嚇声に震える肩
普段着に着替えてきたレーンと合流すると、あっさりと教会に入る。その前にレーンとは別行動に移っているのだが、別行動とは言ってもアルトが少しはなれた場所を隠れながら進んでいるだけだ。気配も消えているし、他人の気配を察知して視界に入らないように行動している。
ウィルキンズがすでに予定を入れていたらしく、レーンは実に順調に面会が許された。
すでに慣れた道を歩き、目標の寝ている部屋の前まですんなりと到達した。協会側も慣れている、一々案内人などはつけていない。それなのに不必要に辺りを警戒してきょろきょろと落ち着かない風なのは、まぁご愛嬌だ。
大きな扉の前でレーンが立ち止まった時、真後ろからアルトが声をかけた。
「ここか」
「んっ!!」
驚いて声を上げようとしたレーンの口をアルトが手でふさぐ。知らない者が後ろから見ればいちゃつく恋人同士にしか見えないだろう、されている少女としては恥ずかしさで真っ赤になってしまうような体勢だが。
「すまん、落ち着け」
「んんんんん!!!」
「手を放すぞ、騒ぐなよ」
息は荒く吐きながらもレーンは一応の落ち着きを取り戻したようだ。
「悪いな…考えが及ばなかった。流石に叫んでもらっては困るが、声の掛け方をもう少し工夫するべきだった」
「いえ、取り乱しました…」
「そうか、だったらさっさと見舞いをして帰ってくれ。俺は少し時間をずらして行動する」
「え?」
不思議そうな顔をするレーンに、アルトはさらに不思議そうな顔をする。傍で見ているものが居れば馬鹿馬鹿しいと感じるほど、二人はお互いに呆気にとられた顔をしていた。
「何故です?私も何かするのではないんですか?」
「案内はもうしただろう?俺は目標の位置が分かった。後はお前に累が及ばないようにするだけだ。そうだな、お前が此処を出ようとしている辺りで行動に移るか。それならば、まさか関係があるとは思わないだろうし、仮に疑われても知らないうちに利用されたと思うだけだろう」
他にも幾つか手は打つつもりだと言いながらアルトは頷く。レーンの裏社会見学もこれまでだ。本来であれば案内すらも必要ではなかった。写真確認などの手法は使えないにしても、期日に多少の余裕がある以上幾らでも手がある。ここまでつれて来た、それそのものが彼女に対しての慰めと言うよりはごまかしだ。よくやったと褒めてやるための行動でしかない。
「でも、まだ何かが・・・」
「すでに十分な働きだ。それとも、俺たちの側に入るのか?本気で?」
「私は、自分が未熟だって知ったから…せめてもっといろんなことが知りたいの。せっかくの機会だとも思うし」
「すまん。もっとはっきり言おう。素人は邪魔だ」
「あの」
「人を殺そうと思うか?」
態と厳しい口調でアルトは言う。人の気配を確認はしているので近くには居ない事はわかっているが、あえて耳元で低く告げる。
「俺は傭兵だ。兵士だ。今は何の因果か冒険者として籍を持ってはいるが、原則として俺の務めは兵士だ。兵士の仕事は、いや、冒険者も含めていいだろうが俺たちの仕事は暴力だ。
俺たちは暴力と言う商品を棚に並べて商売をしている。
人を殺し、物を壊し、何かしらを傷付ける。
それが仕事だ。それがやりたいのか?暴力をふるいたいか?暴力の現場を見たいか?」
「い、あの」
「何かに損害を与えるという事について、俺たちは犯罪者となんら変わる所がない。その仲間になりたいのか?」
「え、あ……」
何も言えなくなったレーンを見てアルトは言いようの無い怒りと焦燥が胸の中に湧き上がってくるのを自覚していた。
しかし、その熱は止められない。
「何時だったか。兵隊の頭の中は鉄かジュラルミンが詰まっていると言われた事がある。恐らくは、それだけ冷徹で血も涙も無いという意味で言ったんだろう。しかし、実情はもっと酷い。
頭の中にあるのは、いかに殺すか?いかに壊すか?そしてそれを喜ぶ下衆な心だ」
アルトは鉄の指輪を二つ出す。
「これは昨日買った。恐らくは露店を出していた少女本人か、その家族が作った拙い作品だ。何かの願いや思いを込めたのか?あるいは適当に作ったのか?あの売り子の少女の初めての作品だったのかもしれない。
しかし、俺はこれをどうやったら武器に出来るか。それだけを考えた。
これで俺は人を殺し、殺すまでの段階をいかに踏むか、そこへ辿り着くための道具としか捉えていない。そんな人間に近づきたいか?」
「あの、その指輪なんかで、どうやって、人を、いやその」
アルトは獰猛に笑うと殺気を放った。
「馬鹿め。手のうちを教える奴が何処にいると思う。それを知るときはお前が死ぬ時だ」
「ひうっ!」
すっかり脅えて歯をガタガタと鳴らしながら、レーンは顔を真っ青に染める。叫ぼうとしたその口は再びアルトの手で塞がれる。
「分かったらおとなしくしておけ。自分の場をわきまえろ。それが出来ないのなら、必ず傷つく。必ずだ」
レーンに向けられていた殺気はすでに消えているが、レーンは未だに震え続けている。
「人に傷つけられれば心に澱みが出来る。ヒトを傷つけても澱みが出来る。
古い酒に出来る澱の様に。
狂気と快楽の澱みが出来る。
いつかは傷つけ傷つけられることに喜びや悦楽を感じるようになる。
自分と言う酒が、全て毒と澱みと濁りになってしまえばもはや人とは言えない。殺戮者だ。充実感を持って人を殺戮する鬼になる。
もう一度聞くぞ。
そんな奴らのそばに居たいか?お前はそちらの側になりたいか?」
レーンは首を激しく振る。今まで動きが硬かったのが嘘のように、凄まじい速度で左右へ大きく首を振った。
「だったら、今日までだ。
案内は済ませた。それだけの簡単な仕事だったんだ。分かるか?
それだけ済ませて、踊りでも歌でもやりたくて出来ることをやれ」
レーンはただ頷く事しか出来なかった。アルトの視線が、ただひたすら恐ろしかったからだ。目の前に殺気と圧力と言う名の剣先を突きつけられた気分だった、しかも重く鋭く血の曇りの付いた剣先だ。
「俺は傭兵で、復讐者で、それに失敗し、暗殺者で、殺戮者だ。殺した人数なら、両手両足の指どころかその数を10倍しても足りんだろう。そんな人間がまともなわけが無いだろう?そんな人間の生きてきた世界がまっとうなわけが無いだろう?人殺しの世界には、足を踏み入れないで済むのなら。目を逸らし、背を向けて、離れた場所を歩け。覗き込もうなど考えるな、狂人と鬼しか住んでいないぞ」
壁に押し付けられたまま、震え頷く事しかできないレーンにアルトが静かに告げる。
「そんな顔色では演技も出来まい。そうだな、あの時踊っていた踊りの曲。その一回分ほどの時間がたったら扉を開けて悲鳴を上げろ。後は部屋の中に人が居たとだけ言っておけばいい。ただそれだけで良い」
分かったかと目線で問うアルトにレーンは力なく頷く。
扉を音も無くすり抜けたアルトの姿は消え、廊下にはレーンだけが残された。
涙すら目に浮かべながら、レーンはへなへなとその場にへたり込みながらも壊れた蓄音機のように口の中だけでくぐもった曲を歌っていた。
頭は熱く、背中は恐ろしく寒かった。指先には氷を押し付けられたようで寒さと熱さが同居している。
目の奥がひりひりと乾き、喉が詰まって上手く歌えなかった。
それでも、言われた通りにするしかなかった。
焼き付けられた恐怖によって。
アルトさん怖い人モードです。
やや短めですが、書いていたときは結構堪えたので(精神的に)分割の形で前編みたいな形をとっています。
内容的に続きは明日です。
読んでいただきありがとうございました