9:追跡者との対峙
一方、翼は――。
美波たちと別れた翼は足音をたてずに走り、二度の左折を繰り返すと、その視界に袴田柊の姿を捉えた。彼は相変わらず気配を消し、身を隠すようにして美波たちの進む道を窺っているようだった。
くりっとした瞳に真剣な光を宿して美波の背中を追う彼は、背後にまで気が回っていないらしい。気配を殺して近付いていく翼に、まったく気づかなかった。
「袴田くん」
背後からの声に、柊の身体がびくっと揺れた。相当驚いたらしい。ゆっくりと振り向いた彼を、翼は笑みを湛えて迎えた。
「そんな所で何をしているのか聞かせてくれるかな?」
「あの……」
明らかに動揺した様子の柊。答えを探すように瞳が揺れている。
「先日、お会いしました……よね?」
「質問に質問を返すな」
短く返した翼に、顔を強張らせる彼。翼の放つ怒気に、少し怯えているようだ。
「そこで何をしているか、聞いてるんだよ」
「友人の家に行くのに迷ってしまったので、地図で道を確認していた所です」
そう言って手にしていた携帯電話を見せる柊。画面にはこの辺りの地図が表示されていた。誰かに見とがめられた時の為に用意していたらしい。
翼はすぅっと目を細めた。
「ふぅん。わざわざ気配を消して?」
「っ……」
息をのんだ柊に、翼は短く息を吐いた。
「気配を消して近付かれた時点でバレていると考えて、美波をつけていると白状した方が賢明じゃないか?」
翼の切れ長の瞳にじっと見つめられ、柊はしばし迷った末に溜息をついた。
「神崎美波さんのお兄さんですよね」
「そうだけど、まだ認めない気か?」
「いえ、それは認めます」
諦めたように述べた柊からは、開き直ったのか、緊張の色が消えた。落ち着いた表情で翼と向き合った。
「何が目的だ? お前が美波におかしなカードを送ったのか?」
「……カード?」
翼の問いに、柊は訝しげに眉をひそめた。
演技には見えない柊の反応に、翼はカードを送りつけた犯人ではないと素早く判断する。
「知らないならいい。美波をつけいてる理由を教えろ」
「それは……」
言い淀む柊を、翼はじっと見つめた。その視線の強さに耐えられずに目を逸らし、俯く柊。
しばらく待った翼だが、堪えきれずに一歩詰め寄った。
その瞬間、柊がはじかれたように顔を上げた。
大きな瞳をさらに見開いた柊は、何も言わずに踵を返し、走り出そうとした。その手を、翼が掴む。
「答えるまでは逃がさない」
「違います。逃げるんじゃなくてっ」
「何が違うんだ」
「だから、その……」
慌てた様子の柊は、説明を躊躇いながら、美波達のいった方向を気にしている。
しかし、どう頑張っても翼の手を振りきれないとわかったのか、意を決した様に翼を見つめた。
「美波さんたちが危ないんです」
「美波たちが?」
焦っている柊とは対照的に、翼は冷静に言いかえした。
美波たちからは既にある程度距離が離れているようで、翼には彼らの気配は感じられなかった。当然、危険な物は何も感じない。それに、普段はどんなにふざけたおっさんだろうが、いざとなれば頼りになると知っているレイが一緒にいる。危ないと言われても、逃げる口実にしか聞こえない。
「大丈夫だよ。美波にはボディーガードついてるから」
「でも、普通の人じゃ無理です!」
「普通じゃない人だから安心していい」
あっさりと返した翼に、柊は小さく首を振る。
「普通に強いだけじゃダメなんです!」
「だから、普通じゃないくらいに強いから大丈夫」
「そうじゃなくて!!」
自分の危機感を全く理解してくれない翼に、柊はしびれを切らしたように大きな声をだした。だが、翼は一向に動じない。万が一、柊が言うように美波たちが誰かに危険な目にあわされそうになったとしていても、美波のボディーガードは柊の想像以上に強いと確信しているからだ。
柊の狂言でなければ、二人で現場に向かい、美波たちの安全を確認させてから話を聞くという手もある。だが、出来れば美波と会わせる前に話を聞いておきたかった。二人が顔を合わせてからだと、美波は最初から一緒に話を聞きたがるだろう。何故か柊に好意を寄せているらしい美波が傷つかない話なのか、翼としては先に確認しておきたかった。
「美波のボディーガードは異常なほど強いから心配するな。少なくとも、お前よりは強い。そもそも、お前が行ってなんとかなるのか?」
確かに気配を消すのは上手いが、柊の身体つきからは戦う事に関して強いようには見えなかった。
柊は、唇を噛む。
「だから先に、何でつけてたのか、話を聞かせろ」
「…………」
腕を強く握った翼をじっと見つめ、柊は諦めたように溜息をついた。一度目を閉じ、再び目を開けると、強い光を湛えた瞳で翼を真っ直ぐに見つめた。
その秘められた意志の強さに翼が少し驚いていると、柊は自由のきく方の手を上げ、指先で宙に何かを描いた。
翼がその行動を疑問に思った次の瞬間、ボゥっと音をたて、大きな炎が空間を焼いた。
「普通の人では無理だというのは、こういう事です」
驚きで見開かれた翼の目を見て、柊はそう言った。
「こういう事って……マジシャンってことか?」
「違います」
翼の反応に、がくっとうな垂れる柊。再び宙に何かを描くと、今度は氷の刃が地面から天に向かって現れた。
「マジックではなく、こういう力があるという事です」
「こういう力って……」
まだ状況が飲み込めない翼に、柊は困ったような顔で口を開いた。
「信じられないのは無理ないとは思いますが……『魔法』だと思ってください」
「魔法……」
そんな事を言われて、素直に信じられるわけがなかった。だが、柊の起こした現象は、確かにマジックだと片付けるには異様過ぎた。
「どんなに強い人でも、魔法と対峙したことはないはずです。だから、危険なんです」
「……魔法を使う相手が、美波を狙っているって言うのか」
「残念ですが……そうです」
「…………」
柊の真摯な眼差しと言葉に、翼はつかんでいた手を放した。そして、柊よりも早く、美波たちのもとに向かって走り出す。
柊の話を鵜呑みにしたわけではないが、もし『魔法』というものが存在するならば、不気味に現れたカードの事も説明がつく。得体の知れない力を相手に、レイがどれだけ対抗できるのかも不安になっていた。
翼は遅れる事なくついてくる柊の気配を感じながら、大事な妹のもとに全力で駆けていったのだった。