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神器の師匠

ちょっとだけエッチ……って言うほどでもないですけど、そんなシーンを含みます。

2007年9月


「かぁ~くっそー。部長も無茶言うよなぁ! なんでやっと帰れるって時に資料まとめとけだよ! お陰でこの有様だよ! ふざけんなくそ! お陰で終電はもうララバイしてんじゃねぇか! くそ!」

 シャッターが降ろされた東京都のとある駅の前。大声でぼやく若者が一人。スーツ姿にくしゃくしゃな髪の毛。片手にはアタッシュケースが握られており、その姿はどこからどうみても会社帰りに見えるであろう。

 ロータリーでタクシーの運転手がこの若者をただの酔っ払いか、はたまた頭のおかしな奴なのか、と勘ぐっている。

「おっと! 終電がなくなったからってそうやすやすとタクシーなんぞ使ってたまるかってんだ! 俺には脚があるんだからな! 歩いて帰れるわちくしょう! ……何見てやがんだ! 俺はタクシー使わねぇっつってんだよ」

 若者は、タクシーを降りて一服しながらじろじろと変な物でも見てるかのような視線を送っている運転手達に向かって吠える。運転手達はそれを聞いてさらに仲間内同士ひそひそ話に花を咲かせていた。

若者は大声で叫ぶ事でストレスを発散できたのか、途端にしおらしくなり、だらりと肩を落とした。

「……虚しい。さっさと帰ろう」

 そしてとぼととぼと家路をたどり始めた。電車で20分かかるから歩くと何分ぐらいで帰れるだろうか、と考えそしてやめた。ただ無心に歩こう、若者はそう思った。




神器の師匠




 東京といってもそれ程有名ではないこの区は、駅周辺はやけに賑わっているが、駅から少し離れただけで田舎くさい部分が全面に広がる。東京といえども全てが全て華々しいネオン街、という訳では当然ない。

「はぁ……今日はぐっすり寝て明日また……会社に……行って……」

 最近いい事がまるでない、と若者は思う。

 起きて会社に行って帰ってコンビニ弁当を食べて寝て、そして起きて会社に行って……。

 子供の頃は確かに普通に、平凡に暮らすのが夢であった。だがかといってここまでただの社会の歯車になる事は考えてもみなかったのだが。面白い事がおきないかなぁ、とついついまた溜息をついていた。

 田舎の畦道に似た通りを歩く。こんな時間帯に出歩く人もおらず、ただ電柱に取りつけられた古びた街灯が、道をちかちかと時々点滅を繰り返しながら照らしていた。

 若者は今日の晩御飯は何弁当にしようかなぁ、等と考えながらこの不気味な暗いだけの道を歩いていたが、不意に不自然な光景に出くわし目を疑い、思考を中断させた。

 高校生、いや、身長的に中学生だろうか、制服を着た男の子が街灯に照らされただ静かに立っていた。

 この時間帯にただ何もせず人が立っているというだけでもおかしな光景なのに、それが学生というのはもはや常識のレベルを超えている。そこから導き出される結論はひとつ。

(うわー……。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……)

 胸中で繰り返し唱えながら、そしてその少年と目を合わせないよう視線を落として横を通り過ぎようとした。まさかこの歳で幽霊を目撃するとは思っていなかっただけに、冷静に判断など出来る訳もない。道を変えるといった当たり前の打開策も思いつかなかった。

 ――しかしそれが仇となった。

 若者はなんとか少年の横を通り過ぎ、そして走ろうか、いや、走ったら追いかけてくるかも、と考えていると、その学生は声を発した。

「ねぇ、本当にこの人なの? 殺意も放ってるのに全く反応もしないし、かと思ったら隙だらけの動作で近付いてくるし……下手したらこの人僕がユーザーだって事にも気付けてないかもよ?」

「……は?」

 一体誰と会話をしているのか。若者は振り返るべきではないと知りつつも興味本位で振り返ってしまった。

 そこには少年と……そして一体何処から取り出したというのか、少年と同じ大きさにもなる、夜に溶ける深淵の闇を彷彿させる黒い銅像が横に起立していた。

 そこで若者は自身の認識が誤っていた事と、同時に懐かしさを感じていた。

「なんだ……幽霊じゃなかったのかよ……驚かせやがって。んで俺に何か用?」

「ひとつ聞きたいんだけどおまえユーザーなの?」

「あ? お前ってまさかそれ俺の事か? クソガキ」

 この若者。社会人の割に沸点が呆れる程に低い。少年は呆れた顔をして神器をひょいと持ち上げた。

 あまりに呆気なくその銅像を片手で持ちあげたところを見ると、あの銅像は発泡スチロールか何かでできているのか、と一見思いそうだが、若者はそうではない事を知っている。

「まぁー殺してみれば分かるよね。今までめーちゃんの言う事が間違ってた事もなかったしきっとユーザーなんでしょ。んじゃ、少しは経験値稼がせてよね? キッヒヒヒヒっ」

 少年は片手に自由の女神の銅像を持ち、不敵な笑みを浮かべたまま突進してくる。そのまま女神像の腕の部分を持ち、大きく横に薙ぎ――。

「……はぁ、もっと素敵な恋に発展するような出会いってのは俺にはこねぇのかな」

 風切り音と同時に振り抜かれるその黒い塊を――若者はひょいとかわした。

 何も少年は小手調べとして銅像をかわせるように振り抜いた訳では決してない。かわすとしたら地面すれすれまでしゃがむか、大幅に距離を開けるか、はたまた飛び上がるか、しかない。だがこの若者はそのどれにも該当することなくかわした。

 また別に、自身の神器で防いだ、というのも考えられる。だが振り抜き、裂いたものは確かに空気だけ。そこに何かの物質で弾かれた感触というのはなかった。

 人狩りを始めてから味わう2度目の感覚。強敵と相まみえた瞬間というのを少年は一瞬で理解した。

 相手の殺意、そしてついでにやる気も感じられないが反撃に備え、突進の勢いをそのままに相手の背後まで走り込んだ。だがそんな反撃も来ず、標的はただそこに突っ立っていた。

「あは、間違いない! 間違いない!! 絶対あんた只者じゃない! キッヒヒヒヒ!」

 目を伏せ、気味の悪い笑い声をあげ肩を揺らす。かと思えば急にその口は閉じられる。首を傾げ眉を寄せていた。その表情には疑問が浮かび上がっていることがありありと見てとれる。

「……でも殺意がない。それどころか目の前にいるっていうのに神器の気配すらも薄弱。……おかしな人だなぁ。僕を殺す気ある?」

「おかしいのはお前の頭だよクソガキ。殺気とか気配とかお前漫画の読みすぎなんじゃねぇの? そういうのは勝手にこっそりとやってろ。そして数年後思い出して鬱になってやがれ」

 やれやれと言った仕草で若者はアタッシュケースを路肩に投げ置く。更には上着も脱ぎ捨てYシャツにズボンという格好になった。そしてネクタイを外し――。

 少年は隙を見せた若者に向かい、突きを繰り出す。大振りだったからこそかわされたが、この不意をついた突きならば、とも思ったが、それも目の前の標的にあたることはなかった。

 何かで受けとめたとしていたら、そのまま銅像を目くらましとして手放し、直接殴りにかかろうともしたが何かにぶつかった衝撃もない。更に言うとどうやってかわされたかも検討がつかない。

 武器が大きすぎるだけに目くらましとしても使える。だがそれは同時に、敵を見失う、というのも暗喩している。

 見失うと大げさに言ってはいるが、銅像を手元に引き寄せればちゃんと敵の居場所も把握できるし、何もその場からいなくなるという訳ではない。

 だがユーザーの世界で敵を見失う、というのは次の瞬間いつ首をはねられていてもおかしくはない。

 例えそれがほんの1呼吸の間でも。

「あ、れ?」

 そして驚く事に銅像を視界から除いてもそこに青年の姿はない。もはやかわした、というよりも消えた、と形容するべきか。

 先程若者は茶化したが、こういう場合気配、そして殺気を微塵も感じさせないというのは本当に厄介な相手である。いつもなら気配を感じとり、その方向を向きしっかりと正面から迎え撃つのだが、今はそんな訳にもいかない。できない。

 ――少年の背後から首に何かが巻き付いた。

 息を飲む間もなくそれは首元に強く巻き付く。

 少年はまずいと意識しながら、しかし何もできない。背後の敵を攻撃する術をこの瞬間では思いつかない。

 意識がにじむ。口に空気を取り込むが、それは肺にまで到達することはない。首に掛っている紐を緩めようともしたが2重に巻き付けられているそれを緩める事は不可能であった。

 死。それが一瞬過ぎり――

 と、不意に締め付ける力が弱くなった。これを機に絞首からの脱出を試みた。

「ほい、終わり。クソガキにゃいい経験になっただろう。次襲ってきたらその時は殺すから。じゃあな」

 若者は――たった今まで首を絞めていたのであろうネクタイをし、そして路肩に置いたカバンと上着をひっかけ少年を残し、何事もなかったかの様にまた家路をたどる。

「ま、……ッ、まって!」

 咳をし、そして潰された喉で懸命に声を出し、殺そうとしていた対象を呼び止める。

「どうしたクソガキ」

「僕は寒川由真。あなたの名前は……?」

「あぁ? 芦波だよ。名前なんて聞いてどうすんだよ」

 由真はそこで銅像を傍らに放り投げ、そして頭を地に伏せる。

「芦波! 僕を弟子にして!」

「…………は?」

 芦波の言った通り、確かに面白い毎日になりそうではあった。




 ユーザーというのは主に神器の使用者の事を指す。すなはち神器という武器を駆使し、人間の限界を逸脱した身体能力を持ったバケモノを指すものである。しかし悪魔で順序は神器があってこその、異常な身体能力である。自前の神器が身近になければそのポテンシャルを得ることはできない。

 神器というのは酷く硬くて、恐ろしく重たい物質で構成されている武器である。それらをユーザーというバケモノが振り回すというものだから、結果酷く恐ろしい殺人者に容易になり得ることが出来る。

 由真はこの殺人者にあてはまるが、この芦並という人物はユーザーというポテンシャルだけでこの殺人者を軽くいなしてしまった。鬼に金棒という訳ではないが、芦並が神器を使うとなると相当強くなる事は想像に難くない。ならばその弟子となり、その技術やら、秘訣やらを盗み出してやろうと由真は思ったのである。

 常識的に考えれば弟子など断る所だが、芦波はこの酔狂に付き合う事にし、取り敢えずこの少年、由真を家に連れて帰ることにした。簡単に考えれば誘拐になるかもしれないが、こんなユーザーになってるような奴なんて訳ありに決まってる。下手したら親もいないのではないだろうか。

 取り敢えず利用するだけして後は適当にあしらおう、そう決めていた。

 それにしても今時弟子か。やっぱりこいつは漫画の読みすぎだな、と芦波は思う。

「クソガキ、お前料理はできるか?」

「ある程度ならできる」

「よし、なら作れ。俺にうまいもんを食わせろ」

 そんな会話を道中繰り広げ、芦波の要望により今日はカレーを作ることになった由真は適当にスーパーに寄り食材を購入してきた。ついでに缶ビールの箱とお米も買い、当然の様に芦波は何も持たなかったので由真が大荷物を一人で持つはめとなった。

 そして更にスーパーから歩いて30分かかった所に芦波のマンションの一室があった。鍵を開け、電気を付けると想像を絶する光景が目に飛び込んできた。由真はこの部屋に似た様子をテレビで見た事がある。

「……ゴミ屋敷?」

「おいクソガキ、何開幕失礼な事抜かしてんだ」

 とは言ったものの、言われてみれば確かにこれはごみ屋敷といっても過言ではない。というかゴミ屋敷という形容を通り過ぎている感さえあった。

 部屋の全てにゴミ袋が積まれている為内装が全く理解できなくなっている、といえば伝わるか。足の踏み場が廊下、リビングにはまずなかった。

 カーテンレールには山ほど吊るされてある物干しハンガーがいくつも掛けられており、この様子を見るにカーテンが開けられたのは遠い昔の様に推測できる。

「僕の……寝る場所は?」

「あぁ? んなもん自分でこうして作れ。俺は別の部屋の寝室で寝る」

 ゴミ袋の山を掻き分け、なんとか絨毯の見えるスペースを作った。その絨毯とやらもどうも色が汚い。

 この部屋で寝るメリットは風雨が凌げるだけで、これでは外で寝る方がよっぽど衛生的だろう。

「取り敢えずお前飯作ってろ。ジャーはそこ。んで包丁は……これ使え。まな板はここな」

 台所の下の戸棚を塞いでいるゴミ袋をどかし、やっとの事で戸棚を開ける。そこから包丁と鍋を取りだした。……どうやら1度洗う必要があるだろう。

「じゃあ俺はシャワー浴びてくるからよろしく頼んだ」

 と言って浴室に入っていった。

 残された由真は大人しく、包丁を洗いそして調理の準備をし始める。

「……こんなんで大丈夫かなぁ」

 慣れた手つきで包丁を巧みに扱い、人参、じゃがいもの皮を剥きながらつい口からぽろりと本音がでてきた。

(でも今までの様にただがむしゃらに経験を積むだけではいずれ限界が来ますからね。誰かに教えてもらうというのも強くなる事に近付けると思いますよ)

 由真の体内にいる神器、自由の女神の言である。この言は由真以外には聞こえていないらしく、また由真もこの神器と会話する際は胸中で呟くだけでいいのだが、何故か由真は口にだして会話をしてしまう為、他人から独り言を話すおかしな奴だと見られることもしばしばあるようだ。

「うん、そうだよね、間違ってないよね。めーちゃん」

 めーちゃんというのは由真が勝手につけたこの神器の俗称である。自由の女神の“め”から来ているのか、それとも別の理由なのか、それは由真のみが知る。

(はい、頑張って下さい)

 穏やかな声色で応援の旨を告げると、神器は何も発する事はなくなった。

「……もっと強くならなくちゃ。パパの敵をとるまで僕は――」

 包丁に映る由真の瞳は決して揺らぐことのない、真っ直ぐな瞳であった。




 野菜を切って鍋に火をかけ温まるまでの間にお米を研ぐ。と、そうしてる間に浴室のドアが開いた。

 思わず振り向き、そのまま由真は、あー、と無表情のまま声を漏らした。米を洗う手は当然止まっている。

「あぁ? 何じろじろ見てんだよ。まぁ減るもんでもねぇから別に構わねぇけどよ」

 くしゃくしゃだった髪は今はトリートメントされていて艶がでている。

 何よりもその裸体は思春期の少年にとってはいかんせん刺激が強すぎた。

 芦波は全裸のまま浴室から出てきて、リビングに掛けてあった洗濯物干しからバスタオルを手に取り全身に巻く。

「やっぱ9月っつってもあちーな。おいクソガキ……じゃねぇ、えっと……お前名前なんだっけ」

「由真。寒川由真」

 未だに驚きを隠せないのか、機械の様に由真は平淡に単語だけで答える。

「おぉ、そうだ、由真、お前もシャワー浴びて来い。んで後でいいことしようぜ」

 そうやってニっと芦波は笑う。由真としては別に汗もかいていないので、この料理中のタイミングで入る必要も全くなかったが、後は俺がやっておくからさっさと行って来い、等と言われては断る事はできなかった。

 確かに最早残すところの調理工程はカレールーを入れるだけとなっているし、料理が全くできないと公言していたこの人でもできるだろうと、由真は浴室に向かったのだった。




「よう、どうだったよ、うちのシャワーは」

 濡れた髪のまま鍋をぐるぐるかき混ぜている芦波がいた。バスタオル1枚ではなく以外にもファンシーなパジャマに袖を通していた。

 なるほど。こうしてみれば確かに女性である。そして付け加えるならば口を閉じてさえいればいい女、と言われるに違いないのだろう。

「最悪だった。温度が調節できなかった」

 芦波と違い予めタオル、そして着替えとして芦波のジャージを浴室に持ち込んでいた由真は、芦波と違って全裸で登場、というのは流石になく、既にしっかりと肌を隠していた。

「だよな。うぜぇよな」

 由真はカレーの具合を確かめるべく芦波の隣に立ち、鍋を覗きこむと、芦波からガッシリと肩を組まれた。と、同時に程良いスパイスのきいたカレーの匂いとほんのりアルコールの匂いが広がった。

 ちらりと覗くと芦波は満足そうに笑みを浮かべている。風呂に入る前では微塵も感じさせなかった女性らしい線の横顔を見て由真は心を奪われていた。

「あぁーやっぱ愚痴を分かち合えるのって素晴らしいなぁおい。よし、食うか! 久々の手作りの飯だ!」

「うん……」

 心のドキマギを隠す様に由真は目の前でよそられているカレーに目をやる。どうやら芦波は自分のカレーしかよそっていない。由真も自分で食器棚から比較的1番綺麗な皿を用意し、カレーを入れた。

 カレーはうまくいっている。そしてご飯の炊き忘れもない。しかしとある問題をひとつみつけてしまった。

 由真はそれを聞くべく、立ったまま早速カレーを口に運んでいる芦波に疑問を投げかける。

「それで……何処で食べるの?」

「ん? おみゃへ馬鹿だにゃあ」

 スプーンをくわえたまま冷蔵庫から新しい缶ビールを出そうとしている芦波はそのまま返事をする。

 缶をカシャリと開け、文字通り喉を鳴らしながらビールを流し込んだ後に美味しそうに息をついた。

「そんなもん、立って食うに決まってるだろう?」

 由真は少しづつだが、この師匠を持った事を後悔し始めていた。

「にしてもよぉ、なんでそんな強くなろうとしてんだ? まだお前中学生あたりだろ?」

「……パパを殺した奴を殺す為。多分冬花が殺す様に依頼したんだ。その冬花を殺す為だよ」

「ふーん。そうか。ま、がんばんな」

 こんな少年が。

 殺すという事が全く分からない歳でもないというのにその覚悟は芦波もありありと感じることができた。

 こんな少年が、誰かを殺す事を生きがいとしているなんて常識ではありえない事だろう。そしてそんな人物と接触することなど普通の人生ではまずあり得ない事である。

 芦波はやはり自分にはまともな人生を送る事は不可能なのだろうか、そんな事を思った。




 さて。夜も更け時計は深夜の2時を指している。

 当然の如く食器洗いは由真がこなし、その間に家主である芦波はとっくに寝室へと足を運んでいた。

 カレーの容器に加え、何か月か前の食器もついでに洗い、30分かけ台所回りを綺麗にし終えていた。

 幸い明日はここらの地域のゴミ出しの日である。由真はこのゴミの山を明日には片付けようと決心していた。

 由真も流石に疲れたのか欠伸をひとつ洩らし、自身の寝床となるごみ山にぽつりと空いた空間を見つめ、

「んーまぁいいか」

 と、意外に嫌悪感がないのか、あっさりとその場で寝ようとして――

 腕を掴まれた。

 その腕を掴んでいるのはとっくに眠っているはずであったパジャマ姿の芦波である。

「な、なに……」

「食器洗い終わったんだよな? よし、ちょっと来い」

 水の音で判断したのだろうか、兎も角用事の済ませた由真の腕を掴み自身の寝室へずかずかと引きずり込む。

 その部屋だけはやけに綺麗に整えられており、ゴミ袋は勿論、汚れもないフローリングの床に、クローゼット、そしてドレッサーとまともな寝室であった。

「この部屋だけは綺麗だねぇ」

 欠伸をしながら由真は見たまんまの感想を述べる。基本的に由真は直感で喋るきらいがあるらしい。

「よし、そこに立て」

「え……? ここ?」

 途端にベッドの前に立たされる由真。その真意を図ろうとし、

「そう、そこ、だ!」

 芦波に押し倒される形で2人はベッドに倒れ込んだ。

 普段の由真なら軽くかわしていたのだが、この目の前の芦波という人物は何の予兆もなく唐突に行動に出る。なんの気配も出さずに行動されるというのは由真にとって、そしてある程度実力のあるユーザーならば目隠しされているのとほぼ同義であろう。

 背中に走るべきだった衝撃は布団により吸収され、しかし押し倒される形となった由真は混乱する。

「いったろ? いい事しようぜって」

 由真に跨ったまま、芦波は自身のパジャマのボタンをひとつ、そしてまたひとつずつ外していく。

 すぐに肌が露出し、そして柔らかそうな乳房がパジャマの生地越しに薄らと覗いていた。

 芦波は由真へと顔を近付ける。由真はあまりに突然の事で何が起きているのか、そしてこれから何が起きるのか全く想像すらつかずにただ、芦波の求める行動に従事していた。

 2人の唇が重なる。芦波の胸が由真におしつけられる。女性の独特の甘い匂いが由真の鼻をくすぐった。

 舌を絡ませ、互いの唇を唇で貪るようなキス。由真は口を閉じ抵抗しようとしたが、無理やり舌でこじ開けられる。

 いつまで続いたのか、二人の顔が離れた時には息切れをしていた。

「弟子なんだから師匠の欲を満たしてくれよ。食欲も、そして性欲も」

 妖艶な笑みを浮かべて、手は由真の下半身へすっと伸びていく。

「……何、緊張することはない。俺、いや、私が優しくエスコートしてあげる」

 そう言って首筋にキスをし、手は由真の下腹部を優しく弄る。由真は多少世間知らずなところもあるが、健康な男子であることには違いない。芦波は男勝りな口調に性格だが、顔と身体はどこまでも女性である。 最早今の芦波は俺などと称していても誰も性別を間違うことのない、上質な女の身体で由真を誘惑している。もう由真には抵抗するという考えがよぎることもなかった。

 次第に反応し始めた由真のソレを手で確認し、クスリと笑みを浮かべる。そして淫らに耳元にキスをし、

「由真――私を抱け」

 そう囁いた。




 朝。

 芦波は目ざまし時計とそして目の下のクマと共に起床した。

 久々に男……まぁ今回は中学生程度の奴なのだが、と寝て思いの外体力を持っていかれた事を今更ながら痛感していた。

 満足してそろそろ寝ようとしたところで何時の間にやら攻守が入れ替わり……いや、思い出すのは止めておこう。

 まぁこいつも立派な男だった、と。その結論だけで十分だ。

 結局このベッドに同衾し、今なお眠っている由真は目ざましのアラームにも、そして隣で芦波が起きているにも関わらずすやすやと夢見心地であるようだ。

「……今日ほど休みてぇと思った事はねぇな」

 だが社会人である自分にはずる休みなど許されない。そして有給を使おうものならあの嫌みな上司に愚痴愚痴いわれるに決まっている。結局は眠たい眼擦って会社に行けと言う事だ。

 朝からシャワーを浴び汗を流し、そのまま髪を乾かしながらドレッサーで隈を隠せるように簡素な化粧を施し、スーツに腕を通す。

 会社に行けばもう男の様な口調とも一時の別れである。1人称は私。そして誰かれ構わず敬語を、そして女性らしさを以て対応しなければならない。

 靴をつっかけ、何の気なしに鍵をかけ、……ふと何かを思いついたかのように芦波はもう1度鍵を開けた。

「いってきます」

 思いつきで言ってみたものの、由真は当然眠っている。芦波が隣で髪を乾かしている間も由真は1度も起きる素振りを見せなかった。

 何を期待しているのか、芦波は心の中で嘲笑し、ドアを閉じようとし……。

「……いってらっしゃーい」

 寝室から小さく寝ぼけた声が聞こえた。

 芦波はドアを閉めた。

 その口端は誰にも知られず、つりあがっていた。




 案の定遅刻をした芦波は上司に平謝りし、そして午前は仕事に専念してそれから他の人と少しタイミングがずれてお昼の休憩に入った。

 ビルの中層にある社員食堂はフロアの中心がカウンターとなっていて、それを囲むようにテーブルが配置されているので、都内の景色が眼下に広がる窓際の席がフロアまるまる用意されている。

「……またあんたか」

「うん、今日は神器の匂いが濃い……何かあったのですか? 芦波真琴さん」

 芦波がむぐむぐと食堂のカレーを食べながら、向かいに座った男に視線をやる。笑みを携え何を食べる訳でもなく、手をテーブルの上で組んだまま芦波をにやにやと見つめていた。

「下の名前で呼ぶな糞野郎。殺すぞ」

「女性が糞だなんて言っちゃ駄目ですよ。身だしなみをちゃんと整えればなかなかの美人だというのにその口ぶり……実に勿体ないですねぇ」

 芦波の相手をやりなれているのか、男は微笑を崩すことなく軽口に応じる。その態度に芦波は舌打ちをしていた。

「んで一条優斗。もとい糞野郎、わざわざ他社に忍び込んで何の用だよ。中途採用はこの時期やってねーぞ」

 一条と呼ばれた男は1度満足そうにうなずいた。

「俺の名前を覚えててもらえるなんて光栄です。それで芦波さん、素敵なお仕事を引き受けては頂けないでしょうか」

「やっぱその話か。どうせ資料をコピーしろとかそういった内容じゃねぇんだろ。やなこった」

 もっとも、そんな仕事でもお前の下で働きたくないけどな、と露骨に嫌悪感を示す芦波を見て困ったように一条は首を傾げた。

 いつもならその一点張りでこの一条は諦め、また来ます等と言って席を立つのだが今日はその素振りがない。一条の表情はより一層にやりと顔を歪めていた。

「そういえば昨夜はお楽しみでしたか? どうでしたか? 少年とは楽しめましたか?」

 ――芦波は動揺を表に出さないように極めて冷静に努める。問題は由真と関係を持った事なんかではない。

 目の前のこの男が由真の存在を掴んでいるということだ。

「……あいつをダシに俺を誘おうと考えてるんならそれは検討外れだな。あのクソガキがどうなったって俺の知ったこっちゃねぇしな」

「そうですか。では殺しましょうかね」

 なんの気なしに、気軽にそう一条は口にし――。

 バタン、という物音。カレーの容器がガチャリと音を立て、机には両手で押さえつけられた場所が陥没していた。その馬鹿力は彼女がユーザーであることを如実に示している。

「……どうしたのですか? あのクソガキはどうなったっていいのでしょう?」

 両手を机に叩きつけ、周囲の注意を引く事となった芦波を見やる。

 芦波は考える。何故自分がこんなにも感情が高ぶらせているのか。たかだか一晩一緒に過ごしただけだというのに。あの少年がどうなったって関係ないはずだ、と理屈では分かっているのに。

「あいつに……手を出すのは止めろ」

 腹の底から捻りだしているかのような掠れた声。その顔は伏されており、今本人はどの様な表情を浮かべているか一条には分からなかった。

「では……お仕事手伝って頂けますね?」

 芦波は黙ったまま頷く。それを見届けると一条は尚その笑みを深めた。

「いやーよかったよかった。いやだなぁ、芦波さん。わざわざ殺しても俺に何のメリットもないでしょう? 冗談ですよ、冗・談。それに報酬もたくさん入ってきます。決して悪い仕事ではないはずですよ」

 そう言って一条は鞄から携帯を1台取りだした。どうやら一条の持っている携帯とはまた別のものらしい。

「この携帯持っておいて下さい。用事の際はこちらからお電話しますので。ちなみにこの仕事が成功したら、半世紀は暮らせる程の報酬をお支払いする予定なのでもう今のお仕事辞めちゃってもいいと思いますよ」

 そう言って一条は席を立ち――

「あ、そうそう。その携帯パケ放題じゃないのであまりインターネット使わないで下さいね?」

 と言い残し含み笑いをしながら一条は食堂から去っていった。

 一人残された芦波はカレーを食べる気も失せ、また重い足取りで仕事場へと戻っていくのだった。





なかがき (読み飛ばし推奨)

あとがきではないです。なかがきです。この概念は新しいですね。

 僕はただ書きたい事を書きなぐっているので早く仕上がります。100%趣味の小説ですね。どっかの西尾維新さんではありませんが。

 はてさて友人が提唱したこのシェアーワールドの神器の世界なのですが、殺し屋がいます。そしてバトルをしていても野次馬が来る確立はかなり低いです。そう、ここは日本っぽくかかれていますが、舞台は神器の世界です。野暮な事は突っ込まないで下さい。お願いします。すいません。

 本編に触れておきますと、おいおい、冬花(これでとうかと読みます。今まで誤って読んでいた方、ここで修正しておいて下さい。ふゆかではありません。いや、別になんでもいいけど)は何処行った、なんで急に新キャラを軸に書いてるんだ、と思う方がいるかと思いますが、すいません。冬花は今頃神器を振りまわす練習しているだけの、すっごく地味な事をしています。そこにスポットをあてるより、その裏側で起きている由真の方の話を書いた方がいいかなぁ、と思い勝手に主人公が変わっちゃいました。あ、次回からはまた冬花に戻ります。多分。

 そしてここまで目を通してくれている方ならもう既に通過されたかと思いますが、無駄に、本当に無駄にいやらしい描写がありますね。すいません、時計が書きたかっただけです。その際、1人称が一時期だけ私、となっていたのは由真の事を慮っての事だと思います。あれの最中でも俺って言われるとげんなりしますもんね。芦波はできる女です。

 さて、言いたい事は大体言い終わりました。本編の最中でメタ要素を入れるのってどうなの? と思っているお方も多数いらっしゃることでしょう。時計もそう思います。駄目ですよね。




 芦波は憂鬱な気分のまま家に着いた。

 今日は定時で帰る事ができ――正直に言うと芦波がぼーっとしていてまともに使える状態じゃなかったので帰らされたというのが本当のところなのだが――それでも芦波の顔は何処か浮かない顔であった。

 何故自分は一条の話に折れてしまったのか。由真という奴なんてどうでもよかったはずだ。

 芦波は電車の中で瞼を閉じ考える。だがどれ程考えても明確な答えは存在しない。

 芦波は幼少期の頃からユーザーであり、その異常なまでの身体能力から子供時代は他の友達から距離を置かれる存在となっていた。しかし中にはその力を利用しようと柄の悪い連中とつるむ様になり、その名残として芦波は口が悪くなったという訳だ。

 実は、由真という存在。芦波の力を利用することも、そして畏怖することもない、ただの憧れから接してきた初めての存在なのである。芦波はそれに戸惑いつつも、その居心地の良さに無意識のうちに由真を庇ってしまったのだろう。だがこんな事を当の本人は思いつくはずもなく、ただ電車に揺られながら家を目指すのであった。

「ただいま」

 家に着き、ドアを開けるとまず、部屋を間違えたのかと芦波は考えた。

 一度ドアを閉め表札を確認する。

 312号室、芦波。どうやら間違いではないらしい。

 もう1度ドアを開けると由真がのんびりと玄関まで出迎えに来てくれていた。

「おかえり」

 足の踏み場もなかった我が家は嘘のように、まるで新居のように。圧倒的な存在感を放っていたゴミ袋の山が姿を消していた。

 久々にカーテンの開いた部屋を見る。そういえばこんな柄の絨毯だったなぁ、と思い出す。どうやら由真は奥で洗濯物の山を畳んで片付けている様子であった。

 今の今まで悩んでいた事も忘れぽかんとしている芦波に由真は端的に告げる。

「今日の晩御飯は何がいい? 今から買ってくるけど」

 その一言でやっと我に返ったのか、芦波はそこでやっと由真の存在を確認した。

「お前……学校はどうした?」

「こんな家の状態のまま行ける訳ないじゃん……うん、結構片付いたし明日からは行こうかな」

 芦波はどうお礼を言うべきか、いや、どう対応すればいいのか。今までこんな人から親切にされたことのない芦波は人知れずてんぱり――。

「わ、私……じゃない、俺も、買い物に付き合お、う」

 噛み噛みでそんな事を由真に言う。

「あ、うん。そうしてくれたら助かる」

 由真は平然としているものだ。こんな少年相手に何をたじろいでいるのだろうと芦波は自身を恥じていた。

「……夜。近くの駐車場で殺しのいろはを教えてやる」

 てれ隠しに、芦波は靴を履こうとしている由真の背中にそう告げる。

「え? ほんとうに? やった! 今日こそは本気で殺しにかかるよ? きひひっ」

「あぁ。そのつもりで丁度いい。俺もブランクを取り戻しとかなきゃいけねぇしな」

 かくして。


 芦波は再び神器の世界に足を踏み入れることとなったのだ。







 まさかここまでうまく行くとは思っていなかった。

 一条は椅子に深く寄りかかったまま、口を開く。

「八雲先輩、うまく行きそうですよ。芦波は落ちました。そしてあて馬にしたあの由真という少年も多少の戦力になるでしょう」

 自身の神器である日本刀の手入れをしながら誰かと会話をしているのか、ただ暗闇の中で言葉を紡ぐ。

「えぇ、そろそろです。もう殺したくて殺したくて仕方ないですよ。あの鎌もよく働いてくれました。猫がユーザーになったのは想定外でしたけどね。……まぁあの一件で打瀬とかいう女は薄々気づいてしまったようですが確信には至ってないようです。やるなら早めの方がいいでしょう」

 日本刀は長年手入れを放置されていたのだろうか、刃の紋様はところどころ血の染みで鈍っている。とてもではないが、これだと切れ味に期待はできないだろう。

 計画書を並べて目を通す。対象の行動予定が記されている紙と、そして殺す対象者の名前がずらりと並んでいる一覧。ざっと20以上はいる。

「……変なアクシデントが起こらなければいいですけどね」

 その一覧。

 大半、いや全ての名前が現在東京物産に勤めている者の名前であった。



 寒川冬花と寒川由真。

 

 二人は意外な場所で決着をつけることになるとはこの時点では微塵も思っていなかった。






どうでもいいんですけど、この1話に対する掲載文量が他と違って私のだけ浮いてますよね。なんでしょう、例えるならラノベコーナにあるクロニクルシリーズみたいな……そんな感じですよね。


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