夜明け前
暗闇の無音と休息と虚無が天空を支配している一方、地上では、多くの人々の意識が眠りについているにもかかわらず、光を纏ったビル群や車の通過音と共に、話し声、叫び声の数々が交差し、疲労や倦怠をばらまいていた。夜、眠りについた人々はおそらく無数の夢遊病者となって活動し、地上を埋め尽くしているのだった。彼らは意識の無いまま街に出て夢遊病者の集会に赴く。そこで彼らは、死に絶えた星々をいかにして蘇らせるか、あるいは星々の運行をいかにして制御するか、といった類の意見を交換し合い、やがて散り散りになって自分の家に帰っていくのだ。帰り道、ある者は途中で目覚めて、路頭に迷う自分の身体を発見するだろう。ある者は途中で倒れてしまい、そのまま意識が戻らないことだろう。またある者は車に身体を粉砕され、物質に還っていくことだろう。だが大多数の夢遊病者は、辛うじて難を逃れて各々のいるべき場所に落ち着くだろう。こういったことがおそらく何度も繰り返される。これが深夜の虚無に反抗して地上の人々が行っていることのすべてである。
いま、集会を終えた一人の少女のシルエットが街の外れの路を歩いている。路は暗く、少女を導くものは冷たい風と、20メートルおきにある蛍光灯の弱々しい光だけだった。夢遊病者達の決死の抵抗にも関らず、世界では虚無が優勢だった。少女は目を覚ますことも無く、ふらふらと闇の中を歩き続け、やがてとある建物の前で立ち止まり、自然な手つきで鍵を取り出してその中の一室へと通じる扉を開いた。扉が開かれるまで、その中にはほんのわずかな光もなく、机も電球もカーペットも、そして時計すら物音ひとつ立てず、永遠の眠りについていた。ドアの閉まる音、それから少女の足音が部屋に響く。やがて少女はベッドの上に横たわった。少女もまた深い眠りについたのだった。再び動くものは無くなった。すべてはまた闇の中に溶け、形象を失い、存在することをやめていった。部屋全体がひとつの虚空、ブラックホールとなって、少女の身体や、椅子、本、その他あらゆるものを飲み込んでいった。
だが、外では相変わらず虚無への抵抗が続けられており、青白いネオンサインの下、道路や建物、車の形象の数々が、その存在を主張していた。夜の街は永遠に続くように思われた。とはいえそれは幻想でしかなかった。じっさい、街はその数々の部屋に虚空を、暗闇を抱え込んでいた。あるとき、それらの部屋の扉がいっせいに開かれ、虚無が解放されるだろう。そして一瞬にして街は闇に飲まれ消滅するだろう。そのような予感が人々の無意識のうちに漂っている。やがて、そうした人々がみな長い眠りについたとき、地平線の果てに光が生まれ、疲れをばらまく街の青白い光をしだいに圧倒していくだろう。こうして街と虚無との永遠の戦争は終わり、朝が始まるのである。