神器の密偵
ガサツな男の一人暮らしの様に荒れ放題であったこの家も、今は綺麗に片付いている。
というのも由真がこの家に居候するようになってから、由真自身が片付けたからである。
「もー、お皿並べるくらい手伝ってよー」
小さいガスコンロでエプロンをつけ料理をしている由真。片手に握られているのはパチパチと油をはじいているフライパン。
2つのハンバーグは表面に程よくコゲができており、後はソースをかけるだけで完成である。部屋に肉の良い匂いが拡がる。
まったく手伝う素振りを見せない同居人の芦並に、由真はため息をひとつ零し、結局全て自分で用意した。
「確かに怪我で動きづらいのは分かるけどサァ」
砂糖、赤ワイン、そして既製品のソースをブレンドし作られたデミグラスソースをかけ完成されたハンバーグは、熱々で湯気を立たせている。
隣にある味噌汁には、なめたけと豆腐がぷかぷかと浮かんでいる。出汁は利尻昆布でとったものだ。
白米は炊きたてで粒が立っている。流石高級米ということだけはある。
いただきます、と由真は箸を持ち丁寧にお辞儀し、ハンバーグをつまみ口に運ぶ。
だが由真の対面に座っている芦並はぴくりとも動かない。
結局由真が食べ終わるまで芦並が箸を持つことはなかった。
「…………」
食べ終わり、ひとしきりぽけーっと由真は芦並を見つめる。
ただ静かに芦並はうな垂れ、後ろの椅子にもたれ掛かっている。
開くことのない瞼。
動くことのない体。
最早ただの人形と成り下がっている芦並を、由真はただ何も考えずに見つめていた。
(……いつまでこのような無駄なことを続ける気なのですか?)
「あ、めーちゃんの声だ」
由真の体内には神器という武器が秘められている。
その神器というのは所有するだけで人を超越する能力を得、そして更には神器自体を自身の腕として扱うことが出来る。
神器と一口に言っても様々な種類がある。武器を象るモノ、防具を象るもの、はたまた玩具等と種類は枚挙に暇がないほどに多い。
それらに共通して言えることは3つある。
1、黒色をしているということ。
2、異常なまでの硬度を誇っているということ。
3、本来の本物の武器よりも相当の重量があるということ。
当然武器の形をしているものは勿論、ふざけた形のものでも鈍器として扱えば殺傷力ははるかに高いものとなる。
素材も発祥も不明の神器。これら扱う者はユーザーと呼ばれている。
そして由真は普通のユーザーとは異なり、神器に存在する人格というものと同調できているのである。
(由真、既にその方は死んでいますよ)
「え? めーちゃん何言ってるの。あーちゃんはただ眠ってるだけだよ?」
由真は身体のウチから聞こえる声、神器の声を聞きながらへらへらと芦並をただ見つめている。
――あの日。
一条の話に乗り芦並と由真の二人は東京物産に乗り込んだ。
しかしそこで芦並は由真の姉である冬花、そして東京物産の上位剣客、雪音により殺された。
そう、殺されたのだ。致命傷でも何でもなく、その瞬間芦並の心臓は止まり、そして死んだ。
由真はその死体を持ち帰り、血まみれの服を換え、そしてかつてのように生活をしているのである。
(あぁ、私の由真……こんなにも気を違えてしまって……。これもあの女のセイです)
「うん、分かってる。取り敢えずあのお姉ちゃんは殺しちゃうよ」
(お姉ちゃん? あの鑓娘の事ですか?)
「あーうん、まぁそれもそうなんだけどー、刀を持ったお姉ちゃんも殺すよ」
頬杖をつきながらお茶を一口飲み、由真はのんびりと殺しを決意する。
(しかしかなり手ごわいですよ? 実際殺せるかどうか……)
心配するような優しい声。耳には入らないがその言葉にある温まりは感じられる。
「まぁ返り討ちにあってもそれはそれでいいかなぁ。あーちゃんの隣で眠るとするよ」
無表情で、無機質な声で由真はぼやく。
由真の瞳は何も映し出していないのだった。
神器の密偵
寒川冬花は病院に来ていた。
大型病院で、都心から少し外れた場所に位置しているそこに行くのに冬花は電車を何度か乗り継ぎ、またたっぷり時間をかけて到達したのだった。
実は直通の電車が存在し、そんなに時間をかける必要等なかったということに気づくのはもう少し後のことである。
駅から直通のバスに揺られること20分。目的のバス亭で降り、冬花が大きくノビをしたところから物語は始まる。
「ここで……いいんだよね」
お見舞いというのが初体験である。冬花は少し緊張しつつ病院の自動ドアをくぐっていった。
病院独特の匂いと雰囲気を肌で感じながら、キョロキョロ周りを見渡し受付を探しトコトコ歩いていく。
受付で手続きを済ませ、名前を記入し今度は目当ての部屋を探す。
確か名前は狩野大地といったか。
すれ違う看護師さんになんとなく会釈をしつつ冬花は名前を探しつつ、そしてみつけた。
どうやら個室であるようである。それなりに広い部屋なのだろう。
「しつれいしま――」
ドアをノックし、部屋におそるおそる片足を踏み入れた瞬間背筋が凍った。
命を落とす寸前だったような、そんな錯覚。
ぴくりとも動けなくなり、それと同時に呼吸すらまともにできなくなる。
「ってあら、冬花ちゃんじゃないですか」
と、その雰囲気にそぐわない声が聞こえた。優しそうな、しかしはっきりとした女性の声。東京物産エースの一角、早乙女雪音である。
今丁度冬花の首筋に据えていた日本刀の神器をしまった。
……というか全然錯覚でもなんでもなく、普通に冬花の命が危なかった。
「あ、あ……し、死ぬかと思った」
ぺたりと尻餅をつく。床のひんやりとした感触を感じたが、しばらく自力では立てそうもなかった。
涙目になりながら、雪音からの手を借り起き上がった。
「何言ってるんですか。そうそう味方を殺したり……は……」
笑顔から一転、雪音の顔が凍りつく。声もしぼんでいき、かすれていった。
それもそのはず。実際雪音は東京物産が襲撃された際に、味方であった一条を手にかけたのだった。
仕方がなかった。とはいえ、だからといって気にとめないということは不可能だろう。
「それはもう気にするなと言った筈だ、雪音」
「あ、山王さん……この度は……えっと、ご愁傷様です」
「冬花……それは死人に対する謝辞の言葉だ」
ベッドに横たわっているのは東京物産もう一人のエース、山王である。東京物産崩壊の際に鈴木という男に手痛くやられ、こうして入院するハメになったのである。
他にもその致命傷の中、廃人と化していた雪音を抱え高層ビルから飛び降りたのである。重傷の中、着地の衝撃を完全に殺しきるのは不可能であり、ユーザーでなければ即死に相当するダメージを負ったのである。
結局現在の山王を見て分かるとおり、ユーザーだから、でも済まない致命傷を残すことになった訳である。
そう、わざわざ冬花が今日この病院に来たのは山王に会うためである。
「でも……どうして狩野なんて偽名を?」
「そりゃ俺を殺し損ねた奴が止めを刺しに絶賛無防備中の俺を殺しにくるかもじゃねぇか」
いまはまともに顕現すらもできねぇんだよ、といって山王はどこか悲しそうな表情を一瞬だけ見せ顔を背けた。
その首筋には依然冬花がつけたことのある刻印がある。その刻印は神器の暴走を抑える効果を持つ。逆に言うと、新たに刻印を刻まなければ神器を抑える事もできなくなっている程、今の山王のポテンシャルは低下しているという事である。
「……神器が暴走をしたときの為、また今の山王さんを守る為に私がここに詰めてるという訳です」
雪音が申し訳なさそうに、弁解する様に細々と口走る。
入って早々、冬花を殺そうとしたのも相当気が張り詰めていたからだろう。なにせ相手は山王をいとも容易く屠ったのである。待ち構えている雪音の緊張感も相当なものだろう。
「今朝本部の奴らも言ってたろうが、このどぎつい刻印のお陰で万が一にも暴走はねぇって。それに護衛もいらん。またあいつが来たらお前も俺も殺されるのがオチだろ」
諦観しているのか達観しているのか、いつもの山王の口からこのような言葉が出てきた事に驚きを隠すことはできなかった。
「そういう訳にもいきません。これを機に山王さんを狙う第三者が現れてもおかしくありませんからね」
「かといって関係のない奴らを殺そうとするのもどうかと思うがな」
雪音は返す言葉もなく、うぅ、と声を漏らしていた。
そう、実は雪音が刃を向けたのは冬花で4人目なのである。
まずは打瀬。次に刻印を持ってきた本部所属の奇妙な医者とその連れ。そして冬花である。
まぁ本部の連中は刃を向けられる前には、既に回避行動をとっていたのだが。
「……っ、あーまぁありがてぇけどな。さて、冬花、本題だ。お前にも伝えることがあるんだ」
「あ、はい!」
直々に伝えるべきこととは何なのか。冬花は多少の緊張感を持ち、山王の言葉を待つ。
「これから話す事をメモするな。誰かに話すな。頭に直接叩き込め。なに、短いからそう気構えんな」
山王はそう言って久々に明るい表情を見せた。
「常に人ごみの中にいろ」
◇◆◇
少女は都会の繁華街を歩いていた。
長髪を後ろで2つにまとめ、前髪は両目を覆い隠す程伸び切っている。
ブラウスにカーデイガンを羽織り、下は寒そうなミニスカート。学生鞄を肩に掛け、ポケットからはアクセサリーがいくつもついた携帯が覗いている。黒縁眼鏡を掛け、ぱっと見た印象は少し根暗な女の子が無理しているようにも見える。
どこからどうみても学校帰りか何かの女子高生にしか見えないだろう。
都会をきょろきょろと見て歩く。その様子は何かに怯えているような、何かを警戒しているような、警察が見たら問答無用で職務質問が来ても文句は言えないだろう。
「ちょっとそこのお嬢さん。自分の話に少しつきおうてもらえん?」
だが話しかけたのは警察ではない、飄々とした男であった。
恐らくナンパか、あるいはキャッチか。少なくとも胡散臭さしか感じなかった。
少女は戸惑い、明確に拒否しようとし相手の顔を見た。
「――、え、ええと結構です」
赤面。ルックスだけは悪くない、というか少女の中では結構高い点数を評していた。
その分拒否するのが若干遅れてしまった。
「……んー、美味しいスィーツのある店知ってるんやけどなぁ」
ピクリ、と少女は反応する。確かにスィーツは大好きである。しかし常に財政難の少女は店を知っていることは多々あるが、店の味を知っている事はとても少ない。
ちなみに今この近くに点在していて気になっているお店は『アレクローザ』『Call station』一駅離れてもいいのならば『レリールハウス』がある。
「確か……美味しいウッドケーキがあるっちゅう話やったなぁ」
男は考える素振りを見せ、ぼそりと少女にも聞こえるように呟く。
新発売のウッドケーキ。チョコにシナモンと蜂蜜を混ぜ、有名なパティシエ職人が一日数本しか作らないというあれのことだろうか。だとしたら場所は恐らく『アレクローザ』だろう。
少女はそこまで一瞬で推測し、直ぐにでも、行きます! といいそうな口を固く閉じ、力なく首を振った。
「あら……じゃあしゃあないわ。これでも……ついてきてくれへん?」
少女の目の前で男は掌を広げた。そこには何もなく、黒い皮の手袋が嵌められている右手があるだけである。
だが何もなかったのは一瞬の出来事である。今、何か歪なまでの黒さの“何か”があった。
「神器……」
少女はぼそりと呟いた。それを聞いた男は元々細長い目をさらに細めた。
「そそ。あ、殺しあおうとかそういうのは全くないで。安心してや。ただ話聞きたいだけやねん」
男は周りを見て、そして更に声を顰めて続ける。
「東京物産崩壊について、ね。寒川冬花ちゃん」
変装をしていた少女――寒川冬花は冷や汗と同時に、この得体の知れないユーザーに恐怖を感じていた。
「んーまぁ……遠慮なく食べてもええよ、とは言うたけどなぁ」
目の前で多種多様なスイーツを口に運んでいる冬花を見て男は苦笑を漏らす。
その反応を見て冬花は自身の愚行にやっと気づいた。
「あ、す、すいません!」
「いやいや、全然ええねんけどな。ただ楓ちゃんが見たら卒倒しそうな程食べるなぁとおもて感心しててん」
あ、楓ちゃんってのは俺の知り合いな、と熱いコーヒーを飲みながら付け加える。
どうも調子が狂う。目の前のこの男を警戒していたはずなのにいつの間にか気を許している自分がいるのだ。
ユーザーでありながらここまで無防備な状態を晒しているというのは果たして強いからなのか、それとも弱いからなのか判断に苦しむ冬花であった。
「うん。そろそろ質問してもええ? それとも先におかわり?」
「あ、じゃあおかわ……ゴホン、いえ、その前に私からの質問に答えてくれますか」
「ええで」
男は優しそうな笑みを浮かべる。
どうもこの人には気を許してしまう。相手が何者なのか分からない状況、しかもユーザーであることは確定しているというのに。
冬花は気を引き締め、凛としてこの相手に立ち向かう。
立ち振る舞いは雪音さんの様に。
強気な姿勢は山王さんの様に。
「まずひとつ。あなたは何者ですか」
「何者? んー難しいわ。ほんなら聞くけど冬花ちゃんは何者って聞かれたらどう答える?」
うぐ。
早速ボロがでてしまった感がする冬花であった。
「質問を変えます。あなたは……ど、どうして私に話を?」
「あれ? さっきも言うたと思っとったんやけど……東京物産の崩壊の理由を聞くためやろか?」
「…………」
会話が一向に進まない。男は楽しそうに冬花の顔を見つめている。
「んーホンマは素性を明かさず聞き出したかったんやけど……ま、ええやろ。俺は畦間いいます。一応関西の方の……まぁ明確にはちゃうねんけど殺し屋っちゅうところやろか?」
なんとなく関西というのは分かっていたが、まさか殺し屋だったとは。
確かに神器と契約している程である。そこらの殺し屋よりもはるかに恐ろしい殺し屋であることは想像に難くない。
だがそれが分かってもどうも殺し屋だとは信じることはできなかった。
この人が人を殺すことを想像しようにも……うん、ちょっと……それは……。
「あれ? 何で笑ってるん? もしかして俺怒るとこ?」
「いえ、ちょっと……想像できなくて……ふふ、」
恐らく冬花が見てきた中で一番弱いユーザーである。身長こそあるが威圧感のない、言ってしまえばひょろひょろとしている畦間が殺しをしている光景はシュールで、どうしても吹き出さざるを得なかった。
「んー、まぁええけど……ちょっと任務でこっち、東京の方きてて、そのついでになんか情報でも持ち帰ろうおもてな。なんか今回の事件、対岸の火事じゃ済まへん気がすんねんな」
真面目な表情で畦間は目の前で手を組んだ。その真剣さにつられ冬花も顔を引き締めた。
「対岸の火事、ですか」
「そそ、やからその火種がどんなんやったか教えてくれへん? 正直そっちにはなんのメリットもない話になるんやけど」
「でも正直に言って私もそんなに詳しく知らないんですけど……」
これは本当である。
物産を潰そうという組織があって、それが内部に潜り込んでいた。更にはその潜り込んでいた敵の中にあの山王すらも足蹴にする強いユーザーがいて、そして崩壊に追いやられた。
ビルが倒壊を始める前に既に脱出していた冬花は、大まかな流れとしてこんなところしか知らない。
今日あの山王が入院しているのを見て初めて本当に物産は崩壊したのだと実感したくらいであった。
冬花は事の顛末を大雑把に告げ、そして一息つくまで畦間はしばらく黙ったままであった。
勝手にこんな事を話してもいいのかとも思ったが、ここまでご馳走させておいて何も話せません、というのはいくらなんでもやっちゃまずいと思いペラペラと喋ったのだった。
……でもやっぱり話しちゃまずい事だったのかも、とゆっくり後悔し始めていた。
「山王さんでも歯たたへんとなると本部の奴らかウチの誰かか……でもどっちもちゃうやろしなぁ」
畦間はひとしきり考え、うんと頷き席を立った。
「あの、山王さんをご存知なんですか?」
なんとなく呼び止めようと声を掛けた。
「関東の殺し屋の代名詞を知らんっちゅう奴はそんなにおらんと思うねんけど……んじゃ会計しとくから後はゆっくりしてってな」
今日はおおきに、と伝票をひょいと持ち、畦間はそのままレジに向かった。
「あ、待ってください」
まだ残っていたケーキを急いで口に押し込み、紅茶で押し流した後、畦間のあとを急いで冬花は追ったのだった。
「あの、畦間さん、何が分かったんですか?」
「……んー? んー……いや、計画的に物産を崩壊に追いやったーとか、多分今まで隠れとった奴が表に出てきたとかー」
畦間は足早に街を歩く。その長身で早く歩くものだから冬花は若干小走りで畦間の後ろを追いかけている形となっている。
ケーキを食べ終えてから冷静になった冬花はやっぱり自分がとんでもないことを話してしまった可能性について確認するためにも畦間の後をついてきたのだった。
それとなく確認しようとするが、どうもうまい口実が見つからない。そうしている間にも畦間はずんずんと東京の道を闊歩している。まるでもう着いて来るな、とでも言うようにその足取りは速い。
冬花は止むを得ず恥を忍んで直接聞くことにした。
「あの、敵である畦間さんに聞くのもあれなんですけど……もしかして私喋っちゃいけない事喋っちゃいましたか?」
畦間は振り返りまた優しい笑みを浮かべていた。それはどことなく苦笑に近い。
「敵ってまた大雑把やなぁ。ウチら東京物産にそんな睨まれとったん?」
「……え! だって別の殺し屋なんですよね?」
「ウチらは関西の殺し屋、物産は東京の殺し屋。争ってもあんまり良い事あらへんやんっちゅう話や。まぁでも味方っちゅう訳でもあらへんやろけどな」
確かに畦間さんは関西の殺し屋であると言っていた。
ちょっとまてよ、と冬花は自身に言い聞かせる。もしかして私はとんでもない勘違いをしていたのだろうか。
勝手に敵と認識していた自分を恥じ、両手で顔を埋めていると畦間は不意に立ち止まった。
「さて、んじゃここら辺でええかな」
「……え?」
気づけば人気のない路地裏に来ていた。両隣は壁に挟まれそれ程広くはない通りである。東京といえどもビル群に囲まれた隙間に誰も注視するものはいない。
一体ここで何をするつもりなのだろうか。めそめそとした表情のまま冬花は立ち止まっている畦間に視線を向ける。
一瞬冬花は人気のない場所までおびき出されそして私を襲うつもりなのか、とも思ったが攻撃してくる様子もなく、畦間はただ何かを待っているような――、
そこまで思案し流石に冬花も気づいた。
「うん、まぁ普通はこんくらいの距離やんなぁ、気づくのは。全国の女子高生の基準が‘アレ’な訳ちゃうやんな」
安心した、と畦間は零すがその表情は真剣そのものである。
「畦間さん、これ……」
どうやら畦間は随分前から気づいていたのだろう。今なおこちらに向かってきているソレ、
神器の気配を。
嫌な空気が重量を持って移動しているかのような、そんな雰囲気を感じることが冬花にもできていた。
「うん、冬花ちゃんか俺か知らんねんけど結構前から狙われとったみたいやね。多分油断した時に来るつもりやったんちゃうやろか」
畦間はため息をひとつ吐き、面倒そうに手袋を嵌め始めた。指先なしの手袋であり、2、3度グーパーしていた。
独り言なのだろう、よし、と聞こえたかと思うと――
――畦間は急変した。
禍禍しいまでの殺気に中てられ、冬花はまず吐き気を催した。
黒砂と一緒に過ごしていた冬花はある程度のユーザーが放つ殺気程度では眉ひとつ動かさない自信があった。
それに気配を消されても、それに気づける程の実力は先天的に持っていた。
だからこそ信じられなかった。
自分に向けられている訳でもない殺気に、ここまで萎縮してしまうということに。
この膨大な気配を隠し、今の今までただの弱そうな人間として振舞っていただけだということに。
これがさっきまで一緒にいた畦間という男なのだろうか。
否、目の前のこの男こそが畦間だというべきだろう。
この男を弱そうだと評した自分の間抜けっぷりを呪わずにはいられなかった。
「こっちに気づかれても殺気を放ってもお構いなし、か。あ、冬花ちゃん、巻き込んでごめんな」
冬花はいつの間にか尻餅をついており、身体を起き上がらせようとし、そして必死に空気を吸い込んでいた。
「あ、あぁ……どないしよ。ほら、冬花ちゃん、落ち着いてまず呼吸し。はい、吸ってー?」
畦間は屈んで冬花を落ち着かせようと優しい声を掛ける。
ユーザー、殺し屋として格好悪いところを見せていると自覚しているが、それでも冬花はとても正常な思考に戻る事などできそうになかった。目じりに涙を溜め、急いで立ち上がらないと、と思えば思うほどその身体は動かない。
「あーもう来てもたし……」
路地裏には新たな人影があった。
近づいてきていた神器の匂いは間違いなく目の前のこの少年から発せられている。
「やたら強そうだねぇ。お兄さん。キッヒヒヒ」
その声に、笑い方に冬花は反応した。
聞いたことのある声であり、同時に巻き込んだのは自分の方だということに気付いた。
畦間はよいしょ、と立ち上がりその闖入者に目を向けた。
「もしかして君が物産を潰したっちゅう人?」
「あーそうなるのかなぁ?」
ポリポリと鼻の頭を掻きながら少年は答える。相も変わらず緊張感もなく、その表情は読めない。
「それよりもさぁ、お兄さん。ちょっとどいてくんない? そこのお姉ちゃんに用事があるんだよね」
「え? 冬花ちゃん知り合いなん? なんや、俺のお客ちゃうかったか」
そこに立っているのは寒川由真。
東京物産崩壊役の末端を担い、そしてその師を冬花によって殺された少年である。
その体内には神器、自由の女神像を秘めている。その持ち前のポテンシャルと神器を用いて数多のユーザーをこれまでに屠ってきた。
「由真……っ」
「どうしたのお姉ちゃん。ガクガクじゃん? あぁ、もしかしてさっきの殺気に中てられたの? あ、さっきの殺気って面白いね。キヒヒ」
由真は首を鳴らしながら、そして不気味な笑みを浮かべたまま冬花に近づいてきた。
畦間の隣も素通りしようとして、そして由真は立ち止まった。
舌打ちをして畦間の顔を見上げる。
「どうして邪魔するの?」
冬花はその言葉を理解できなかった。
傍から見ると由真はただ畦間の隣で立ち止まっただけである。
邪魔も何もないというのに……。
しかし畦間はその意味を理解していた。
「んーなんでやろ? 理由あらへんとあかんの?」
冬花はここでようやく、由真が畦間により“立ち止まらされた”事に気づいたのだった。
しかし一見何も畦間は行動を起こしていない。腕を掴んでとめている訳でも、まして足を引っ掛けて止めている訳でもない。
「……お姉ちゃん」
由真は畦間を無視し冬花に話しかける。
「……な、なに?」
「いつも誰かに守られてるのってどんな気持ちなの? なんで神器と契約なんてしたの? お姉ちゃんは真面目だしてっきり僕を止める為に神器と契約をしてるもんだと思ってたんだけど案外違ったの?」
ぐさりと由真の言葉が冬花に突き刺さった。
今思えば神器と契約してから私は何か変われたのだろうか。
いつも誰かに守られてばかりで。
神器と契約したのも由真を止める為って言ってた癖に、今も畦間さんに守られている。
冬花はギリ、と歯を食いしばる。
いつまで腰を抜かしているつもりだ寒川冬花!
その神器は何の為に私の身体の中にあるんだ!
もう怖い等と言っている場合ではない。冬花は自身に暗示をかける様に叱咤し立ち上がろうとした。
「冬花ちゃん」
鋭い言葉で遮られた。
無機質な、呆れた様な、それで重い言葉を投げかけられ冬花はびくりとした。
「別にええよ? 冬花ちゃんが戦うゆうんなら俺は直ぐに退くけど。でも今の冬花ちゃんじゃただ殺されるだけやと思うで」
冬花は立ち神器を顕現させている。
だがその足は震えている。
その槍の切っ先はぶれている。
嫌な汗は未だ引いていない。
「まぁそうなったんは俺のせいなんやねんけどね」
畦間は困ったように笑った。
「はぁー、あんま手の内を大勢に見せたないんやけど、冬花ちゃんをこんなんにしたのは俺のせいやしなぁ。ここで死なれたらそれこそ物産から睨まれるっちゅうもんか。しゃーない。冬花ちゃんの代わりに俺が戦うっちゅうことで堪忍してくれへん?」
畦間はそう言うと冬花と由真の間に立ち、不適に立ち塞がった。
何の得物も持たずにただ構えているだけだというのに、攻めあぐねさせる何かがそこにはあった。
一言で言うなら異様な雰囲気である。武器もないはずであるのに、圧倒的に格上であることを由真に無理やり理解させている。
由真もその雰囲気に呑まれているのか、珍しく冷や汗をかきながらただ立ち尽くしている。
そして由真は――神器をしまった。
「僕が殺したいのはあんたじゃない。その代わりお姉ちゃんと少しお話させてもらえる?」
ゆっくりと、落ち着いた雰囲気で話し始めた。
畦間は冬花をちらり振り返り、こっそりと冬花の前から退いた。
「……僕はお姉ちゃんと何が違うの。何で強い人に守ってもらえるの。何も努力のしてないお姉ちゃんだけどうしてそんなに特別扱いなの」
「……、」
咄嗟に反論しようとするが言葉が出てこない。みつからない。
その答えを冬花も知らない。いつの間にか守られるのが当たり前になっていた。
由真はそんな冬花をただじっと見据える。まともに口も聞けない、殺意に腰を抜かして未だに立つ事もできていない、哀れなユーザーを見て由真は何を思うのか。
「どうしてお前みたいな弱い奴が生きてて芦並が死ななきゃいけないんだよ……」
由真は心底悔しそうに、冬花を睨みつける。いつもの様に冷めた目ではない。その真っ直ぐな視線に冬花は思わず目を反らしてしまった。
そんな姉の姿を見て由真はさらに腹立たしい気持ちになったが、それを抑え、静かに喉からかすれた声を出した。
「……お姉ちゃんもいつか味わうといいね。大事な人が殺されるって気持ち」
そう言い残すと由真は囲まれたビルの壁を駆け上り直ぐに姿を消した。
結局冬花は畦間に守られたのだった。
その事についてお礼をしようともしたが、どうにも言葉がでない。
身体が動けない。いや、動きたくないだけである。もうこのままここで自分の殻に閉じこもっていたい、そんな欲求に駆られていた。
由真のいう事は至極当然である。冬花としてはユーザーになってからというものの全く成長しておらず、ただ誰かに守られるだけの毎日である。
果たして自分には守られるだけの価値はあるのか。
いや、ない。自分には魅力と呼べるものが何一つない。
ならば……いっそ自分で死んでしまおうか。
「……んー余計なお世話やったら聞き流してくれてかまわへんけど」
傍らで立ったままの畦間は冬花を見下ろしながら口を開いた。
「この世界で大事な人を殺されとらん人はおらんよ。でもそんなん覚悟した上でユーザーになったんちゃうやろか。誰かを犠牲にしてでも、自分はユーザーになってやるべき事がある、そんな人しかおらんのちゃうかな」
普通ではそうなんだろう。冬花は返事もせず心の中で返事をする。
だとしたら由真はダメだ。ただ父親の命令でユーザーになったのだ。そんな覚悟があるとは思えない。
「まぁー何も考えんでユーザーになった人もおるやろうけど、そんなんは……ご愁傷様、としかいえへんよなぁ。いつか何のためにこんな武器で人を殺しているのかってわからんようになる」
気のせいだろうか、畦間のその表情は飄々としているものではない。どこか遠くを見ているような、何かを思い出しているかのような、そんな物悲しそうな表情であった。
「あかん、喋りすぎやな。じゃあ俺はこれで失礼させてもらうわ。じゃあね、冬花ちゃん。物産さんによろしく」
畦間も来た道をそのまま引き返し冬花を残しその場を後にした。勿論由真の気配が遠くまで行ったのを確認してからである。
そして。一人残された冬花は考える。
自分には何ができるのだろうか。
今までは由真を殺して全てを解決しようとしていた。
それが今は適わないからずっと神器に親しもうと励んでいた。
だがどうだろう。
由真としても神器に巻き込まれた被害者ではないのだろうか。
覚悟もなく、理由もなく、親の言うとおりに動いてきて。
誰かが優しく由真を導いてあげれば弟は普通になるのではないのか。
何も殺す必要はない。しかし説得なんて到底できそうにない。
でも……一番いいのは由真にまた殺しや神器等と関係のない世界に戻してあげる事ではないのか。
冬花は考え、……そしてうな垂れる。
結局弱い自分が何を考えた所でそれを理想止まりである。自分には実行させる程の実力がないのだ。
修行をするといっていたが、そんなものをした所で自分は成長しないのではないのか。
ため息をひとつつき、瞼を閉じた。
と、そんな欝モードの真っ只中。
誰かが上から降りてきた。
唐突に、ズッシリと着地音を立て人が落ちてきた。
「ちぇー格好良く俺が助けてあげたかったんだけどなぁ」
降りてきた人は誰かを抱えていた。
「お前じゃ勝てる要素あんまりなかっただろう。そこは追っ払ってくれてむしろ感謝しておこうじゃないか」
抱えられている女の人は何故かナース服を着ていた。
そして抱えていた男は以前ラーメンの券をくれた、矢作と呼ばれていた男であった。言わずもがなその抱え方はお姫様抱っこである。
「え? え?」
いつから見ていたのだろうか。いや、この様子からすると一部始終を見ていたというのか。
「よ、冬花ちゃん。お久しぶり」
「そしてこちらはほぼ初めましてだな、冬花!」
ナースの人がそういって手を伸ばしてくる。その表情は何処か自信に満ちているようであり、不適な笑みを浮かばせている。冬花は混乱しながらもその握手に応じた。
男勝りなショートヘアーはナースキャップに収まり、その強調した胸元はなんていうか雪音のを見慣れた冬花からしたらむしろ下品と思えてしまう程のものであった。
決して嫉妬などではない。
嫉妬ではない。
っていうかこの人の胸元を見て思い出した。
「……あなたさっきの病院にいましたよね?」
「お! よく分かったな! そう、実はその病院からずっとつけていたのだ」
……。
……そのコスプレっぽいナース服で?
と、ここで冬花ははっとした。
呆れた格好で呆れた発言をするものだから冬花として当たり前の質問をするのに大分時間がかかってしまった。
「ところで……矢作さん、このお方は?」
「別にこんな男に聞くよりも直接私に聞けばいいだろう? 私は柏瀬名。東京物産に携わっている、人より少しばかり胸囲のある女だ」
柏は両腕を組み、仁王立ちし冬花を見下ろす。
なんでこの人威張ってるんだろう。それにこの人強そうに見えないなぁ、死ねばいいのに、と思いながらもさっき出会ったばかりの畦間を思い出した。
こんなナリをしていてもきっとすごく強いのだろう。その態度に辟易していたがこっそりと冬花は気を引き締め始めた。
「冬花は我が社の貴重な若手社員だからな。こうして私と矢作が直属の見張りをしていた訳だ。しかし畦間が追い払ってくれて助かったな。矢作じゃ由真を止められないだろうし」
「まぁぶっちゃけ……」
畦間の名を聞いて、やっぱり有名な人だったのかと人知れず感心していた。確かにあんな殺気を放てる人物である。相当な手練れだったのだろう。
そしてその人を呼び捨てにするこの人物も只者ではないのか。
「さて、じゃあ始めようか! 矢作、準備はできてるか?」
「あーまぁ一応」
そう言うと矢作は自身の神器を取り出した。それは鉤のついた棒、所謂十手が矢作の腕に握られていた。
「冬花! いきなりだがこの男と戦ってもらう。現状の強さを認識するためだが、殺すつもりで取り組んでもらいたい」
柏は矢作の背中を強くドンと叩いて、矢作から変な目で抗議されていた。
しかしそれも笑って受け流す柏はやはり大物の雰囲気がする。
矢作はトボトボと歩いて冬花と数メートル開け向き合った。どうも構えにやる気は見られないのだが。
冬花としてはあまりやりたくない。畦間という男が現れたかと思うと、由真が現れ、そして最後に矢作と柏が現れた。精神的には既に限界を突破している。
だが自分は既に東京物産の一員なのである。折角矢作さんも柏さんも来てくれているというのにまずはその期待に応えなくては。
「まぁこの男はそんな強くないし、そう肩肘を張らなくてもいい、ぞ……?」
柏はそう言って冬花の肩を優しく叩き――冬花の異変に気付いてしまった。
「あー……矢作、やっぱり中止だ。冬花も無理を言って悪かったな」
柏はそう言って快活に笑い声を上げる。基本この人は笑うのが普通なのだろうか。
唐突に中止を告げられて冬花も矢作も首を捻る。だが中止を告げた瀬名は細かい説明をするつもりはないようである。
「まぁ……俺は全然構わないですけど」
「矢作は素直だな! よし、今日は懇親会ということで何か食べに行こう! 焼肉でも行こう!」
何かを誤魔化すように、テンションをあげて柏はそんな事を提案する。矢作もその意図に瞬時に気付き悪乗りする。
「いや、そこはラーメンにしましょう。一般受け系、マニアック系、ガッツリ系、美味しくない系、なんでも聞いてくださいよ」
「……いや、なんだその美味しくない系って。そこに行くしかないだろう!」
「よし、じゃあそこにしますか。冬花ちゃんも行こ。柏さんが奢ってくれるっぽいし」
「はっはっは! 替え玉は2枚までだからな!」
「トッピングも! トッピングも!」
「矢作はラーメンになると人格が変わるなぁ。まぁよし、トッピングも自由だ!」
馬鹿げた会話を繰り広げながら冬花は柏に肩を組まれたまま、矢作の用意していた車に乗り込まされた。
冬花としてはこのノリについてはいけないが、この雰囲気は悪くはないと思っていた。
優しい大人達に囲まれながらも冬花は胸の奥で葛藤していた。
果たして自分はいつこの人達の期待に応えられるようになるのだろうか。
いつになったら私は由真に追いつけるのだろうか。
……そしてどうしてわざわざ美味しくないラーメンを食べに行くというのか。
様々な不安を乗せながら専属のドライバーが運転する黒塗りのセルシオは夜の街に紛れていった。
ユーザーになったところで冬花はまだ17歳の女子高生なのである。
矢作と向き合った冬花の肩は震えており、模擬であっても戦闘をこなせるコンディションではなかった。
刻み込まれた畦間の本物の殺意。
殺し屋として幼い冬花にとってそれはそう簡単に拭い去ることはできないのであった。
畦間さんが活躍する小説が読めるのはノベル定食だけ!
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