神器の崩壊
なんとなく車に乗りたくない気分であった。
時刻は昼間。東京のとあるメインストリートを山王は歩く。通り過ぎる人々から奇異な視線を感じつつ、しかし気にした素振りも見せないまま堂々と東京を闊歩する。
その顔に浮かぶのはいつものつまらなそうな顔ではなく、珍しく何かを思案している顔である。
ポケットに手を突っ込み、山王を困らせている元凶を取りだす。
「面倒なもん押しつけてきてくれたもんだよなぁ」
試しにカチリとフタを開け着火してみると、あまり使われていなかったのか意外にもすんなり火はついた。見かけはやたら傷だらけのジッポライターだというのに。
それをしまって山王はわざわざ自前のライターを取りだし煙草に火をつける。
珍しく煙草がまずい。これでは気分転換にならない。
そう思いつつ、しかし惰性で煙草をくわえたまま綺麗に整理された街路を歩く。まだ昼食もとっていない山王は何処かで何かを買って行こうか、などと思いながら空を仰いで煙を吐く。
今日は非番である。そんなことも忘れ東京物産に足を向けていると山王は思わぬ珍客と遭遇した。
「……なんだ、お前は」
「…………」
山王の目の前には一人の女の子が立っていた。
それもただの女の子ではない。黒を基調としたフリフリのついたドレス、そしてその頭にはまた黒のフリフリヘッドドレスが載せられている。身長が大きい事も相まって、なんだかとことん不釣り合いな組み合わせである。これは何かのバツゲームなのだろうか。
髪の色、瞳の色からして日本人であることは分かるがどことなく西洋人の様に見えるのはその格好と背丈のせいだろうか。
――と、長々説明したがいわゆるゴスロリ、というものを体現した少女が山王の前に立っていたのだった。
山王はそれを見て元々不機嫌そうだった表情がますます悪化し、眉間に眉を寄らせていた。
それもそのはず、山王の勘が正しければ目の前のこの少女はユーザーである。
「神器の気配は隠すつもりはねぇ、でも殺意は全くねぇ。で、お前はなんで俺の前に姿をのこのこ現したんだ?」
薄々山王は神器の気配を感じていた。しかしそこから殺意がないことから物産の誰かかと踏んでいたが、目の前にいるこの少女は間違いなく東京物産の一員ではない。こんな印象的な格好をしているのなら流石に1度みたら忘れないだろう。
人通りの多い街頭である。まさかここでドンパチを始めないだろうが、山王は一応警戒だけはしておく。
「…………」
すると目の前の少女は突然泣き出した。ポタポタと涙を流しながら、むせび泣く。
零れる涙を拭うその腕は義手である。山王の見当が正しければそれが神器であろう。
だが今はそんな考察どうでもいい。問題はこの目の前で泣きだし始めた少女である。知らんぷりをし、放っていこうとも思った――が、今まさにアロハシャツの裾を掴まれそれは不可能となった。
山王の顔はますます曇っていく。なんでこんな面倒事が俺にふりかかるのか、子供のあやしは雪音辺りが得意だというのに、なんでよりにもよって俺なのか。
……と、そこまで考え山王はこの面倒事を収拾させるべく携帯を開く。
そうだ、雪音を呼ぼう。そして押しつければいい。今日はあいつも非番らしいがそんなこと関係ない。
取り敢えず依然目の前で泣いている少女を横目に電話をし終え、山王はひと息つく。どうやら急いでかけつけてくれるらしい。
電話が終わる頃には目の前の少女も少しは大人しくなり、今やぐずついているだけとなった。だがどうしてこう意固地に手を放さないのだろうか。
山王はずっと片手に持っていた煙草を口に運び、しかしそれは既に半分灰と化していて吸えそうにはなかった。
携帯灰皿にそれをねじ込み、山王は新しく煙草を取りだし火をつけようとしたところで、
「……なんだ」
目の前の少女が腕を伸ばし、山王が口にタバコを咥えた瞬間、タバコを取り上げた。そして首を横に振っている。彼女のジェスチャーが意味するものは恐らく、煙草を吸うな。
結局涙でぬれた真っ直ぐな瞳による無言の抗議により山王は一度舌打ちをし、吸うのを諦めた。
「へいへい、分かった、分かったよ。吸わねぇから返してくれ。最近煙草が値上がりしてて一本でも無駄にするとおじさんたじたじなんだわ」
ぶしつけに山王は少女に手を伸ばすと、少女はコクンと頷き煙草をしっかり返してくれた。
そして山王は煙草に火をつける。今度は少女に取られるなんてヘマはせずに、しっかりと火を点けた。
必死にもう一度煙草を取り上げようとしている少女に背を向け回避しつつ、傍から見れば仲のいい親子のやり取りの様にも見えただろう。
しばらくすると少女も諦め、山王は早く雪音がこねぇかなぁ、と思った矢先。遠くから声がした。
一瞬雪音かとも思ったが明らかに聞こえたのは男性の声である。
見た限り冴えない、不精髭を生やした男である。それが走りながらこっちに向かってきていた。
「そこにいたのか! よかった……」
呼ばれた少女は山王の下を離れ、男に抱き締められていた。
どうやら面倒事は解決したらしい。山王はその場から背を向け勝手に離れようとして……。
「おい、あんた、子供の目の前で煙草を吸うなんてどんな了見してんだ!」
新たな闖入者である男からそう言われ山王は振り返った。
「あぁ?」
不機嫌だった事もあって迂闊に殺意を出しながらであった。勿論殺すつもりもないので、その殺気はほんの少しだけ。だがそれでも一般人なら立ちすくんでしまう程の量であったらしい。
男は山王の目を見ないように視線を泳がせ、えっと、えっと、とたじろいだ後、
「す、素敵なお、お洋服……ですね」
と口にした。
山王の今までけちついていた気持ちが嘘のように晴れ、上機嫌で東京物産へと向かったのだった。
神器の崩壊
「折角の人の休日をあなたはなんだと思っているんですか!? 何をそんなニコニコとしているのです!」
雪音は椅子にどっぷり腰かけている山王に怒鳴りつける。しかしそんな雪音の様子が目に映っていないのか、山王はその様子をヘラヘラしながら聞き流していた。
「ま、まぁ雪音さん、いいじゃないですか。何事もなかったと言う事で……」
「よくありません! あぁ……なんという事でしょう……私もその可愛い女の子を見たかっと言うのに……」
あ、そっちなんだ、と冬花は苦笑を洩らす。
たまたま雪音の家に遊びに来ていた冬花は雪音と一緒にお菓子作りをしていた。その途中に山王から電話が一本、
『お前の好きそうな女がいるから……まぁ、なんだ、取り敢えず来てくれ』
と随分はっきりしない要請を受付け、駆けつけてみたもののそこには何もなく、山王に文句を言うため事務所に来た訳である。
「……いい機会ですから冬花ちゃんに教えておきましょう。山王さんがこうしてだらしなくしてる時は大体あの趣味の悪いアロハシャツを褒められた時です」
雪音はわざと山王にも聞こえるように、趣味が悪い、と強調したが山王は依然美味しそうに煙草を吸っている。どうやらそれが聞こえないほどに上機嫌らしい。
雪音は溜息をひとつ吐きこれ以上は何を言っても無駄だと悟ったのか、帰りましょう、と冬花に呟いた。
「そうですね! 早くシュークリームの続きを作りましょう!」
雪音は冬花のその無邪気な意見を微笑みで返した。
日常の1コマ。
平々凡々な1日。
ユーザーとしての生活を忘れさせるような、なんでもないただの休日。
だが非日常は音もなく、そして唐突にやってくる。
殺し屋において平凡こそが非日常であると冬花は認識する事になるのだった。
――途端、動く事を拒否された。
冬花の身体は無意識のうちに硬直する。
一瞬のうちに部屋の空気が張り詰めていた。
やけに静かで、部屋には冬花の呼吸の音だけが響く。
先ほどのふざけた空気とは比べ物のない、緊張した空気。
「……ウチの社員じゃねぇな」
山王は瞳を閉じている。先ほどまでヘラヘラと笑っていた事を今は伺わせない程の険しい表情。
「一人でしょうか」
雪音も何かの気配を感じとったのかそんな事を山王と確認しあう。
見るとなんとも滑稽なやりとりだろう。数日前の自分ならそう思っていたが嫌というほど稽古を通しこの二人の実力を知っている冬花は、この二人の推測は間違っていないと確信する。
「もしかして……敵襲、とかですか」
冬花は恐る恐る雪音と山王に話しかける。冬花も薄っすらとユーザーが近くにいるというのは感じとれていたが、これが敵なのか味方なのかの区別はつかない。
「敵襲とか、じゃなくて間違いなく敵襲だな。奴さんの殺る気がプンプン匂ってきやがる」
それを聞いて冬花は唾を飲んだ。それはつまり殺し合いが始まる事を意味している。
ユーザーであれば誰もが飛躍的に身体能力が向上する。だがそれ以上の要素、遠くの神器の気配を感じとったり、また契約している者ならば神器の顕現にかかる時間の短縮等の、いわば応用編というものはそれ相応の努力、そして才能を要する。
この二人は気配を察知する能力が、才能かはたまた努力の成果なのかは分からないが、冬花では足元にも及ばないほどに秀でている。そして今問題なのは、この二人が誰かの存在をかぎ取っている事である。これは間違いなく東京物産近辺で何かが起きている事を指している。
「……幸いこの部屋の丁度真下だな」
いや、近辺などではない、既にここ東京物産で事は起きているようであった。
山王は自前の大太刀を背中から顕現させる。そして雪音の方をちらりと見た。
「非常事態です。社長も大目に見てもらえるでしょう」
敵はまだいないというのに何故今、神器を顕現させるのだろうか。
――ふと、部屋の中に風が巻き起こった。窓が空いている訳でも、ましてや隙間風でもない。
それは山王の太刀が巻き起こした風であった。
太刀が斬ったものは床。冬花は山王が何故床を斬ったのか、と考え――
「まさ、か……」
そして冬花がその考えに至る頃には既に床の解体作業は済んでいた。
そう、山王の立っている床が抜け落ちたのだった。
出鱈目である。このビルの床は何も紙でできてるわけではない。神器の世界においては、常識などあってもないようなものであるのだと、冬花はこの時実感していた。
山王は一人でまず下のフロアに落ちていった。それに雪音が続こうとして、思い出したかのように冬花に振り向いた。
「私達は様子をみてきます。あなたはあなたの判断で動いてください。無駄死にだけはしないで下さいよ?」
「え、あ……は、はい」
なんとか返事をすると雪音はにこりとほほ笑んで下のフロアへと飛び降りていった。
冬花はしかしどうしたものかと頭を悩ませていた。微力ながら助太刀をするべきなのか。それとも迷惑にならない様に逃げるべきなのか。
そもそも何故襲撃されているのか。この東京物産を襲撃するくらいだ。私では到底敵わない集団ではないのか?
ならこのまま逃げるのが正しいかな……。
冬花は部屋を後にしようとした。
だが、とある声を耳にした冬花は、襲撃者が待ち受けている階下に飛び降りたのだった。
「……まさかそんな所から現れるとは……流石に想定外ですね」
「答えろ一条。何故社員を殺した?」
天井から大きな瓦礫が落ちてきたかと思えばそこの空いた穴から現れたのは東京物産のエース格である山王、雪音である。対峙するかもしれない、とは想定していたがこんなに早く出くわすとは思っていなかったのだろう一条は大きく顔をしかめていた。
床に転がるのは3体の死体。そのどれもが上半身、下半身と見事に綺麗に分かれているので3対の死体と形容するべきか。
恐らくこの死体を作り上げた張本人である一条は血染めの刀を鞘に収めていた。どうやらこの2人と戦うつもりはないらしい。
「……説明してる時間も惜しいです。芦波、由真、俺はまだ仕事が残ってるのでここは任せますよ」
一条の横でこの成り行きを静観していた二人の人影。芦波と呼ばれた女性と由真と呼ばれた少年が一条を匿う様に前に出る。
「……なつかしいな、この感覚。俺はこんな世界にいたんだっけな」
「キヒヒヒ! おじちゃん久しぶりだね?」
一条は部屋から出ていき、残されたのは山王と雪音、そして扉を死守するように由真と芦波が立っている。しかしこう狭い部屋では山王は思う様に太刀は振れない。下手をしたら雪音も巻き込んでしまう、そんな状況に舌打ちをしていると、天井から新たに闖入者が現れた。
鑓を床に突き刺し落下の威力を殺し着地。ふわりと現れた少女にはあまりに似遣わないその手には神器。その矛先が向かうのは由真と呼ばれた少年である。
「冬花ちゃん……覚悟はあるんですね?」
雪音は静かに、確かめるように口を開く。
「由真を止める為に修行していたんです。ここで由真を殺すべきと判断しました」
その声は極めて冷静であった。殺す事に対して冷静になるように教えた側として嬉しい事なのだが、時々ユーザーとしてではなく、ただの食いしん坊な女子高生として接する機会の多い雪音は、この殺しの界隈に慣れてしまったことに何処か寂しさを感じていた。
「……冬花、雪音、俺は一条を追う。お前らはこいつらが物産内でまたおかしなことをしないように始末しといてくれ。お前がいるんだから大丈夫だよな?」
山王は二人の返事を聞く前に自身が空けた天井の穴を通って上の階層に跳び、この部屋から退場した。
「あれ? お姉ちゃんじゃん? キッヒヒヒヒ、やっぱり神器を持つんだねぇ?」
「そう、由真、あなたを殺す為にね」
由真は楽しそうに笑い声を上げ、神器である自由の女神像を冬花に差し向けた。
「そこのあなた、一般人のようですがその道をあけてもらえますか?」
雪音は由真の隣に立って、何故か男装をしている女性に語りかける。雪音に話しかけられ意外そうに眉をしかめた。
「ん? 別にいいけどあんたが出て言ったら2対1が始まるけどいいの?」
雪音は考える。一見しただけでは性別を間違われる事請け合いなこの女性からは神器の気配、ユーザーである匂いが全くといっていいほどしていない。
「構いません。では通らせていただきます」
一歩、ニ歩、三歩――。
雪音は右足を出すのと同時に前兆の全くない抜刀術でその女に斬りかかる。刀が届きそうにない距離だが、胴に浅く傷が入る距離である。普通ならばまだ相手の攻撃を警戒しない距離である。
その不意打ちとも牽制とも言える斬撃を、女は一歩後ずさることにより回避していた。
殺気を抑え。
平然な顔で。
刀を手にし、抜き、振りきる。
この3つを1つの動作に集約させ、その速さは身体能力の向上しているユーザーであっても見極められないというのに、この女は確実に意図的に回避していた。
現に冬花もその動きを目で捕える事に失敗していた。傍から見れば何故か男の格好をしている女が不自然に一歩後退しただけの様に見えた。
「失礼、刀が滑りました」
真顔そのもので雪音は冗談をひとつ零す。
「物騒な刀だなおい。どんなサオでも制御できるようにしておくのは女の嗜みだろうがよ」
不意打ちに対して特に何も思うところはないのか、女も鼻で笑いながら冗談を返す。
「何を仰ってるのか理解に困りますが……あなたは只の一般人ではないことはよく分かりました」
空を裂いた雪音の愛刀をまた鞘に戻し、今度はしっかりと目の前の女を敵と見据え構える。匂いがまったくないがこの女は間違いなくユーザーである。そう確信させるだけの動きであった。
「ありゃ、わかんねぇか。男性のシンボルのことだよ。鈍感な乙女ちゃん」
一瞬無表情のまま?マークを頭に浮かべたが意味が理解できるや否や、真面目な表情のまま雪音の顔はみるみる紅潮していった。平然を装うとしているが動揺していることがばればれである。
「――っ、そ、そうですか。しかし破廉恥な考えですね。見かけどおり男の様に低俗な下心の持ち主というわけですね」
「おいおい、ナニ男の下心を低俗って決めつけてんだか。はぁー、これだから男を知らない夢見る少女は困る。まさかお前好きな男は白馬に乗ってやってくるとか思ってる口か?」
相手のペースを乱すつもりで話しかけてるのだろうが、それは成功しているといわざるを得ないだろう。傍から見ている冬花には今の雪音の心境が手に取るように分かった。何せ雪音をからかって遊んだ回数はこの女よりも冬花の方が多い。顔を真っ赤にして今にも冷静さを欠いて感情のまま動きだしそうな心の機微は見るまでもなく感じとれる。
(ユーザーとして優秀でもこのメンタル面は考え物だよね……)
「雪音さん、落ち着いて下さい。相手の思うつぼになってますよ」
冬花も由真と対峙しているので、あまり雪音の方に集中はできない身だが声をあげる。ここで雪音があっさりと殺されたら先程あの女の言っていた通り2対1になる。それはそのまま冬花の死に直結する。
「そうですね……ありがとう冬花ちゃん。何故私はこの様な品のない会話に興じていたのでしょうか」
冬花の一言がきっかけとなったのか、ふぅ、と一息吐くと殺し屋としての雰囲気を伴った顔になった。この瞬時の切り替えの速さに冬花は目を疑った。少し離れた冬花にも、そして由真にもその冷たい殺気はピリピリとあてられているだろう。
「うざいなぁ。うざいなぁー。お姉ちゃん、やる気あるの? なんで攻めてこないの?」
由真はぼんやりと冬花に零した。冬花も先程からただぼーっと突っ立っていた訳ではない。
鑓の先端を常に由真の顔に見据えたままただ動かずにいる。
由真はこれが邪魔で先程から自身の攻撃の間合いに入れずにいるのだ。
切っ先さえかわしてしまえばあとはただの棒きれなのである。結果は一瞬でつく。だがその間合いに入る事がなかなかできない。
冬花が攻撃してくれればそれを回避し生じた隙につけ込み決着を付ける魂胆なのだが冬花が動かない為生じる隙というものがない。
鑓の先端をかわして間合いに入ろうとも試みたがまるで鑓の先端は由真の顔に自動照準されているかの如く、ぴたりとずれることはない。無視して突っ込めば顔が串刺しになるだけである。
ならば自身の神器で弾くというのはどうか、というのも駄目である。弾く挙措を見破られ必要最低限の動きで回避されまた顔に先端が向く仕様となっている。
勝てないが負けない。時間稼ぎに特化した戦法である。自慢ではないが神器の特訓で攻めのいろはではなく、相手の顔に先端を向けるという地味な修行を延々としていたのである。無論これも完璧な策ではなく、その弱点に由真が気付けば勝負は一瞬のうちに決着するだろう。
だが幸いその弱点に気付く様子はない。冬花はただこの硬直状態を維持させられればそれでいいのだ。
「由真、ひとつだけ教えてあげる」
「何? あんま殺し合ってるって時に喋るの好きじゃないんだけど」
どうやら攻めあぐねているこの現状にイライラしているらしい。いつものように間延びした喋り方ではない。
「私は普通にやっても絶対由真には勝てないからね。うん、それは道場で学んだ。例え武器が神器になってもその絶対的な戦闘の実力はひっくり返らない。だから――私は頭で勝つ事にするの」
冬花の目の前にいる敵は由真である。しかし冬花の真の敵を由真は知りもしない。
冬花が拮抗状態を形成している一方で雪音は苦戦していた。
殺気をあてても平然としている上、その殺気を隠れ蓑にした一撃も難なくかわしてくる。そして逆に女は神器も出さず、恐らく只のナイフと思われるもので接近と退避を繰り返している。
神器の様に色のこくない武器である。死角から襲われた時に、神器が発する独特の気配を感じ即座に対応、というのが出来ない。
神器ではない以上、鍔迫り合いの様に武器同士がかちあえば神器に軍配はあがるのだが、武器がかち合わないとなると互いの武器に差はつかない。
神器では気配を読みとられやすく、普通の武器では気配を感じにくい。時に神器である事の方が不利になる時がある。それを雪音は今身を以て体感していた。
女はナイフの射程圏内に入ろうとするがそれを雪音の抜刀術で追い返されてしまう。流石に居合抜きをその場で回避するのは無理があるらしく、距離を空けうまくかわす。その間に雪音は鞘に刀を収め第二撃に備える。
一見互角の戦いに見えるがそれは違う。
序盤こそナイフの間合いに入る事を全く許していなかったが、今やナイフがあと少しまで入るという所まで侵入を許してしまっている。
神器の匂いを全く遮断している事からまるで無意識のウチから攻撃を繰り出されるかの様なスタイルに雪音は明らかに苦戦をしていた。
「惜しい……あと一歩でお前の喉をかっされたのにな」
女の息は荒い。その息を落ち着かせる為に会話を始めたのだろう。
深追いをすればするほど居合の間合いから脱出するのにも時間がかかる。つまり雪音は押されつつあるが同時に相手を仕留める機会も増えているということだ。
だがナイフの攻撃を交わした後のチャンスが増えていったところでナイフが雪音に突き刺さった後では何の意味もなさないのだ。結局追い詰められているのは雪音という事になる。
「私も分かりました。あなた、気配を察知するのができていませんね。回避しているのはその異常な動体視力、反射神経の賜物。私の太刀筋を見ずとも回避ができていればこの勝負、私が負けていたかもしれませんね」
女はふふ、と笑った。確かに予測で避けているモノはひとつもなかった。確実に刀の動きを目で捉えでから行動しているのである。
「まぁな。だが俺はこれに感謝してる。確かにお前らの言う殺気だの気配だの……挙句の果てには神器の匂いだなんて抜かしやがる。そんなもの1ミリたりとも理解できねぇ。でも逆に気配に疎い俺はお前らユーザーからしたら超やりづれぇはずだぜ?」
そう由真が言ってたからな、と芦並は胸を張る。
「……そうですね。ユーザーのくせに神器を全く顕現してない相手というのがこれほど厄介だとは思ってもいませんでした」
雪音はそう口にしながらも余裕の笑みを浮かべる。窮地に追い立たされた時程笑え――まさかその教えを実践する時が来たとは。雪音は心の中で感慨にふける。
「ふぅ……よし、じゃあこれで終わりにするか」
会話の最中に息を整えていた女はまた身体を走り込ませる。
命を掛けたアタックがまた始まる。
雪音はそれに構え――
異変に気付いた。
ナイフが雪音の想定よりも早く移動している。これが神器のナイフであれば冷静に投擲されたものだと判断できたはずなのだが、これを今までのやりとりから女がもう間合いに入ってきたのかと勘違いをするはめとなった。
だが雪音も当然直ぐにただ投げられたものなのだと気付く。だがそのコンマ数秒の反応の遅さが致命的となった。回避が遅れ居合の構えが崩された。
「わりい、ナイフは1本じゃないんだわ」
その手には新たなナイフが握られている。間合いに入り――。
だが雪音も東京物産のエース格である。そしてあの天堂の弟子でもある。
明らかに抜刀できない構え、バランス的に、物理的に、無理な構えからの抜刀。当然威力は若干落ちているが人を殺すには十分すぎる威力を伴っての、一撃。
だが。
かわされる。
神速を以て振りかざされる一太刀を紙一重で女はかわした。
「その体勢からじゃどこに来るかばればれ。まぁ無理やり攻撃に転じたところはすげぇけどな。んじゃあな」
今までの攻防のやりとりには殺す機会を伺うのと同時に雪音の抜刀を見きるという洞察も含まれていたということ。
そしてこの最後の隠し玉で確実に仕留めるために。
芦波は勝利を確信し、ナイフを振りかぶり、隙だらけの雪音は――最後に笑った。
「芦波!!」
由真の声が響く。
身体が静止する。
ナイフをこぼす。
芦波はこの瞬間、何が起きたかを理解するために周りを見渡す。
この東京物産に何故か、不釣り合いな鑓を持って登場した女の子。その子が目に映り、そしてその子が持っている棒が次に映った。
その棒を辿っていくと……そこには自分の身体がある。
嘘のように血が溢れだし、立つことも適わず、両膝をつく。
ぐちゃりと嫌な音をたて、棒が引き抜かれる。その先端は突きに特化した形状、血を纏った刃を見て、芦波は鑓に刺されたのだと今になって自覚できた。
「……冬花ちゃんの気配丸出しの神器。あなたがそれを少しでも察知できていれば容易くかわせていたでしょうね」
雪音は崩れ落ちた女を見下す。その表情は憐れみか、それとも同情か。
「あーあ……神器の気配なんてまるでわからねぇとか言うんじゃなかったな……。そうすればこんな不意打ちされなかったんだろ?」
芦波は細い息で口を動かす。瞳の色は既に鈍い。
横っ腹に空いた風穴は致死量の血を吐きつくし、そしてついに芦波は倒れ込んだ。
「私……わた、し……」
冬花の手が震える。まだ人を刺した瞬間の手の感触がこびりついている。
間違いなく冬花が邪魔をしなければ雪音は死んでいただろう。それが嫌で由真を牽制しながら、雪音と対峙していた女の人の隙をずっと伺っており、咄嗟に機を見て助太刀をした。
が、その結果この女の人を殺すということを全く考えていなかった。
考えれば簡単。誰でも分かる事なのに冬花は鑓で刺したその結果人を殺める、ということを失念していた。
殺し合いとも理解できていた。でもそれは頭の中だけ。
目の前で起きたこの殺し合いのなれの果ての理解はとてもできていなかった。
「冬花ちゃん、気持ちは分かりますけどまだ油断なさらないで下さい」
雪音に両肩を、この場にそぐわない優しさで支えられた。でもそれでもまだ動揺は隠せない。冷静でいられない。とても無理であった。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
由真は咆哮する。両目を涙で濡らしながら、しかし力強く。
一瞬冬花、そして雪音さえも威圧に押され一歩引いた。
その隙に由真は動き終わっていた。
次に冬花の目に映ったのは、歪に神器を纏った黒い拳の由真とそれを太刀で防いでいる雪音の姿であった。
そして恐らくは雪音が守っていなければ冬花の顔はその神器の拳によって潰されていただろう。
それ程までに速かった。この二人の戦いの次元には到底敵わない事を冬花は知った。
一瞬で由真は太刀を弾き、そして距離を開けた。
ただ闇雲に突進をしかけてきたわけではないらしく、その左腕には床に倒れていた芦波を抱えていた。
「絶対に殺す……殺しに行く……お前ら二人……絶対、に……!」
由真はそのまま窓から飛び降りていった。ここは2階や3階といった高さではないがユーザーにとって高さといえる程の高さではないのだろう。
後を追う事も考えたが今は東京物産で起きている何かに対応するべきだ。雪音はそう判断し、
「冬花ちゃん、お疲れさまでした。ありがとう。私は山王さんの後を追います。冬花ちゃんはしばらくここで休んでいて下さい」
そう言い残し部屋を出て行った。
後に残ったのは散らかった書類、机、吹き抜けの天井。そして大量の真新しい血痕。鮮明な赤色が空気に触れ徐々に黒色に変化しつつある。
冬花は自身の両手を見る。特に何も変わったことはないが、震えが止まらない。未だに実感がわかない。
ここにあの女の人の遺体が残っていなくてよかったと思った。まだ殺し、というものを記憶の中だけで留められていられるから。
いや、記憶の中だけにとどめたところで何も変わらない。
吐き気、めまい、それらへ形を変え冬花を苛ませる。耐えられず冬花は床に突っ伏して吐いた。
「がっ、……ゲホ、――っ」
出るものは胃液だけ。喉を酸が焼いて、尚も吐き続けた。
口の中にある違和感を唾として吐き捨てる。
口周りを袖で拭った。服が汚れる、といってられるほどの常識は最早今の冬花には存在していなかった。
「……これが……殺しなんだ……」
山王は違和感を感じていた。
ただ内部で反乱を起こすにしてはどうも違和感があった。
一条は東京物産社員を闇雲に斬り捨てているものだと山王は思っていたのだが、少し冷静に考えると違っていることに直ぐに気付いた。
一条に出くわしておきながら無傷で済んでいる社員の数が多すぎるのである。
かといって全員が全員無傷という訳ではない。
まるで時々思い出したかのように殺しを行った痕があるのだ。
首から今はもう黒くなった血を噴き出し転がっている遺体は、つい最近うちの配属になった人材のうちの一人であったと山王は記憶している。残念ながら名前はでてこないのだが。
なのでどうも階級の高い者だけ殺しているという事でもないらしい。
狙いが東京物産の壊滅ならばこんな面倒な事はしないせずに、ただビルを崩壊さ、階級の高い奴らを殺せばいい。しかしそれを一条はしていない。爆薬を仕入れる時間がなかった、とも少し考えたが事前に仲間と打ち合わせているような連携。これは計画的に行われているもの。だとしたらその準備を怠るはずがない。
「……」
疑心が核心に至る。
核といっても未だそれはおぼろである。だがその輪郭は間違いなく掴んだ。
一条の殺しには何か単純でない、何かがあるということ。
その裏に何があるのか、それを調べるには一条を捕えて全てを吐かせるしかない。
だがその一条も見失い、また殺しをする時にだけ神器を顕現させているので、居場所を掴めどもそこは既に一条の影はなく、切り捨てられた死体が転がっているだけであった。
だがこの戦い方は一条にひたすらリスクである。
神器の顕現には、顕現する神器の大きさに応じて疲労が伴う。訓練次第ではその疲労も軽減できるのだろうが、限度というものがある。
山王、冬花が用いている大太刀、鑓程の大きさであれば1度の顕現で体力はほぼ空になる代物である。
だからお世辞にも訓練を積んでいない冬花はあまり無茶な動きはできなかったし、逆に今も追走を続行している山王の体力は常軌を逸しているといえるであろう。
そこで話は戻る。一条の神器は刀であり、それを顕現するのは常人であれば精々3度が限度であろう、だが一条は少なくとも5度は顕現を繰り返している。
姿こそ見えないが、一条は疲労困憊しているはずである。
顕現した武器をそのままにさせていないので具体的な位置を把握するのは難しい。顕現をしていなくても神器の気配というのはあるものだが、東京物産本社の何階のどこの部屋、と具体的な居場所を把握するまでには至らない。
山王は無暗に走るのを辞めた。こちらの神器は出しっぱなしにしているのである。当然こちらは避けられているのだろう。
少し考え、そして携帯を取りだした。
長いコール音。山王は若干諦めつつ携帯をしまおうとしたときに、打瀬につながった。
「……今家か?」
「はいな。……どったんですか? なんか息荒いですよ……。で、私に頼み事ですか?」
眠たそうな声。恐らく今まで寝ていたのだろう。だが異常事態を感じとったのか、こちらの状況を推測し気を利かせる言葉をはく。山王はその機転に満足し頬を吊り上げた。
「今から言う名前の奴らの過去を洗ってくれ。何かしらの“繋がり”が見えてくるはずだ」
「了解しました。それではどうぞお願いします」
そう言って山王は名前を列挙していく。
今は亡き、今日みた屍と成り果てた東京物産の同僚達の名を。名前が分からなかった人物はそれっぽい特徴を述べておいた。
そして……最後に主犯が一条優斗であることを告げた。
「っ……」
「どうかしたのか?」
一通り名を挙げたのだがなかなか返事がこない。
山王は、本当に通話している相手が打瀬なのかと一瞬疑った。あの極度に頭が回る打瀬が言葉に詰まるというのはそれほどに珍しい。
「その情報なら昨夜調べ終えたところです……」
打瀬らしくない、緊張感のある声。それどころかその声は少し震えてさえいるように感じる。
「なら話は早いな。教えてもらおうか」
表情が読めない声。それだけで相手の心境もまるで分からなくなる。
普段打瀬の表情を見ても何も掴めないのだが、今ならば分かる気がする。それほどまでに打瀬の動揺は電話越しにビリビリ伝わってくるのだから。
これで今日9度目の顕現である。
山王、雪音のエース格、言い換えるならば神器の気配を読む事のできる人材が今日出勤していなければ、この様に気配を隠す為顕現、収納を繰り返し無駄に体力を浪費させる事などせずとも済んでいたのだろう。
本来ならば今日はその二人は出勤しなかったはずであったのに、と舌打ちをしつつ、一条は目の前の男を斬り捨てた。
標的のうちユーザーであったのは最初の3人だけである。それ以外はただの社員。例え限界の疲労の中でも人を殺すのは赤子の手を捻るのよりも簡単である。
「これで……全員か」
多少のトラブルこそあったものの、これで概ね一条の仕事は終えたといえよう。一条は手にした神器もそのままに床に倒れ込み、そして携帯を手に取った。
「いやぁ~、一条君、素晴らしい。お疲れ様です」
不意に誰かが扉を開けて部屋に入ってきた。手をパチパチを鳴らす様は称賛というよりも侮蔑の意味が込められていかのようである。
一条はその闖入者の顔を見て血の気が引くのを感じとった。
「……鈴木さん……どうしてあなたがここに?」
「どうして? いやだなぁ、今日は東京物産を、潰す日、でしょう? その筆頭者である一条君が忘れちゃだめだめじゃないですか」
「そうじゃない! あなたは物産を潰す任に関わっていないはずだ! そのあなたがどうしてここに!」
確かに鈴木は物産に潜入していた。だがそれは物産の情報を掴むためだけであり、崩壊に関しては事務所で待機だったはずだ。
「どうしてって……東京物産を潰す任に就いたからですよ。まぁ上からの命令じゃなくて、僕が気まぐれで決めたんですけどね」
一条の仕事は終わっていなかった。
最早動く事も難しいがそれでも一条は神器を支えにし立ちあがる。そしてフラフラとその神器を構える。
「おや? 一条君? 僕は味方ですよ? どうして僕に刀を向けるのですか。あぁ、それと……一条君が殺したのって全員私達の味方ですよ? いやですねぇ、ちゃんと下調べしておかないとまるで――東京物産に寝返ったかの様ですよ?」
「…………」
一条は後悔する。
いつからこの男に勘付かれていた。全てがうまくいくと思っていたのに。
他のやつらを殺したところで、この男一人を生かしたままだと全てが無駄になる。
「うーん、東京物産にスパイとして潜り込んだというのに最終的にどうして僕たちのチームを裏切ったんですか? あの天堂とかいう男のせいですかねぇ」
最早一条の意図は鈴木にばれていると言って間違いはないだろう。
「黙れ。東京物産を潰させはしない!」
「あぁ、いえいえ、違いました。八雲に籠絡されたんでしたよね? まぁ――どちらにせよ死人に尽くすなんて一条君はよく飼いならされた犬ですね?」
多少尻尾を振る先が違う気がしますけどね、と鈴木はため息を吐く。
「違う! 俺は俺で考えて! 八雲先輩は関係が……」
そこまで言って一条は言い淀む。
「あっは、図星ですね。まったく……あなたを諫める為に直々に僕が、あなたの愛しの八雲先輩を壊してあげたっていうのに……あ、いっけないいけない……これは一条君には内緒なんでした。申し訳ないですが……一条君に、八雲は僕が壊したって事内緒にしてもらえます?」
ふざけた様子で人差し指を立て唇にもっていき、そしてウィンクをする。
「あ、あ……お、お前が……」
一条の目に活力が戻ってくる。ぎらぎらとただ復讐に燃えている。
「おやおや……ばれてしまいました。一体誰が洩らしてしまったのでしょう?」
鈴木は楽しそうに困った顔を浮かべる。その様子を一条は歯を食いしばったまま、睨みつける。
「くそ、殺す……殺す……! 絶対にお前だけは! 殺す! 殺してやる!」
「一条君、顔が怖いですよ。それにその身体でどうやって殺すっていうんですか。ほら笑顔笑顔。スマイル! じゃないと――」
途端に鈴木は息を潜めた。立っているだけの一条も分かった。
この澄みきっていて静かな神器の気配。
東京物産のエースの一角であり、そしてモデル並の容姿。強さも美しさも一線を隔しているユーザーがこの部屋に近付いているというのがありありと分かった。
「お、丁度いい。駄犬を始末する保健所の人が来たようですよ」
鈴木も当然の様にその神器の気配を感じとり、そして直ぐに日本刀のユーザー、雪音が入ってきた。
最悪のタイミングだ。
本当の敵はこの鈴木という男だ。そう言って雪音は、はいそうですか、と信じるような馬鹿ではない。
とにかくだ話さない事には何も始まらない。
一条は口を開きかけ、しかし音を発する前――
――――、
一瞬のあまり、何を言えばいいのか、と躊躇している間に事は済んでしまっていた。
純粋な、ただの“殺し”。
そこには言葉も同情もなにも必要ない。例えそれが同僚であったとしても確証は既に得ている。
迷いなき太刀筋は雪音の実力、そしてそれ以上に殺し屋としての精神も兼ね備えている事を示していた。
残ったのは――一条の胴体と、虚を突かれた表情のまま生首だけであった。
「いやぁー素晴らしいです。見事です。あはは、見て下さいよ。彼のこの表情。まだ死んだってことに気付いてないんじゃないでしょうか?」
鈴木は一条の首を持ち上げてそれを雪音に見せ付ける。それを見て雪音は不機嫌そうな顔をした。
「死者を冒涜するのはおよしなさい。あなたも早く避難するように。まだ一条君一派の残党が生き残っているかもしれないのですよ」
は、この女は何も理解していない。鈴木は内心でほくそ笑んだ。
「残党……? あぁ、そうですね。確かにまだ生き残っている……ただこの場合どちらの事なんでしょうねぇ?」
肩を竦め首を傾げる。雪音はこの目の前の男の様子をどこかおかしいと訝し始めていた。
「……あなた何か企んでいるのですか?」
「企む? いえいえ、滅相もありません。ただの東京物産に努めさせていただく真面目な事務専用一般社員、鈴木ですよ」
と、そこに山王も押し掛けてきた。一条の神器の気配を感じとりこの部屋に集まったであろう2人目。
部屋をぐるりと見渡し、そして溜息をついた。
「……お前が殺したのか。雪音。一条から事情はきかなかったのか?」
「殺し、において殺すと決めた標的と聞く口はありません」
山王と雪音の会話に鈴木は口をはさむ。
「あぁーなるほど。天堂さんの最後の教えですか? 確かにあの人は殺すべき敵に同情して、そして油断した所をサクリと……あぁ……懐かしいです」
馬鹿な男だ、と鈴木は漏らして、雪音は今一度刀を握った。
風を切っていつの間にか抜かれた太刀は鈴木の首の手前で静止している。その軌道を目で捕えるのは不可能であっただろう。
鈴木は未だ刃物を突き付けられている事に気付いてないのか飄々としている。
「……取り消しなさい。私の目の前で師を侮辱するのは許しません」
いや、気付いてない訳がない。鈴木はある確信の元、余裕の表情を未だに浮かばせている。
「嫌だなぁ、やめて下さいよ。別に侮辱してませんよ。ただの事実、ですよ。雪音さん」
ザン、と。
大太刀がつい先程まで、鈴木の立っていた床を抉った。あとコンマ数秒鈴木の回避が遅れていたら今頃脳天から真っ二つになっていたであろう。
「おっとおっと! 危ないですよ山王さん、ほら、僕ってばユーザーじゃないんですからあまり無茶な事させないでくださいよ」
「抜かせ、その反射神経で何がユーザーじゃない、だ。チーム神の使徒、の一員さんよ」
その名前を耳にした途端鈴木の表情がばつのわるそうなものとなる。
「あらら……ばれちゃいましたか。あとその名前で呼ばないでもらえます? この年齢で、神の使徒だなんて……正直いって僕も恥ずかしいんですよ」
「神の使徒……?」
雪音だけが会話についていけず山王に聞き返す。
「打瀬に調べてもらって分かったんだが、一条と一条が消した奴らを洗ったら出てきた情報だ。そいつらは……東京物産を内部から潰す為に組織された連中だ」
「内部……から?」
いまいち話の流れが見えてこない雪音はもう一度聞き返す。
この時雪音は嫌な予感をひしひしと感じていた。
もしや自分は大変な過ちを犯してしまったのではないか。
小出しにされていく情報だけで本能はおよそ理解できてしまっているが、その“仮定”を否定したいがために続きを促す。
山王は口を開くが、しかし舌打ちをするだけでなかなか言葉を紡がない。その態度に苛立ったのか鈴木が横から口を出した。
「そう、一条君はチームの先陣だったのですが、いざ蓋を開けてみると東京物産に陶酔していましてね、我々を裏切るという事をやらかした訳ですよ。お陰で僕以外みんな死んでしまいました。困ったものですね」
「じゃ……じゃあ」
ここまで知らされたら流石に気付かないフリはできない。雪音の顔はみるみる青ざめていく。
「いやぁ~傑作でした。東京物産を救うために1人、いえ、3人ですか? 蜂起して東京物産の敵である僕たちを殺しに殺しまくってたのですが、最後の最後はその東京物産に手をかけられる、という。なんですかこれは。悲劇ですか? それとも喜劇なんですかね?」
腹を抱えて一条を足蹴にしながら笑う。さも可笑しそうに、趣味の悪い笑い声が部屋に響く。
雪音は刀を取りこぼし、そして膝をついた。
「一条の意思は俺が引き継ごう。お前を倒せば東京物産は守られるんだよな?」
山王は刀を握り直し、構える。その切っ先には鈴木が立っている。
「あぁ、まぁそうなりますかね? ってあらら、これってもしかして僕ピンチってやつじゃないですか?」
「悪いがもうお喋りは終わりだ」
山王が鈴木に斬りかかる。相手がユーザーである事は確定しているが何の武器のユーザーかは皆目検討のつかない状況でこの飛び込みは浅はかな行動だろう。
だが逆にこれはチャンスでもある。
相手はまだ神器を出す素振りもしていない。顕現の際に少しでももたつけば、勝負は嘘のようにあっという間についてしまう。
幸い山王の武器は長物。間合いを詰める速さは他の武器よりも勝り、かつ山王自身のポテンシャルも高い。
顕現は間に合わない。そう山王は確信して、殺しの一撃を振るい――
胸に痛みが刺さった。
それに気を取られた一瞬のうちに鈴木の姿を見失っていた。いや、もしかしたら元々鈴木はそこにいなかったのかもしれない。
直後、後頭部に打撃が加えられる。意識を一瞬飛ばせ、しかし気力で持ち直す。だが身体は言う事を聞かずにそのまま倒れ込む。
倒れ込んだ頭を鈴木はぐしゃりと踏みつける。その表情は実に楽しそうに、狂っていた。
「はっ、いつまで東京物産のトップ気取ってんだよおっさん! んな武器慣れちまえばただの木偶の棒じゃねぇかよ! こんな雑魚がエースだっていうんだから東京物産なんざクソだな、糞」
雪音は涙で瞳を濡らしたまま、目の前の光景を疑っていた。
畦間程ではないにしても、その人から一目置かれていた山王が、東京物産で最強の名を欲しいがままにしていた山王が、今、いとも容易くねじふせられている光景が。
雪音には信じられなかった。
「にしてもあの打瀬って奴はやべぇな。普通一条の殺した奴らを洗っても俺の名前には到達しないはずなんだがな。あぁ、やべぇ、……殺しとくか」
その言葉に雪音が反応する。最早戦えるようなコンディションでも、精神でもないのだが、これ以上犠牲者を増やす訳にはいかない、そんな気持ちから立ちあがる。
「……駄目、殺させません……もうこれ以上……」
「あぁ? おいおい、雪音ちゃ~ん、震えてんじゃねぇか。いつもの強気な態度はどうしたのよ。そんなんじゃ天国の天堂さんが浮かばれないぞ~? ガキ3人を連れ込んで修行ごっこに励んでたんだろ? なぁ、聞かせてくれよ、お前天堂に襲われなかったか? あいつロリコンっぽいから絶対1度は襲われただろ?」
雪音の顔が真っ赤になる。それは悔しさと恥ずかしさと怒り、その全部が頭の中でぐしゃぐしゃになって。
それでも身体は動かない。それもそうだ。今目の前にいる男から感じる雰囲気、威圧は今まで相手にしてきたユーザーの比ではない。一体この威圧を今までどこに隠していたと言うのか。
目の前のこの男を殺したい。山王を蹴散らし、一条を殺させ、最も敬愛している天堂のことをここまで罵られ、黙っていられるわけがない。
なのに……恐怖で身体はぴたりとも動かない。
「泣くんじゃねぇよ、うぜぇなぁ。あーあーしらけた。俺もう帰るわ。どうせトドメなんか刺さなくてもみんな瓦礫に埋もれてお陀仏だろ。じゃあな」
鈴木はめんどくさそうな顔をして刀を握り締めたまま嗚咽を漏らす雪音の横を素通りし、そのまま部屋を出た。
鈴木の気配が少し遠くまで行った時、お前はさっさと逃げろと山王は伝えようとし、倒れたまま首だけを動かした。
確かに雪音はそこにいた。だが声を掛けるのはひどく躊躇われた。
音を殺し、残された雪音は膝をつき、ただの少女の様に泣いていたのだった。
鈴木はビルを出た後、後ろを振り返る。
大量の火薬をビルの支柱付近に仕込んである。それは今まで潜入していたチームの一員が長年かけ、ばれないように仕込んだものである。
それを起動させる遠隔操作キーを鈴木は起動させ――
――かくして。
2007年10月3日。
東京物産のエースでも歯が立たない程の強敵の前に。
東京物産本社ビルは崩壊したのだった。
ちょくちょく出てくるモブっぽいキャラは、他の作家さんの主人公だったりします。も、勿論許可はとってますよ。
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