10:犯人と追跡者
何度目かの攻撃を見えない防壁に阻まれたレイは、一旦距離をとり、余裕の笑みを浮かべている男を睨んでいた。
攻撃パターンを変えても、防壁は破れなかった。左右の攻撃のように、必要な時間はないようだった。だが、完全無欠な防御などあるはずがない。
レイはふぅっと息を吐き、男の様子を冷静に見つめた。
男の攻撃が届く距離よりも離れているレイ。だが男は、負傷し、体力も削られているように見えるレイに追い打ちをかけに近付いてくる様子はなかった。先程と変わらぬ場所で、動かずに不気味な笑みを浮かべているだけだ。
「さっさと降参しなよ、おじさん」
「降参する気はない」
即答したレイに、男は呆れたというように肩をすくめた。
「この僕に勝てると、まだ思ってるの? 愚かだね」
そう言いながらも、男はレイに近付いてくる気配はなかった。それを見て、レイは確信する。防壁は、あの場所でのみ有効なのだ。
だが、それがわかったところで、男をあの場所から動かす手立てはすぐに思い浮かばなかった。得体の知れない力を使う男に、下手な手は打てない。それに、逃走する事もはばかられた。妙な力でいつ何処で襲われるかわからぬ状況は、今よりよいとは思えない。
少しの間、静かに男と睨み合っていたが、終止符を打ったのは背後からの声だった。
「やっぱり、僕も戦う!!」
「陸っ!?」
制止しようとしたが、遅かった。陸が美波から離れ、レイに向かって駆けてくる。レイは陸に視線を移そうとし、その視界の端に男の笑みと、今まで見せた事のない宙に何かを描くような動きを見て、ぞくっと背筋に悪寒が走った。
「もう面倒くさいから、二人とも一緒に消えちゃいなよ」
攻撃の届く距離ではない。だが、本能が危険を知らせている。
レイは足の痛みを忘れ、駆け寄ってきた陸を両腕に抱き抱えると、思い切り横に飛んだ。
次の瞬間、二人のいた場所を巨大な炎が焼きつくした。レイの腕の中で、陸が息をのんだ。
「まだ隠し持っていたか……」
地面を転がり、離れた場所で起き上がって陸を自分の背に隠してから、レイはまだ燃えている雑草を見ながら苦々しげに呟いた。
先程までの攻撃とは、距離も威力も桁違いだ。おそらく、その分連続しては使えないのだろう。だからこそ、今まで使わずにいたのだ。あの場から動かずに、距離も威力もある攻撃をしかけられる。そう考えると、攻撃の手段がますます困難になってくる。
陸を守りながら睨んでいるレイを見て、男は不気味な笑顔を浮かべた。
「もう逃げ回るのを見るのは飽きたよ。これ以上、美波との時間を削られたくないからね」
そう言って、再び宙に何かを描く男。レイと陸が身を堅くしていると、凛とした声が響いた。
「もう止めてください!」
美波の声に、男の動きが止まる。そして、うっとりとした笑みを美波に向けた。
「あぁ、やっぱり美波の声は可愛いね」
男に怯えるように震える手を握りしめ、美波は言葉を続けた。
「目的は私でしょう。私があなたと一緒に行きますから、もう、二人を傷つけようとするのはやめてください!」
「アホな事言うな!!」
生まれて初めてレイに怒鳴られた美波だったが、怯む事はなかった。男を真っ直ぐに見つめたまま、交渉を続ける。
「ただ、情けない事に、今、足に力が入らなくて、そちらまで歩いていけません。一緒に行くので、迎えにきていただけませんか?」
「っ……」
レイは驚いて息をのんだ。陸がシャツの背中をきゅっと掴むのを感じ、確信する。
二人は、あの男があの場所から動かない限り、見えない防壁に守られ続ける事を察していたのだ。それに気付き、男をあの場所から動かす作戦をとった。陸が美波の傍を離れ、美波が弟を心配するあまりに自分の身を投げ出し、自分を餌に男をあの場所から動かすという作戦を……。
「しょうがないなぁ。美波は甘えん坊なんだから」
ふふっと笑いながら、男は躊躇いなく美波に向かって歩き出した。
さすがは自分の上司の孫で、あの二人の子供だと思うレイ。
危険な賭けだと知りながらも、現在の状況を打破するために行動に移したのだ。そして、見事に男を釣りあげた。
二人に舌を巻きながら、自分のふがいなさに舌を打つ。
二人を危険な目に合わせずにケリをつけるのが自分の役目だったはずなのに、これでは二人の両親や祖父母に面目がたたない。せめて、二人が作ったチャンスを逃す事だけはしまいと誓う。
ポケットに手を突っ込みながら、ゆっくりとした足取りで美波に近付いていく男。一撃で仕留められる距離に入るまで、レイは怪我で動けないふりをして待っていた。
あと一歩で射程距離に入る。
陸をそっと押し、自分から距離少し距離をとらせ、かまえるレイ。
男が一歩踏み出した瞬間、地を蹴り、男との距離を一瞬で縮めようとした。
が、その前に男はポケットからだした手を、レイに向けていた。
「っ!?」
「美波のお願い事だからって、油断するわけないだろう」
レイは反射的によけようとしたが、男の手を見てそれを強引に止めた。男の手には、何か紋様の書かれた紙が張り付けられていたのだ。先程までと違うという事は、攻撃の種類が違う可能性が高い。背後にいる陸までは一メートル以上の距離があるが、新しい攻撃ならば、自分がよければ陸に当たる可能性がある。
一瞬でそう判断し、その場に留まり、腕を眼前でクロスし、攻撃に備えるレイ。男との距離は伸ばした手先から70センチ程度。そして、男が手にした紙がぼうっと光り、そこから炎が吹き出てくるまで、一秒もかからなかった。
「レイさん!!!」
美波の悲鳴のような声が、空気を引き裂くように響いた。
レイは、襲ってくる炎の熱を覚悟し、目を閉じ、身を堅くした。
だが、熱は襲ってこなかった。
代わりに、男の息をのむ音が聞こえ、レイは目を開けた。
「なんや……これ」
レイの前には、光の壁が現れていた。それが自分を炎から守った事は、男の呆然とした表情から見て取れた。
「ま、間に合った」
「美波! 陸!! ついでにレイさん!!」
息をきらせた耳慣れぬ声と、聞きなれた驚きを隠しきれない声がした方向を、レイを含め、その場にいた全員が見つめた。
そこには、一目散に美波を抱きしめに行っている翼の姿と、肩を上下に揺らしている袴田柊の姿があった。
「貴様、何者だ!!」
動揺した様子で、男は柊に向かって怒鳴った。柊は息を整えながら、男を睨みつけている。
男が柊に向かって問うという事は、今の光の壁は柊のだした物に違いないと思いつつ、レイや陸たちも柊の答えを待っていた。
柊はスゥッと息を吸うと、凛とした瞳で男に宣言した。
「異世界管理委員会、治安維持部隊、日本支部第四支局第十二班所属、守護者袴田柊。現行犯でお前を逮捕する」
「ちっ、やはりガーディアンか!」
全く耳慣れない言葉に、レイや神崎兄弟は耳を疑ったが、男はしまったというように顔を歪めていた。
柊は先程の男がしたように、指先で宙に何かを描く。男は焦りの色を浮かべ、ポケットから紙を取り出した。そして、美波と翼に向かって手を伸ばす。
「こうなったら、美波、一緒に死んでもらうよ。あの世で一緒になろう」
「!?」
男の狂ったような笑みに、全員が蒼白になる。
柊が眉をひそめ、指の動きを一度止めると、違う物を描き直した。
男の手から爆風が巻き起こるより、柊が光の防壁を放つ方が一瞬早かった。
爆風は辺りの土ぼこりを舞い上げ、辺りの視界を悪くしたが、誰かが傷つく事はなかった。
ただ、風が収まった時には、男の姿は消えていた。
「はぁ……」
男がいなくなった事を確認し、溜息をついた柊の肩に、ぽんっと手が置かれた。
誰かが近付いた事に全く気付かなかった柊が顔を上げると、そこにはレイの笑顔があった。隣には陸もいて、やはり微笑んでいる。
だが、それはどう見ても助けてもらった好意的な笑みではなかった。
何故だか、背中がゾクゾクする笑み。
「どういう事か、説明してもらおうか? 袴田柊くんとやら」
「…………はい」
引きつった笑みで返した柊は、まるで連行されるかのように袴田家に連れて行かれたのだった。




