈? 嫌だったらちゃんとさん付けはするけど」
「構いませんよ」
判断が早過ぎる、と祐雅は感じた。多少の抵抗感が発生すると想定していたのだが、旭奈は特に躊躇はしていなかった。逆に祐雅自身が困惑の赤みを顔に浮かべる。
いきなり出会い、いきなり呼び捨ての仲に至ったのだ。彼女の周辺で悪い噂を立たせてはならない。
「本当にいいのか? その、あれだ。周りの奴等が変な勘違いとか……」
「何を勘違いするんですか?」
きょとんと、旭奈は首を傾げていた。
二人きりの昼食。それが同性の間で行われていれば彼は心配することはなかった。しかし、現状は異性と付き合っているのだ。自分から見ても二人の関係を疑ってしまうのが当然だった。
そんな思考も露知らず、旭奈が弁当箱の蓋に手をかける。何の不安も巡らせない旭奈を眺め、祐雅は確信した。
「――天然、か」
「はい?」
「何でもない。こっちの話だ。……その弁当、旭奈の手作りか? 美味しそうだな」
祐雅は彼女の膝元へと顔を近づけた。旭奈が持ってきた弁当の中身は和食で構成されていた。
出汁の匂いを漂わせる綺麗な焼き色の卵焼き。鰆らしき西京漬けの切り身。胡麻と青菜の色合いが映える胡麻和え。新鮮そうな胡瓜の漬物。それらのおかずとは仕切りで分けられた艶の有る白米。
無意識に唾を呑んでしまった。実に美味しそうである。
「褒められる程のものではありませんよ。よろしかったら、一口食べてみますか?」
「え? いいのか!?」
関心を逸らす為の話題だったのだが、祐雅は女子の手作り弁当を食せるということに心を躍らせた。
普段も使用人――もとい雇ったメイドさんの食事を頂いてはいる。残念なのはその腕前が祐雅と同等であることだ。そして彼女は自宅の家事を一身に請け負っている。数日間暮らす内に、負担を減らしてあげようと彼も日替わりで炊事を担当していた。つまり、女性に依存しきった料理は殆ど口にしていないのだ。
「出汁巻き卵でいいですか? では、口を開けて下さい」
「あーん」
恒例の合図を言った後で、これは女の子の台詞だっただろうか、と内心頭を捻った。
それも束の間。
ふわふわにして、格調高い風味が口中を駆け抜けた。
「――うまい!」
「本当ですか? お口に合って良かったです」
「これ、本当に手作りなのか? 料理上手なんだな、旭奈は」
祐雅の言葉は本心そのものだった。彼女からもらった卵焼きはプロの味と言っても過言ではない。
「そんなことはありませんよ。和食にはちょっと自信があるだけで……その他は駄目なんです」
「いや、でも凄いよ。この味だったらお金を払ってでも食べたいぐらいだ」
「褒めすぎですよ」
「本当だって。俺もたまに弁当作ったりするけど、こんなにうまくは作れないよ」
その結果、祐雅は面倒になってパン食を主体としていった。菓子パンや惣菜パンを上手く組み合わせて飽きない為の工夫は施している。だが、どうしても栄養面は偏ってしまうのだ。夕食で不足した分は補っている気はあるが、旭奈の昼食を目の当たりにすると浅はかな対応にしか過ぎないと気づかされた。
できたら、もっと食べてみたい。
祐雅は口を小さく開け、すぐさま閉ざす。
それは彼女の食事であり、自分は買ってきたパンを無駄にしてはならない。自制するんだ、俺――と己を強く戒める。
決心しした後、「ありがとう」と言って食べかけのパンをもう一度噛り付いた。
「あの、お弁当……私が作ってきましょうか?」
「え?」
思いも寄らない提案に祐雅は括目させられた。
旭奈が箸で魚を綺麗に分断し、桜色の唇まで運んでは丁寧に咀嚼している。次に食べたのはご飯だった。ごくり、と彼女の白い喉が動いた。
「今のってどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。明日、古崎さんの分も持ってきましょうかって」
「あー。……正直に言うと、凄い有難い」
同時に祐雅の心は反省も抱く。旭奈の言葉にはきっと自分の表情が関係してしまったのだ。祐雅が未練がましい顔を見せたことにより、彼女はその心境を汲み取る発言へと至ったのだろう。
しかも『古崎さん』と呼ばれていた。祐雅と旭奈の距離感があまり縮まっていないという証拠である。
「でも、俺ってまだ旭奈に何もしてないんだぞ。……それなのに、弁当を作ってもらうなんて」
「そんなことありませんよ。祐雅さんは私と同じ第八階級じゃないですか。私、こうして他の人と一緒にお昼ご飯を食べるのって初めてなんです。だから、嬉しくて」
てへ、とはにかむ少女の顔に祐雅は罪悪感を覚えた。色恋うんぬん以前に第八階級の能力者は人間関係が難しいと知っている。自分の周りに居る彼女等が実際にそうだったからだ。旭奈も似た様な境遇なのだろう。
真珠の如く白い肌に浮かんだ朱色の頬が自分の良心を傷付ける。祐雅は自分の階級を黙っている事が申し訳なくなり、心底と口を直結させた。
「――悪い。俺……本当は第八階級じゃなくて、第一階級なんだよ……」
祐雅より少し離れた隣で旭奈が息を詰めた。彼女の顔が驚きに染まっていくのが察せられる。「騙していた」と罵られることも覚悟をし、祐雅は目を瞑って静かに旭奈の言葉を待った。
だが、彼女は気分を害した様子もなく、単に首を縦へ振っただけであった。
「そうですか。じゃあ、私と同じ学校の人ですね。お弁当を作るのは、この理由だけで十分ですよ」
「大らかすぎる! 天使だ! 旭奈さん、マジ天使!」
「……天使? 古崎さんは宗教や神話などにお詳しいのですか?」
旭奈は祐雅の発言を詳しく理解してはいなかい。しかし、彼女の心根が己の比喩通りであるのは事実だった。ちょっとだけな、と笑って改めて旭奈の横顔を見つめる。彼女が神社で犬を世話していた光景が脳裏で蘇った。母性の強い性格とでも言うのだろうか。善意の結晶と向き合っている様であり、祐雅は心を洗われた気がした。
「お言葉に甘えさせてもらって、明日の弁当をお願いしていいか? 金が必要だったら勿論払うぜ」
「いえ! お金なんてそんな! 私なんかが作ったお弁当にそこまでの価値はありませんよ」
「いーや! ただで食べさせてもらったら、俺の気が済まない! ぜひ払わせてくれ!」
「必要ありませんよ。田中さん(犬)にいつも上げてる余りものを詰めるぐらいですから」
――え? 俺って犬扱い?
小さくない衝撃が祐雅の心を揺さぶったが、何とか会話を続けた。あの犬畜生、羨ましいぜ。などという思念は決して彼の胸中に芽生えてはいない。俺はきちんと金を払うんだ。お前みたいな獣とは違う! こうした勝手な優越感には浸ってはいたが。
「…………ま、この話は明日にしよう」
そう呟き、祐雅が時計の方角を見上げる。旭奈も視線の先を合わせ、その口を大きく開けた。昼休みの時間が終わろうとしていたのだ。二人は顔を見合わせて頷いてから、自分達の食事に黙々と取り組み始めた。
学園の授業は時間に厳しい。能力の研究という題目が異常事態に備えることを余儀なくしており、生徒達は遅刻することが身の危険に繋がるかもしれないと言う教育を受けていた。それ故、祐雅が話しを区切った後は咀嚼音が延々と続いただけであった。
「ごちそうさん」
サンドイッチと弁当。この両者は当然前者の方が早く食べ終える。祐雅はパンの袋を手で握りつぶしつつ、席から一気に立ち上がった。
「悪いけど、俺は先に行くな。明日、今日と同じ時間にここで待ってるから。――楽しみにしているぜ」
「あ、はいっ」
米粒を口元に着けた旭奈が大きく首肯した。祐雅は口角を上げ、笑顔を維持したまま旭奈の視線から離れていく。ざっ、ざっ、と彼女の背後で草を踏みつぶす音が遠ざかっていった。
「あれ?」
旭奈は再び首を上げて時計を確認した。彼女達の正面では大きなアナログ時計が秒針を刻んでいる。それは、校舎の壁面に設置されている物だった。
「……古崎さん?」
祐雅が目指した先を振り返り、旭奈は首を小さく傾げた。木々が生い茂る森林。その向こう側へ、学園の生徒である祐雅は歩いていった。方角は校舎と反対方向になっている。旭奈は目を細めて、祐雅の背中を探した。
しかし、祐雅の姿に旭奈の視力が及ぶことはなかった。
後々名前が変わってしまう可能性もあります。その時はきちんと説明を入れようと思いますので、ご安心下さい。次回がいつになるかはちょっと不明です。




