精神支配の能力⑥
遅くなって申し訳ありません。最新話です。
(――再生能力。利用する価値は大いにある)
裕美は心の中でそう呟いた。周りに飾られた絵画を眺めるフリをして、まずは状況を整理する。
古崎祐雅に連れてこられた部室にて、《万物再生》という能力の存在を知った。彼女を自分の側へと引きずり込もう。これで物理的な問題に悩む必要は無くなる。裕美がどれほど他人の精神を操れようと、実際の戦闘力は零なのだ。第八階級、更に再生能力を持っているならば申し分なかった。
(……だけど、手始めに古崎祐雅を支配する必要がある)
昨日、今日と顔を合わせた。この二日間で裕美達の距離は相当に近づいた、と生徒や教師は思ってくれるだろうか。そうでなければ、古崎祐雅の能力を常に利用出来ない。到達地点は、常に祐雅が傍に居てもおかしくない関係、である。
籠絡の手応えも充分に感じている。仲睦まじい間柄の線引きが難しいのだが、あと少しと裕美は考えていた。最低でも一両日の演技を貫いていければ、誰からも怪しまれない支配が可能になる。そこまで堪え切れれば、裕美の能力に課せられた重りは消えてしまう筈だった。
(あの薬を使ったのも……その目的の為)
昼に用いた、能力暴走の抑制を図る錠剤。それは服用者に大きな負担をかける代物だ、と身を持って経験していた。
正直に言えば、裕美の思考は今にも停止しそうだった。これが昨夜に渡されたカプセル錠剤の作用なのだろう。倦怠感が神経を脅かしている。睡眠薬や風邪薬の比ではない。まるで気絶と覚醒の狭間で漂っている様だ。
「おかしいな」
裕美の背後で祐雅が言い放った。自分の策略に気付かれたのか。反射的に顔が強張り、声を裏返ってしまう。
「な、何が……ですか?」
「いや、祗蓮が遅いなーって。トイレにしちゃ時間がかかり過ぎている気がする。違う用事でもあったのかな」
入口の方に視線を送り、祐雅は前かがみになった。両手の指を組み合わせて閉じたままの扉を凝視する。
居る筈だった女性は祐雅より年上だと聞いていた。しかし、帰りを待ち侘びる姿は案じている相手が先輩だと思わせなかった。大げさかもしれないが、幼い家族を待つ大黒柱を祐雅に重ねてしまう。
「…………心配なんですか?」
言うつもりのなかった台詞が、演技の枠から飛び出した。
「ああ。何しろ祗蓮はつい最近まで命を狙われていたからな。……あいつらは殆ど捕まったんだけど、心配だと言えば、その通りだ」
無意識に腹を擦っていた掌を裕美は見逃さなかった。言葉の節々にもやけに現実めいた苦労が隠れていた。恐らく、祐雅自身も何らかの形で巻き込まれていたのだろう。腹部はその際に負傷したのかもしれない。
(羨ましいなぁ)
裕美は顔も知らない祗蓮へと嫉妬した。きちんと心配してもらえる彼女が羨望の的と化していた。
――両親から腫物扱いされている第八階級だって、ここにはいるのに。
「今から探すのも面倒だしなあ。……どうしよ」
ぼりぼりと祐雅が後頭部を掻いた。彼女への不安も自身の足を動かす程には強くないらしい。それでも裕美はその心配を欲した。私の方へと向けて欲しい、と心底から望む。
「そんなに親しい仲なんですか? その方とは」
抑制が効かない質問が又もや喉を吐いた。祐雅が裕美の感情に気付くことはない。それを安心すると同時に、悔しく思ってしまう。
「親しいつうか……まあ、一度知り合えば仲は続くというか。…………そんなが付く程に深い関係じゃないな。せいぜい公衆の前で抱き合う仲だ」
「…………そうですか」
「――え!? そこはつっこめって! 『思いっきり深い仲じゃないですか』とか! 顔を赤らめてさあっ!」
底辺の冗句を気に留めるつもりはなかった。今の裕美は、偽りの舞台から降りたも同然である。古崎祐雅を手に入れる、という目的は諦めていない。ただ、この場合に限って疲れていたのだ。
(これも薬の副作用なのかな。…………頭が、上手く回らない)
気分が悪い、と言うより気分が麻痺していた。面の皮が次第に剥がれていく様だ。
「きっと素晴らしい人なんですね。……そこまでして先輩に思われるなんて」
――本性を隠さなきゃ。
裕美は自制心を意図的に働かせる。かかったブレーキが軋みを上げていたが、今だけは耐え切ろうとした。ここで屈してしまえば、早々に《精神支配》の能力を使ってしまいそうだからだ。
「んー。…………美人って言えば、美人だけど……。愛想はあんまり良くないしなぁ」
祐雅の言葉が濁る。本心かどうかは分からないが、《万物再生》という能力だけで傍に置く意味はあった筈だ。そうでなければ、怪我を負ってまで関わっている理由がない。
「そんな事を言えば、関祢も充分に可愛いと思うんだけどな。祗蓮より愛想もいいし」
突然、矛先が裕美へと向いた。予期していなかった投げかけだが、冷静に対処する。人見知りで恥ずかしがりや。そうした後輩の面を被り、軽く振り返りながら先輩の好意をくすぐってやった。
「い、いえ……。私は全然、です」
これで予想外だった応答が完了した。自分の問いかけと祐雅の呟きは無事に輪を結んでいる。自然と固くなっていた双肩からも力を抜く。裕美は焦りを押し殺して、祐雅への籠絡を再開しようとした。
(後は古崎祐雅との仲を深めるだけ……)
――この時は、そう思っていた。
「……っ?」
裕美が自分の瞳に違和感を覚えた。微かな圧力が眼球をなぞる。呻く様に前方へと倒れつつ、急いで掌を眼孔の上に押し当てた。
「お、おい。どうした、関祢……?」
背後で祐雅が立ち上がった。いきなり倒れそうになった裕美を見て、心配したのだ。
けれども、それ以上近づける訳にはいかない。裕美は焦りを何とか抑えつつ、己の猫を被った声色を捻り出した。
「大丈夫です……! 何でも、ありません……っ」
瞳の発光――能力が勝手に発動していたのだ。裕美は必死に覆い隠した。背中を見せている間に力は納まったが、心臓が激しく脈打った。言い訳を考えるのに必死だった。思いついた出まかせを口から吐く。
「ちょっと、目にゴミが……」
「そう……か?」
怪訝に祐雅が首を傾げた。椅子から立ち上がるので、誤魔化し方を間違えたと裕美に反省させた。
(まずい。…………これじゃあ)
祐雅が次に取る行動を予想出来た。そして、それは最も避けたい事態だった。
「俺が取ってやろうか? ちょっと見せてみろよ」
立ち上がった祐雅を目視して、裕美は焦りを加速させた。今は能力の暴走が納まっているのだが、また無意識に発動しないとは限らなかった。家族への思い、は既に喋ってしまっている。祐雅を自然と説得させられる策が、早くも尽きようとしていた。
(薬を飲んだのに、効力が切れるのが早すぎる! 一日に一粒でも、一日中抑えられるわけじゃないの……っ?)
裕美はあのフードを被った売人を強く恨んだ。説明不足が多すぎる。能力を使ってもっと問い質すべきだった、と嘆いても遅い。
「ほら、顔上げてみろ」
隣に祐雅が立ちはだかった。能力の暴走を恐れる程に、瞳に違和感が走る。焦る度に本末転倒へと陥っていた。
(…………あわてるな、私)
冷たい氷を思い描いて心の内面に重ねる。動悸が収まったとまでは言えないが、一定の冷静さを裕美は取り戻した。
口にした事を撤回するのは危ない。ならば、祐雅の善意から来ている行動を止めさせればいい。《精神支配》という能力への感情。それを逆に利用してやろうと、裕美が理想で塗り固まった唇を瞬かせた。
「駄目です」
「え、何で? そんなに目を押さえてて、痛くないのか?」
「――先輩が、危険だからです……! 前も言いましたよね? 私はまだ自分の能力を上手く制御できないんです。そんな私の目を見つめるなんて」
印象を操作し、恐怖を引き出す。
祐雅との距離を開けるのは望ましくなかったが、勝手な能力暴走での支配がより恐ろしかった。これで祐雅が少しだけ怯んでくれればいい。その間に「ゴミは取れた」と都合よく乗り越えたい。
半分閉ざした視界の奥で、祐雅が歩みを止めた。短い一瞬。裕美は更に双眸を隠そうと身体を曲げた。
「ごちゃごちゃ言うな」
だが、裕美の思惑は又もや大きく外れた。
「そんな風にしていたら、誰の目も見れないだろ。ほら、しっかりと目を開けろ」
横から伸びた祐雅の指が、俯いていた裕美の顔を引き上げた。
真っ向から対峙した視線がぶつかり合う。長い前髪の奥に嵌った曇りのない双眼に、裕美は凝視された。
「…………ん? もう取れてたか?」
目に入ったというゴミを見つけられず、祐雅が眉をひそめた。その胸板に二つの掌が突き出される。裕美は真っ直ぐに力を込めた。不用心に近づいていた身体がよろめき、すぐに裕美から離れていった。
「ちょ……え? そんなに嫌なのかっ?」
裕美から拒絶された祐雅が唖然とする。嫌われた、とショックを受けてしまったのかもしれない。だが、実際は裕美の方が強い衝撃を受けていた。頭の中を混乱させて、素顔で問い質す。
「な、何をしてるんですか……?」
《精神支配》という能力への先入観を祐雅は持っていない。そこまでは裕美も承知していたが、本人から警告を促されつつも接近するのはもはや異常だ。自分の顎を傾けさせるのもごく自然な動作だった。些細な一部にさえ恐れを抱いてはいない。
裕美が断ったのは、その寛容さである。
受け入れられない事が当たり前になりすぎて、逆にすんなりと接せられる事を認められなくなっていた。
「何ってゴミを取ってやろうと。…………あ、いや、別に下心はちょっとしかないからな? こんぐらい」
人差し指と親指の間を全開にして祐雅が割合を示す。「ちょっと」の定義が分からなくなる量だったが、今はそれを追及する場合ではなかった。
「そうじゃなくて! 私の支配を受けると考えないんですかっ? 制御できてないんですよ、私は! 危険なんですよ!?」
間抜けなのだろうか。危険にわざわざ足を踏み入れるお人好しならば、ここで支配してしまっても良いかもしれない。
「分かってるんですか? 私の能力は先輩の意志なんて関係なく影響するんですよ! それなのに、どうして簡単に目を見られるんですか!?」
理解不能の言動に対し、裕美は苛付きを溜め始めていた。胸の奥が烈火の如くに騒めいている。ただ、原因は祐雅だけではなかった。
「もう少し慎重に行動してくださいよ! 私がどれだけ気を使っていると思うんですか!?」
自分の心が、自分でも腑に落ちなくなっていた。別に相手が間抜けなら、とことん利用してやればいい。そう考えていたのだが、今の裕美にはどうしても呆然としている祐雅を支配出来なかった。隙だらけだと囁く本性もいない。こんな事は裕美が能力に目覚めてから初めてだった。
「……あー、うん? とりあえず謝るか」
祐雅が「悪い」と呟きながら頭を下げる。その潔さは不思議を通り越して、不愉快だと裕美に感じさせた。
「謝罪して欲しいんじゃ、ないんですよ……っ」
目の前にあった顔が歪む。後頭部を指先で掻きながら、祐雅は面倒臭そうに訊ねた。
「だったら何を言えばいいんだよ、関祢?」
「……それ…………は」
裕美は返答に困り、顔を下方へと逸らした。絵具の染みが微かに残っていた床面が映り込む。不規則に散らばった汚れが、まるで自分の心情の様だと共感してしまった。
(分からないよ、私にも)
そう戸惑う反面、裕美はある可能性を発見した。しかし、あまりにも馬鹿らしい部分だったので、俄かには飲み込めなかった。
祐雅が裕美を呼ぶ際に用いるのは「関祢」という名字。対して、この部屋の主である女性には「祗蓮」と名前を用いているのだ。明確な親密度の違いが現れている。自分への認識が他人より劣っている事に、裕美は耐えられなかったのかもしれない。
(さすがに子供じみている。私が、その程度の感情で……。……その程度…………で……っ?)
浮かんだ心理を問い詰める最中、裕美の全身から感覚が抜けた。自分の表装に纏われていた膜が取り払われた気分だった。見つけてはいけないモノが、関祢裕美という肉体の裏側に潜んでいる。気付いてしまったせいで、呆然とした。
(いつからだろう……。私が、人の心をモノ扱いにするようになったのは?)
母親から与えられなくなった愛情を求めた。自分の能力を使えば、それらが全て手に入ると知った。上手く活用する為に、どんな状況下でも冷静な判断を努めた。そして、自分の力で「自分への愛情」を再現したいと願った。
――矛盾している。
少なくとも、裕美は他人から与えられる愛情を求めていたのだ。思い通りにならない他人の気持ちに撫でられたかったのだ。
「…………ん? 何だよ、黙り込んじゃって」
《精神支配》という能力を恐れない祐雅を前にして、裕美はようやく自身の矛盾を自覚してしまった。無条件で与えられる好意でさえ、裕美はモノ扱いする様になっていたのだ。
喉から手が出るぐらいに欲しかったモノが目前にある。けれども、かつてと同じ欲求は起こらなかった。多少の願望はあるが、微々たる程度だ。しかも身体だけが本能的に求めている。奥底の理性はパズルのピースとしか見なさなかった。
心と肉体の分離。それが能力暴走の要因だと裕美は察する。思えば、祐雅に頭を撫でられて涙を流した時も似た状況だった。渡された薬を服用しても、「能力発動」の気力のみが奪われる。肉体の無意識な活動には一歩及んでいなかった。
「おーい、起きてるかー?」
置いてきぼりにされていた祐雅が、双眸の前で掌を振っている。裕美の瞳が動いたらすぐに止めた。深い思考から戻ってきた自分を見て、困惑の顔を浮かべる。
「なあ、ホントにどうしたんだよ? そんなに機嫌悪くする様なことしたか? ……俺もあんま女子と会話した経験はないからさ。特に年下。…………だからさ、何かすまん」
「いえ」
謝る必要はない。裕美は自分に呆れ果てながら、祐雅を見つめ返した。
「やっぱり、何でもありません」
「……そうなのか? あんまりそういう風には見えないんだが」
「いいんです、もう」
裕美の心は改めて冷たくなった。首を左右に動かして、落ち着いた声音を発する。急激な変貌に付いていけない祐雅に、淡々と告げた。
「ごめんなさい。見苦しい所を見せてしまって」
「お前がいいって言うなら、俺も別にいいんだけどな…………」
古崎祐雅の表情と台詞は異なっていた。先程の混乱が有耶無耶になってしまい、腑に落ちていなかったのだろう。それでも祐雅は踏み入ろうとしない。下手な気遣いだったが、少しだけ嬉しく思った。
「すいません。……本当に、もういいんです」
息を深く吸って、裕美が微笑を携える。
「……んっ。ちょっと叫び過ぎて……喉が乾いちゃいました。えへへ」
その様子に祐雅がいち早く対応した。腰のポケットに手を入れては、出入り口の扉へと向かう。
「じゃあお茶でも買ってきてやるよ。今回も俺のおごりだ」
「そんな。いいですよ、先輩。二度も……」
「遠慮すんなって。俺も何か飲みたいと思ってたんだ」
そう言い残して、祐雅が美術部から出ていった。静かな室内に残された裕美はしばらく閉ざされた扉を眺める。廊下を駆けている足音が小さくなった。ここから離れた、と裕美は苦笑いと共に確信する。
「…………ごめんなさい、先輩」
裕美の掌は一つのカプセル錠剤を握っていた。部屋に居るのが自分だけになった直後、ポケットから取り出したのだ。
「嘘ついちゃいました」
喉なんて本当は乾いていない。ただ、自分の前から消える様にと誘導したのだ。悪化していた空気を入れ替える為に、祐雅も安易に同意してくれたのだろう。
薬を乗せた自分の手は、微かに震えていた。
二つ目の服用。それは売人から明確に釘を刺されていた。だが、裕美は警告を乗り越えなければならなかった。昼食時に飲んだ分だけでは不足しているのだ。ここで足を踏み出さないと、祐雅を無意識に支配してしまう恐れがある。
こつん、と錠剤を包んだ拳を額に当てた。
「せめて……今だけは」
理性で感情を殺してしまったとしても、裕美は最低限の矜持を示そうとした。純粋な善意を自分から守りたい。そんな願いを胸にしながら、そっと指先を開く。
小さなカプセルが、裕美の口へとこぼれ落ちていった。
「……って、すまん。ジュースの方が良かったか、関祢?」
逃げる様に走った祐雅はすぐに美術室へと戻っていた。後輩の唐突な豹変に驚いてしまったので、気分を転換する用事が出来たのは幸いだった。だが、ひょんな心遣いを優先させてしまう。大きな扉を全開した後で、「しまった」と胸の内で呟いた。
「…………え」
けれども、間髪入れずに頭の中は吹き飛ぶ。
第二美術部の中央にて、小柄な身体が床に横たわっていた。青い長髪が乱れながら、蒼白色の顔にかかっている。祐雅は先刻まで存在していた空間なのだが、そこだけ別世界の様に凍えて見えた。
まるで死体だ。
そう感想を持った瞬間に、祐雅は倒れた裕美へと走り寄った。
月曜日の1時位に次話投降をする予定です。




