4:兄弟とおっちゃん
「これが美波の部屋に、ね」
事情を話し、カードを見せると、両親の友人であるレイはあまり見た事のない真面目な顔で呟いた。
レイは、美波たちが物心ついた時には、時々現れる変なおじさんとして全員が認識していた相手だ。いつもふらりと現れては、子供たち、主に美波にじゃれつこうとし、翼と陸に撃退されてはいじけてみせる、というふざけた相手だった。関西の人が聞いたら怒りそうなもエセ大阪弁も胡散臭い。年齢不詳、職業不詳の謎の人物。
ただ、自分たちが成長するにつれて、どうやらただ者ではないらしい事だけはわかった。
恐らく40代のはずだが、そうは見えない無駄なく鍛え上げられた体躯。どれだけ本気で攻撃しても、かすり傷一つつけない身のこなし。そして、見事な気配の消し方……。
何の仕事をしているのか知らないが、いつも簡単にやられてくれるこのふざけた大人は、本気を出されたら敵わぬ相手だと、翼も陸も薄々気づいていた。
「両親が帰ってくる予定は?」
「あと3週間後」
カードをテーブルに置き、尋ねたレイに、陸がパソコンをいじりながら不貞腐れた顔で答えた。レイは苦笑を浮かべる。
「まーた出張に連れてったんか。どんだけ好きやねん」
「肝心な時にいないなんて、困った父親だよね」
「翼、一応連絡しとき」
陸の言葉を流して自分に話しかけたレイに、翼はこくりと頷くと、両親に連絡を入れに席をはずした。
レイは、不安げな美波に視線を移す。
「美波、部屋見せてもらってもええか?」
「あ、はい」
気遣う綺麗な青い瞳で見つめられ、美波は頷いてレイを自分の部屋に案内した。ドアを開ける手が、わずかに震える。
「もう誰もおらんから、大丈夫や」
そう言って肩に置かれた大きな手が温かくて頼もしく、美波はほっとする。
レイは一人で部屋に入ると、まず窓の付近を調べ、床や入り口のドアを観察し、それから美波を呼び寄せて部屋から何もなくなっていないかを確認させた。
その様子を、気になってやってきたらしい陸が覗きに現れ、半眼でレイを睨んだ。
「やっぱり犯人あんたじゃないの? 美波の事怖がらせて、美波に自分の事頼らせたり、女子高生の部屋を堂々と漁りたかったんじゃないの?」
「おっちゃん、陸の中でどれだけ変態扱いやねん!」
「だってやっぱり、翼兄がいて気付かないなんて変じゃん」
陸はそれがどうしても納得いかないようだった。
そもそも、翼が人の気配をよむのに長けているのは、もとはと言えばレイのせいだ。
大人気のない金髪のおっちゃんは、まだ翼が幼いころから遊びに手を抜かなかった。特にかくれんぼがそうだ。翼や陸がどんなに上手に隠れたと思っても、すぐさま見つける。どれだけ巧妙に、物音ひとつたてずに隠れていても、迷いもせずにその場所に来た。
それが幼心に悔しくて、翼は何故場所が分かるのか聞いた。そこで初めて、人の気配という物を教えられた。
ただこのふざけたおっちゃんにかくれんぼで勝ちたくて、曾祖父や父に気配の感じ方や消し方を教わった。すぐに習得できるわけがなく、陸はすぐに興味をなくしたが、負けず嫌いの翼はずっとその修練をしてきた。
高校生になった今、その感覚はかなり磨かれている。
たとえ意識していなくても、隣の部屋に誰かが侵入して、気付かぬはずがない。
「こんな事が出来て美波にちょっかい出す変態なんて、絶対にあんたしかいない! 犯人は、お前だ!!」
「おっちゃん、変態ちゃうわ!」
「じゃあ、変質者!」
「あんま意味かわっとらんし!」
「何ふざけてんの?」
テンション高く言い合っていた二人に、翼の呆れた声が交じりこんだ。
二人はやりあうのを止め、翼を見つめた。
「二人は何やて?」
「レイさんがいるなら、任せておけば心配ないだろうって」
「いやーん。おっちゃんってば信用されとるっ」
少々不満げに見つめている翼の前で、両手で両頬を挟み、身体をくねらせ、照れて見せるレイ。翼と陸の視線がさらに冷たいものに変わり、美波は苦笑いを浮かべた。
「でも、いる間に解決しなかったらただじゃすまされない気配がするのは、気のせいやろか」
ふざけた姿勢のまま、ふと遠い目になったレイに、陸がこくりと頷いた。
「気のせいじゃないよ。任されるって事は、責任もって解決するって事でしょ。出来なかったらただじゃおかないよ。犯人じゃないなら、すぐに捕まえろよな。一刻も早く、身の潔白を証明すべきだ!」
「まぁ、心配やし、さっさと捕まえるつもりやけど……」
レイは普通の立ち姿に戻ると、調べを終えた美波を見つめた。
「なくなってるもの、あったか?」
「いいえ。たぶん、何も盗られてないです」
その事に少しだけ安堵しながら答える美波。なくなっている物があったらと思うと、ゾッとする。
「そらよかった。でも、愛しの美波の部屋にまんまと侵入できたのに、何も盗らずにメッセージカードを残しただけって……どうなんやろな」
腕を組んで思案顔のレイを見上げながら、陸が口を開く。
「盗聴器を疑ってるなら、探す機械持ってこようか?」
「そら助かる……って、何で中学生がそんなもん持ってんのやっ!?」
「ん、役に立つ時があるかなって。ちょっと持ってくる」
平然とした顔で美波の部屋を後にする陸の背中を、レイは半眼で見送る。
「おっちゃん、陸の将来が心配や……」
「悪事には手を染めない子だから大丈夫ですよ」
同じ心配をちょっぴりしつつ、苦笑いでフォローする美波。
翼が小さく溜息をついている中、陸は平然とした様子で機械を持ってきたのだった。
「盗られた物もなし、盗聴器もなし。本の上にカードを置いてっただけの、気配を消せる人間って……やっぱりレイさんのドッキリじゃないの?」
美波の部屋の捜索を終え、四人は居間に戻っていた。
陸の執拗な疑いの眼差しに、レイはぶんぶんと首を振る。
「おっちゃんが美波を怖がらせるようなドッキリをやるはずないやん! 濡れ衣やっ!」
「でも……」
納得のいかない様子の陸に、レイは半眼になりながら溜息をついた。
「まぁ、そう思いたい気持ちもわかるけどな。侵入した形跡を何処にも残さず、翼に気配を気取られない人間なんて、素人にそういるとは思えへんし」
「やっぱり、侵入した形跡もなかったんですか?」
翼が真剣な面持ちで尋ねると、レイは小さく頷いた。
「あぁ。この分だと、指紋調べても残ってないやろな」
「それって……かなり性質の悪い相手だよね」
陸が眉間にしわを寄せながら呟く。パソコンに向かって今まで自分が集めたデータの中に条件が当てはまりそうな人物を探しているが、見つかるはずがなかった。そもそも、誰が気配を消せるかなど陸にはわからない。武道をやっていれば出来るわけでもないし、自分が感じ取れないものをデータにはできない。
三人の話を聞きながら、美波は不安げに瞳を揺らした。
何処よりも安心できると思っていたこの家に、人知れず誰かが侵入した。そして、その人物はいつも自分を見ているのだ。それは、とても怖い。
美波が不安で俯きがちになった時、ふわりと頭の上に手が置かれた。
顔を上げると翼が美波の髪を優しく撫でていた。
「ごめんな。俺がしっかりしてないから、美波を不安にさせて」
「そんな、お兄ちゃんのせいじゃないよ」
慌てて笑みを浮かべた美波に同意するように、陸がこくりと頷いた。
「そうだ。翼兄のせいじゃない。こいつのせいだ」
「なんでやねん!」
こいつ呼ばわりされたレイが陸に突っ込む。そして、二人で漫才のような掛け合いが始まった。
それを見ているうちに、美波は自然と笑みが浮かんできた。翼も呆れ顔で見つつ、力の抜けたような表情になっている。
美波は、レイがいてくれて本当に良かったと思った。
きっと兄弟だけだったら、自分だけではなく、翼も陸も不安を抱えたまま一夜を過ごしただろう。今も不安がないわけではないが、押しつぶされそうな不安ではない。レイが気持ちを軽くしてくれていた。陸は八つ当たる事で不安を発散しているし、翼は自分だけでは無理な事をフォローしてくれる存在に安堵している。この場を明るくしてくれる存在は、とてもありがたかった。
「とりあえず、今日はもう何もあらへんはずやし、美波は風呂入って、他の部屋で休んだ方がええ。今日は一晩おっちゃんがおるから、安心してええで」
陸との掛け合いが終わり、レイは優しい眼差しで美波を見つめながらそう言った。
「はい、ありがとうございます。レイさんがいるなら安心です」
笑顔を返した美波に、レイはでれっとした顔になる。
「何なら、風呂場で襲われない様に、俺が一緒に入って……」
「そういう所が変態なんだよっ!」
「やっぱりあんたも危険因子だっ!」
レイの発言に、陸と翼が天誅を下す。
二人に縁側まで吹き飛ばされ、その場でしくしくと泣き真似を始める大人。
「小さい頃は一緒にはいっとったやーん」
「ガキの頃と一緒にするな! この変質者が!」
陸に追撃を喰らわされてわめいているレイを見ながら、美波はクスクスと笑った。
皆がいてくれるから大丈夫。
そう頭を切り替えて、美波はお風呂でゆっくりと心身を安らげ、母の部屋で眠りについたのだった。