〜港町・ミーラスブリザの朝〜
私用で更新が遅れてしまいまい申し訳ございませんでした。
いつの間にかお気に入り登録がありました。読者の皆様、本当にありがとうございます。
白を基調とした建物が崖沿いにズラリと並ぶ港町は半島の付け根に位置し、その入江を囲む様に建てられた城壁の内に市街地が広がっていく。
城壁から建築物に至るまで真っ白であるが、道路は赤いレンガで作られている。聞いただけではアンバランスな様に思えて、見れば不思議と調和のとれたオシャレな街だ。
海と陸の境界線たる海岸線は、護岸工事が行われて湾口施設ひしめき合い、その先には材質も様式も動力も異なる船たちが岸壁に横付け、或いは入江内で水深の深い場所に投錨停泊している。
中でも目を引くのは、煙突から黒煙を上げる鋼鉄の戦船...マーセナリーズ ガーデンの戦艦 ガーディアンであった。
さて、そんな港に面した建物の一つであるガーデンの補給支部から、げっそりとした様子でミイラの様に包帯で全身を包まれた轟が姿を現わす。
「あー...疲れた」
鎌鼬が死んだことで徐々に目を覚ましていった乗員乗客たちは、まあ当然だが破壊された車体やモンスターの死体などに驚き、一時的なパニックが発生した。
そこに、気絶した水上兄妹を自室に返すべく四苦八苦していた轟が居合わせでっち上げの戦果報告と安全確認をする事で事なきを得たのだが、彼の苦難は港町に到着してからも続く。
まず始めに、殉職した仲間を冷凍機能の付いた棺へ納棺する作業を補佐し、ガーデンの駆逐艦へ引き渡しを終えると、続いてガーデンへの報告をどうしたものかと頭を抱えることになる。
今後同じ様に妖怪による被害が発生しないとも限らないので、正直に報告することとした。それは姿形は人間と変わらないこと、耐久力は人間程度である一方で攻撃力と再生能力が著しく高いことまで嘘偽りなく。
その後にレッドオーガ二体の討伐報告と仲間の殉職届け、そして協力者である水上兄妹の推薦状をしたためて机上の作業を終えた。
ここまでが一昨日までに行った作業である。
最後に列車の運行会社からの謝礼に引っ張り出されて、特別報酬を出したいという要望をガーデンへ取り継ぐ羽目になった。
極め付けにミーラスブリザの市長から感謝の席への招待と褒賞まで贈られそうだから堪ったものではなかった。
せめてもの救いは、それらを怪我を理由に出席を断れたことと、ガーデンでは個人が報酬を受け取ることを禁止している為、余計なしがらみを持たずに済んだという点だろう。
「でもコレ、帰ったら特別手当くらいは出るよな?」
ガーデンは傭兵機関であって軍隊ではない。故にそれが何を意味するかというと、基本的に戦費は100%自己負担となる。
その分非常に高給かつ衣食住は無償提供なのだが、特に轟の様なガンナーは弾薬費がかさむのだ。
一月の給料からそれらが引かれたものが所得となるので、籍だけ置いてあまり出撃せずに訓練などで無駄撃ちばかりしていると、給料日なのに請求書を叩きつけられる場合もある。
「25mm弾も撃っちまったからなぁ...列車での分が出ないと割と苦しい....」
あの銃弾は1発あたりの単価がその辺の役人が得る平均月収よりも高い。加えて数丁の拳銃も損失しているのだから、追加報酬がなければしばらくは貧乏生活を余儀なくされる。
誰に言うでもない不安を零しつつ、彼は病院へ行く前に適当な露店で果物でも買って行くことにした。
「オバチャン、お見舞い用に何か良い果物でもないカナ?」
「はいはい、って・・・あんたガーデンの兵隊さんかい?人の見舞いに行くより、自分がベットで寝てたほうがいいんじゃないの?」
「ははっ...オ気遣い感謝しまス」
「・・・そうかい」
振り向き様にミイラ男轟が立っていたことで少し面食らった様子の中年女性は、おばさんという特性なのか商売よりも彼の容態に気が行った。・・・いや、やはり誰でも同じ反応は取ったかもしれない。
轟は澄ました様子で流すと、相手もガーデン兵の扱いに慣れているのか深入りせずに気を取り直した。
「で、見舞い品だね。ならちょうど今朝採れたブドウがあるよ。幾つにする?」
「2房欲シイ」
「あいよ。代金はちょいとまけて大銅貨8枚ね」
「ありがとう」
品物を受け取ってからどう持ち運ぶか、と言う事に気がついた轟は、仕方ないので携帯品の中から応急手当用の清潔な三角巾を取り出してそれに包んだ。
再び足を病院へ向けながら、道中で彼はぐるりと周囲を見回してみた。白亜の建物が反射する日差しは眩しいが、苦ではない。そして吹き抜ける潮風には不快な湿気も暑さもなく爽やかさを感じさせた。
ガーデンが主に利用する港の一つなので利用したこともある轟であるが、それでも見ていて気持ちのいいものがある。
「余生を送るなら、こんな街がいいな」
自分にその余生があるのか、もしくは穏やかに過ごす事のできる状況なのかはわからないが、兎も角そんな穏やかな気分で足を進めていく。
側から見れば、ほぼ全身を包帯で巻かれた男が悟った様な表情で歩いているのだから、向けられる視線までは穏やかではなかったが、敢えて轟は気付かないフリをした。
時間は正午そこそこ、目的地に到着した彼はエントランスの受付嬢に声をかけ、そこから案内されて足を運んだ病室の扉を軽くノックする。中からの返事は無い。
その上で中に入ると、真っ白な部屋の中で水上兄妹がそれぞれ二つのベットに寝かされている。当然どちらも意識は戻っていなかった。
「まったく、こっちは後始末に追われたってのに呑気なものだ」
軽口を叩きつつ、買ってきたブドウをテーブルに置いて、付添人用にと用意されていたパイプ椅子に腰を下ろすと、ジッと暦を睨んだ。
「・・・一応、お前が妖怪化したかもしれない報告はしなかったよ」
彼は自分の発言に嘲笑気味な笑みを浮かべる。
ーーーその判断は本当に正しかったか?あの鎌鼬さえ圧倒し、謎の威圧だけで文字通り押し潰してしまった奴を放っておいて平気なものか?
事の都合上、彼らについても報告していた為、その戦力からガーデンに推薦状を送った轟ではあったが、内心そのことには迷いがあった。
ーーー目を覚ました彼が、もとの水上 暦である確証はどこにも無い。
ともなれば、自分は最悪な怪物の存在の報告を怠り、下手をすれば連れ込んだこの街を滅ぼしてしまうことになる。
あの晩の時点では意思の疎通は可能であったが、今日もそうとは限らない。モンスターは常に人の抵抗を欺き、より強力に進化してきた。
それに相手は幻級の妖怪である。どのような行動をとるかは、到底人間の轟には想像出来なかった。
「・・・やるなら、今しかないな」
静かに、腰のホルスターへと手が動く。
彼も妖怪という強敵が必ずしも不死ではない様を見ていたし、手本も示されていた。
また心臓を撃ち抜けば、死なずとも大きく弱らせることもできる。無防備な今であればどの方法も実行可能だった。
・・・だが出来るだろうか?過ごした時間はわずかだが、背中を預け、確かに戦友としての友情を築いた彼を...撃てるか?唯の魔物を相手にするのとは訳が違う。・・・相手は、あの暦だ。
ーーーなれるか?そこまで冷徹な男に...
仕事と割り切れば話は早い。だがそれは、仁を重んじる己の主義に反することになり、後に尾を引きかねない。今は・・・撃てない。
「・・・撃つんですか、お兄ちゃんを」
「ッッ!」
力んでいた身体から緊張が解けかけた瞬間、不意に背後からかけられた声に対して驚きのあまり、轟は過剰に反応してしまった。
振り向けば、体を起こして彼を見据える紗季がそこに居る。
「おっ、起きたのかい、紗季の嬢。ここはミーラスブリザにある病院の一つだ。ガーデンも世話になってるから精度や衛生面は問題ない」
「撃つんですか?」
「・・・」
適当にはぐらかせればとも思った轟ではあったが、彼女がそこまで頭が悪いとも思えない。それに、列車で見たこの兄妹の関係というか執着からして難しいとすぐに考えを改める。
「・・・どうしようかと、悩んでいたことは間違いない」
「・・・」
「君のお兄さんは、人ではない何かになってしまった。それは間違いないし、彼が人類に害を及ぼさないとも断言できない。となると、その不安の芽を摘み取るのも俺たちの仕事ではないか、とは思っている」
轟は黙って自身を見つめる紗季を横目に、口を出されないまま心中を打ち明ける。彼女は黙って言葉を聞いた。
「だが、暦は俺の戦友だ。一方的なのかもしれないが、友情と信頼を感じている。だから撃てない」
最後に「今は」と付けるか迷ったが、結果としてそれは伏せることにした。
「・・・」
だが紗季の目が細められたのを見て、その心中を覗かれた様で表情が強張る。
「ッッ!」
彼女は丸腰だとわかっていても、反射的に首が繋がっているかを確認してしまうだけの殺気をありありと感じた。ーーーが、彼女はすぐに笑顔を浮かべた。
「そうですか、じゃあ良かったです。轟さんもそんなに身構えないで下さい!何も危害は加えませんよ?」
ほっとした矢先、彼女の言葉の末尾に口だけを動かした空文で「今は」と呟かれたことに気づくと再び顔が青くなった。
おそらく手元に愛刀があれば、殺されずとも威嚇程度の傷はつけられていたのかもしれない。
そんな轟はさて置いて、紗季はベットを移動すると意識の無い兄の状態をテキパキと確認していく。そして問題がないとわかると、脇から毛布の中に侵入して薄い病院着越しに身体を密着させる。
「お兄ちゃん。良かった、何の異常もない。嫌な夢だったよ...お兄ちゃんが居なくなるなんてありえない。お兄ちゃんが私を置いていくなんてありえない。大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きなお兄ちゃん。愛してるよ」
暦の腕に、猫の様に頭を擦り付ける紗季を横目にして轟は席を立った。
だが最後に一つだけ気になった為、振り向いて紗季に尋ねる。
「紗季の嬢。君は暦が...兄が人の道から外れたことに対して何も思わないのか?」
どういうものであれ、血の繋がった身内が人間とは決定的に異なった存在へと変化した事実を、彼女はどう考えているのか?彼はどうしてもそれが気になった。
「何か問題がありますか?お兄ちゃんがお兄ちゃんであることに変わりないじゃないですか」
故に、笑顔のまま平然と答えた彼女の答えに言葉が詰まる。無邪気で、逆に不思議そうな顔をして聞き返してくるのだ。
「むしろ人間じゃなくなっただなんて、一層素敵じゃないですか。醜い人間を辞められるだなんて...」
「そう...か」
改めて水上兄妹の異常性を目の当たりにした彼は、その場の空気に耐えきれなくなってそそくさと室外へ退散していった。
彼女の感性は轟とあまりにもかけ離れすぎており、理解するには時間を要することだろう。
今はただ、頭をリセットするための空気を吸いに建物の外を早足で目指す他なかった。
ーーーあれは、いざという時は二人まとめてじゃないと面倒ごとが長引くな。
その様な、最終手段の算段を脳裏で計算しながら...
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轟が部屋を去ってから十数分が経過した頃、暦は全身にかかる適度な重さと荒い呼吸、そして口の中を蹂躙する柔らかな感触に意識が戻った。
「む....」
「はむぅ....んちゅ...」
紗季が暦にのしかかり、濃厚なキスをしていた。
これには流石の暦も複雑な心境で目覚めることになる。
「...ちゃん....ちゅう...」
「.........」
何か言いたい暦であったが、口が塞がっているので喋るに喋れない。
仕方なく「どいて」という意味を込めて背中を優しく叩いたのだが、今の彼女はそれを正しい意味で解釈できる様な精神状態ではとても無かった。
「ふぁ...お兄ちゃん♡」
かえってそれが引き金となり彼女のキスは勢いを増していく。暦には妹の瞳にハート形の曇りがかかっている様な幻覚さえ見えた。
だが、愛しの少女と抱き合って唇を重ねるのも悪い気はしない。室内に人目がないことを確認すると、肩においていた腕を頭と腰に回して優しく圧をかける。
気候のためか、やけに薄い病院着の向こうからは彼女の高揚した体温と、微かに汗ばみながらもピンとした張りを感じる肌の感触や、押し付けられて精一杯の主張をしている小さな双丘。
そして何よりも、不安や恐怖を紛らわせよう、埋め合わせようと必死になる姿が、彼はたまらなく愛おしく、可能な限りは要求に答えていった。
「ん...んん!」
舐め回すようだったキスは次第に唾液を貪るようなものに変わっていった。
「ぷはっ....おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう」
呼吸の限界をやや過ぎるまでキスを続けた彼女は、頬を艶めかしく高揚させて荒い息を整える。
「ところで、ここは?」
辺りを見回しても純白の室内と寝具。内装や器具の関係で医務室か病室だということだけはかろうじて見て取れたものの、それがどこのだかは解らない。ただ、気候や気温からして長く気を失って長距離を移動させられた気配は無さそうだとも感じていた。
「ミーラスブリザの病院だって轟さんが言ってたよ」
未だに暦の腕にべったりとくっついている紗季が説明する。
「病院か...世話をかけさせたみたいだね、今度会ったら礼を言わないと」
「そうだね!本当に、色々と」
「?」
不思議な笑みを浮かべる妹に疑問符を浮かべた暦であったが、当の彼女はニコニコと笑ったまま何も話そうとしないので、追求はしないことにした。
ただし代わりに、その火照った頬に手を滑らせる。紗季は目を瞑り、猫の様に擦りよせ、うっとりと惚気る妹を眺めながら...夢の様におぼろげな列車での顛末を脳裏で反芻する。
ーーー自分は明らかに人間ではなくなってしまった。その事について、紗季はどうおもうだろうか?
ーーー彼女のことだから、きっと笑顔で受け入れてくれる。それでも、不安がないかと問われれば...断言は出来ない。
「紗季...もしも俺がーーー」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
兄の言葉を遮った彼女は、パッと動いて彼の頭を胸に抱く。
「私はお兄ちゃんの味方。何があっても、絶対に絶対にお兄ちゃんを裏切らない」
「だが俺は、もう元の俺じゃないんだぞ?」
「それでも、だよ」
頭を撫でながら諭すような穏やかな声をかけられると、自然に肩から力が抜ける。
彼女の胸に抱かれた暦は、柔らかな感触とゆっくり鳴り響く鼓動に意識を埋めていった。
「いつも....迷惑を...かけるな......」
「迷惑なんて掛かってないよ。さ、おやすみなさい、お兄ちゃん」
「あぁ...」
ぼんやりとした意識の中で、彼は無意識的に紗季の温もりを求め、彼女もまた喜んでそれを受け入れる。
兄妹間の禁忌は、この昼下がりにまた一歩歩みを進めたのであった。
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次に暦が目を開けると、まず現状に混乱した。
病院の個室の中、一つのベッドの中に兄妹が収まっている。ここまでならなんの問題もなかったのだが、妹は病院着の上着をはだけさせ、自身はその胸に抱かれて直接妹の柔肌に顔を当てていた。
ーーーこれは、今後紗季に強く注意できないな。
記憶は意識の途切れる寸前まで残っている。普段なら妹に対して、公の場でのスキンシップは自重しろと言っている自分自身が彼女の温もりを求めてしまっていたのだから、今後の注意に困るのだ。
「やっちまった」
いや、実際には“事”は起こっていない。だがしかし、どこか自分に負けた気がしてならない暦である。
ただ、咄嗟に行った気配察知で近くには誰も居ないと知れたことが、彼にとって唯一の救いだった。
「ふぅ....」
彼にも比較的まともな倫理観と常識というものは存在している。故にこの状況を誰にも知られていないことに胸をなでおろしつつ、ならば今一度と実妹の温もりを求めたがる自分がムクムクと起き上がっていく。
ーーーいや、これは...紗季の感情に反応しているのか?
形容するなら幸せオーラとでも言うべきか。妹の全身から放たれる、名状しがたいが香りの様なものに彼は強く強く惹きつけられる。
そして堪らず彼女の唇を奪うと、血を啜る鬼にでもなったかの様にそれを吸い取ってゆく。
一口飲めば全身に活力がみなぎる様で、更に吸えば吸うほど濃くて味わい深くなる。彼は完全に虜となってそれを吸い続けた。
「ぷはっ」
「はあっはあっはあ....もう、終わりなの?」
息が続かなくなって口を離すと、紗季が瞳を潤ませながら薄っすらと瞳を開いた。
トロンと潤んだ瞳に上気した肌。
自らを鎮めるためか、もしくは昂らせるかのような息遣い。
それら全てが暦は愛おしくてたまらなかったが、実際のところ紗季の中は倦怠感に似た虚無感が渦巻いていた。
ーーー体の中の力...全部吸われたみたい。驚くほど冷静なのに全身がだるくて、思考力まで抜き取られるみたい。
ーーーでも、それでも幸せ。お兄ちゃんが私を求めてくれてる。
ーーーお兄ちゃんが欲しいなら、私は全部をあげるんだよ。身も、心も、魂だって...
暦が吸い取る以上の速さで彼女は幸せオーラを回復していく。ひとしきり密室の逢引を楽しんだ二人は、ひとまず落ち着いて轟が戻ってくるのを待った。
意識が戻ったことを看護婦に告げ、細かな検査を受けているうちに彼が部屋にやってきた。
「やっと目が覚めたか。体はどうだ?」
「おかげさまで爽やかな目覚めだよ」
診察を終えて傍で控える様にしていた医者に轟がアイコンタクトを送ると、「異常なし」の報告をして速やかに退室していった。
「はあ、事務仕事が済む前に目覚めてくれりゃ助かったんだがな」
「無茶言うなよ。・・・しかし世話をかけたみたいで悪かったな」
「いや、こっちだって列車内で助けられたんだ。そのお返しだよ」
笑いながらも暦が人側であった事に轟は心の中で、「少なくとも今はこの男を撃たなくて済むのだ」と安堵の息を吐いた。
「二人の容態がわからなかったから最寄りのミーラスブリザで降ろしたんだが、旅に差し支えは無かったか?」
「いや、俺たちもここを目指していたから問題は無い」
「そうか、なら良かった」
パイプ椅子に座った轟は笑顔を引き締めて真剣な表情になると、ジッと水上兄妹を見つめた。
「ところで相談なんだが、二人の力を見込んで是非ともガーデンに来てもらえないか。と思っているんだが...どうだろうか?」
「奇遇だな。それについても同じ目的だったんだ。・・・俺たちは根無し草だが、腕は立つ方だと思ってる。だからガーデンを目指してここまで来たんだ」
「なるほどな、そりゃ勧誘の手間が省けて結構だ。勝手ながら、戦果報告を作る過程でどうしても二人について書く必要があったんで、実はもう推薦状を出させてもらっていたんだ」
「そうか、仕事が早いな。こっちとしても、あれこれと根回ししなくて済んだ分助かったよ。」
クスリと笑い、彼は周囲に目をやってから轟に視線を戻す。
「ーーーところで、俺たちの荷物が見当たらないんだが」
ベッドの近くは当然として、病室に備えられた剣架にも刀どころか武器ポーチの姿さえなかった。
「二人の荷物は受付の預かり所に預けてある。武器は破損箇所があったから武器屋へ修理に出したよ」
「重ね重ね悪いな」
「この程度お安い御用だ」
実際は火の車な財布事情だが、それは当然声にも表情にも出さずに咬み殺す。
暦はベットから降りると、体を伸ばして外の景色を眺めた。ふと、遠い空を眺めた視線を時たま動かす姿は、どこか鳥を追う猫を連想させる。
「・・・綺麗な港だ。流石は天下のガーデン様の息がかかっただけはある」
「まあ、確かに他に比べれば設備もサービスもそれなりにいい所だろうな」
「ああ...それに平和だ。害意が少しも渦巻いていない」
しばらくボーッと外を眺めていた暦だが、突然思い出したように胸部を摩った。
「轟、それに紗季。少し話がある。」
二人とも会話としてはいずれやってくるだろうと予想していた話題の切り口に顔がこわばっていく
「さて、列車での事はどう済ました?」
「・・・モンスターが一時列車を占領したのは誤魔化しようがない。居合わせたガーデン戦力が交戦し、大きく損耗させるも部隊壊滅。なれど、生き残った俺と乗り合いの腕利きである二人の活躍によって見事撃退。って事にさせてもらった。まあ、概ね事実通りだ」
「そうか。じゃあ鎌鼬についてはどう報告した?」
「こっちも八割は事実だ。桁外れな怪力や、防御力はあまり高くないが、それを補ってなおあまりある再生能力と姿形まで」
「ただ」と話を区切った彼は、頭の中で適切な言葉を探しつつ当たり障りのない様に会話を続けていく。
「あーっ...奴は一応弱点である心臓を潰したことで衰弱させ、削りきった事にしてある」
「俺についてはどうした?」
「・・・省いたよ。ものすごく悩んだ末にな」
沈黙が続き、ベットに腰掛けた暦が床を見つめて暗い声で質問する。
「なあ、あの夜の俺は...何だったと思う?」
「人間じゃないことだけは断言できる。正直な話をすれば、今のお前だってどうだか怪しい。処遇に困ってる」
「始末するか?」
暦の言葉に轟の眉が動き、紗季の視線がそれを追う。彼は勘弁してくれとばかりに両手を上げてため息をこぼした。
「それは無理だな。俺にできるとも思えないし、まず殺る前に紗季の嬢に首を飛ばされてるよ」
「そうだね、間違いないよ。もしも狙撃されたって、必ず追い詰めて息の根を止めてあげる」
「・・・相変わらず恐ろしいな...まあ暦の件については急いで結論を出す必要もないだろうと判断して握りつぶした。どうせ知ってるのは俺たちだけだし、簡単だったよ」
「助かる」
ぺこりと頭を下げる暦に対して、彼はやめろと手を振った。
「命を救われたのはこっちだ。借りを返しただけだと思ってくれ。ーーー言っただろう、恩は必ず返すってさ」
「それでもだ。礼を言わなきゃ俺の矜持に反する」
列車内でのやり取りをそのまま反転させた構図に、二人は同時に笑った。
ひとしきり噛み殺した笑みの応酬を続けた後に、轟は体を楽にして椅子にもたれかかる。
「本当に、お前のままで良かった」
「当たり前だろう?」
「生来の臆病者でね、確認するまでは安心できない性格なんだよ。・・・あぁ、それと」
轟は天井を仰いだまま、しかし気の引き締まった調子で問いを続けていく。
「お前はあの時のことをどれだけ覚えている?」
つぅっと、研ぎ澄まされた刃の様な目が暦を射抜く。だがそこに不信感や怖れの感情は無く、単に真剣な表情なのだろうと彼は判断して思いつく限りの情報を口にする。
「おそらく全て覚えている。普通に戦っていた時のことは勿論だとして、胸を貫かれる感触も、鎌鼬の腹を破った時から斃れた自分に戻る瞬間までな」
「発言までか?」
「ああ」
「・・・力の使い方は?」
「勿論だ」
体内に張り巡らせられるように感じる、血管とは異なるもう一本の導線に注力すると、ピコンと頭から黒い獣耳が飛び出した。
「・・・あれ?これ以上は上手くいかないな」
暦は眉を顰めてもう一度試してみるも、やはり不発に終わる。再び九尾の状態に変化するつもりであったが、耳を生やすまでが精一杯で尻尾は無い。
「どうした?」
「いや、最初の一歩目は簡単なんだけど、それ以降は針の穴に二本目三本目の糸を通すように難しい。意識しない方がいいのかな」
「んー、裁縫なら一気にやっちゃった方が通りやすいんだけどね。・・・って、同じ感覚で答えて良かった?」
結局その後も数分間四苦八苦した暦であったが、わずかな進展もなく集中力だけを欠いていった。
「ごめん、変身は無理そう。でも全身に妖気が回ってる感覚はあるから、不死力や再生能力は高まってるんじゃないかな?」
ふとした彼の呟きと、続いて視線の集まる轟の銃。
「いやいやいや。試すにしても、いきなり銃はハードルが高すぎるだろ。もうちょっとこう...ナイフで指先を刺してみるとかさ」
轟の冷静なツッコミによって、チラついたものより何段階も平和的な実験方法が浮上した。
「だ、だよな。上手くいっても痛い上に、飛び散った血は残るしな...」
言葉をにごしながら、テーブルの上に置かれたフルーツナイフの刃をナプキンで拭い、左中指の背を軽く突き刺して、少し手前に切り裂く。
チクリとした痛みの後に、赤い血の斑点がぷくりと出来上がったが、それを拭き取った後には傷跡は無かった。
「・・・地味だが、確かに治ってるな」
「地味とか言うな。これだって結構痛いんだぞ」
轟の呟きに、彼は刺した指をさすりながら小言を挟む。一方で紗季は、暦の血がついてナプキンを熱い視線でジッと見つめていた。
「・・・紗季」
「はっ!な、何でもないよお兄ちゃん」
ゆっくりと手が伸び始めたところで暦が釘をさすと、彼女は妙に早口で取り繕った。
「ともかく、再生能力の一端は垣間見たな。だがまあ、刺し傷と銃創や首を刎ねられたじゃ程度が違うからな。多少丈夫で傷が治りやすい...くらいに考えとくのが一番だろうよ」
「過程が極端すぎる気はするんだが...まあ、それでしばらくは押し通すか」
いくつかの確認を終えて、暦の体については一旦ここまでとなり、話はいつまで入院するのかやその費用といった方向に変わっていった。
結果的に、目が覚めたので各種検査込みで明日にも退院できるだろうことと、費用の三分の二をガーデンが、残りは自費となることの説明を終えると今日の面会は終了となった。
「じゃあな、明日もまた顔を出す。退院できるようだったら、そのあと装備の返却をしたいから付き合ってくれ」
「わかった、今日はありがとな。轟も大事にしてくれ」
「記憶があるんなら、俺も直して欲しいところなんだがな」
「簀巻き人間が次の日にはピンピンしてたら不自然だろ。自然治癒を待つんだな」
何気ないやり取りをしつつ、砕けた調子を取り戻した3人は笑顔を見せた。
ーーーはるか遠方の洋上で、妖精のような光の翼を背に浮かぶ人物が一人。構えていたスナイパーライフルを下ろして無線を付ける。
「こちらアルフォンス、隊長へ。目標の観測に成功。例の生き残りは無事に帰路につきました。送ります」
『こちら.....了解。...アル.....ス...戦終了だ...帰投せよ.......送れ』
「了解、帰投します。終わり」
激しいノイズの混じった命令を受けて彼はミーラスブリザに進路をとる。
「いやー、怖かったなぁ」
高度は海抜100m、暦の病室までの直線距離は3km近く離れ、彼自身は対飛行モンスター空戦用の航空迷彩を纏っていた。ーーー常識的に考えて、知っていても肉眼ではまず発見できない距離だ。
「彼、間違いなく見てたもんなぁ。どんな視力と直感してるんだろう」
窓枠から空を眺めるようにしたあの時、彼はスコープ越しに暦と視線が交差したのを感じていた。はじめは偶然だと思ったものの、試しに上下左右に移動しても確実に追尾されていたことで疑惑は確信へと変わった。
「隊長は何も言わなかったけど、人間じゃないよね」
そんなボヤキを呟きつつ、彼は夕陽を背にして飛んで行った。