※番外編 神器の道化 序
本編に登場してきた人物に関してのエピソードがこれから3つ続きます。時系列としては過去にあたります。
1999年
ドクン、と胸が高鳴る。
この感じはいつも最高だ。
自分が道化の仮面を被る瞬間。白衣を身につけ、手袋をはめる瞬間。
心臓が馬鹿みたいにビートして、息ができなくなって、胃の中を全部吐き出しちゃいそうなこの気分。
だがそれすらも心地良い。
「さぁさぁ皆様方、本日のメェーインイベントぉ!」
商店街のど真ん中。俺はそこで声を張り上げる。
買い物中の主婦、女子高生、おっさん。そいつらが変なモノをみるような視線を俺に送りつける。
そりゃそうだ。おかしなピエロの仮面をつけて大声で叫んでいるのだ。誰だってこんな反応になるだろう。
「この商店街の歴史に残る1大イベントが始まりますよ! さぁさぁよってらっしゃい!見てらっしゃい!」
狭い視界から辺りを見渡すと俺の周りには人垣ができているのが分かった。といっても数えてみると暇そうなおっさんが3人いるだけでほとんどは素通りなのだが。
まぁいい。上等だ。
「ここで取り出しますはマカ不思議、謎の刀でござぁい」
柄から刀身まで真っ黒な刀を俺は口から取り出した。
どう見ても歪な刀なのだが、その刀身から発せられる冷たい気配は本物である証拠。
それを見て観客がオォーと暢気な歓声を上げる。俺はそいつらにニッコリと笑いかけてやる。仮面をつけているから伝わらないだろうが。
「本物です。確かめてみますか?」
適当におっさんに話しかけると不思議そうな顔をして近づいてきた。
刀を振り上げ――俺はその近づいてきた奴を脳天から真っ二つに叩き斬った。
血を吹き出しながらそのおっさんは左右に倒れた。
綺麗に、CGのように、蒔き割りの様に、オモチャの様に、それは起こった。
仮面と白衣に返り血が飛んできたがどうでも良い。これからもっと赤く染まるんだ。
「どうです?」もう一人、そいつは横薙ぎに真っ二つにする。「本物でしょ?」
周りが異変に気付いたのか奇声を発しながら近くにいた通行人は逃げ始めた。
逃げ始める奴らはまだいい。最初に集まってくれていたあと一人のおっさんを追いかけその背中を斜めに斬りおろす。せめて最初に集まってくれた奴らぐらいは優先的に本物かどうかを確かめる権利があるだろう。
「さぁさぁ、他にも確かめたいお客様はぁ?」
小さく穿たれた仮面の穴から他の得物を探す。
まずは近くで動けずにいる馬鹿共を殺す。
次に、走って、誰かの首を刎ねる。
小学生が傘を振りまわすように、オーケストラの指揮者がタクトを振るように、刀を振るう。
刀はそこに何の障害物もないかのようにスルリと弧を描く。そしてその弧は人間の肉体を2つに分ける。
おっさん、おばちゃん、女子高生、子供、走って逃げる奴もいたが人間の速さじゃ俺からは逃げられない。
最高の楽しい。
人を斬って斬って斬って。
返り血に塗れて、世界を赤く染めて、
走って。
斬って。
殺して。
笑って。
あぁ、俺は生きている。
人生は素晴らしい。
俺は相棒の刀に口付けをし、血を舐め取る。
酷く不味いのだが高揚した気分を収めるのには丁度よかった。
最初に人を殺してから5分程経ったか。警察に囲まれても面倒だ。
そんなのに巻き込まれる前に俺は商店街を走り去った。
走って、走って。そして直ぐに商店街は見えなくなった。
神器の道化
この刀を手にしてから俺の全てが変わった。
身体能力は異常に上がったし、視力も運動神経も段違いになってしまった。
最早人間を逸脱している域の運動能力を獲得してしまったのだが俺としては喜ばしいことであった。
人生が面白くなるのなら人間なんて辞めてやる。
ただ全力で走るだけで身体は風を切る程までに加速し、一度の跳躍でゆうゆうとビルとビルの間を渡ることができる。
だから大量殺人を犯しても早々捕まりはしない。この時刻にここで俺の目撃情報を作っておく事で5kmも離れた場所での商店街での犯行は俺には不可能と断定されるだろう。奴ら警察が一般の男子中学生は走って3分で5km移動することができると主張し始めたら完全にお手上げだが。
目撃情報を作るのにはコンビニにでも行けば上等だ。無人のカメラが俺のアリバイを作ってくれる。
いや、実際にアリバイがあるかなんて確かめられた事なんて1度もないのだが念のためである。
商店街から帰ってくるまでに白衣と仮面はどこかのマンションの屋上に引っ掛けてきた。恐らくそこの住民でも目の届かないような場所にである。いつかは見つかってしまうかもしれないが……まぁ見つかったら見つかったでその時だ。
コンビニに入り雑誌を手に取り、なんとなく目を通す。
よくクラスの連中の話題に持ち上がっているが……漫画だなんて殺しに比べるととても退屈でとても笑えるモノではない。
漫画の中で誰かが誰かを殺しているが本物はこんなもんじゃない、と酷く虫唾が走ってしまう。
だめだ、こんなものを読んで今の最高の気分を台無しにはしたくない。
俺は早々に雑誌を戻し、コンビニ弁当を適当に購入し家路を辿る事にした。
一軒家であるが家族だとかそういったモノは残念ながらいない。いや、残念ながらというのは世間一般の捉え方であり、俺からしたら幸いにも、と言った方がいいだろう。
両親は俺が幼いウチに蒸発したし、世話をしてくれていた爺も最近逝ってしまった。確か今俺の保護者は爺の架空の配偶者となっているはずだ。だから警察に保護される心配もないという訳だ。
トボトボと人間の速さで歩き、そして家の玄関を開ける。
「ただいま」
といっても誰もいない。長年の慣習はそうそう抜けるモノではないらしい。
まずは爺の仏壇に手を合わせ、その後晩御飯の支度をする。
電子レンジのコンセントを入れて支度は終了。コンビニで買った竜田チキン弁当を投入し、然る時間の後に晩御飯ができているという寸法である。
冷蔵庫から買いだめしているコーラを取り出し、テレビをつける。
商店街での大量殺人が特番として案の定話題に取り上げられていた。
死傷者の数、重傷者の数、そして事件を目撃していた奴らのコメント。
「ふ、ふふ、はっはっはははは!」
可笑しくて仕方がない。今日殺した数は16人か。奴らがわざわざカウントしてくれるから俺は何も考えず無心で刀を振るえる訳だ。
このメディアは親切に俺のゲームの成績発表をしてくれている様だ。
目撃情報と称しているが俺の具体的な容姿に関する情報が何もない。仮面をつけ白衣を身に着けていた、と。その情報に何の意味があるのか聞きたいものである。まぁマスコミは不安を煽れればそれでいいのだろう。
「本当に馬鹿ばかりだ」
コーラを煽り、今回のリザルト画面を消した。弁当でも食おう。
電子レンジからコンビニ弁当を取り出し、手をつける。
やっぱりまずい。
血の方がまだうまいかもしれない。
唐揚げを箸で摘んだまま、今日の人殺しに思い耽る。
目を瞑ると鮮やかに思い出せる人の死体と鮮血の赤。
早くまた人を殺したいな。
…………。
……。
こんな事の為に爺は神器を俺に譲ったのだろうか。
どうして爺は俺に、この神器を俺に引き継がせたのだろうか。
どうして爺は棄てなかったんだろう。
考えても分からない。
考えても分からない……だから俺はただ本能のままにこの刀を振るう。
この刀を持った途端に人を斬りたいという衝動に襲われた。その衝動に身を任せ俺はこれからも人を斬ることだろう。
考えただけでにやけてしまう。
人を斬って、斬って……
そしていつか……
俺は誰かに粛清されるんだろうか。
……駄目だ。意識が朦朧として自分でも何を言っているのか分からない。
思ったよりも疲れたのかな。
もうベッドに行くのも風呂に入るのも面倒だ。
俺は制服姿のまま食卓に突っ伏し、夜を明かしたのだった。
神器。
時代の背景には常に存在し、しかし決して表舞台には立ったことのない異能の武器である。
神器は人の歴史同様、誰かの血に塗れなかった時は一度として存在しない。
その圧倒的な強さに人は魅入られ時には人間としての理性をも失い、ただ理由もなく人を殺し続ける事もあるという。
そんな昔から存在しているのだが分かっている事はただの2つだけである。
使用者は規格外の身体能力を得ることが出来る。
神器とは総じて歪なまでに黒く、異常なまでの武器としての強度、硬度を誇る。
他にも神器を体内に収納できたりする等、様々な異能な点があり、それらは全て明確には判明していない。
これはそんな謎に包まれている神器を手にした少年が死ぬまでを紡ぐストーリーである。
☆★☆
当然と言うべきか寝起きは最悪だった。
隣にある弁当は異臭を発していたし、身体からも変な匂いがしている。
時刻は朝の9時。学校では1時間目が始まっている頃だ。
取り敢えず風呂に入る事にした。
髪を洗い、歯を磨き、制服を取り替える。髪を乾かすのは……いいや、放っておけば乾くだろう。
健常な学生なら早く学校に行け、と親から叱責でもされるのだろうが生憎俺は健常ではないときた。爺もいなくなって俺は好き勝手に出来る訳だ。今頃仏壇から怒鳴っているのかもしれないがその声は俺には届かない。
それに昨日の殺人で折角のいい気分を学校で台無しにはしたくない。爺も分かってくれるだろう。
適当にゲーム機を起動させ、ぼーっとした目でテレビ画面を見つめる。
……うん。これは少し面白い。人殺しまではいかなくても、時間をいつまでも潰せそうだ。
画面がピカピカ光りキャラが台詞を吐きながら動く。
デヤー、デヤー、クライナー!
コンピューターをボコボコにしながら悦に浸る。ユーザーになってから動体視力、反射神経が研ぎ澄まされた為、格闘ゲームでは負けることはなくなってしまった。
面白くはないのだが、ユーザーになる以前には随分と熱中してやりこんでいたので、惰性で続けている。いや、今でも続けているという事は面白いと思っているからなんだろうか。
今日は新しいキャラクターの練習でもしよう。よし、そうしよう。
結局、朝から晩まで、1日中ゲームをして過ごした、という事に気付いたのは晩になってからであった。
なんだ、俺にも中学生という歳相応の趣味があるんじゃないか。
ゲームで消費したカロリーを取り返すべく夜になってからコンビニに向かった。
まずいとは言っても俺に料理の技術は全くない。したがってまずくともあのコンビニ弁当に頼らざるを得ないという訳だ。
爺が残してくれた遺産で俺の手元に金の形で来る分だけでも老後まで遊んで暮らせそうな額がある。一体何者だったのか最後まで分からなかったが神器を持っていた事からあの爺も異常な奴だったのだろう。
だからコンビニ弁当じゃなくてもどっか外食に行けば金を気にせず美味いモノが食べられるのだろうが……面倒だからなぁ。
いつも利用するコンビニに入る。
難なく弁当を買って、さて帰ろうと人通りのない住宅街に差し掛かった時だった。
俺の前に変な男が現れた。
いきなり変な、と形容していいのか悩みどころだが……、
眼鏡を掛け白いハットを被り、真っ白いコートに身を包んでいる。これはもう変な、と言ってしまってもいいだろう。
浮かべている表情は薄ら笑い。何をする訳でもなくただ此方を見てニヤニヤしているだけであった。うん、変だ。
恐らく20代後半か、30代前半か。周りに誰もいない事だし斬り捨てようかとも思ったが今は腹が減っている。取り敢えず無視することにする。
だが、あちらは俺を無視してはくれなかった。
「こんにちは」
声を掛けてきた。こんばんはの時分であるにも関わらずこんにちは、だった。
少し掠れた声。見かけによらずもっと年寄りなのかもしれない。
だがそんな事関係ない。俺は歩みを止めずその男の脇を通り過ぎようとした。
「人殺しはよくない事だよね。無差別に人を殺すのはよくないことだ」
思わず。
足が止まった。
振り返ると、まだニヤニヤと笑っている男がそこに突っ立っている。
「どうだろう? その力をウチの組織で活かさないかい?」
人差し指を突きたてそんな事を提案してきた。
「人殺しと分かった上で勧誘するなんてロクな組織じゃねぇな」
「ロクでもない組織だよ。人殺しが仕事だからね」
冗談だろう。
俺をゆすりにでも来たのだろうか。
誰がそんな話を信じられるか。
それに組織といってる時点で怪しすぎる。
「あっそ。じゃあ勝手に人殺しでもなんでもしてろよ。俺には関係ない」
話は終わりだ。
面白そうな話だったがこんな変な話に乗るほど俺も馬鹿じゃない。
「うーん、残念。君がウチの組織に来てくれないとなると……君を放っておくわけにはいかなくなる。何せ大量殺人犯だからね。東京の治安の為に君を殺してでも確保して警察に突き出す必要がある」
治安? でも警察に突き出すって事はこいつは……一体なんなんだ?
振り返るとどこから取り出したのか、先ほどの男は手に鉤爪を模した武器を手に嵌めていた。
今やその男の片手は5本の刃物と化している。
そしてその色は歪なまでの黒。
俺の刀と同じ色である。
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
「そう、僕も君と同じ“神器”を持ってるんだよ」
チキチキ、と片手の刃物を擦り合わせ嫌な音をさせている。
「……そうか、神器ってのはこれだけじゃなかったんだな」
俺も刀を身体から顕現させる。
種も仕掛けもない、この神器と呼ばれる武器の特性である。
手にすると驚異的なまでの身体能力を得る事ができ、また神器は肉体と混ざり合い体内に収納することができる。
神器という武器は総じて黒く、その強度も並のものではない。俺の刀が何人も殺した所で刃こぼれひとつもしないのはそういう理由もある。
今まで俺はこの神器という武器はこの刀しかないものだと思っていたが……恐らく目の前の男の武器も神器の一種なのだろう。
「やばい、最高に面白そうだ。アンタを殺すのはとても面白そうだ」
「うん。やる気なのは良い事だね。遠慮せずにかかっておいで」
「上等……っ」
相手が魅力的に思える。あいつの血は最高に甘美な味がするのだろう。
早く殺したい。速く殺したい。
刀を持って疾走する。
まずはお手並み拝見、上段から振り下ろす剣戟。
ガキン、と。
鈍い音を立て俺の刀は止められた。
白刃取りの要領で人差し指と薬指に当たる鉤爪に挟まれ止められていた。
「うん、悪くないけど……そんなんじゃ遅すぎる」
男は刀の動きを封じたまま俺の鳩尾に蹴りを浴びせる。
まるで馬にでも蹴られたかのような威力だった。少なくともこの目の前の男も人間ではないらしい。
呼吸ができなくなり、息を整えるので必死になる。
……いいや、息なんてしなくていい。
俺はもう一度男に飛び掛る。
さっきよりも速く、鋭く、隙を狙う。
体勢を極限まで下げた下段からの袈裟斬り。
男は一歩後ずさりこれを交わした。
まだ、まだ。
地面に水平に横に薙ぐ。狙いは奴の両足。
一歩後ずさった後である。バランスを崩している奴は交わすとしたら――
男は真上に跳躍しその剣戟も交わした。普通の人間では有り得ない高さの垂直跳び。
――そう、上に逃げるしかないよな。
背後に回りこみ、その無防備な背中を目掛けて俺も跳躍する。
今度こそ逃げ場はない。空中で体勢を変えて交わせるモンならかわしてみろ。
その背中に刀を突き立てようとし――
防がれた。
ただ、背中に鉤爪を回して、2本の爪を交差させた場所に俺の刀は突き刺さっていた。
鉤爪はそんなに小回りの聞く武器ではないはずだ。何せ基本は掌と同じような動きしかできない。腕の間接的に背後のカバーはそう簡単ではないはずなのに。
そんな鉤爪で背後の、見えてない筈の斬戟を正確に防ぐ事ができてんだ。
呆気にとられていると、俺の刀を基点に男は反転した。刀は流され、俺は一瞬無防備になる。
「今のは良かった。だが残念、人殺しとしてのキャリアの違いがでてしまったね」
反撃をするわけでもなく、男はそんな事を言いながらニコリと笑った。俺も釣られて笑ってしまった。
バケモノかこいつは。
地面にそのまま両手両足で着地し、刀を拾い上げようとし……しかし持ち上がらなかった。
「駄目だよ。刀を持っている手は地面につけちゃあいけないんだ。こういう事になるからね」
刀は目の前の男に踏みつけられていた。流石にこの状態では持ち上げることは不可能である。
だったらこの男を突き飛ばせばいい。
座り込んだまま、男の足を払うように蹴りを食らわせる。
これはかわされなかった。
だが当然といえば当然だ。……かわす必要がない。
「足に刃物でも仕込みましょう。そうすればパーフェクトだったね」
座り込んだままその男を見上げた瞬間、チャキリ、と5本の爪に包まれた。
喉の両脇に2本、耳の真横に2本、頭のてっぺんに1本の鉤爪がピタリと密着している。
無理に動けば刃が食い込んでしまうという訳だ。
「はい。最後にもう一度聞きましょう。ウチの組織に来る気はありませんか? ここで断られたら貴方の顔を握り潰す事になってしまいますが」
もう片方の手でズレ落ちた眼鏡を掛けなおしていた。相も変わらず薄気味悪い笑みを浮かべている。
「……分かった、これで断ったら殺されるんだろう?」
「えぇ、この地域で後々語られるような死に様になるかと」
確かになぁ。顔を刃物でプレスされる死体なんて早々見れるものじゃないだろうしな。
「あんたの名前と組織を教えろ」
その返事を聞くと男はニッコリと笑った。
「僕の名前は磯辺。そして組織の名前はチーム“神の使徒”」
「…………」
……神の使徒、かぁ。
そういう組織に俺は所属することになっちゃうのかぁ。
「ださい組織と笑ってもいいんですよ?」
「笑えねぇよ」
今から俺もその一員になるのだろう。最早他人事ではない。
磯辺はようやく俺の刀の上から退き、そして鉤爪を引っ込めた。
差し出された手は握手を求めているのだろう。
「にしてもなんで俺の名前知ってんだよ」
一応その手をとってやる。
「勧誘しようとしている人の事を知らないはずがないでしょう?」
……一体いつからこいつらに目をつけられてたんだ。
さて、と磯辺は白いコートをパンパンと叩き、少し離れてどこかに電話をし始めた。
俺は刀をまた身体に収納しようとし……、
一瞬だけ欲望がまさった。
相手はもう神器を出してはいない。今ならば簡単に殺せる。
そうだ、簡単だ。
ドクン、と胸が高鳴る。
……素晴らしい。人を殺す瞬間というのはいつでも最高だ。
音を殺し、刀を拾い上げ、走る。そして無防備の首を刎ねんとす。
終わりだ。爪はでていない。相手は電話している。気付かれる要素がない。
「あーもしもし、ちょっと待っていてもらえますか?」
しかしそいつは防いだ。
首から爪が生えた。
その爪に防がれた。
はぁ?
どうなってんだよそりゃ。
確かにこいつはバケモノである。
どうやってそんな事やってるんだよ。
だからどうして後ろに目があるような反応ができるんだよ。
「一条君……申し訳ないけど君はどうしようもない雑魚なんだよ。ただの人間を殺して粋がっている雑魚さ。僕はこれでもかなりの強敵と戦ってきてそれで勝利を収めているんだ。君程度じゃ絶対僕を殺したりはできないよ……で、すいません、結局――」
磯辺はそういってコートのポケットからキャンディを取り出して、俺に握らせた。
ミルクキャンディである。大人しくこれでも舐めて待ってろという事か。
そして磯辺は何食わぬ顔で電話を再開し始める。
不意を打たれて殺されそうになったというのに、この男は未だに笑っていた。
それを見て気付いた。
あー俺手加減されてたのか、と。
俺最高に格好悪い男だなぁ、と。
今度こそ諦めて俺は刀をしまった。
キャンディを大人しくコロコロと舐めていた。
電話が終わる頃合を見て磯辺に話しかけた。
「なぁ、最後のどうやるんだよ」
「ん? 最後のって?」
「とぼけんな。なんかこう……首からうにゅ! て生えただろ! それにどうして反応できたのかも教えろ」
あぁーそれですか、と磯辺はわざとらしく言う。もったいぶるつもりらしい。
「じゃーこれからは僕が上司になるんだし敬語を使ってくれたら教えちゃおうかな?」
ニヤニヤ、というような笑いをしている。 さっきまでとは違う笑い方だ。
むかつく。
「……いやだ」
「え、えぇーどうして? ほらぁ、知りたくないの? きっと強くなれるよ?」
正論なのだろうがどうもこいつには敬語を使いたくない。生理的に無理というやつだ。
今もこうしてワザとらしく焦っている様に振舞っているのもイライラする。
「ま、まぁおいおいその態度が改まっていく事を期待していよう。じゃあ君には近いうちにある人物に会ってもらおうかな」
「ある人物?」
「ひとまず君の先輩となる人。明日にでも挨拶を向かわせよう」
そう言って磯辺が呼び寄せたのだろう、車がこの狭い住宅街の通りに滑るように、静かに入って来た。
Lのエンブレムが入った銀色ボディの車である。後部座席の窓は全てスモーク張りになっていた。
磯辺はその後部座席に乗り込みそのスモークガラスを開け、俺と顔を合わせた。
「あ、そうそう。もう無闇に人殺ししちゃ駄目だよ? 今回だってアレとの取引が結構ギリギリだったんだからさ」
じゃーねー、と窓から磯辺は手を振って車は発進していった。
はて、何がギリギリだった、とかアレとの取引、だとかは置いておくとしよう。どうせ考えても分かんない。
今日は色々な事が起き過ぎて疲れた。
初めて自分と同じように神器を持っている奴に会って、初めて自分の弱さを思い知った。
別に強くありたいだとかは今まで思ってもいなかった。ただ気持ちよく人を殺す事さえできればそれでよかった。
「でもやっぱ強くなりたいな」
目標なんかはない。目的もない。
でも弱いままの自分は嫌だった。
何よりつまらない。
強い奴を殺してみたい。
その為にあの神の使徒とかいう寒い組織を利用するというのも悪くはないのかもしれない。
俺は内心で不適な笑みを浮かべ誰もいない自宅へと帰るのだった。
家に帰ってからある事に気付いた。
この空腹を満たす弁当をどこかに置き忘れてしまった事に。
☆★☆
目覚めは相変わらず良いものではなかった。
食卓で寝た訳ではないのだが、近所迷惑な騒音によってたたき起こされた俺の機嫌はすこぶる悪い。
「――! ――!」
誰かが何かを喚きながら、ドンドンと現在進行で玄関を叩いている。インターホーンも同時に並行して鳴らされまくっている為かなりうるさい。
携帯を見るとまだ朝の九時であった。徹夜でゲームをしていた身としては昼まで寝ていたいというのに。
取り敢えず居留守を使う事にする。両耳を塞いでこの闖入者をやり過ごす。どうでもいい奴ならそのまま帰るだろうし、どうでも良くない奴なら後日また来てくれるはずだ。
そんな事を考えながら布団を頭まで被る。これで少しは静かに――。
ガチャ、と。
玄関の開く音が聞こえた。
ちょっとしたホラーといえばホラー。
といいうかなんで開いた? 鍵かけてなかったっけか?
内心でかなり焦りながらそんなどうでもいい事を考えてしまう。今考えなければならないのはこれからの行動である。
もし、万が一に警察が俺を捕まえる為に捜索しに来たのだとしたら急いで逃げる必要がある。
もしくはその警察の奴らを血祭りにあげるか。
いや、そんなの無意味だ。侵入者を殺した所で俺は確実に全国で指名手配されてしまう。そんな状態で生きるのも悪くはなさそうだがひどく疲れそうだ。
……取り敢えず逃げよう。
勝手に人の玄関を開けるような奴は関わりたくない輩であるに違いない。
その結論は正しかったのだが、ベッドを出た瞬間に、
「あ、一条君、起きてるじゃーん!」
と、誰かに目撃されてしまった。暢気な女性の声だった。
部屋の入り口を見ると女性が一人立っていた。
寝ぼけていないはずだが、もしかして寝ぼけてるのかもしれない。稀に見る麗人がそこに立っている。
肩までスラリと伸ばしている黒のセミロングに、綺麗な切れ長の瞳。身長は俺と同じくらいと、女性の中では高い方に分類されるだろう。いや、俺が低い訳では決してない。
丈の短いワンピースに下はGパン。何処かの活発なお姉さん、というようなイメージの人物だった。
「鍵があったはずなんだけど」
取り敢えず警察ではなかった事に安堵し思わず聞く順序を間違えて聞いてしまった。
「玄関の鍵? 壊したよ」
壊した。
壊したのか。
「……あんた誰?」
ここでようやく本来するべき質問が口からでてきた。
するとそのお姉さんはわざとらしく、ふっふっふ、と笑った。
そして掌から黒く鋭い刃物をちらりと覗かせる。種も仕掛けもないマジック。それは神器だろう。
「神の使徒一員、八雲奈美です。これからあなたの先輩となります」
ポカンとした。
神の使徒。昨日確かあの磯辺とかいう男が口にした名前だ。
という事はこの女が俺の先輩となるという人か?
女なのに?
舐めてるのか。
「女の下につく気はねぇよ」
ニッコリとした表情で女は硬直し……神器の全てを顕現させた。ラフな格好にその神器はひどくミスマッチしている。
八雲の神器は俺と同じ日本刀。鞘に包まれたままそれは腰の位置に持っていかれ――、
――風。
風が吹いた。
目の前に八雲がいる。神器の恩恵を受けているにも関わらずその動きを見切る事はできなかった。
「生憎、私も鈍感な雑魚を後輩に持つ気はないわ」
俺はそこでようやく気付いた。
さっきまで腰辺りで納刀されていたはずなのに、八雲の刀はそこには存在していなかった。
直ぐに見つからなかったのも無理はない。その刀は俺の死角となっている箇所、喉元直前で静止していた。
居合い抜き、抜刀術である。
コレほどまでの神速を以って刀を振るう事ができるのか。
ゾクリとし、まずこの目の前の女を畏怖した。
「これでも女の下につく気はないとか言っちゃう?」
視線ひとつでモノを殺せそうな眼差し。声は低く、ドスが利いていた。
さっきまでのイメージが全て払拭された瞬間だった。
活発なお姉さんだとか、ちょっと優しそうで綺麗な人だなーとも一瞬思ったがそれらは全て誤りだ。
この女は怒らせるとやばい。
今この状況で冗談のひとつでも言おうものなら本当に首が刎ね飛ばされそうな勢い。
コイツ本当に女かよ。
有り得ない事の連続で思わず笑いが出てしまった。その笑いは酷く乾いたものだった。
「よろしくお願いします、八雲先輩」
ついでに両手を挙げ無抵抗アピール。声は震えていた。
どうして朝からこんな冷や汗まみれにならなければならないのか。
俺のその様子に満足したのか、ひとつ頷くと打って変わって満面の笑みを浮かべた。
「うん! よろしくね。一条君」
花の咲いた様な笑み。
今さっき、殺されそうになったばかりだというのに、その笑顔に見とれてしまった。
握手を求めて差し出された手を取ると、八雲は強くブンブンと振ったのだった。
こんな人が先輩になるのか。
果たして……神の使徒という組織にまともな人はいるのだろうか。
俺の心配を他所にこの目の前の先輩はただ満面の笑みで、俺の両手をブンブンと振り回しているのだった。
よくありますよね。盛り上がってる最中で回想シーンとか入っちゃってテンポ悪くなったりする漫画。
でもこの作品は大丈夫なんですよね。なぜなら盛り上がってる箇所なんてないから!