これからを
俺は薄情で酷で、そして冷たい人間なのだろう。
過去の事を振り返る。思い出すとき、その中に実父の姿は殆ど無い。
記憶に無いのだ、3歳で引き離された。死別したのだから仕方が無いのか、他の理由があるのか。
俺の中での実父とは、あの強い母に愛されていた男。そう言った役にいる存在なんだろう。
母は、俺に強さや優しさを見せてくれた。
引き離される時、それでも気遣って笑顔を見せる。今の俺は当時の母と同年代だが、とうていあんな事が出来るとは思えない。もっとも、それほど執着する事もないから比べるのは難しいのだが。
強くて、優しくて美しかった母だが、4歳で別れた。
師匠は強くて、そして風変わりだった。
あるとき、何を思ったのか、日本刀の脇差を買ってきて俺に渡した。使えと、こんなものも面白いと言って。暗器や棒を使って犬と戦った事も在る。丸一日、構えて動かない訓練もあった。目隠しをして虫を捕まえる訓練をした。泳いでいる魚を片手で捕まえたり。沼地の中を一日歩かされた事も在る。どれも普通の訓練や武器ではない。
理由も今は分かる。
あれは実験だった。
師匠は、当初押し付けられた俺を使ってある種の実験をしていた。分かりやすく言えば、自身の持っている技術をさらに先鋭化して教え込むと言う事だが、あれもその一環だったはずだ。
おかげで近接戦闘に関して特化した技能を早い段階で得たわけで、今では感謝している。
後半は、そんな単純な気持ちでもなかった事は間違いない。
実験材料相手に、親父と呼ばせようとはしない。俺は照れていたのか、あるいは恥ずかしかったのか、それとも家族を恐れたのか、結局そう呼べる関係には上手くなれなかった。
しかし、結局は師匠も死んだ。
俺が殺した。
ミスは俺の所為。
殺した原因は俺の過信と焦り。
そして親父は吹き飛んで、俺はその復讐すら満足に果たせなかった。
ふらふらと、おぼつかない足取りでそのまま突入した俺が見たのは、毒を煽って自殺していた元大統領と、彼によって殺されたであろうその娘だった。恐怖に顔を歪め、頭を赤く染めた娘と、床に倒れどこか安心したような死に顔の元大統領。
それを見たとき、俺は意識を失い。それっきり。
目が覚めた時には、すでに師匠は消毒、背後が分からないように手を加えられ埋葬された後だった。大統領の死体も、すでにあの国に送られていた。
全てが半端だ。
父を父とは思えず。母の香りを忘れて。親父になってくれた人をそうは呼べなかった。
そんな俺が何を出来ると言うのか、何を望むというのか。
唯望むとすれば、俺は死ぬために生きる。
親父と同じように、師匠と同じように戦いの中で死ぬために。惨めに死ぬために戦っていた。死ななくてもいい戦いで、馬鹿らしい場所で死ぬために、そのために傭兵を続けていた。
それが叶ったと思ったのに、白い世界を経て此処へきてしまった。
悔しい。
情けない。
哀しい。
馬鹿馬鹿しい。
肺の奥が重い。胃の腑に鉄でも刺さっているようだ。
今俺が苦しいのも、悔しいのも、怒りも、悲しみも、何もかもが自分の所為だ。運も悪かった。自分の行いも悪かった。
それでも、あんまりではないか。
酷いじゃないか。
せめてもの願いも叶わないのか。
俺はもう終わりたいんだ!
過去を振り返る時。昔を考える時。
口の中は常に鉄と土の味だ。苦くて痛くて味気なく、じゃりじゃりと耳の奥に響くような気すらする。
俺は無言だった。
ウィルキンズさんの問い、それは彼にとっても思わぬ言葉だったのだろう。プロにあるまじき表情がそれを物語っている。
俺にとっても、予想外の言葉、そしてそこから発生したのは思いも付かない、思いたくも無い考えだった。
痛みも、苦しみも、嘆きも、恐れも、そして飢餓感も。
全て知ってはいるが、何時までも慣れない。思い出すたび、考えるたびに心臓を抉り出したくなる。それをしないのは、師匠の教えだ、親父の教えだ、だからこそ俺は生きている。死ねる時の為に、今を続けている。
俺が元大統領を未だに憎んでいるのは、復讐が満足に果たせなかったという事と、俺がなしえない逃亡を果たした事に対しての嫉妬。その両方だろう。
今となっては、復讐の対象は自分自身だ。妬心の方が今は大きい、それを否定できない。
俺は語れない。
語れることは無い。
だから沈黙するだけだ。
今の顔は、何時もの作った顔ではなく。
一枚の板のように平坦な、そして光の無い目をした表情だろう。
お互いに言葉は無い。
沈黙は、その重さを加速度的に増していく。
「今日は、これで失礼する」
沈黙を断ち切ったのはアルトの言葉だ。アルトだけは気が付いていたが、少しだけ言葉の端が震えていた。何時もはせき止めている感情や、過去の痛みがなぜか一挙に流れ出し、その心を揺らしていた。そのための震えだ。
背中を汗に濡らしながら、ウィルキンズは応える。
「ああ、報酬は次のときにでも」
「それでは」
帰ろうとするアルトが扉を開けようとした時。
「ああ、待ってくれ」
ウィルキンズが声をかけた。その声は、はっきりと震えを内包していたが、何か決意を感じさせた。
「先ほどの問いは忘れてくれ。勝手な言い様だが、許して欲しい。それと、それとだ」
「何でしょう」
ウィルキンズは軽く息を整えると、一息に言った。
「君は自身を傭兵としてみているだろうし、そうありたいと思っているのかもしれないが。いまは、冒険者としての形に添ったほうがよい結果を招くと思う。私の勝手な想像で、しかも本来こんな事を言える義理もなく、押し付けでしかない。それでも、君は今人とは争わないほうが、何か良い結果を得ると私は思う」
その言葉に、アルトは呆気に取られた。
そして無理矢理笑顔を作って返す。
「ご忠告、感謝します」
内面の感情は違えど、その顔は、別れの時にアルトの母が浮かべた顔に良く似ていた。泣きそうで、叫びだしそうで、それでも作った歪な笑み。母のそれとは違い、アルトのその顔は、ただ弱さから作られていた。
読んでいただきありがとうございます。
多少重かったでしょうか?次回からは少しばかり軽くなっていきます。
予定はまだ決まっていませんが、週の内には掲載したいと思います。
それでは