〜前日の午後〜
決闘が終わると同時に暦の耳は空気に溶ける様に消え失せ、目も黒目に戻った。
「痛ッ.....浅いけど切れてるな」
「当たり前だ。シールドはあくまで被ダメージを死なない程度にするだけだからな、当然怪我はする」
縛っていた髪を解き、手ぐしを入れながらシラギは冷静な声で呟く。
こちらも目の色彩が戻っていた。
「おい小娘」
「は、はい」
シラギに突然呼ばれた紗季は少し怯えながら近づいた。
「お前の兄貴のおかげで久しぶりにいい決闘ができた、だからさっきのことは聞かなかった事にしといてやろう」
「あ、ありがとうございます」
「それと、こいつはだいぶ傷ついている。しっかりと手当してやれ」
「はい、わかりました」
シラギは頷いた紗季から視線を暦に戻す。
「それと....ミズカミ、お前も今期のガーデン志願者か?」
「ああ」
「ならせめて俺には敬語を使え、東洋人は年上や先輩を敬うんだろう?」
「....はい、シラギ先輩」
「素直な奴は好きだ。俺はホテルに戻る、ガーデンについて聞きたいことがあればフロントに話を通しておくから部屋番号を訪ねろ」
「ありがとうございます」
「じゃあな」
髪をとかし終えたシラギは暦たちに小さく微笑むと踵を返し、手を振りながら去って行った。
「....あいつ、思ったよりはいい奴なのか?」
暦はぼそりと呟きながら立ち上がり、転がったままになっていた刀を拾い上げる。
その刃は物打ちから切っ先にかけて細かな刃こぼれが無数にあるが、幸いにも大きな損傷はどこにも見当たらない。
「(また刃が欠けたか...まあ、あれだけ打ち合ったんだから当然か...)紗季、また刀がだめになったから修理に出しに行くけど....どうしたの?」
「お兄ちゃん、ごめんなさい!」
深く頭を下げて謝罪する紗季にしばし暦は振り向いたまま静止した。
「ごめんなさい、私が変なヤキモチ焼いたせいでお兄ちゃんにひどい怪我させて...駄目な妹本当にでごめんなさい!」
涙を流して何度も頭を下げる紗季。
もし、この場にまだシラギが残っていたなら「あざとい」の一言も言われたかもしれないが、暦は一つ溜息を吐いてから紗季の頭に手をのせてポンポンと軽く二.三度叩いただけだった。
「本当だよ、余計なところでいつも何かしら面倒事を起こすし、変なヤキモチは焼くし...あまりいい妹とは呼べないかもしれない」
「ッ!」
暦の言葉に紗季は唇を白くなるほどきつく閉じている。
「でも...」
暦は少し間を開けてその間に紗季を優しく抱き寄せた。
「気にしないでいいよ。確かにきっかけは紗季だけど、決闘だって好きでやっただけだし、それで勝手に負けただけ。紗季がそこまで謝る事じゃない、家族の尻拭いをしたまでだ。ホテルに戻ったら傷の手当はよろしく」
「はいっ!」
紗季も力一杯暦を抱きしめ、二人で手を繋いでホテルへ戻って行った。
...こちらも感想は「あざとい」であろう。
〜Side of Koyomi〜
俺たちはフロントで聞いた部屋(高かっただけあってバスルーム、ダイニングなどの揃った5部屋もある大部屋だった)に着くとリビングをスルーしてベッドルームに直行する。
そして荷物を下ろすと布団に倒れ込んだ。
ベットは深く沈み込むがそれでいて適度な支えと反発のある。
シーツもツヤツヤでとても寝心地が良い。
「あ〜...疲れた」
「待ってお兄ちゃん。寝ちゃう前に傷の手当しないと、それに刀の修理だって...」
「確かに、まず手当からお願い」
俺はシーツに顔をうずめたまま頷き、ベットから起き上がると淵に座った。
紗季は収納に置いた肩掛けバックの中から医療用の器具や薬品を取り出して机の上に並べると、手前の椅子を引くと手招きして俺を呼んだ。
「上を脱いでここに座って」
「了解」
俺は羽織を脱いでサラシだけの状態になると椅子に腰掛けた。
「じゃあ始めるね」
「うん、お願い」
紗季は黙って一回頷くとまず傷口を調べ始めた。
「うーん...見たところ浅い切り傷だけっぽいね。あれだけ激しく戦ってたのにここまで傷が浅いなんてあの腕輪って凄いなぁ」
ガーデンの腕輪の性能に感心しつつも軟膏塗り、湿布を貼って包帯でまくといった作業する手は一切止まらない。
「ここは軽い内出血が起こってるね、ならこの塗り薬で...」
流れる様にサラシを解くと痛打となったシラギ先輩の蹴りが決まった腹部を看てくれる。
だが流石にもう青みも薄くなっている。
「紗季、そこは別にいいんだけど...」
「ううんやらせて」
「?」
頑なな紗季に俺は首を傾げた。
「私のせいで傷ついたんだから、全部私が治したいの。ケジメみたいなものだと思って」
「....わかったよ」
その後も紗季のテキパキとした治療のおかげでだいぶ体が楽になり、HPも7割まで回復した。
「ねえお兄ちゃん....聞いていいかな?」
道具を片付け終えた紗季が小さな、本当に小さな声で呟く。
「なにを?」
勿論俺は聞き逃さずに尋ね返した。
あっという表情から、もし俺が聞き逃していたらそのまま無かった事にしようと思っていたらしいと推測できる。
「あのね...実は聞きたい事があるんだ」
手を後ろで組み、見つめる場所を探すようにキョロキョロと目を泳がせている。
「さっきの....夕べもだけど...狐の姿って何なの?」
「・・・・」
ピタリと動きを止めてしまった。
薄っすらと血の気が引くのを感じる。
意識が朦朧としていた昨晩のことならば夢で済ませられたが、白昼堂々狐の姿になってしまった先ほどの事は到底言い逃れできない。
「それは...」
勿論見られた事は知っていたし、聞かれたら説明しようという覚悟だって決めていた。
その筈だったが、いざとなった時に怖気付いてしまった。
「正直俺もよくわからないんだ...どうしたらあの姿になるのかすらね。だけど一つだけはっきり言えるとすれば、俺はまだ人間側に意識があるっということだけだ」
「そうだよね、間違ってもお兄ちゃんが兵士に....ろされ...なんて......ないよね」
最後の方は口籠ってしまい流石に聞き取れなかったが、何を言いたかったかはおよその見当がつく。
「死なないさ、人間ごときにオレは討ち取られやしない...」
スッと心の奥の方が冷めたのは自分でもわかった。
酷く冷淡で、人を見下した言い方になっていたと今更ながら思う。
「あ、でも多分大丈夫だよ。もしばれても聖霊族だとでも言っておけば危害は加えられないだろうし」
「お兄ちゃん!」
紗季は突然声を大きくしてギュッと俺の手を握りしめた。
「もしもお兄ちゃんが...その...本当に狐の魔物になっちゃったとしてもね。私は食べられて意識が完全に無くなる瞬間までずっとお兄ちゃんの味方だからね!」
「!・・・」
紗季の真っ直ぐな目に俺は少々面食らった。
死んでもいいと言われたも同然だ。
「....無いよ」
「え?」
「俺が紗季を襲うなんてありえないってこと。何となくだけど、それだけは無い気がする」
今度は紗季が面食らった。
「いや、あってたまるか...絶対に...そんな事.....」
胸内で俺は昔己に誓った覚悟を改めて思い直す。
「さて、この話はここまで。俺は刀の修理に行くけど紗季はどうする?」
「あ........私もついて行きたいな」
急に話を変えたせいか、紗季はしばらく固まっていたが、やがてそう言った。
「そう、じゃあ行こうか」
「うん」
部屋を出て、ホテルを出ると今日何度目かの中央通りを歩いて武器屋へと戻ったのであった。
「いらっしゃいませ。おや先ほどの...どうされましたか?」
「大変申し訳ないんですけど...また修理をお願いしていいですか?」
暦は苦笑いしながら鞘に収まった刀をカウンターに置く。
マスターは丁寧にそれを持ち上げると滑らかに鞘から抜いて刃を確認した。
「ふむ...物打ちが細かく欠けていますな。街で決闘でもされたのでしょうか?」
「はい、シラギという人と少々...」
「シラギと言いますと、シラギ討伐部隊長様ですかな?」
「ええ、そうですが」
驚いた顔をするマスターに暦が答えると彼は羨望の眼差しで刀と暦をを眺めた。
「あの人と戦ってこの程度の損傷とは...いやはや実に丈夫なのですな。いや、それともこの程度の損傷に抑えた貴方の腕前か...当店の刀は長らく戦場に出ていないのでどれ程の強度なのか大まかにしか知りませんでした」
その後もマスターはしばらく刀を眺めていたが、やがて鞘に収めると修理代の話になった。
「小さな刃こぼれですので直ぐに出来上がるでしょう。代金は銀貨一枚になります」
「わかりました」
暦は受け取り皿に銀貨を一枚乗せる。
「お時間は一時間ほどになります。よろしければその間当店自慢の武器をご覧になってくださいね」
マスターは刀を店員に預けるとそう言った。
「ではそうさせてもらいます」
「はい」
そうして暦たちは店に並ぶ武器の数々に目を通していく。
品揃えは片手用の直刃の長剣が主であり、次いで両手剣、ヤリ、戦斧といった順である。
「わー、綺麗な刃の剣」
紗季が見ているのは吸い込まれる様に黒いが微かに透き通った刃に薔薇の意匠が施された銀の鍔を持つ片手用の長剣だ。
鋭く磨き込まれた刃はいかなる物でも切り裂いてしまいそうで、ある種の妖気を醸し出している。
「握ってみますか?」
「いいんですか?」
「はい、どうぞ」
マスターは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
紗季は剣を握り、持ち上げようとしたがどういう訳か数ミリも持ち上がらない。
「お、重い...」
柄から手を離した紗季は肩で息をしていた。
「そちらはオニキスという銘の剣で、刀身が名の通りオニキス石で作られております」
「石で?割れたりしないんですか?」
「勿論ただ削っただけでは加工の段階で砕けてしまいますし、仮に剣の形になっても一回ものを切ればそれで粉々になるでしょう。ですが、この剣は北のリラントレスノースに存在する魔術で加工されており、鋼鉄の板をも切り裂ける程の強度と鋭さを備えております」
「魔法なんてあるんですか!?」
驚く紗季にマスターは微笑みながら頷く。
「はい、雪の積る北の大地には古くから技術として魔術が存在しておりまして、その地の騎士たちは己の剣に魔術を籠めて振るうそうです。が、この加工魔法...どういう訳か剣の強さに比例して重量が増すのです」
「それは不便ですね。けど...魔法か〜何だか憧れちゃうな〜...そう言えば北に向かう汽車や連絡船って見たこと無いんですけど」
「北の大地は雪が深く、線路が引けないために先住人以外の人が滅多に近寄らないんですよ。ですが、ガーデンからは稀に北の騎士団、北方騎士団に交換留学生を出しているので運が良ければあなた方も行けるかもしれませんな」
楽しそうに会話する二人から少し離れた場所で暦はひっそりと菊紋の一文字を眺めながら
(やや細身の刀身に浅い腰反り。鞘に収まっているから直に刃を見れないのが惜しい...)
と、未練タラタラなまま立っていた。
(これならあの時引かないで試し斬りさせてもらえばよかったな、今頼んでみようか...だがしかし二回も辞退してをいて今更と思われるのもなんだしな...)
胸中でブツブツと幾千の言葉を発し、ジッと見つめる暦だが生憎それに気づくものは店内には居なかった。
「北か〜行ってみたいな〜」
「交換留学生に選ばれる人は高等兵団に配備される者が多いそうですので、是非頑張って下さい」
「私は医療系なら得意なんですけど戦闘センスはイマイチで...」
「おや、それは好都合ですよ」
「どういうことですか?」
「衛生兵だけは一般の衛生兵団から希望制で募集がかかっているらしいんですよ」
マスターの言葉に紗季は表情を明るくする。
「は、はい。じゃあ頑張ってみます!」
「応援しますよ。ですから装備を整える際はどうぞ当店をご利用下さい」
「ははは、おじさんも抜け目ないですね〜」
「私も商売人ですからね」
『はははは!』
しばらく経つと刀が仕上がったので暦は礼を言いホテルへと戻った。
その晩は何事も無く平和で、暦たちは久しぶりに快適な夜を過ごしたのであった。
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聖霊族とは?
聖霊族は人外ありながら人に危害を加えることのない種族で、生息する場所によってその呼び名や姿は異なり、大空の大鷲、深海の人魚、森のエルフ、大地の地龍など、古代では神として人間に崇められていた。