8:謎の攻撃
再び向き合ったレイを、男は嘲笑うような目つきで見つめた。
「まだ僕に歯向かうつもりなの? 勝てるわけないのに」
「アホな事ぬかすな」
男がどんな方法で攻撃を仕掛けてきたのか、レイにはわからなかった。戦い慣れた自分にわからぬ特殊な武器を手にいられるような男には見えない。だが、未知の攻撃をしかけてきたのは事実だ。そんな相手から、誰かを守りながら戦う事は難しい。でも、負けるわけにはいかなかった。
レイは、余裕の眼差しで自分を見ている男の正面に立ち、すぅっと息を吸ってから地を蹴り、一気に間合いを詰めた。男はその素早さに驚いたように息を呑む。だが、レイが男を捕らえる寸前に、男は先程とは逆の手をレイに向けた。
再び、悪寒がレイを襲う。
反射的に身を翻したレイの横を、ひゅっと音をたて、風が通り過ぎた。
避けた勢いで地面に手をつき、くるりと一回転をして、再び距離をとる。
見れば、地面に生えていた雑草が、ズタズタに切り刻まれていた。先程の氷柱と同様に、一メートルほどの距離だ。
「ふぅん。また避けるなんて、少しはやるじゃん」
「…………」
気持ちを落ち着けるように、レイはゆっくりと息を吐いた。
男の掌に何かが描かれていたのは見えたが、それが攻撃と関係あるのかは不明だ。指輪やバングルも付けておらず、Tシャツの上から羽織った柄物のシャツの袖の下にも、何か仕込んでいる様子はない。
つまり、二度の攻撃を受けてもどんな仕組みか見破る事が出来なかった。
こんな事は、長年の経験の中でもほとんどない。
「だ、大丈夫なのかよ」
背後から不安げな陸の声がし、レイは男に注意を払いながら、ちらりと視線を向けた。
明らかにうろたえた表情を浮かべながらも、美波をしっかり庇うように立っている。その後ろから、美波が怯えながらも心配そうな眼差しでこちらを見ていた。
思わずふっと笑みが浮かぶ。
どんな危険な状況でも、相手の事をまず心配する所は両親にそっくりだと思った。
「安心せい。おっちゃん強いから大丈夫や」
「で、でも……」
「大丈夫やから、黙ってそこでおっちゃんのかっこいいとこ見とってや」
逃げろとは言えなかった。攻撃方法がわからない状況では、美波を連れて逃げる陸が標的にされた場合、守りきれない可能性がある。せめてからくりがわかるまでは、自分だけが標的になるしかなかった。
「調子に乗るなよ、おっさん。ただの人間が僕に勝てるわけないだろ」
「調子に乗ってるのはお前の方やろ」
不敵な笑みを返しながら、レイは男の言葉が少しひっかかった。
自分がただの人間なら、己は何だと言うのか。ただの思いあがった人間なのか、それとも……。
「めんどくさいから、とっととカタつけさせてもらうよ」
言うなり、男は右の手のひらをレイに向けた。最初に攻撃を仕掛けた方と同じ腕。
今度は態勢を崩さないように、男の手の直線上から身をかわす。次の瞬間、氷柱がそこに現れた。
「ちっ」
氷柱を避けて近付くレイに、男は今度は左の手のひらを向けた。
レイは再びその直線上から身をかわす。だが、直ぐには何も襲ってこず、レイの動きを追うように男が手を動かした後、風が巻き起こった。
態勢を崩しながらも、レイはそれを避け、再び少し距離をとった。
「攻撃は本人から一メートル先の、直線一メートルってとこか」
「それがなんだよ」
男はせせら笑いながら、再びレイに左手を向ける。
今度は手のひらに紋様が描かれているのをはっきりと確認したが、武器の有無はわからない。地面をけって直線上から逃げながら、男の手から目を放さずにいると、ぽぅっと手のひらの紋様が光った様に見えた。次の瞬間、風が襲ってくる。
後ろに飛んで避け、着地した瞬間に男に向かって行く。
男が右手を向け、氷柱の攻撃を仕掛けてくるまで、2秒、3秒――。
「っ……」
風の攻撃から氷柱の攻撃まで、きっかり3秒。
ぎりぎり攻撃をかわしたレイは再び距離をとった。
「避けてるだけじゃ、勝てないよ、おっさん。おっさんなんだから、体力つきちゃうだけじゃない?」
「お気遣いどうも」
楽しげな男に、軽く返すレイ。
これくらいで疲れるほど、やわな身体ではない。それにまだ、本気で仕掛けてはいない。
「もう、大人しく切り刻まれてくれないかなぁ。美波と過ごす時間が減っちゃうだろ」
少し苛立たしげに言いながら、男は左手を向けた。再び風がレイを襲おうとし、避けたレイが間合いを詰める前に氷柱がレイを襲う。
それを数度繰り返し、苛立ちがつのる男とは対照的に、レイは冷静になっていた。
攻撃の理屈はわからないが、法則のない攻撃はない。
男の攻撃は、手のひらを向けた直線上のみ、範囲は一メートル。攻撃と攻撃の間は最速で3秒。左右交互ではなくとも、3秒あければ連続攻撃は可能。
これだけわかれば十分だった。
得体のしれない攻撃も、法則がわかればよけながら攻撃を仕掛ける事は容易い。男の体術が一般人レベルなのは、立ち回りを見てすぐにわかっていた。
「さて、と」
不安げに見つめる美波と陸をちらりと見てから、レイは一度目を閉じた。そして再び目を開け、男を静かに見つめる。
男はびくっと身体を震わせた。
「そ、そんな目をしても無駄だ! ただの人間が、僕に敵う訳がない!!」
レイの殺気にうろたえながら、男は右手を差し出した。氷柱を交わし、レイは地を蹴る。
本気を出せば、3秒もあれば男の懐に入るのは容易だった。
男は反射的に右手をレイに向けたが、3秒たっていない今、氷柱はまだ襲ってはこない。
男の目が驚愕で見開かれたのを見ながら、レイは男の側頭部に向かって右足を振り抜いた。間違いなく、一撃で意識がとぶだろう威力の上段蹴り。
だが、それが男に届く前に、レイの足は壁を蹴ったかのような衝撃を受けた。
痛みに思わず顔をしかめながら、レイは襲ってくる氷の柱から避けるべく、左足で地を蹴り後ろに下がった。
氷柱は避けられたが、右足に痛みが残っている。手加減なく振り抜いた足は、何もないはずの場所で何かに阻まれ、痛みだけを残した。
「は、ははは。ほら、僕に勝てるわけないってわかったろ」
レイの攻撃に肝を冷やしたのか、引きつった笑みを浮かべながら男は言った。
レイはぐっと奥歯を噛みしめた。
読みが甘かった。攻撃だけではなく、防御にも特殊な何かがあると疑う事はできたはずだ。ここで足を痛めたのは、正直まずい。
「ぼ、僕も戦う。一人よりいいだろ!」
「来るな!」
歩み寄ってくる陸の気配を背中で感じ、レイは振りかえらずに鋭い声をだした。陸の足が止まる。
「お前は美波を守っとけばええんや」
「でも、今足を……」
「大丈夫や」
「でも……」
「でもやない。お前も、傷一つつけたくないおっちゃんの宝物や。黙って守られとけ」
「…………」
陸が大人しく元の位置に下がったのを感じ、ほっとしたものの、内心は少し焦っていた。
自分の攻撃が相手に届かないのは、厳しい。
防御にもある一定の法則があるはずだが、それを確認するには数度の攻撃が必要で、相手の攻撃を交わしながら何度か繰り返すのに、右足が素早い動きについて行けるか微妙な所だった。
だが、諦める事も弱音を吐く事も許される状況ではない。
後ろの二人がいる限り、負けや逃走はありえない。そんな事をしたら、二人の両親に合わせる顔がない。
暗殺者として育てられた自分を、闇の中から光の世界へ導いてくれたのは、二人の祖父母と両親だ。彼らの宝もである子供たちに、傷一つつけたくない。
ふぅっと息を吐き、集中力を高める。痛みが引き、感覚が鋭くなる。
自分の身体がどうなろうと、二人は守る。
そう誓い、レイは再び男に向かって攻撃を仕掛けたのだった。