精神支配の少女②
お待たせしました。最新話です。
古崎祐雅という人間は、一言で表すと女性に甘かった。
「なのに…………どうしてっ?」
手洗い場に並べられた鏡の前で、関祢裕美は疑問を吐露した。ピンク色の壁で囲まれた女子トイレに切羽詰まった声が反響する。
こんな短い時間に戻って来るとは思っていなかった。目の前には瞳を充血させたみっともない顔が有る。裕美がそれに重なる位置へ手を持ち上げ、押し返そうと鏡を圧迫した。しかし、自分の貧相な筋力では割れそうにもない。
「失敗した。…………こんな、所で!」
祐雅は裕美の能力――精神支配についてその実態を耳にした筈だ。自分も警戒されている事を承知で対面した。だが、前髪で双眸を隠している奇妙な先輩は警戒心を殆ど抱いていなかった。初対面同士のぎこちなさを乗り越えたら、急に親密度を深めようとしている。
罠だろうか。
そう考え、とにかく従順で大人しい後輩を演じてきた。古崎祐雅に気に入られ様と彼の好みに合わせたつもりだ。隙を見つけても歯がゆい思いで我慢した。
ある目的を果たす為、裕美はそれらの苦労を担ってきた。全てが、古崎祐雅――もといその能力を支配するという計画の裏返しだった。
「……それなのに!」
裕美は失敗した。
一分前に祐雅の正面で涙を流している。楽しいデート気分だった先輩への欺きが肝心な時に剥がれてしまった。あれは自分でも誤算だった。まだ言い訳は通じるだろうが、不信感を持たれたのは確かである。
些細な綻びは、裕美の策略にとって大きな障害となった。祐雅の心境を悪化させた為に、これまでの様な会話は不可能だ。そして距離を置かれるかもしれない。それだけはどうしても避けたかった。
荒い呼吸を、抑え付ける。裕美は自分の感情を支配した。
――散々他人へと行った行為。
それが、自分を相手にすると、こんなに難しいなんて。裕美は心臓を潰す様な窮屈さに言葉を詰まらせていった。
「…………お?」
祐雅はトイレの方角から出てきた裕美を発見した。足取りは何処か重く、目も少しだけ腫れていた。だが、表情は笑顔を取り繕っている。おかしそうに、微笑めいた顔で祐雅へと歩み寄っていた。
「大丈夫……か?」
待っていた祐雅が声をかける。
「はい。すいません、先輩。私、ちょっとびっくりしちゃって」
「びっくり?」
首を傾げ、背の低い裕美の顔を覗き込む。涙で震えていた瞳はすっかり乾いている。泣き出しそうな状態からは抜け出した様だ。
「私………………あんな風に」
裕美の口から音の無い息が流れた。水中に居るかの如く、喉元に手を添えて祐雅を見つめ返す。喋ろうとしているのは確かだ。しかし、その意志だけが空回りしている事を感じ取った。
「無理しなくていいぜ。人に言いたくない事は、一つや二つ、誰だってあるんだ。……俺のベッドの下に何があるか、とかな」
「……いえ。先輩にも、聴いて欲しいです」
渾身のボケが無視されたが、祐雅は堪える。真剣そうな話だった。裕美は顔を伏せているが、声が陰鬱な響きを秘めている。この頼みを断っては、自分との距離は縮まらない。そう考えた祐雅の顔が出口の方を向いた。
「とりあえず、歩きながらでいいか?」
――空には黒みが差し込んでいた。薄暗い夜の向こうで星々が点々と輝く。夕焼けが沈んだ直後なのだろう。何処か透き通った様な青さが、上空に広がっていた。
学園へと続く大通り。その歩道を、仕事帰りの社会人に紛れて二人は歩いていた。街灯がぼちぼちと点き始める。学園の生徒……能力者が多く住む街を、明かりが照らしていく。
車道側を進む祐雅の隣で、裕美は小さく身体を縮こまっていた。すぅ、はぁ、と深呼吸が聞こえる。
「私、親元から離れて……学園の管理するマンションに暮らしているんですけど」
唐突な身の上話に、祐雅は気兼ねなく応じた。
「大半の生徒はそうじゃないかな。この街っていうのも、学園が立てられたから造られたって感じだし」
「ええ。私も一人暮らしには特に心配はないです。でも」
「でも?」
「私の場合は…………一人になりたくて、実家から逃げてきたんです」
裕美の告白が、濃い夕暮れの気配に溶け込む。空気を経由して、その言葉に隠されている失意を肌で感じ取った。
関祢裕美という少女は、第八階級の能力者だ。
――他人の精神を操る。
伝文にしか過ぎないけれど、それが裕美の能力だと聞いていた。耐性の無い人間にとっては確かに恐ろしい。祐雅も打ち解けるまでは若干引き気味だった。しかし、一つ下の後輩はおしとやかで柔和な人格を持っている。
だからこそ、裕美は計り知れない苦労をしたのではないか。
「子供の頃の私は、能力を制御できませんでした。……いえ、制御と言うより、能力そのものに気付いていませんでした」
発現の不明。詰まる所、能力が無意識に発動していたと裕美は口にする。
「そういう話は結構聴くな。効力が分かり辛いから、自分が能力者だと気付かない奴」
「ええ。私も、正にそうでした」
話の途中で赤信号に捕まった。交差点を前にして二人は足並みをそろえる。裕美は両足を合わせたままでは話し出そうとしなかった。再開したのは、青信号の合図である独特な信号音が鳴ってから。白い太線の上で響いた靴音と、裕美の甘い声音がぴったりと合致した。
「私が誰に能力を使っていたか、分かりますか?」
「え」
一歩分遅れる裕美を見返り、祐雅は答えに詰まる。
「お母さんです。……私、お母さんにずっと精神支配の能力を使っていたんです」
「――っ」
「頭を撫でてもらうのが私の日課でした。褒めてくれるのが嬉しくて。でも、それはお母さんの本当の気持ちじゃ……なかったんです……」
裕美は瞳から明度を失くしていった。沈んだ面持ちが歩道の上で待っていた祐雅に追いつく。密着していた小さな唇は、胸中に眠る過去を公にした。
「能力の存在を知ったお母さんは、私を避けるようになりました。口では平気だと言っていたんですが、まともに向き合いもしませんでした。私を腫物の様に扱って…………一緒に暮らすのが、辛く、なって…………それで」
双眸が潤いを帯び、頬は赤く染まる。裕美は顔に力を込めながら涙ぐんでいた。その涙腺は最後の一線で何とか持ちこたえている。しかし、今すぐにも光を弾いて零れてしまいそうだった。
「ごめんなさい、先輩。目の前で、何度も泣いちゃって……」
裕美が指先で自分の目尻を拭う。哀咽を晴らそうと、声色は無理やりな明るさを秘めていた。形だけの体裁。それが祐雅にとっては一層痛ましかった。
「謝る事は無いだろ」
隣を歩きながら祐雅は呟いた。
数台の車がガードレールの向こう側で通り過ぎる。静かなエンジン音が二人の吐息を紛らわせた。吊られて会話も途絶える。数メートルの距離を無言で進んでから、今度は祐雅から話に入った。
「話を聴く限り、お前は悪くないじゃん。父親はどうした? 父親は引き止めてくれなかったのかよ」
若干の不機嫌さを籠め、祐雅が尋ねる。それに対して裕美は首を横に振った。
「いえ。お父さんは家から出ようとする私を引き止めてくれました。でも、私は無視して逃げ出したんです」
「…………そっか」
祐雅がすっかり暗くなった夜空を見上げた。冬も手前の時期。澄んだ空気が星々の明かりを強めていた。
手を飛ばしても届きそうにない星空を見つめて数秒後、脈絡もなく祐雅は顔を降ろす。
「裕美」
――そして、又もや横にあった頭へと手を乗せた。
「…………?」
裕美が解せないと言った表情で祐雅を見上げた。ゲームセンターと同じ様に頭を撫でているのだ。行為を繰り返した真意を、裕美は読み取れずにいた。
「俺は違う」
青い髪を梳かしながら、祐雅は歯を見せて笑いかける。
「お前みたいな可愛い後輩を誰が避けるか。むしろ、ストーカーの如く毎日付きまとってやるぜ。こうして頭を撫でるのも日課にしてやる!」
「わっ」
「ははははっ。今更嫌だとは言わせねえぞ」
祐雅が撫でる腕に力を込めた。髪がくしゃくしゃと乱れる。被害を受けている裕美は俯いていた顔を上げようと反抗した。しかし、年上にして男性の祐雅には勝てない。快活な声が路上に響き渡っている間、裕美は為されるがままになった。
「だからさ」
時折叩く掌越しに、祐雅の口は開く。
「あんま悩むなよ。俺については」
さり気なく言い残した後に手が離れていった。足音が裕美から遠ざかる。首を戻すと、街灯のスポットから抜け出る背中を目撃した。
「他人がとやかく言うことじゃないけど……いつか、お母さんと仲直りできると良いな」
光の外側から声をかけられる。祐雅は「行こうぜ」と催促し、先を歩いていった。
「……………………はい」
裕美は微かに呟いた。胸の上に軽く握った拳を当て、熱が残った顔で頷いている。
街灯によって浮かんだ輝く円から足が出た。青い髪を闇に舞い上がらせ、裕美は祐雅を追う。前を進む歩幅は先程より狭い。裕美が後ろに並ぶのも時間はかからなかった。
追いついた後輩との会話は、弾んだとは言えないまでも長く続いた。祐雅が話題を振り、裕美が慎重に答える。駅周辺の繁華街から家屋が密集した住宅街へ。その間隔に知り合ったお互いの情報は日常的な物だった。趣味や好物、世間話。それらを引き出せる程に二人の距離は縮まっていた。
「……っと」
祐雅は突然に歩みを止めた。数歩先行した裕美が見向く。
「どうしました、先輩?」
きょとん、と首を傾げる裕美。
「悪い。俺の部屋……ここにあるんだ」
斜め上へと祐雅の指が伸びた。その直線状にあるのは茶色で塗り固められた大きなマンションだ。エレベーター付きで高さは七階にも及ぶ。広いベランダが全居室から突き出ており、窓から覗ける奥行きも相当だった。裕美が暮らしているマンションとは比べ物にならない立派な建築だ。
「おっきい…………」
あまりの広さに裕美は呆けている。口を半分開けたまま、ずっと顔を上げていた。
「行き過ぎたな。……どうする? 送っていくか?」
頬を掻きながら訊く。
「あ、……だ、大丈夫です。わ、わ、私の部屋……この近くなので」
固まっていた裕美は慌てて視線を正した。何処か焦心的に慌てている。
少しだけ気になったが、裕美は瞬く間に元の調子を取り戻した。上がり気味だった双肩を落として祐雅を見据えている。素通り出来る異変だったのだ。祐雅は思考をさり気ない会話に回した。
「そうか。部屋にお邪魔してお茶を飲むパターンはなしか。まあ、それは都合よすぎるな」
ははは、と軽く笑う。こうしている間に裕美は言い返しを考えている筈だった。
だが、想像より早くに甘い声音は聞こえて来た。
「――――ギャルゲじゃ、ないですからね……」
今度は祐雅が動きを止める番だった。
「え?」
「…………へ?」
見開いた視線に当てられ、裕美は己の発言を悟る。
幼さの残る丸い頬が林檎の如くに茹った。祐雅が良く親しむ「ギャルゲ」という単語がその口から飛び出たのだ。大人しい印象との違いに心から驚いたが、裕美自身も双眸を開いて驚愕に浸っている。
左右に身体を震わせ、小動物の如く揺れている。隠していた趣味の暴露に恥じ入っているのが丸見えだ。
「……し、しししし失礼します! 先輩!」
裕美は踵を返して駆け出していった。下着が見えるのでは、と心配する程に制服のスカートがめくれている。残念ながら、夜の闇が目視を許さなかった。
「二次元の匂いがするぜ」
にやり、と唇が歪む。
「…………ま、明日訊けばいっか。じゃあな、裕美」
既に見えなくなった後輩に向けて、祐雅は掌を振った。返事は無い。けれども意外な一面を見た事で裕美という少女への関心が強まった。祐雅もアニメやゲーム等のサブカルチャーは良く好む。次からはそれも話題に出してやろう。
そう考える祐雅も、自分の部屋を目指して背後を振り返った。散りばめられた光点の中心で月が浮かんでいる。ぼんやりと世界を照らす明かりを頭上に、祐雅の足はマンションのエントランスに入っていった。
②の話は続きます。執筆速度が遅くてすいません。




