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2回目

※ ※ ※




(あ、また…………)

 すれ違う一人の青年。

 思わず足をとめて、遙都は青年の動きを目で追った。

 かすかな、薔薇の残り香。

 ハニー・ブロンドが風になびく。

 ゆるやかなウェーブ。

 水に蜜を溶かしたような、淡い金の髪。

 深く沈んだ緑の瞳。

 彫りの深い容貌は、ギリシア神話の塑像よりもはるかに美しい。

 幼い時に気に入りだった絵本の挿絵を、思い出させる青年だった。

 そう、太陽神、アポロンのイラスト。

 しかし、彼を見かけるようになってもう半月になろうと言うのに、誰一人彼のことを知る者はいなかった。

 あんなにきれいな外国人なら、人目につかないはずがない。

 なのに、噂にもならないのだ。

 小さな、田舎の町だと言うのに………。

 遙都の胸が、騒ぐ。

 キュウ――と、締めつけられるように。

 こみあげてくる涙。

 懐かしいような、切ないような。

(この思いの正体は、いったいなんだろう…………)

 まさか恋ではないと思うのだ。

 それでは、自分はゲイということになってしまう。ただでさえ祖母に疎まれているというのに、性癖までもがマイノリティでは、救われない。

 ハニー・ブロンドの巻き毛が光る。

 それは、たとえるなら、白昼の幽霊。

(本当に幽霊だったりしてな)

 思わないではないが、少しも怖くないのだ。

 あの沈痛なまなざしを見てしまった後で、どうして怖いと思うだろう。

 声をかけることすらできず、ましてや相手の名前すら知らないと言うのに。

 ただ、あまりの切なさに、胸が掻き乱されるばかりなのだ。

(あっ…………)

 青年が遙都を振り向いた。

 焦る遙都を認め、ふっと、やわらかな笑みが青年の沈痛な表情をかすかに明るくした。

 ぺこり。

 遙都は思わず頭を下げていた。



※ ※ ※




「なにかいいことでもあったのか」

「は?」

 不意をつかれた感じで、遙都は高村を見上げた。

 空調のほどよく効いた高村のアトリエだった。

 高村の端正な顔が遙都を見下ろしていた。

 どんなに暑い真夏でも、高村は喉の詰まった服を着ている。

「今日の遙都くんは楽しそうだよ。浴衣の藍がよく映える」

 それになんと答えればいいのかわからなくて、遙都は黙り込む。

 通い始めて二日。とりあえず、まだデッサンの段階だった。

 昨日は普通に洋服でかまわなかったのに、今日はいきなり浴衣を手渡されたのだ。

『そこの部屋で、着替えてきて欲しい』

 言われた部屋では高村教諭の夫人が、遙都の着付けを手伝ってくれた。

 あとは自由にしていていいと言うことで、遙都は適当に団扇をもてあそんでいる。

 紺色地に白と黒の幾何学模様の浴衣である。

 おそらく、高村自身のお古なのだろう。

 生地がいい具合にくたびれている。

 夫人の着付けの腕もいいのかもしれない。

 浴衣を着ての身動きなのに、あまり苦しくないのだ。

 帯もあまり締めつけてはこない。

 遙都は団扇を床に放り投げると、高村の蔵書の中から適当に選んだ本を床の上に広げた。

栗栖蘇芳くるすすおうの画集かい。彼はスイス在住の画家だよ」

 覗きこんだ高村が、説明する。

「清濁併せ呑むような、懐の深い画風がなんとも言えずに魅力だろう。天才と呼ばれるものに見られがちの、張りつめた危うさは、彼の絵にはない。今風に言えば、なごみ系とでも言うのかな。こんな絵を描いていて、彼は、まだ30代なんだよ」

 教師然とした喋りに、羨望とも嫉妬とも取れる複雑なトーンが混ざる。

 なごみ系とは違うような気がしたが、遙都は黙ってページを眺めた。

 幻想的で緻密な輪郭の中に、大胆な色彩が踊っている。

 捉えどころがない。

 混沌――。

 一言で言えば、そうだろう。

 長く同じ絵を見続けていると、クラクラと眩暈がしそうだった。

 けれど、不思議な魅力がある。

 どうしてだろう、目が離せない。

 食い入るように見入っている遙都に、高村は苦笑をこぼす。

「気に入ったようだね。よければ、あげよう」

「えっ」

 弾かれたように高村を見上げる遙都の瞳は、日本人には見られない色彩をたたえていた。

「…………遙都くん、コンタクト落ちているよ」

 とんとんと、高村の指が画集のページをつつく。

 画集の色彩に埋もれるように、カラーコンタクトが光を弾く。

 慌てて拾いあげた遙都は、洗面所に駆け込んだ。

 少しだけ青ざめた自分の顔が、鏡に映っている。

 緑色の虹彩。

 この色彩が、誰の遺伝なのか。

 遙都にはわからない。

 祖母は、遙都の父親の遺伝だと罵ってやまない。

 高村に言わせれば、祖母の祖母(高村の曾祖母)もまた、みごとな緑色の瞳の持ち主だったのらしい。

 明治時代、貿易商として成功した高村家の次男は、遠いドイツから妻を連れて帰ってきたのだ。彼女はたったひとりの肉親だと言う弟を伴って日本に来たのだという。その女性の瞳が、みごとな緑色をしていたのだと。

『なにもコンタクトをして隠さなくてもいいと思うけどね』

 高村は言うが、祖母の命令だった。

 祖母の命令は、絶対で。

 小さなころは、この違和感に馴れてなくて、外してはよく叱られた。

 手が出ることも珍しくなかった。

 頬に弾ける、祖母の掌の感触は、いまだに生々しく痛い。

 今ここに祖母がいないとわかっているのに、手が震えてくる。

 落ちたコンタクトを消毒液の入っているケースに片づける。もしもの時用の換えのコンタクトを、遙都は馴れた仕草で瞳に被せた。

「高村先生、失礼します」

 遙都が頭を下げる。

「送って行こう。あんな事件があったばかりですからね」

 高村の申し出に、

「いえ。だいじょうぶです。まだ昼前ですから」

 きっぱりと拒絶する遙都だった。

「じゃあ、くれぐれも気をつけて。お疲れ様でした。明日もよろしく」

「はい」

 遙都が帰ってゆく。

 高村は、遙都の後姿をいつまでも見送っていた。


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