※番外編 神器の道化 破
2000年
「にしても一条君も成長したよねぇ」
そろそろ夜も明けるだろう。遠くの空は薄っすらとオレンジ色に染まり始めている。
八雲先輩の顔には薄っすらと疲労の気色が浮かんでいた。……恐らく俺も同じ様な顔色をしていることだろう。
「最初は神器の気配も察知できなかったし、顕現も随分暢気なモノだったのになぁ」
帰路を辿る途中。そう言って先輩は、はむ、とあんまんを頬張った。それはつい先ほどコンビニで買った物だ。
ちなみに俺が買ってもらったのは肉まんである。徹夜明けの疲れきった身体には、例え冷凍食品であったとしても五臓六腑に染み渡る美味しさだ。いや、それは言いすぎかもしれないけど。
「まぁ1年間先輩達に鍛えられましたからね」
思えば実戦の後に褒められたのはこれが初めてであった。気恥ずかしいのを隠す為にわざと素っ気無く返事をする。
「もぉーたまに褒めてみたらそんな態度なんだからぁ。もう少し子供っぽく喜んだりはできないの?」
だがそんな俺の返事がお気に召さなかったのか、先輩は唇を尖らせ、てやっ、と肩を組んできた。
肩と肩が触れ合い、割と近い距離に先輩がいることに、俺はドキっとする。
この先輩は無意識なのか、天然なのか、何かとすぐに触れ合ってくるのである。
そんな事がある度に、俺は赤面する顔を隠すのに必死にならなければならないという訳だ。
「そんな生意気な後輩はこうだ!」
そう言って先輩は、ぱく、っと俺の肉まんにかぶりついてきた。具がぎっしり詰まった、中心部分である。その損害は計り知れない。
「…………」
「うん、肉まんも美味しい」
俺の批難するような視線も何処吹く風か、先輩は気にもせずに肉まんの味に舌鼓を打っているようであった。
そしてようやく恨めしそうな目をしている俺と目が合った。
「あー……じゃあお礼にあんまん一口いかが?」
と、渡されたのは食べかけのあんまん。
…………間接、キス。
脳裏にそんな言葉が過ぎり、俺はブンブンとかぶりを振った。
いや、というか。肉まんを齧られた時点で既にそれは成立しているのではない……か?
意識をしないようにすればするほど、頭の中はグルグルと混乱し、脈が乱れる。
「……? あんまん嫌いだったっけ?」
そう言って先輩は肩を組んだまま、俺の顔色を覗き込んで来て――、
……こんな先輩を持って、俺は今日も人知れず苦悩するのである。
神の使徒という組織に入ってから1年。しかし依然その組織には顔を出さ事もなく、どちらかと言うと東京物産という殺し屋稼業が本業となっている始末である。
あれから帰宅し、申し訳程度の仮眠を挟んで、しかし未だに眠たい眼をこすりながら食卓に着く。
机に並べられた朝食をつまみながら、先輩に今日の出勤先を尋ねる。
「先輩、今日はどっちですか」
「東京物産の方だよん」
「ですよね」
というのも神の使徒という組織に入って初めて下された俺の仕事は、東京物産への潜入なのである。かといってそこで何をやるのかと言えば、ただ東京物産で与えられた仕事をこなすだけ、と来たものだから俺としてはどこか拍子抜けである。
「結局神の使徒なんて言ってますけど……なんなんですかねー、派遣会社かなんかですか?」
目の前に用意されているフレンチトーストにフォークを突き刺しどちらにいう訳でもなく呟く。
「コラコラ、一条君。東京物産でその名前を口にしてはいけませんよ?」
すると先輩ではなくキッチンに立ってフライパンを洗っている方が食いついてきた。
「あーあー分かってるよ」
実際、東京物産には派遣ではなく潜入、所謂スパイという形で入社しているのである。しかし何の為の潜入なのかを知らされていない俺にとっては、スパイだとばれない様に、という緊張感なんてものは欠片もないのである。
「磯辺さん、このフレンチトーストすごい美味しいですよ」
「そうですか? 気に入ってもらえて何よりですよ八雲さん」
ちなみに先ほどから神器の所有者3名によって、朝食に伴い朝の会話が繰り広げられているこの場所は、一条家の食卓である。
なぜ、八雲先輩、そして磯辺が朝早くからここで朝食をとっているのか?
その答えは簡単。3人まとめてこの家に住んでいるからである。
ここで引越しに当たって発言した二人の主張を紹介すると、
えー一緒に居た方が神器について色々教えやすいし、ここの家の方が広いし、ゲームもあるし……えっと……あ! 出勤場所も近いし!
というのは八雲先輩の言。
そんな若い男女二人でひとつ屋根の下というのは認める訳にはいきません。そうだ、一条君の親権を私が引き取って3人で過ごしましょう。そうだ、それがいい。
というのは磯辺の言である。
悠々自適な一人暮らしスタイルは爺が死んで俺が組織に入るまでの間、およそ5日間で幕を閉じたのであった。
そもそも親権というのはそんなホイホイ譲渡できるモノなのか? と当然疑問に思ったが結局こうなってしまっている訳で。
当時の俺はこの一人暮らしのスタイルを確立させる為にも頑なに拒んだ。
だがあっさりと磯辺の
「上司としての命令です」
この一言で俺は泣き寝入りをするしかなくなったのである。
「で、東京物産の方でお仕事は入ってるんですか?」
磯辺作のフレンチトーストを食べ終えコーヒーを啜る。甘ったるくなった口の中をコーヒーが中和してくれた。
「それは分かんないなぁ。取り合えず一条君は学校行ってきなよ。その後いつもの場所に来てくれればいいからね」
「…………学校行かなきゃだめですか?」
そう、この急遽編成された詰め合わせ家族が発足してから、これが俺の頭痛の種となっている。
爺がいなくなってから学校はサボり放題であったというのに、この先輩とその上司が来てからはろくに休めなくなっている。
「当たり前でしょー? またサボったりしたら……分かってるよね?」
八雲先輩は笑いながら――しかし威圧しながら俺を圧迫する。
登校恐怖症なるもの……かどうかは分からないが学校に行くのが好きではない。思春期の男子中学生としては当然といえば当然の心持ちなのだが、さらに拍車をかけて学校が嫌いなのである。
実は以前、学校に行くフリをしてプラプラと遠くのゲームセンターに遊びに行った事がある。が、それが先輩にばれ、その後酷い折檻&説教を食らったのは言うまでもないだろう。
「まぁまぁ、でもたまにはズル休みも必要ですよね? それに今日は徹夜明けのようですし……」
磯辺が横から口を挟む。洗い物が終わったのかエプロンを外していた。
「磯辺……」
ここ1年でこの磯辺という男の評価も変わった。最初は嫌いでしかなかったがこのハリボテ家族においては俺の良き理解者となっている。
料理は上手いし家事はきっちりこなしてくれている。
神の使徒っていうか家庭の使徒って感じだ。
でも敬語だけは絶対に使わないけど。
「私達ユーザーにとって、数時間仮眠を取るだけで十分事足りる程回復するって磯辺さんならご存知ですよね? それに一条君はまだ中学生なんです。学校には行かなきゃ……いけませんよね?」
八雲は磯辺へと振り返った。だからこそ先輩が今どのような表情をしているのか分からないが……まぁなんとなく分かる。きっと般若のような形相で磯辺に迫っているのだろう。その証拠に、
「……一条君、そろそろ急がないと遅刻しますよ?」
と、まんまと寝返るのである。
これは今に始まった訳ではない。八雲先輩が一番偉くて俺と磯辺はその下というヒエラルキーがここ1年、我が家で形成されてしまったのである。
組織の階級としては八雲先輩よりも磯辺の方が高いというのに。
結局先輩のいう事に誰も歯向かうことはできず、俺は学校へと渋々行くことにしたのである。
神器というものが世界にはあるらしい。
刀であったり鉤爪であったり……まぁおよそ武器として存在しているのだろう。
勿論神器と敬称するだけあって普通の武器と異なる点が多々ある。
まず絶対数が少ないという事だ。普通の人間ならこんな神器というモノに関わることすらなく生涯を全うするである程に珍しいものである。
次にその正体は常に隠匿されているというケースが多々あるために世間には知られていない。
ではどこに隠されているというのか?
馬鹿げた話のようで申し訳ない限りだが、単刀直入に言うとそれは人間の体内だ。
何故か神器という武器は身体に溶け込み、同時に人体に驚異的な影響を与える。そしてこれら神器を持つものをユーザーと称されている。
およそ人間離れした動き、能力を得る事ができる。といっても頭がよくなる、といった事はなさそうなのだが。
誰もが喉から手が出るほどに欲するであろう神器、だが当然裏がある。
ここで問題となるのが、神器にも意思があるという事である。神器を手にした時に――ここら辺は俺もあまり把握していないため要領を得ない物言いになってしまうのだが――才能とやらがないと、逆に神器に支配されてしまうらしい。
体内に入れるとなると尚の事、神器に蝕まれやすくなるという。
実を言うと俺も神器に侵されていた口らしい。無意識下で神器というのは本人にも気付かせる事なく、人間を支配するのだという。
だがそれも昔の話だ。今は自分の意思で俺は神器を使役している……はずである。
と、ここまで大袈裟にやれ神器はすごいだのと、神器は珍しいだのと言っておきながら、一条家にいる俺、磯辺、八雲先輩が皆ユーザーであるというのはとても締まらない話である。
神器の道化2
結局嫌々学校にいったのだが直ぐにエスケープすることにした。
学校に行けと言われたが早退をするなとは言われていない。だから仮に八雲先輩に見つかっても文句を言われたりはしないだろう。
3時間目は音楽の授業である。三々五々に音楽室へと移動するクラスの連中から少し外れ下駄箱を目指す。後はこっそりと学校を抜け出すだけである。校門には監視カメラが設置されてる為、適当な柵を飛び越え学校の敷地を抜ける。
うん、平日の真昼間にする散歩はいつも気分が良くなる。クラスの連中は学校に拘束されている時刻の散歩は尚気持ちがいいものだ。
制服姿で東京を出歩き、忙しそうなセールスマンやお洒落をしたババァ共を横目にごった返している繁華街を歩く。
こうして人波に揉まれていると昔の事を思い出す。馬鹿な事をしていたなぁ、と他人事の様に振り返るには――、1年というのはどうも短すぎるらしい。
感傷的な気持ちに浸りながら 繁華街を避けるように裏通りに入った。東京といえども少し外れた道に入ると、落ち着いた雰囲気になり、そんな裏道とでも言うのだろう通りを歩いて東京物産へと向かう事にした。
夜になると常連客で賑わうのだろう飲み屋、落書きが施された寂れたシャッター通り、不意に現れる、都会には似つかわしくないぼろいアパートを眺めつつ、のんびりと歩く。
時刻は11時過ぎ。丁度お昼ぐらいに会社に着くだろう。
どうせだしそこでお昼を食べるとしよう。社員割引も効いて格安で美味しいモノが食べれる。
実はこれが本当に相当美味しい。何故か社員食堂を利用する社員は少ないため周りを気にせず、のんびりと食べれる点も結構気に入っている。
東京物産に入って一番良い事はここの社員食堂が安く利用できるという事に尽きるだろう。他にも様々な福利厚生が手厚いだとか色々あるらしいが……まぁ俺には関係ないことだ。
さて、今日は何を食べようか。キノコソースの半熟オムライスか、炙り豚トロ油そばか、天ぷら定食“四季”か。考えるだけで涎が溢れてくる。
そんなウキウキとした気分を微塵も表情には出さないままに東京の道を歩く。そして殺し屋稼業を営んでいる会社へと人知れず足を速めるのだった。
東京物産という会社は一言で言うならば大きなビルである。大企業と言っても差し支えないその外装の建物に中学生が入る構図はきっと有り得ない事なのだろう。その証拠に入社して1年も経つというのに未だに守衛の奴らは変な視線でジロジロと見てくる。
奴ら持たざる者の嫉妬の目線なのだろう、そんな守衛の奴らを横目に俺は建物内部に入った。
殺し屋集団といっても殺し屋の人数がこの建物に見合う程いるわけではなく、会社員の9割は事務員であり、そして建物の7割程が空き部屋で構成されている。
どう見ても社員数と建物が比例していない、おかしな会社なのだが、建物の豪華さと収益額はこれで見事に釣りあっているというのだから可笑しな話である。
会社というのをホテルか何かと履き違えている豪華絢爛なエントランスを横切り、エレベーターホールへと向かう。
食堂は2Fにあるのだがまだ八雲さんが事務室にいるかもしれない。あの人はああ見えてしっかりしていないところがあるから、今もきっとお昼の時間を忘れてひたすら仕事をしてるんじゃないだろうか。
それに一人で食べるご飯もなんていうか……味気ないし。八雲先輩がお昼を抜いたせいでこの後の仕事に支障がでてきても困るし……。
エレベータが目的のフロアに着く。当然と言うべきか誰ともすれ違うこともなく俺と八雲先輩の詰め所とでも言うべき部屋に着いた。
電子ロックを解除し部屋を開けようとして……誰かの声が聞こえた。
八雲先輩と誰かが話している。気にせず俺はそのドアを開ける。
「おや、こんにちは。一条君」
その話し相手は確か天堂といったか。東京物産の古株らしく、どことなく磯辺に似ているこの男を俺は嫌っている。
天堂さんに軽く会釈をすると、八雲先輩が俺の目の前にやってきた。
「一条君。今日学校は?」
ガッシリと両肩を掴まれ身体はおろか視線の逃げ場さえ失う。
まじまじと俺の表情を覗き込んでいる先輩の顔が直ぐそこにある。1年付き合った所でその端麗な顔に慣れる事はできず、徐々に赤面してしまう。それを隠す為に顔を伏せて予め用意していた台詞を口にする。
「今日は午前中だけだったんです」
「顔を反らしたままでもなんの説得力もないんだけど?」
んー? と今度は下から覗き込んでくる……が、そこをまぁまぁと天堂さんが諌めた。
「それよりも今からお昼にするつもりだったんですが一条君もどうですか? 私が奢りますよ」
今度は天堂さんに八雲先輩は詰め寄った。
「もぉ、一条君を甘やかさないでくださいよぉ!」
はは、と笑いながら天堂はじりじりと後ずさる。
そのやりとりを見て……俺は少しだけ冷静になった。
先輩のはにかんだ様な表情。でも怒ってて、だけど実に楽しそうに。
俺の見たことのない先輩の顔がこの天堂とかいう男には向けられていた。
「ふーむ、まぁでも今から学校に行かせるのもあれだしなぁ……。一緒に食べる? 一条君」
そして俺に向けられるのは……先輩の困った顔だ。
「いえ、俺はもうお昼食べてきたんで……二人で行ってきてください」
…………。
どうしてこんな嘘が零れてるんだろうか。
意識とは別腹に俺の口は更に言葉を紡ぐ。
「それに……俺がいったらお二人の邪魔になっちゃうでしょ?」
「ちっ、違うよ一条君! それは勘違いです!」
頬を真っ赤に染めながらそれのどこが勘違いというものか。
内心では酷く冷めながらも俺は愛想笑いを浮かべる。
八雲先輩は、もう! とプリプリ怒りながら、
「じゃあ私達行ってくるからね! その資料に目を通しておくといいよ! いつも通り私と一条君で現場に行くんだからね」
と、紙束を俺に押し付けてきた。
「じゃあ行きましょうか天堂さん」
きょ、今日はきつねソバにしよっかなー、と動揺を隠す為か、下手な鼻歌交じりに出て行く先輩の後を追うように天堂さんも部屋を後にした。
結局俺の嘘には気付かなかったようだ。そりゃそうだ、こんな意味のない嘘をつくとは誰も考えないだろう。
足音が遠くに消えるまで、俺は馬鹿みたいに突っ立っていて……そしてフラフラと椅子に座った。
俺はうまく笑えてただろうか。
演技ができていたのだろうか。
この部屋は俺と八雲先輩くらいしか使わない部屋だというのに、どうして天堂さんがいたんだろうか。
今も楽しくあの二人は話していることだろう。
気分が重い。
言いようのないストレスが全身に広がる。
あんなお情けで誘われたくなかった。
こんな事なら一人でさっさと食堂に行ってしまえば良かった。
……それに腹も減った。
空腹を誤魔化すために俺は机にうな垂れながら先輩が残していった資料を手に取った。
資料といっても手配書のようなものである。俺と先輩は今日からこの標的を殺す事に専念することになるのだろう。
――ターゲットは違法薬物の売人らしい。やばいトコロから新作の薬を降ろし、広く出回らせたとかで――、とここまでで俺は読むのを一旦やめた。
違う、動機なんてどうでもいい。必要なのは顔と居場所ぐらいだ。
資料をペラペラとめくながら、必要な情報だけを読み込んでいく。
ターゲットの行動範囲、コンタクトの方法、名前、顔、性別、癖。
身長、体重、……誕生日、血液型、スリーサイズ、好きな言葉。
「……ストーカーレベルじゃねぇかこれ」
誰だこんなに詳細に調べ上げた奴は。相当優秀な諜報員が東京物産にはいるという事なんだろうか。
資料に一通り目を通して、ため息を吐いた。というのも今回の標的はどうやらユーザーではないらしい。
生死を賭けた殺し合いで何もかも忘れて、ただ我武者羅に刀を振りたかったというのに。
ここの事務員の諜報作業に感謝して、俺はその資料をシュレッダーに掛けた。
時刻はまだ昼。殺しをするのに不適当な時間ではあるが、ターゲットを見つけておくに越したことはない。
本来先輩の指示なしでの勝手な行動はご法度である。だが俺もここに勤め始めてから1年が経つ。いつまでも後輩で甘んじていたくはないのだ。
これくらいの仕事は一人でもできる。先輩は天堂さんとグダグダ話してればいいさ。
ふと、思い返して舌打ちをする。どうしてあの先輩はいつも俺を困らせるんだろうか。
しかめっ面をできるだけ繕いながら俺は東京物産を後にしたのだった。
結局昼飯は現場に向かう途中にあった適当なラーメン屋さんで済ませた。
美味しいには美味しかったがチャーシューだけがピンポイントでまずかったのが印象的であった。うん、あのラーメン屋さんをいつか矢作に紹介してやろう。既に知っているかも知れないが。
今回の標的、高嶺雫という人物とコンタクトを取るには、特定の場所であることをして待っていればいいらしいのだが……どうも現れる気配がない。はずれなのか、それとも俺が殺し屋なのだと見抜かれているのか。
ろくに探さずに決め付けるのは早計かもしれないが、取り合えず次の場所に移動する。
そう、面倒な事に標的はテリトリーを複数所持しているようであり、その出現場所もランダムであるため接触を図るにはテリトリーを片っ端から回る必要があるのだ。
取り合えず東京物産から一番近い場所を当たってみたが、まぁ外れだったという訳だ。
東京メトロ日比谷線を使い、東京を移動する。最悪横浜まで足を運ぶ事になるかもしれないが……まぁそれはその時に考えよう。
電車に揺られながら、次の目的地に到着。正直駅の名前が違ってるだけで周囲の建物はまるで同じな東京の造りには少しうんざりする。これだから東京は巨大な迷路だなんていわれるのだ。
どこに怒りをぶつけるわけでもなく、東京を歩き、そして知らずと俺はある建物に入っていくのであった。
……さて。
駅から少し離れたカフェに足を運び、俺はのんびりとホットコーヒーを飲んでいる。
まる1日電車を乗り回し散策をしたお陰で何故か東京のゲームセンターの所在地を全て把握できてしまった。
いや、仕方がないといえば仕方がないだろう。
ゲームセンターを見れば取り敢えず入る。
馴染みの筐体があったら取り合えずコインを入れる。
対戦者が現われれば取り敢えず対戦するし。
それが原因でこんな時間になってしまったのかは分からないが、これだと晩御飯の時間には帰れそうにはない。
磯辺に帰宅が遅れると電話をしておきたいところだが、携帯の電源がきれてるときたものだから……さて、どうしたものか。
そもそもどうして携帯の充電が切れたのかというと八雲先輩のキレ具合に由来している。
標的を探している最中、携帯に着信があり、発信者を見てからそっとポケットにしまった。
およそ20分間ずっとバイブしていた結果、バッテリーが切れてしまったという訳だ。
というか20分て。
20分間ずっと呼び出しし続けるってどんだけだよ。
言わずもがな相手は八雲先輩であり、俺の単独行動を相当に快く思っていないというのがアリアリと分かった。
というかコレは普通に怖い。
あっちは充電しながら電話かけてるだろ、ってレベルだし。
しかしここまで来たからには俺一人で片をつけなくては。
手柄もなくオメオメと帰ったら強制折檻コースは避けられないだろうし。
……と、思案に暮れている最中。どうやら俺にも運が向いてきたらしい。
俺の机に一人の女性が近づいてきた。事前に仕入れた情報と違わない、裏の薬を扱う売人である高嶺だろう。
横浜まで行かずに済んでよかった。
「……随分若いけどお金はあるの?」
一見男の様な格好をしているが、その声は女性のものだった。
栗色のショートヘアーをヘリンボーンのハンチング帽で隠し、アウターは深緑のパーカー。下はダメージデニムというラフなボーイッシュスタイルである。
やる気のなさそうな垂れた目でこの女は俺をじろりと眺めている。
「まぁいいけど」
ついでに対面側に置いていた、携帯に敷かれている1万円札をポケットにしまっていた。これがこの売人とコンタクトを取る方法なので、俺は黙ってそれを見ていた。
一度顔なじみになってしまえばこんな面倒な事をせずとも直接交渉ができるようになるらしいが……生憎もう二度と会う事はないだろう。
「しかしまぁ、何で必要なんだ? あぁ、いや、余計な詮索か。だけど許しておくれ。何せアンタみたいなガキは初めてでね、つい興味を惹かれちまうってもんだ」
注文を取りにきたウェイターにコーヒーを頼んでその女はタバコを咥えた。
よく喋る女だった。
「アンタが高嶺雫?」
そうだよ、とあっさり認めてフーと紫煙を吐く。
しかし人に煙を吐きつけるのは頂けない。直ぐにでも殺したくなったが、流石にこんな場所ではまずい。
「しっかしこんな母乳臭いガキに売るモノはあったかなぁ。粉ミルクでも吸ってれば? いや、馬鹿にしてる訳ではないよ。これはアドバイスだぜ」
客が他にいないためコーヒーは直ぐに持ってこられた。高嶺はそれにミルクと砂糖をかき混ぜ、啜る。
少しいらっと来たので俺も反撃をすることにする。
「……73、61、79」
ぼそっと呟く。効果があるかないか分からないがモノは試しだ。
暢気に高嶺はコーヒーを飲んでいた……が、ある瞬間それを吹き出した。どうやらその数字には心当たりがあったらしい。
ゲホッゲホ、と咽ながら急いでやってきた店員からオシボリを受け取っていた。
「お前、どこでその数字を……」
ちなみにさっきの数字は目の前の女のスリーサイズである。
この反応を見たところどうやら間違っていた訳ではない様だ。
……東京物産の諜報部員、恐るべし。
「誕生日は9月27日。身長は158cmで体重は49kgか。お前こそガキじゃねぇか?」
「オーケー、分かった。お前を正式な客と認めよう。そこまで知ってるって事は只のガキって訳じゃないんだろうね」
少し離れてついて来な、と高嶺はタバコを灰皿に押し付け席を立った。俺としてはもう少しこの目の前の女をからかってストレス発散を試みたかったのだが、諦めることにした。
それに変に情が湧いたら殺しにくくなるだけである。会話は極力避けるべきだ。
カフェを出てから何も言わずに高嶺は狭い道をすいすいと進んでいく。俺はその後を言われた通り少し離れついていく。
目的の場所からはそう離れていなかったらしい、吹き抜けとなっている階段を高嶺は下りていった。両脇はコンクリートがむき出しになっていて、ライブハウスの入り口のようなきな臭い階段であった。
滑りやすそうな階段を下りていくと倉庫の様な入り口があった。その脇に鍵を持って高嶺がいたが、俺を見るとそそくさと中に入っていった。どうやらあそこが取引の場所となっているようである。
入ると真っ暗であったが、高嶺がつけたのだろうランプで部屋は明るくなった。
中は思ったよりも広く、昔どこかのテナントが入っていたのか什器が適当に散らばっていた。昔は客が入ってきたのであろう、開きっぱなしの自動扉の入り口もこの部屋にはある。
「で、何がいい? 今扱ってるのだとSSD、PI、キノコ……はないか、あとチョコとコークぐらいだけど」
……この場所なら問題はなさそうだ。
「俺が欲しいのは薬じゃない」
手から神器を顕現させる。
黒く、鋭い、俺の自慢の神器である日本刀。
鞘から刀を抜き、両手で正面に構える。もう何も交わす言葉はない。
「……あぁ、そういう事か。んーやっぱり今後あそことは縁を切った方がいいのかねぇ」
その状況下でも高嶺は落ち着いたまま、暢気に独り言をもらしていた。
やれやれ、と帽子を被りなおし――、
俺は新たな闖入者に意識を割くことになった。
背後を振り向くと、まずテーブルが目に映った。
投げつけられたソレを振り下ろす一閃で真っ二つにし……そこからさらに人が突っ込んでおり――、
テーブルは目くらまし……! 急いで回避行動に移り、
……俺がついさっきまで立っていた場所には黒い残像が映った。相手の武器も神器なのだろう。
新たな闖入者はそのまま高嶺の傍で立ち止まった。
「金の分は働いてくれよ」
「問題ない。あんな子供に負ける道理はない」
それは高身長の男だった。丸眼鏡を掛けていてボサボサに伸びた髪が陰気な雰囲気を漂わせている。神器なんてものよりもパソコンのマウスでも持っている方が似合っていそうな男であった。
その手にしているのはナイフ。歪なまでに黒いソレと、発せられる気配から間違いなく神器だ。
だが相手がユーザーであろうと遅れを取るつもりはない。
刀を構えなおし、相手と向き合う。
「手前の得物は違えども正々堂々と斬りあおう」
気だるそうにそう言って男は床に置いてあったランプを蹴飛ばした。
正々堂々も何もあったもんじゃない。
途端に部屋が暗闇へと戻る。
頼りになるのは音だけとなった。
……足音。
相手は移動している。しかし……一直線にこちらに向かってきている訳ではない。
視認は不可能……だったら。
目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。
相手を捕らえるのに必要なのは何も目だけではない。
神器の匂い、足音、震える空気。ヒントは十分すぎる程ある。
「そこか!」
俺の真後ろに回りこんでいたであろう、男に刀を突きつける。
だがそれは、ガキン、といった音を立てただけであった。防がれた事を自覚し、更に剣戟を振るう。
またこの暗闇に逃がしては面倒だ。立て続けに一撃必殺の太刀筋を神器の気配がある暗闇に向け浴びせる。
だが――、それも徒労に終わった。防がれたのは最初の一撃だけであり、後は空を裂いただけであった。
……なんで。
段々と焦りが募ってくる。
確かに神器の気配はそこにあるのに。足音もないことから移動もしていないはずなのに。
ふと嫌な予感が脳裏に過ぎった。
今自分は間違いなく死地に立っている。いや、予感なんてものではない、これは確信だ。
瞬時に身を屈めた。極限までに屈ませ、地面と同化する様に、埃を全身で舐めとるかのような姿勢になり――その真上を弾丸が通り過ぎた。
そしてその弾丸は背後から発射されていた。
間違いなく、敵は移動している。
急いで体勢を立て直し、……しかし何処に逃げればいいかわからなかった。
間髪空けずに銃声が響く。
「――くぁ!」
この至近距離の範囲射撃を全て避けきれるだなんて虫の良い事は当然起こるはずもなく、一発貰ってしまった。いや、1発だけで済んだのはむしろラッキーというべきか。
銃口さえ見えていれば銃弾をかわす事などユーザーにとっては造作もないことだが、この暗闇の中ではそれも適わない。
「当たった? 当たったよな」
男の声はやはり神器の気配とは別の方向から聞こえる。
蛍光灯に電気が流れ、部屋を照らし出した。元々この部屋の照明機能は死んでいなかったようだ。男が部屋のスイッチの傍に立っていた。
「じゃあトドメ」
明かりがついた事から分かった。
まずひとつ、高嶺は既に姿を消していた。
そしてもうひとつ。
こいつはあろう事か自身の神器を囮にし、また靴を脱いで足音を殺し俺の背後に回っていたようだった。
俺の右足からは血が流れている。口径の小さい銃なのか出血量自体は大した事ないが、動かす事には大いに支障を来たしている。
まだ負けた訳ではない。
銃弾を打ち落とし、また刀を投げつければそれなりの殺傷力は期待できる。
……が、それは相当難しそうだった。
突きつけられている拳銃は2丁。その名称は所謂サブマシンガン。
八雲先輩ならいざ知らず、俺には二箇所から毎秒5発以上の速度で斉射される弾丸を落とすなんて芸当は無理だ。
俺は、ここで死ぬのか。
思わず目を塞いでしまった。
あれだけ人を殺しておいて……自分は死ぬのが怖いだなんて。あまりにも格好がつかない。
だけど……それが俺らしいのかもしれないな。
自嘲し、運命の瞬間を待ち――
「わざわざ電気をつけてくれてありがとう。お陰でやっと乗り込めます」
凛、とした声。
あまりにも自然に聞こえてきた為、俺も、そして目の前の男も反応が遅れた。
いや、遅れたといっても一瞬だけであり、その男の対応力は異常に速かったと言えるだろう。
すぐさま銃口を、俺ではなく声がした方に切り替えそしてトリガーを引き終えていた。
一切の躊躇なく、一瞬の無駄もなく、その動作は完璧なまでに闖入者を殺す事に徹底していた。
だがその銃弾の軌道に――先輩の影はない。
先輩の着ていた上着だけがその場で穴だらけになり、当の本人は涼しい顔をして横に移動していた。
ただ横に移動しただけ。
だというのに挙措もなく移動をするのでまるで元からそこにいたかのような錯覚を覚えてしまう。
銃口は未だに硝煙と火花を立てながら、弾丸を吐き散らしている。
だがその銃弾はただの一発も、先輩にはかする事はなかった。
「チッ、並のユーザーがでてきやがった」
男は悪態を吐きながら銃を放棄した。いや、放棄というよりも投擲といった方が近い。
投げつけられた銃は先輩に向けて飛んで行き……直ぐに真っ二つに分断されていた。
目くらましになる事もなく先輩の一振りにより用途をなさなくなった短機関銃。その次に斬らんとするモノは――男の胴体。
だがその一撃は空振りに終わる。先輩が得意なのは鞘を走らせ刀を加速させる抜刀術である。
鞘から出したままの状態で戦うのには不慣れであり、結果として踏み込む距離を見誤ってしまったのである。勿論コレは男の回避の賜物でも当然あるのだが。
距離を空けて男が向かったのは自身の神器の下である。
男は八雲と向き合ったまま、背後を見ることなくその床に落ちていたナイフを掴んだ。
「……流石に俺もユーザー二人相手に勝てると思ってるほど自惚れている訳ではない。どうだ、見逃してくれないか?」
ナイフを構えたまま男は淡々と述べる。命乞いだとかそういうモノは微塵も感じない。
「一条君に傷を付けといてそんなもんで済むと思ってるんですか? ボンクラ」
「謝罪する。金も払う。逃げた高嶺の隠れ場所も言おう」
やはり感情を感じさせない拍子で男は言葉を紡ぐ。
「生憎、私は今相当怒ってるの。一条君を殺そうとした貴方を殺さないと気が済まない」
先輩の表情は相も変わらず優しそうなのであるが……しかし違う。
口端がゆるんでいる。
目元が笑っている。
だが、発せられる気配は肌を裂くような張り詰めた殺気。
「そうか、だったら仕方ない、な!」
そう言って男は動き――、
……静かに。男は首を動かした。
その胸に突き立てられているのは美しい直刃の日本刀。
いつの間に間合いを詰められていたのか。
いつその刀を鞘から抜いていたのか。
いつもなら先輩の動きはある程度見切る事はできる。だが今日の先輩は違った。
これが殺し屋の本気、というモノなんだろうか。俺なんかでは足元にも及んでいないという事を突きつけられた。
呼吸ができないのか、男は代わりに血を吐いた。
刀が引き抜かれ、その瞬間大量の血が溢れた。刀は勿論、先輩の腕にまでその血は飛び散った。
先輩はそのまま刀を鞘にしまい、そして自身の身体へと収める。
部屋を占めるのは痛いほどの静けさ。
終わったのだ。
今までの戦闘が嘘だったように。
俺の戦いは全て無駄だったと言わんばかりに勝負は呆気なくついてしまった。
「…………帰ろうか。一条君」
普段からは想像も出来ないようなか細い声。
しかし無理もない。標的である高嶺雫は既にこの場から逃げた。もう奴の居場所を掴む方法はない。
そう、失敗したのだ。
俺の勝手な行動で依頼を失敗させてしまったのだ。
「先輩……俺の勝手な行動のせいで……すいません」
片足で立ち上がり、頭を下げる。
間違いなく迷惑を掛けてしまった。慎重に立ち回っていればこんな事にもならなかったのだろうに。
「………………」
その俺を先輩は見ようともしていない。ただ黙って背中を向けている。
「失敗は俺の責任だって会社にしっかり話すんで……先輩は何も気にしないで下さい」
「気にしないで……だって……?」
先輩は振り返り、早足で俺に詰め寄ってきた。
戦闘中に見せた冷静な感情なんてのはそこにはない。
殺し屋ではなく一人の人間として感情を爆発させている先輩がそこにはいた。
歯を食いしばりながら、怒りの表情をむき出しに殴ってくる。
よろけた俺を支えてくれたのは先輩だった。胸倉を掴まれ――そしてもう一度その拳は振るわれる。
流石に2発は耐え切ることはできずに、尻餅をついた。それにまたがり先輩は俺の顔をぶん殴る。
先輩は今怒っている、のだろうか。
当たり前の事なのに俺には先輩の意図が分からなかった。
確かに怒っている、それは間違いない。
ならば――どうして涙を零しているのだろうか。
抜け出すこともできず、俺は鼻血をたらしながら、両頬を腫らせながら、先輩の気が落ち着くのを待つより他はなかった。
やがてもれ始めた嗚咽。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった先輩が俺の上にまたがっている。
「任務なんてどうでもいいんだよぉ! 死んだら何もかも終わりなんだぞぉ……ばかやろぉ……」
真っ直ぐに先輩の視線は俺を捕らえている。
胸に深く、深く、その言葉は突き刺さってしまった。
「…………、」
今までこんなにも心配された事があったか。
俺の事をこんなにも大事に思ってくれた人がいたか。
こみ上げてくる涙を俺は堪えることが出来なかった。
「なんでこんな勝手な行動をしたんだよぉ……私が何かしたってのかよぉ! だったらちゃんと言えよぉ……私は馬鹿だから気付いてあげられないんだよぉ」
「……すいません」
「本当にわかってんのかよぉ」
ついに先輩は地面に突っ伏して子供の様に泣き始めてしまった。
こんなボコボコにされておいて何を言ってるんだか、と思うかもしれないがこの時に気付いた。
俺は、八雲先輩が好きだ。
誰かと話してただけでどうしようもなく嫉妬してしまう程に好きだ。
俺の為に本気で怒ってくれて、本気で心配してくれる先輩が好きだ。
こんな無茶な事をしてでも先輩に構ってもらおうとした程に好きだ。
この感情は友達に向けるようなモノじゃない。
一人の男として、この女性が好きだ。困ったことに俺も誰かを好きになる事はあるらしい。
なんともみっともない男だろう。好きになった女を泣かせてからようやくこの心に気付くとは。
しかし――この気持ちは未来永劫打ち明ける事はない。
俺と先輩では釣り合いがとれない。
俺なんてタダのガキだ。先輩が俺に見向きしたところでそれは弟に向けるソレだ。
……だったら、俺はいつまでも弟のままでいい。
この姉さんにずっとついていこう。
もう2度と困らせることがないように。
そしていつかは俺が先輩を守れるように。
誰かに笑われないようにその決意を、胸の奥深くにしまっておいた。
その小さく秘めたそれは、胸の奥底でギラギラと熱を帯びている。
俺の手に余るこの熱を冷ますには、まだ当分の時間を要しそうであった。
締まらないような、締まってるような。
一条君の気持ちが明らかになってしまいましたね。物語は承の部分でしょうか。
次回は転です。多分次回で終わりかもしれません。結の部分はもう本編として登場させてます からね。
ではでは。