最終話:恋の行方
「で、何で連絡先を交換してないわけ?」
犯人逮捕の知らせを受けて神崎家にやってきたみゆきに呆れ顔でそう言われ、美波は肩を落とした。
「だって、そんな雰囲気じゃなかったんだもん……」
美波は数時間前の事を思い出し、深い溜息をついた。
柊は捕らえた男を魔法界に移送すると言って、廃工場で一度別れる事になった。レイや神崎兄弟は男に満足なダメージを与えられた事で機嫌を良くし、美波もこれで解決したのだとほっとし、軽い足取りで帰ってきたのだ。
神崎家の居間でお茶を飲みながらほっと一息つき、しばらくした頃に、柊はふらりと現れた。
男は専門の部署に引き渡され、然るべき処罰をうけるらしい。当分こちらの世界に来る事は許されないし、あれだけの目にあったらもう美波に近付く事はないだろうと、安心させるように説明してくれた。
そして、もうこんな事は起きないと思うが、万が一魔法かと思われる不可思議な力で何かあったら、いつでも自分を呼んでくださいと言ってくれたのだ。
「何よ、チャンスがあったんじゃない」
「……お兄ちゃんたちもいるのに、チャンスだと思う?」
「あぁ」
みゆきは現状をイメージして、苦笑いを浮かべた。
こっそりと美波に言ったならともかく、彼は神崎家の皆に言ったのだろう。美波が柊に好意を寄せている事に気づかない兄弟ではないから、美波に連絡先を教えるようなヘマをするわけがない。
「お兄ちゃんが連絡先聞いて、そのまま袴田くんを送って行っちゃったの。ゆっくりお茶でもしていってほしかったのに、もうお礼も言っただろ? とか言って、問答無用で……」
「彼の学校知ってるんだし、会いたいなら行けばいいじゃない」
「そんな勇気……ない」
美波は項垂れた。もともと、そんなに積極的な性格ではない。それに今まで、兄たちの強さを見て逃げていかなかった男の子はいないのだ。柊も、美波が会いに行く事によって翼や陸に脅されたりしたら、迷惑だろう。そう思うと、何も出来ない。
「確かにまぁ、まずはシスコン兄弟をどうにかしないと、相手に迷惑かもね」
「そうなの……」
はぁっと溜息をついて自分のベッドの上に転がった美波の髪を、ベッドに座ったみゆきは優しく撫でた。
「まぁ、頑張りなよ」
「うん……」
「それにしても」
みゆきは好奇心に満ちた瞳を輝かせた。
「魔法使いやら、異世界やら、世の中ってまだ知らない事がたくさんあるのね。でも、それって隠さなくていい事なの? 私に話してもよかったのかしら」
全て説明した美波の話を、みゆきはすんなりと信じてくれた。実際に魔法を見てはいないが、カード出現の謎は魔法という存在で納得がいく物だったし、美波がそんなくだらない嘘をつくはずがないと思ったかららしい。美波と違って現実的なみゆきだが、知的好奇心として興味があるようだ。
「うん。信用できる相手にならいいって言ってた。魔法の話したって、普通は信じないだろうしって」
「確かにね。うちの父に話しても、頭がどうかしたのかと疑われるだけかも。母は喜んでくいついてきそうだけど」
「それに、悪意を持って吹聴するような人には、忘れてもらう事も出来るって言うから……」
瞳に影を落とした美波を見て、みゆきは軽く眉をひそめた。
「それって、記憶を消すって事? 魔法って、そんな事もできるの?」
「催眠術の強力なものって感じらしいよ。自分の害になるような暗示はかけられないけど、魔法に関することを忘れさせることくらいできるって」
「……下手に話すと、彼の事すら忘れさせられちゃうかもって心配してるのね」
「うん……」
本当は、聞かれたのだ。魔法で恐い思いをしたのだから、忘れたいなら今回の事を全て忘れさせてあげる事も出来るが、どうするかと……。
不気味なカードも、レイや陸が危ない目にあったのも恐かったが、でも、忘れたい程のトラウマではなかった。それよりも、自分の事も忘れてもかまわないと思われた事が哀しかった。
「せっかくいい人に出会えたと思ったのになぁ……」
ぼそりと呟いた美波に、みゆきが優しい笑顔を向ける。
「何、あきらめたような事言ってるのよ。まだまだこれからでしょ。ゆっくりとでも頑張っていけば、いつかあの双璧も崩せるわよ」
「そうかなぁ……。私、これから先、恋愛できるのかなぁ……」
今回のような事があった時、自分には最強のボディーガードがいてくれると思うと、安心だった。だが、そのボディーガードは、恋すらも寄せ付けないのだ。
柊ならばそこを突破しれるのではとほのかに期待したが、忘れられてもかまわないと思われている様では、その望みは薄い。自分だけではなく、相手も想ってくれていなくてはボディーガードに勝てるはずがない……。
結局、みゆきには謎のカードの解決話よりも、愚痴を聞いてもらう事になったが、美波の部屋で思う存分女子トークをした美波は、心が少し軽くなっていた。恋ができなくても、こんな親友がいてくれる自分は幸せだと、自分を慰めていた。
その、一週間後……。
道場の横を通り過ぎ、母屋に向かおうとしていた美波は、突如立ち止り、ゆっくりと後ろ足で数歩戻った。視界の端に、何か大切な物が映った気がしたのだ。
開けられた道場の扉の向こうを見ると、見覚えのある後姿があった。驚きに目を見開き、小走りに道場の入口に駆け寄る。
その気配を感じたのか、その後姿の持ち主は、くるっと振り返った。
「あ、美波さん。お帰りなさい」
「袴田くん!!」
道着姿の柊を見て、美波はぱぁっと顔を輝かせた。ここで道着を着ているという事は、柊は神崎道場に入門したという事だ。ならば、最低でも週に一度は会える。
「翼さん達を見て、僕ももう少し鍛えなきゃと思って」
にこやかに述べた柊だったが、何かを思い出したのか、しまったというように顔をしかめた。美波が何だろうと思った瞬間、柊の首にがしっと逞しい腕が巻きつけられた。
「柊。入門するに当たっての条件を忘れてないだろうな?」
「わ、わかってます。忘れてないです。挨拶しただけです」
苦しげに答えた柊から腕を外したのは、同じく道着姿の翼だった。翼にひと睨みされ、柊は美波にぺこりと頭を下げると、ストレッチをはじめた他の門下生のもとに小走りに向かって行った。
残された美波は、兄を上目づかいに睨んだ。
「何、条件って」
「武道を学ぶのに、浮かれた気持ちは怪我の元だからな。この道場にいる間は、美波に話しかけるなと言ってある」
「何それ!!」
「稽古が終ったあとにお茶に誘われても断れとも言ってある」
「なっ……」
あまりの横暴ぶりに絶句した美波に爽やかな笑みを返し、翼はあっさりと稽古に戻って行った。きっちりと扉も閉ざしていったので、中の様子を覗き見る事もできない。
せっかく柊と会えるチャンスだと思ったのに、これでは話す事はおろか、姿を見ることすら難しそうだ。柊は素直に翼の言う事を聞くだろう……。
「しかも、お兄ちゃんだけずるい」
いつのまにか親しげに『柊』と呼び捨てにしていた兄に、嫉妬すら覚える。
やっぱりこの淡い想いは、恋に発展する事はないのだろうか……。
陸が以前言っていた情報をすっかり忘れ、美波は本気で落ち込んでいた。
そう。忘れていたのだ。
柊の第一希望が、自分の高校だったという事を。
柊が入学してくる頃には、翼は卒業しているという事を。
数ヵ月後、新入生の中に柊の姿を見つけるまで、美波はこの先の幸せな日々を想像することなど出来なかった。
兄や弟に邪魔される事なく、窓の外に見つけた柊の姿を見つめる喜びを。
廊下ですれ違う時に笑顔を向けられるだけで高鳴る胸のときめきを。
落ち込んだ月日の分だけ、甘く輝く日々。
この気持ちは片想いで終わるのか、それとも恋は実るのか……。
そんな悩みすら今まで知らなかった美波。
初めての等身大の恋を本当に知るまで、あと少し季節がめぐるのを待つだけだと知らぬまま、美波は今日で帰ってしまうレイの為に豪華な夕飯を作るべく、落ち込んだ自分を奮い立たせて台所に立ったのだった。
END




