上っ面
中年男はアルトに家の前で待つように身振り手振りで説明すると、自身は大きな家の戸を叩いた。
中から出てきた17,8歳の少女に何かを伝えると、少女は大きく頷き家の中へと戻っていった。
しばらくは無言のまま二人で外で待っていたが、思ったより時間が掛かる。しかし、お互いに話す事はできないので、そのまま何もせずに湿ったような妙な空気の中で待つしかなかった。
結局は20分ほどかかって、一人の男が外へ出てきた。老人と言うほどの年でもないだろうが蓄えた顎鬚はすっかり白くなっている。壮年とでも言えばよいのだろうか。彼は革の小袋から銅の様に紅みがかった金属で出来た物を取り出すと耳に付けた。どうやら装飾品、イヤーカフのような物らしい。アルトが、なぜこの場で装飾品を?と不思議そうに眺めていると、その壮年の男性は口を開いた。
「どうも、パルムエイトの村長をしておるバドウィックと言う者です。話は通じておりますかな?」
急に意味の分かる言葉が投げかけられたので驚いたアルトだったが、すぐににこやかな笑みを浮かべて応対した。
「はい、分かります。私はアルト、アルト・ヒイラギ・バウマンと申します。道に迷ったようでして、出来れば色々と教えていただきたいのですが」
恐らく根っからの善人なのだろう、バドウィックはとても驚いたように目を開くと続いて心配そうにアルトに尋ねた。
「リンド、ああ、そこにいる男の名前ですが、彼から聞いた所では森から出てきたと。大丈夫でしたか?」
「ええ、森から出てきたのは事実ですが、何か心配事でも?」
「そうなのです。最近、頓にガルムがこの辺りに出没しておりましてな。ああやって燈台を立てて警戒をして居ったのです。どうやらこの近くの森に流れてきたようでしてな。まぁ、その様子なら襲われなかったようですな」
アルトは少しばかり悩んだ。バドウィックが当然の様に語ってくる以上は「ガルム」と言うのは一般常識的な存在なのだろう。話の内容から何らかの敵対生物、あるいは毒性を持つものや呪い、迷信や妄想のようなものまで含めて何らかの危険性を持つと一般的に認知されている存在。それがガルムだろう。
一般常識を知らないといっても良いものか?そもそも言葉が通じていなかったのだからそこも受け入れられるのか?そしてなぜ彼の話す言葉の意味が判るのか?
疑念は売るほどあるが、確信は少ない。しかし。
「ガルム、ですか。すいませんが私は聞いた事がありません。どの様なものですか?」
「おや、ガルムをご存知ではない」
この言葉にはバドウィックよりもリンドと呼ばれた男のほうが驚いていた。年の功なのか広い世界を知っているからなのかは分からないが、バドウィックの方はなにやら納得がいったように何度も頷いている。アルトとしてはリンドから送られる「信じられない」と言う視線が少しばかりうざったい。笑顔のまま恥ずかしそうな演技と共に額を掻く。
「ええ、知っているものなのかも知りませんが、もしかしたら呼び名が違っているのかもしれません」
「なるほど、ずっと南方にはガルムは居ないと聞いた事もありますからな。あちらの方には色の黒い方も居られるとか…アルトさんもそちらの出身ですか?」
「ええ、まぁ」
「そうですか、この辺りでは見かけない髪色ですからな。やはり。ああ、それでガルムですが、牙の生えた大きな黒い犬のような形をした穢れ物でしてな。大体が小さなものではありますが群れで行動するので中々手が出せないのですよ」
さっきの狼か、そうアルトは確信する。穢れ物と言うのは聞いた事が無いが、恐らくは害獣などを指して言う言葉だろうと予想がつく。
ここでの選択肢にも本当ならば時間をかけて考えたかった所ではあるのだが、その時間を使うわけには行かない。話の流れとして後から持ち出すのではおかしいからだ。
選択肢はガルムを倒した事を告げるか告げないか。
倒した事を告げたならば恩を売れる。まったく情報の無い所で情報が得られやすくなるかもしれない。金銭などの見返りが期待できるかもしれない。しかし、自分の実力がある程度相手に伝わるので警戒させてしまうかも知れない。警戒されて上記の恩恵が無いだけならともかく危険視されて被害を被るかもしれない。
アルトが選んだのは。
「ガルムと言いましたか、大きな黒犬でしたら先ほど森の中で倒しました。三体居ましたがいずれも止めを刺しています、他にも居るのかどうかまでは判りませんが」
告げるという選択肢をアルトは選んだ。一番の理由は情報そのものよりも金銭を得られるかもしれないという現実的な問題だ、何もバックアップの無い世界で一文無しと言うのはあまりにも不利だ。サバイバルの手段は揃っているが何時までも出来るものではない、ここは飛び込んでみたほうが良いと判断した。
同時に、あれだけの対処をしなくてはならない対象を一人で倒したアルトをいきなり害するのは、向こうにもリスクが大きすぎるだろうと判断したのも大きい。
「ほ、んとうに?」
流石にバドウィックも目を瞬いて言葉をつっかえながら返事を返してくる。
「ええ、大きな黒い牙付きなら三体は先ほど倒しました。まだ、さほど時間も経っていませんし今なら屍骸も残っているでしょう。ご案内しましょうか?」
「ああ、そっ、そうですな。よろしければお願いしたいですな」
「それでは、そろそろ暗くなりそうですし、明かりをもって何人かで来て頂けますか?通ってきた限りでは他に危険な存在も居ませんでしたし、お守りする事くらいは出来ますから」
落ち着きをなくしてアタフタしながら噴出す汗を拭っているバドウィックは、少し下から見上げるようにして質問してきた。
「あの、もしや名のある冒険者の方なのでしょうか?不勉強ゆえご尊名は存じませんでしたが、称号名すらお持ちのようで」
「冒険者?称号名?」
とっさに答えてしまったことを後悔しながら、アルトは目線を隠すように自分の顔をなでた。
「あーっと、少なくともどこかに所属はしていませんね。名前に関しては家庭の状況と言いますか、生みの親と育ての親の名前を両方受け継いでいます。特別な事と言えばその程度ですかね」
なんと無しではあるが相手が権威や名声などに弱い場合、あるいは旧来の封建的な精神を色濃く持っている場合、今後の情報が引き出しにくくなってしまう場合がある。隔絶した立場に対して尻込みをしてしまう事を避けるため、アルトはわざと軽く振舞ってみた。
「そうですか、それならば無い話ではございませんな。この国では家名を持つものは一般にはあまり居りませんが、他の所ではそうでもないようですからな、そう言った所もあるのでしょう」
途端に落ち着いて深々と頷き始めるバドウィック、人が良いのはその辺りにも現れているが、ここまで感情を隠せないような人物がよくも村長などやっているものだとアルトは感心する。
まぁ、人が良さから周りの人間が助けてくれるのなら問題にもならないのかな?そう感じたアルトだったが、実際のところは世襲制なので単純に家を継いだに過ぎない。
もっとも、彼の父親である先代村長もあまりにも素直な自分の息子を心配していたようで、妻には抜け目の無い人物をと駆け回って彼の相方を探してきた。期待以上に切れる、しかも見た目も良い女性を探して来てくれたので、バドウィックとしてはそのまま幸せを感じながら、村長というよりは村民の愚痴の聞き役のような立場で日々を過ごしている。
アルトにとっては幸いだった。たまたまバドウィックの妻が外出していたためアルトの対応が彼に一任されたからだ。そうでなければ怪しい所が多々あるアルトは順調に話を聞いてもらう事も出来なかったろうし、その後の情報収集も難しかったはずだ。
少なくとももっと警戒はされていただろうし、ガルムの屍骸の場所までの道中での気楽な会話も起きなかっただろう。
ともあれ、バドウィックを入れて6人ほどの男達が手に手に松明を持ってアルトの案内につき従った。
ガルムの屍骸を確認したバドウィックは子供のように飛び跳ねながら、見たほうも嬉しくなるほど喜んでいたが、それを見たアルトは再び思った。
仮にも長職にある推定年齢40代後半の男性としては、この態度はいかがなものだろうと。
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ちょっと短めですかね?次はもう少し長いです。