13:逆襲
神崎家に結界魔法とやらをかけてから去っていった柊は、翌朝には男の居所をつかんで神崎家を訪れていた。柊曰く、守護者はあちこちにいて、そのネットワークを使えば対象者を探し出す事はそう難しくないそうだ。
「なんで美波さんまでついてくるんですか」
神崎家を出た後に溜息混じりにそう言われ、美波は心外だというように柊の横顔を見た。
「私の為に捕まえようとしてくれているのに、私だけ安全な場所にいるのはおかしいでしょ」
「あなたの安全を確保したいから捕らえにいくのだから、安全な場所にいてくれた方が安心だと思いますが……」
すでに心労からかぐったりとした様子の柊を横目で見ながら、レイはくくっと笑う。柊は意外そうにレイに視線を向けた。
「心配だから帰れって言わないんですか?」
「言っても無駄やろ。そういう所は母親譲りや。無理に帰してもこっそりとつけてきて、よけいややこしくなるだけや」
「そうですか……」
疲れたように相槌を返しながら、柊は万が一の時に全員をどう守るか頭の中でシミュレーションをし直しはじめたようだった。口を閉ざし、考え込むような眼差しで、黙々と目的地に向かっている。陸はモバイルパソコンを片手に軽い足取りで最後尾を歩き、翼は首や肩を動かしてストレッチしながら陸の少し前を行っていた。
「あそこです」
街の外れの廃工場が見えると、柊はそこを指さした。
「中がどうなってるかわかるか?」
「機械や廃材は残っているようですが、動き回るのに不便な程ではありません」
「ふぅん」
短く答えたレイの瞳は、すぅっと冷たくなっていった。そこには美波にたちに向ける優しさを含んだ眼差しは何処にもなく、隣にいた柊はぞくっと悪寒すら感じた。自分も戦闘訓練や実戦を重ねているが、ひょっとしたらまだ甘っちょろい経験でしかないのかもしれないと思わされた。
廃工場の錆びた入り口の前で、一行は一旦立ち止った。
「美波さんと陸くんは、ここで待っていてください」
これから先は危険だからと止めた柊に、陸は唇を尖らせた。
「やだよ。戦うとこ見たいし」
「ですが、中は廃材などあって普通に危ないです。戦闘の余波で物が落ちて怪我したら大変ですし……」
「そんなに間抜けじゃないって。美波の事も、僕が守るから大丈夫だよ。ね、美波。美波も中で見てたいよね?」
「うん。ここまで来たからにはちゃんと見届けたい」
言う事を聞いてくれそうにない二人に困り、助けを求めるようにレイと翼を見た柊だったが、援護は得られそうにないと察して諦めたように溜息をついた。
「では、なるべく入り口のすぐそばにいて、いつでも逃げられるようにしていてくださいね」
「大丈夫や。瞬殺したる」
隣で発言したレイの雰囲気に再びぞくっとした柊は、恐る恐るレイを見上げた。
「あの、大丈夫だとは思いますが……生け捕りでお願いしますね」
もしかしたら言葉のあやでなく本当に瞬殺しかねないのではと感じるほど冷たいレイの瞳に、懸念する柊。レイはにやっと唇の片はしを上げた。
「美波がおる前では、そんなことはせん」
言外にいなかったらするかもしれない事を悟り、柊はレイが美波の動向を了承したもう一つの意味がわかった気がした。自分がやり過ぎない為の保険に違いない。
それなら仕方がないと諦め、柊は扉に手をかけた。僅かな魔力を感じ取り、微弱な結界魔法が掛けられている事を悟った柊は、扉に簡単な魔法陣をすっとかくと、それを解除する。中で男が、自分たちが来た事を察し、動き出したのを感じながら重い扉をあけた。
男は、背の低い機械の向こうで身構えながら、入ってきた人物を見定めようとしていた。複数の守護者が来たと勘違いしていたのか最初は警戒していた男だが、現れたのが若い守護者一人と、あとは美波と美波の身内だけだとわかると、明らかに気を抜いたのがわかった。
「わざわざ美波を連れてきてくれるなんて、親切だね」
絡みつくような男の視線に嫌悪を感じ、美波は庇うように立った陸の背中にそっと隠れた。
「そんな子供の守護者と魔法も使えないただの人間だけで、僕に勝てると思ってるのかい?」
「なんや、お前まで見下されとるで?」
からかうようなレイの声に、柊は大きな溜息をついた。
「昨日の一件で相手の実力を測れないのは、彼の力が大したことないからです。自分に酔ってるだけですよ」
「ふぅん」
レイは目を眇め、男を見遣った。男は、ムッとした様に声を少し尖らせる。
「何をごちゃごちゃ言ってるんだよ。さっさと美波を僕に渡した方がいいよ。さもないと、痛い目に……」
男の言葉は最後まで続かなかった。男の視界から、レイが消えたのだ。慌てて辺りを見回すが、見つけることが出来ない。左手を上げて、いつでも魔法を発動できるように身構える男。が、次の瞬間、背筋を貫くように悪寒が走り、男は本能的に身を固くした。防御魔法は既に発動してあったが、それでも身を守ろうとしてしまったのだ。
だがその時、男を守っていたはずの防御魔法が消滅した。はっと目を見開き守護者の少年を見ると、憐れむような彼と目が合う。それも一瞬で、気がつけば男の身体は数メートル横に吹っ飛んでいた。
何が起こったか分からないまま床を転がった男は、身体の回転が止まった所で、ようやく左肩に激しい痛みを感じた。床に這いつくばったまま何とか顔を上げると、先程まで自分がいた所から、金髪の男が凍るような眼差しで自分を見おろしていた。
「痛い目にあわすんと違うんか?」
嘲笑うような金髪の男に、肝が冷える。昨日は実力の半分もだしていなかったのだろう。肌が泡立つようなプレッシャーはなかったし、動きも昨日より格段に上だった。
本能的に逃げる事を選んだ男だったが、目くらましに攻撃魔法を使おうと、かろうじて右手をレイに向けたものの、レイはただ冷たい微笑を浮かべただけで、避ける素振りすら見せなかった。男が嫌な予感を覚えた時、背後で呆れた声がした。
「ほんと、タネがわかれば大したことないんだな」
振り返る間もなく、今度は右肩に強烈な踵落としを喰らわされ、男は地面に突っ伏した。両肩に力が入らず、手を使って起き上がることができない。
「なかなかええ蹴りするようになったやないか、翼」
「素人にやるのは、本当は気が進まないんだけどね。でも、可愛い妹に手をだそうとした男になら、仕方がないか」
どうにか顔を横に向けた男は、自分の頭の方に移動し己を見おろしている美波の兄の足元を呆然と見た。ただの人間に、魔法という素晴らしい力が使える自分がやられた事をまだ信じられないでいる。
「ホントに瞬殺だったね。口のわりに、不甲斐ない奴だなぁ」
呆れ声を出しながら、愛らしい笑顔で近づいてくる陸の手には、起動したモバイルパソコンがあった。レイと翼に見おろされ、射すくめられたように身じろぎもしない男の顔元にしゃがみ込み、パソコンの画面を男に見せる陸。虚ろな目で内容を見た男の肩が思わずびくっと動き、男はその痛みに顔を歪める。
陸はそんな様子を気にも留めず、ニコニコと楽しげに男に話しかけた。
「ねーねー、どのネタから世間にさらされたい? もしかしたらあっちの世界に連れて行かれちゃうのかもしれないけど、でも、どの世界でも他人に知られるのは嫌って事もあるよねぇ」
「……ど、どこで、そんな事を」
「情報源は秘密にきまってるでしょ」
身体の痛みとは別に青ざめた男を見て、レイと翼が怪訝そうに顔を見合わせると、しゃがんで画面を覗きこんだ。そして、顔を引きつらせる。
「陸……一晩でどう調べたんや」
「我が弟ながら、恐っ」
画面には、自分なら他人に知られたら恥ずかしくて消えてしまいたいような内容が羅列されていた。男がうろたえるという事はそれは事実に違いなく、他人の赤裸々な情報をただの中学生が一晩で手に入れる事は、普通なら考えられない事だ。
だが、陸は悪びれた様子もなく愛らしい笑みを浮かべている。
「二人にも、秘密だよ。で、どの情報から曝されたい?」
身体能力的に恐ろしさを感じる二人と、天使の笑顔で悪魔の様な精神攻撃を仕掛けてくる少年に囲まれ、男の顔は顔面蒼白になっていた。もはや、美波を自分の物だと勘違いし、魔法が使える自分は強いと思いあがった様子はかけらもない。
柊はその光景を、入り口そばで立ちすくんだまま呆然と見ていた。強そうだと思ってはいたが、レイの強さは柊の想像の遥か上を行っていた。瞬殺するという宣言は誇大表現ではなく、相手と自分の実力差をわかった上での正確な表現だったのだ。昨日は未知の攻撃に警戒して動きが鈍っただけで、攻撃の理屈がわかれば、彼にとって魔法などとるに足らぬ事だったらしい。確かに、姿を見失う程早く動かれ、魔法を使う前に腕をやられては、もうどうにもならない。
そして、翼にも舌を巻いていた。レイが動いた瞬間、柊が慌てて防御魔法の解除をしようとした時には、翼はレイの動きを予測して逆方向に動いていた。気配を消し、転がってくる男の背後に音もなく回り込んだのだ。そして、翼も手を使えないように肩を狙った。
手が使えなくても魔法を使える方法はなくはないが、男には出来ない芸当だろう。もし出来る実力があったとしても、あのプレッシャーの中でやる気にはならないはずだ。可愛らしい弟の精神攻撃も、相当効いているように見える。
「袴田くん?」
一瞬で決着がついたにも関わらず、男を捕えにいかない柊に美波がそっと声をかけると、柊ははっと我に返って美波を見た。
「あの、大丈夫?」
「あぁ、すみません。あまりにすごかったので、ちょっとびっくりして」
頭をかく柊を、美波は大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、綺麗な髪をさらりと揺らして首を傾げた。
「レイさんって相当すごいの?」
怪訝そうに尋ねた美波に、柊は少し驚く。
「美波さんは、驚かないんですか? あんなに強い人が実在するなんて、僕は今まで知りませんでしたけど」
「私が、魔法が使える人がいるって知って驚いたのと同じくらいの衝撃だったりする?」
「おそらくは、同じくらいの衝撃でしょうね。未だに信じられません」
「そっかぁ……」
まだ柊の驚きが腑に落ちない様子の美波を困惑気味に見ていると、美波は恥ずかしそうに困ったような笑みを浮かべた。
「えーと、あのね。普通より強いとは思ってるけど、両親のもう一人のお友達も、父も、同じくらい強いみたいだし、レイさん、私の祖母や曾祖父に勝てた事ないし、これからも勝てる気がしないって言ってたの。だから、高校全国一位のお兄ちゃんより強いのは確かだけど、大人なら同じくらい強い人ってたくさんいるのかなーって思ってて……」
「いやいやいやいやいや」
柊は思わず激しく首を振った。
レイみたいな人間がゴロゴロ存在するなど、魔法界が存在すること以上に驚くべき事な気がする。
「翼さんでも、十分すぎるほど強いですよ」
「そっかぁ。普通の強さじゃないんだ」
どことなく疑問に思ってはいたらしい美波だが、柊の驚きで、自分の感覚がずれていた事を納得したようだった。
柊は、美波が狙われる理由を探ろうと、美波の身辺を調べた事をふと思い出した。
おそらくは恋愛関係だと踏んで美波の交友関係を調べたのだが、驚くほど異性との浮いた話がなかった。誰かが美波に想いを寄せていたという話すら、殆ど浮かんでこなかったのだ。見た目は相当レベルが高く、話した感じも愛らしかった美波が誰からも告白すらされない事に疑問を感じていた柊だったが、まだ男を追い詰めている三人と、どこか天然の風情がある美波をみて、妙に納得する。皆、片想いを続けるよりも、自分の身の方が可愛かったに違いない。
「世間って、広いんですね。今回、物凄く勉強になりました。僕もまだまだ修行不足ですね。助けるどころか、今回ほとんど何もできませんでした」
吐息交じりに呟いた柊に、美波は励ますような笑みを向けた。
「そんな事ないよ。袴田くんがいてくれたから、レイさんたちものびのび戦えたんだし」
「そうでしょうか?」
自信なさげな柊に、美波は力強く頷く。
「そうだよ。昨日は私や陸の事を気にかけてたから動きづらかったけど、今日は袴田くんが絶対に守ってくれるって安心があったから、迷いなく動けたんだよ、きっと。防御魔法も袴田くんが解除してくれたから、怪我せずに攻撃できたんだし。だから、袴田くんのおかげだよ。ありがとう」
美波の笑顔につられるように、柊も微笑んだ。
魔法によって恐い思いをしたのに、自分も魔法という未知の力を使う異世界の人間なのに、怯えを一切感じさせず、他の人に向けるのと変わらぬあたたかで優しい笑顔を向けてくれたのが嬉しかった。
だが、柊のほんわかした気分は長くは続かなかった。美波と穏やかに微笑みあっている間に、倒れた男の顔色が尋常ではなくなっていた。肉体的に追撃をされた様子はないが、精神的攻撃と強烈な殺気を浴びせられ続け、限界の様子だ。
柊は苦笑いを浮かべ、美波にはその場で待っているように言うと、小走りに彼らのもとに走っていき、男を魔法で拘束し、逮捕したのだった。




