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神器の混濁

東京物産に所属することになった寒川冬花。

しかし東京物産という組織は果たしてどんなところなのか。

主人公の視点からでは見えない影の視点から組織の内部に迫る。


前書きっていうかあらすじだ。

 深夜のことである。

「夜遅くまでお疲れ様です」

「ん? あぁ、一条君か。おっつかれさん」

 東京物産の一室に一人で電気もつけずにPCと向き合っている女性がいた。

 女性の名は打瀬。ユーザーではないので殺しを生業とはしていないが、情報部員として東京物産に勤めている。

 着ているシャツには何本かのシワが走っており、ろくに休憩もとっていないということがありありと見て取れる。

「こんな時間まで何を調べていたんですか?」

 一条と呼ばれた男は部屋へ入っていき、そして打瀬の起動しているPCの画面を後ろから覗き込んだ。

 その画面に映し出されていたのはいくつもの難解な数字。升目上に数字が並んでいた。

「いやぁ、ちょっとやり始めたらはまっちゃってさぁ。マインスイーパー。上級で100秒の壁がなかなか切れなくてねぇ」

 そう、それはPCに元々備わっているゲーム機能のひとつ。数字を頼りに地雷を撤去する有名なゲームである。

 それを見て一条は一瞬顔をしかめた。だがすぐに取り繕う。

「はは、打瀬さんらしいですね。でも夜更かしはあまり感心できませんよ?」

「んにゃ? もうそんな時間?」

「日付が2時間程前に変わりましたね」

 一条は腕時計を見て答える。と同時に打瀬に違和感を覚えた。

「しかし……おかしいですねぇ。わざわざ缶コーヒーを買い込んでまで徹夜でマインスイーパーですか?」

 デスクの上に散らばった書類もそうだが、何より目立つのは乱雑に放置された缶コーヒーの数である。

 いつ飲まれたものなのかは分からないが、徹夜で何か別の重要な案件を抱えているいうのは明白であった。

 そしてそれは当然マインスイーパーなんかではないのだろう。

「うーん、ばれちゃあしょうがないね。実はさぁ、なーんか東京物産狙われてるみたいなんだよねぇ。誰かは全く検討もつかないんだけどさ」

「狙われている?」

 一条は適当なクルクル椅子に腰掛けた。話を聞くまで帰るつもりはないらしい。

「ウチは関東の殺し屋総本山だし? 常に誰かに狙われてるんだろーけどさ、最近は何かおかしいんだよねぇ」

 ま、勘なんだけどさ、といって打瀬はニシシと笑う。一条はやれやれと椅子を立った。

「全く、ウチの優秀な情報部員さんは冗談が本当に好きな人ですね。いつか矢作君にも愛想を尽かされますよ?」

「あれ? まだ尽かされてないように見える?」

 アハハ、と笑う打瀬を残して。

 真っ暗な部屋で液晶ディスプレイだけがチカチカと光っている部屋を一条は後にする。

 ――扉を閉める直前に、打瀬に話しかけられた。

「あ、そうだ。そんな訳でさぁ、一条君の事も調べてみていいかなぁ?」

 偶然、気まぐれで思いついたかのように打瀬はそう言う。

 本当に演技のうまい人だと感心するのと同時に、勘と言っていたのは嘘だと分かった。

「……僕を洗っても八雲先輩のことしかでてきませんよ」

 一条はわざわざ振り返る。

 やましい事は何もないと主張するように。不敵に笑みを浮かべて。

「あ、ごめん。冗談にしては不謹慎すぎたね……。あ、そうだ、お礼に送っていこうか?」

 打瀬は背もたれに寄りかかり、両手を伸ばした。ハンドルを握る所作を真似て一条にウインクをする。

「いえいえいえいえ……全然そういうのは大丈夫なんで。あ、ではではお先に失礼します」

 冷や汗をかきながら一条はそそくさと退室した。

 あの焦った表情はどう贔屓目に見ても作り物ではなかった。

 残された打瀬は架空のハンドルを握ったまま硬直し、その後肩をだらりと下げた。

「安全運転を心がけようかなぁ……」

 心にもないことを呟いてマインスイーパーの画面を睨む。

 クリアする直前の様に見える。だがそう見えるだけで、実際は全く違う。

「えーと、一条君は……」

 右から4段目、上から16段目の升目の地雷マークである旗をクリックする。

 するとパスワードの入力欄が開かれ、慣れた手つきで打瀬は入力する。

 開かれたのは一条優斗の個人データ。生年月日に戸籍、出身地にこれまでの経歴、仕事の成績までも書かれている。

「なんか不自然だったなぁ。一条クン」

 適当に、本当に思いつきでカマをかけたものの、どうもあれは過剰反応だったように思える。

 まさかとは思うが一応念入りに調べておくことにしようと打瀬は決めた。

 んー、と大きくノビをし、PCと向き合う。

 東京物産に立ち込める暗雲の首謀者。それが外にいるとは限らない。

 打瀬はまた徹夜で、物産内の社員全員を念入りに調べはじめるのだった。




 神器の混濁




2005年9月8日


「先輩、やめてください。その人はもう……」

 痛すぎる静けさの中、何かが引き裂かれる鈍い音だけがあたりを支配していた。

「ふふ、なんで? 別に問題はないでしょう?」

 八雲は背を向けたまま一条に答えた。

 その間も八雲の手は“解体”を続けている。

「そうではありません。僕達は対象の命をとるだけでいいんです。不必要に死者を傷つける必要はないはずです!」

 一条の必死な説得もむなしく八雲は耳を貸さずに目の前の“おもちゃ”に夢中になっている。

 八雲からしたら、やめない、のではない。やめられないのだろう。

「いいじゃない。仕事はきっちりこなしたのよ? あぁ、一条君もやりたいの?」

 そこでようやく八雲は一条に顔を向け――その目を見て一条は息を呑んだ。

 吸い込まれそうな黒い瞳。

 人が持っているはずの何かが、全て削ぎ落とされたかのような表情。

 いや、口に笑みをたたえているが、それは常軌を逸した笑みである。

 瞳は一条の方に向けられている。だがその姿を認識してはいないだろう。

「!!っ、」

 一条は八雲の顔をはたいた。

 気持ちが悪い、お前は八雲先輩なんかじゃない、そんな気持ちから無意識に手が出てしまった。

 叩かれた頬は赤く染まり、熱を帯び始めていた。

 八雲は驚いた表情を浮かべ、そして次第にその表情は人間のそれに戻っていった。

 瞳に光が宿り、優しいあの頃の八雲奈美に戻った。

「あ、……わ、私……わたし……」

 その手は震え、口は戦慄いている。

 手にしていた刀が零れ、鈍い音を立て地面に落ちた。

 こびり付いた血は既に黒い。洗い落としてもすぐには落ちないだろう。

「八雲先輩……」

 自身の片割れである神器も放棄し、八雲は一条に抱きついた。

「私……怖い……自分が分らない時がある……」

 その胸に顔を鎮め、手を回す。

「大丈夫です、先輩……心の底は優しいココロがまだしっかりとあるはずです」

 大丈夫です。

 一条はそう口にしながらも一抹の不安が心に広がっていくのが分かった。

 八雲奈美の口端はまだつり上っており、その瞳には、涙は浮かんでいないのだ。



 いつからだろう。

 八雲が死んだ表情をしている時が増えてきたのは。

 八雲が仕事を終えてからも執拗に遺体を痛めつけてきたのは。

 八雲の瞳が伽藍の洞の様に底の知れない程黒くなってきたのは。

 一条は自身の胸で震えている先輩を抱きしめながら暗い空を仰いだ。




 八雲と一条は東京物産に所属している殺し屋であった。

 それもただの殺し屋ではない。

 影の世界に蔓延る神器と呼ばれているものの所有者であり、またその実力も只の殺し屋のそれとは大きく異なる。

 神器とはある特徴を持ち合わせた武器の通称であり、また非科学的な性能を内包している物である。

 まず強度が尋常ではなく、また重さも常識では考えられないほど、武器として振り回すのに適当でない程の重さである。これだけならばまだ説明はつくかもしれないがここから常識が間に合わなくなってくる。

 神器を使用するものは基礎的な肉体の能力、更には五感全てが研ぎ澄まされ人間のソレとは比較できない程になる。

 結果非常に重たい武器を軽々と振り回す事が可能となるのである。

 また、神器と特別な契約を結ぶ事により体内に収納させ、好きな時、肌の露出している体の部位から神器を顕現させる事が可能になる。当然契約と言うだけあってそれ相応のデメリットもあるのだが。

 これらがほぼ、全ての神器にあてはまる共通項である。しかし神器については分かっている事は少ない。

これらにあてはまらない例外があった所でそれほど驚くに値しないだろう。

 ペアを組んでから3年。

 この期間が長いのか短いのかは分らないが、二人にとってその期間は心を通わすのには十分すぎる期間であることには違いなかった。

 先輩である八雲奈美。

 後輩である一条優斗。

 二人の相性はぴったりでペアを組み始めてから阿吽の呼吸で獲物を確実に仕留めていった。

 これまでで失敗した任務は、過去一度だけであり、殺し屋の中では異常な信頼度を獲得していた。

 数字だけで見てみるとその一度の失敗は、成功の数と比べてみるとほんの些細な数である。

 しかし二人にとってはただの失敗ではなかったのだ。

 二人のこれからの未来に影響を与えた失敗なのであった。

 正確に言うと失敗ではなく、その失敗した任務で標的となっていた男が影響の元である。

 そしてそれからであった。

 八雲奈美が壊れ始めたのは。




「先輩、そっちいきました!」

「了解」

 標的を見つけてから5分。

 調査に調査を重ねて標的の行動パターンを読み、仕事にふさわしい場所に誘導。暗い路地裏まで追い込んで、最後の最後に二人で囲み、仕事を終える。

 標的がそれなりの実力者である場合だとまた別の方策をとるのだが、今回のケースはそうではない。

 ただのどこかしらの企業の偉い人である。

 殺される程の悪役かどうかは殺し屋にとっては関係ない。ただ重要なのはその首に掛けられた金と、殺しに必要な顔。

 そして殺した後は事務所に連絡し“後始末”をしてもらい、それで仕事は終了。

 わざわざユーザーが出張る程の仕事でも報酬でもない。しかし八雲の調整の意味を込めてこのような仕事しか回されていないのである。

 今回もただの処理で終わるはずだった。

「!!」

 ビルの屋上を伝い標的と並走し視察していた一条の目にある影が映った。

 そこには人がいた。

 殺しをするのだからそれは当然なのだが、そこにいたのは仕事と全く関係のない人物である。

 制服を着て、しかしその口には煙草らしきものが咥えられている。素行があまり良いとは言えない学生が5人程談笑しながらこの路地裏に潜んでいるのだった。

 暗闇の中神器の力により強化されている視力は間違いなく5つの影を捉えている。

 何故。

 一条は頭を巡らす。

 この時間帯のこの路地裏には誰もいないはずである。

 万が一に備えて標的を誘導してから、路地の出入り口にあたる道に一般人が入り込めないように、ユーザーであることにモノを言わせ、出鱈目に出入り口を塞ぐのだから、ここに人がいるというのは異常なのである。

 追跡を止め一条は撤退の準備に取り掛かる。殺す目的もないのに標的に近づき顔がばれるリスクは負いたくない。

 無理やりに進入してきたのだろう、この勝手な学生達に対し舌打ちをし、トランシーバーの交信ボタンを押す。

「先輩、一般人が5人紛れ込んでます。一端退きましょう」

 一度警戒された標的をまた狙うのは骨の折れる作業になるのだが、仕方がない。

 殺し屋は標的を必ず殺し、標的以外には普通の人に見えるよう振舞うのが条件である。

 一条は八雲と繋がっている小型トランシーバーに囁く。

 八雲は路地の反対側から追い詰めているはずであり、今頃接触している頃である。

 だが返事はない。

「先輩、きこえてますか?」

 ドクンと胸を打つ。

 嫌な予感がした。

 一条は急いで曲がり角を突き進んでいった標的の後を追う。

 この時間帯、月明かりもこの場所には届かない。

 目にまず飛び込んだのは、丁度今地面に倒れこんだ影。

 横たわっている遺体は6つ。いや、どれも綺麗に上半身と下半身に切り分けられているので6対と言うべきか。

 それを見て一条は顔が青ざめていくのを感じた。

「先輩……これ、一般人ですよ……」

「そうね。でも大丈夫よ。もう殺したから」

 事の重大さが分かっていない。その声はどこかふざけているように聞こえた。

「そうじゃないですよ! 関係ない人を巻き込んで……それも5人も!」

 一条が熱くなってる中、八雲は極めて冷静であった。

「もう、いいじゃない。一条君は先に帰ってていいわよ」

 八雲はほんとうに面倒そうにしっしっ、と一条に手を振る。

「――!」

 またその顔を叩いてもとの先輩に戻ってもらおう。

 一条はそう思って八雲に近づいた。

 瞬間――、一条の頬に赤い線が走った。

 新刷の紙で切ったような、細い、線の傷。

「それ以上近づいたら、一条君でも殺すわよ」

 八雲の手には刀。既に牽制するといった役目を終えた刀は鞘に収められている。

 八雲が得意とするのは抜刀術であり、その振りぬく速さは、神器により動体視力をも高められているユーザの目にも映らない、まさに神速であった。

「先輩……」

 初めての事である。

 まさか自分が狙われるだなんて。

 一条の頬からゆっくりと鮮血が溢れ出る。

「さぁ、遊びましょう。この子達の内臓はどんな色かしら。ふふふ」

 八雲は、神器により更に首と胴体を分けられたのであろう、遺体の胴体に首から素手を突っ込み、ぐちゅぐちゅと何かを弄り始めた。

「……今回の事は会社に報告しておきます。では失礼します」

 冷たく言い放ち、一条は路地を後にした。

「好きにしたら?じゃあお疲れ様」

 一条は最後に振り返る。

 神器を遺体に突き立て中身を掻っ捌き、まるで幼稚園児のように、無邪気に死体を弄ぶ女のシルエットがあった。

「……さようなら。八雲先輩」

 一条は確信した。

 もうあの頃の先輩はいなくなってしまったという事を。


◇◇◇


 打瀬は次に物産の雇用情報を別のPC画面に映し始めた。

 何年に入社したのか、何年に退社したのか。そして何年何月に殉職したか。

 それらのリストが画面の上からずらりと並んでいる。

 ふと一番最近の殉職者のリストを見て、思わずため息を吐いた。

 黒砂一樹。

 ただのデジタルとして文字が映し出されているだけなのに、伝わる印象は重く深い。

 もうこれ以上犠牲者は出したくない。もしいつかここに矢作君の名前が挙がったとしたら……。

「ううん、私らしくないな……」

 そうならない為にも今頑張らないと。

 打瀬は気を引き締めそしてまたPC画面に向き合う。

 解雇者リストから八雲の名前を探し出し、そしてその女性についても調べる。

 時刻は既に4時を回っていた。

 

◇◇◇


 東京物産からの判断は実に単純であり、八雲奈美を解雇、同時に永久追放する、という一言だけであった。

 厳しい処分であるように思われるが、意図的に一般人を巻き込んだ罪は重く、有能なユーザーであるということも顧みず解雇、という判決になったのだそうだ。

 一条は八雲を忘れるように仕事に励んでいた。簡単な仕事から難しい仕事まで、寝る時間までも削り、殺しに専念していた。

 幸か不幸かユーザーとしてのポテンシャルを持っている一条は体調も崩さずに一心不乱に殺しに専念していた。

 だが……どんなに仕事に没頭していたとしても、どうしても社内に広がる悪い噂を振り切ることはできなかった。

「一条さん、大丈夫ですか? 少しは依頼の数減らした方がよくないですか? 最近も死に掛けたって聞きましたよ?」

 東京物産のうちの一室。一条は自身の机に向き合い時計をじっと見ていた。

 声を掛けたのは東京物産のただの事務員である。その声色は一条を気遣っているらしい。

「……鈴木さんですか。いえ、俺はこの程度でいいんです」

 八雲が消えてからもう1週間が経とうとしていた頃。一条の顔は見違える程にやつれていた。

 頬は痩せこけ、だらしなく無精髭も生えている。着ている服も全く変わっておらず、それに近づくと不快な匂いも漂ってくる。思わず鈴木は顔をしかめていた。

「……そういえばあの噂知ってますか?」

 鈴木は適当にコーヒーメイカーからコーヒーを注ぎながら話を始める。

「なんでも八雲さん……ぽい人が無差別に人殺しをしてるらしいですよ? 知ってました?」

「鈴木さん、その話はやめましょう」

 一条は鈴木から目を背けたまま、無理やり会話を断ち切るかのように言い切った。

 しかし鈴木は気にも留めずに言葉を紡ぐ。

「近いうち八雲を殺しに本部が動きにくるようです。どうやら神器の暴走として扱われてるみたいですね」

「……それってどういう意味なんですか?」

 釣れた、と鈴木は内心でほくそ笑む。しかし表には決して出さない。

 のんびりとコーヒーを一口啜ってから答える。

「いやぁ、そのままの意味です。一条さんも知ってるでしょう? あの本部の連中が八雲を殺しに来るだけって話ですよ。いやーこれで東京の治安もよくなりますね。本部様様です――」

 一条は鈴木を押しのけて部屋を飛び出していった。向かう場所は恐らく……まぁ八雲のところなのだろう。

「やれやれ……これで少しはまともになってくれるといいんですけどね」

 鈴木は押しのけられた際、自身のシャツにかかったコーヒーを適当なハンカチで拭っていた。   




「……あら、八雲君じゃない。久し振り。どう? 仕事は順調なの?」

 暗い路地裏。二人での最後の任務となった場所である。

「……」

 一条は何も答えない。

 想像はついていた。

 あの日から残虐な殺人が、ある通りで頻繁に行われているという噂を兼ねてより耳にしていた。

 その通りを一条は知っており、しかし知らないふりをしていた。

 その犯人像はある神器のユーザーであり、遺体は全て鋭利な刃物で殺された後、臓器を引き裂かれ、四肢はバラバラにされる、といった共通項から犯人は同一人物である、と見なされていた。

 その犯人を一条は知っており、しかし知らないふりをしていた。

 数多くの名だたる殺し屋、それこそ別の事務所に所属しているユーザーさえも含めてその犯人を殺そうとした。

 しかしその全てが翌日、無残な、原型すらも留めていない遺体として発見されるのであった。

「どうしたの?泣いているの? どうしてここに来たのかしら」

「どうしてですか……先輩」

 その手には肉片。

 その手には刃物。

 その口には黒血。

 その顔には笑み。

 覚悟はしていたが、ここまで変わってしまった。

 ここまで壊れてしまった。

 なにもできなかった自分がもどかしい。悔しい。

 あの密かに好意を寄せていたあの先輩はいなくなってしまった。

 仕事の後、慣れることのない罪悪感に苛まれ、涙するあの先輩はいなくなった。

 死者の為にどこかの空を仰いで、祈る先輩の姿はいなくなった。

 同業者から矛盾している、と罵倒されても尚やめることのなかった習慣は習慣ではなくなってしまった。

 本当は説得をしにきただけだった。


 本部の連中が先輩を狙っているからこんな真似をやめましょう。

 また東京物産に戻って一から一緒に始めましょう。

 あぁ、えっと、物産からは永久追放されてるんでしたっけ? なら僕も一緒に辞めますよ。

 そうだ、二人で新しく殺し屋を始めましょう。

 名前は……うーん、刀と刀で2本刀! なんて……ちょっと寒いですかね?――

 

――そんな言葉でなんとかなると思っていた自分が愚かしい。

 本当に馬鹿だ。1週間前、簡単に先輩を諦めた自分は本当に馬鹿だった。

「なぁに?泣いてるの?……あぁ、そうか、一条君は殺し屋だもんね。私を殺しにきたのかな?」

 まってたよ。

 口がそういう風に動いたのを一条は見た。

 しかしその真意は一条には届かない。

「先輩……」

 用意した台詞を全て棄てた。代わりに伝えるものはこれで伝えようと一条は決意した。

 自前の神器をかざし、その瞳には涙。しかし揺らぐことなく、どこまでも殺人者としての眼差しであった。

「んーいいよ。私もね、一条君の体をばらばらにしたかったんだ。ずっと前からね」

 遺体に突きたてていた刀を抜き、横に薙いだ。

 黒い血が至る所にこびり付いているのが見えた。

 居合の構えをし、辺りはシン、と静けさに包まれる。

 一条は走り始めた。

 路地を疾走し、一秒。八雲の一閃が飛んできた。

 甘んじてこれを一条は受ける。

 もっていかれたのは右足。しかし――浅い。

 姿勢が崩れ前向きに、だがその疾走の勢い任せに八雲に向かったまま倒れる。

「先輩、ごめんなさい」

 風切り音がし、八雲の左手は地面にぼとりと落ちた。

 一条の神器も刀である。そして流派は居合なのである。

 同じ神器同士がペアになったのは新入りに神器のいろはを教える為、そしてそのまま弟子として八雲が一条を引っ張りまわしたものだった。

「あ――」

 そして今、師匠としていた人物を一条は斬った。

 奇麗に分断された八雲の腕から溢れ出る血。

 そのまま八雲は数歩後ずさり尻もちをついた。

「先輩……お願いです。もう止めてくだ――」

 一条は倒れこんだままの姿勢で、顔を上げ――目を疑った。

「は、はは。私の、体だ、ははは!!」

 八雲は自身の体を切りつけていた。

 狭い路地裏、耳が痛くなるような笑い声がビルとビルの間で反響していた。

 覚束ない右手で、しかし切れ味は鋭いままに、自身の落ちた左手、そして右足、左足。次々と斬っていった。

 どこまでも異常な、異常者な、人ではない何かがそこにはあった。

 一条は一縷の、更生の希望を持って利き腕でない左手を切り落としたのだったが、無意味であると悟った。

 一条は刀を支えにして立つ。

 重い足取りで一歩、一歩と自身の自虐行為に恍惚している先輩の元へ近づいていく。

 その間も八雲は無我夢中に刀でぐちゃり、と自身の肉片を解体する。

「あはははははははははははははははははは!!!」

「うああああああああああああああああああ!!!」

 八雲の笑い声に重ね、一条は咆哮し、渾身の力を持って、刀を振り――

 ――ありがと

 一条はハっとした。

 確かに見た。そう言ったのだ。最後の最期で先輩に戻ったのだ。

 瞳には涙。あの頃の優しい瞳――。

 しかしその振りきった腕は止まらない。

 八雲の首は宙に舞い、そして、落ちた。

「……先輩……先輩……せんぱ、い……」

 嗚咽。いくら流しても、いくら流してもその涙は留まることはなかった。




「一条さん、何かあったんですか? まるで別人ですね……」

 東京物産の社内。食堂に一条の姿はあった。

 依然の綺麗好きで、若干潔癖症のきらいがあった頃の一条に戻っていた。

「あぁ、鈴木さんですか。いえ、特になにもないですよ」

 そういって笑顔を浮かべて、ハンバーグを口に運んでいた。

 しかし何かがあったのは明らかだろう。

 八雲関連で何かふんぎりがついたのか、まぁどうでもいい事か、と鈴木は値踏みし、お得意の薄い笑顔を浮かべた。

「なるほど。まぁー取り敢えず前みたいな無茶はしないで下さいよ? 貴方には……大事な使命がまだ残ってるんですからね?」

「……わかってますよ」

「……っていやだなぁ。なぁに怖い顔してるんですか。ほら、笑顔笑顔。スマイル。まだ実行するには時期尚早ですよ。それではよいランチを」

 一条はフロアから出て行った鈴木の背中を一瞥し、そしてまたハンバーグを口に運ぶのだった。その表情には若干の困惑の色があった。


◇◇◇


 一条の過去を物産に入ってからの限定でだが、調べつくした打瀬はそこでようやく呼吸らしい息をした。

「八雲さんがこんなになった原因の詳細は未だ不明、と……」

 既に空は明るくなっていた。今夜のうちに飲んだ珈琲の数は4本。流石に胃がどうにかなりそうだった。

 打瀬は肩をグリグリと回し、新たにキーボードを叩く。

 デスクトップに表示された名前は八雲。

「……んー、八雲さんについてどこまで詳しく調べられるかな?」


 打瀬は――そうして核心へと近づいていく。

 東京物産に迫る暗雲の正体。そしてその暗雲の更に裏側。


2007年9月28日。

 自宅のPCと現地調査を独自に積み重ね打瀬はそして核心に至った。社長に報告するべく、携帯を鳴らす。

 社長と直々に連絡を取ることができるのは恐らく東京物産においても打瀬くらいしかいないだろう。

 いくらコールをしてもその電話が繋がることはなかった。このような事は今までではありえない事で、多少の困惑を覚えたが、しかしそのまま数日の徹夜の疲れから眠ってしまった。

 数時間後 

 その眠りを妨げる携帯のベルが今、鳴る。

 着信画面には山王の名前が表示されているのだった。


2007年9・28日というのは次の次の次の作品につながります。ややこしいですか。すいません。基本年号とかはあまり気にしなくって大丈夫です。

次回と次々回はもうひとりの主人公、由真君について書いていきます。

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