交渉
間が空きました。
今回と次回はもう一度書き直しました。ちょっとばかり、思うところがありまして。
「恐ろしい事を言いますね。アルトさん」
「事実だと思っています。他に、望む事を用意してはいません」
「用意ですか。自分の中に何を構築するか?それこそ、各人の自由でしょうから、私には言う事はありませんが……此方は困りましたね」
「交渉にならない時は」
「相手にも交渉をさせないようにする……ですか。変則的ではありますが、見事な物ですね。余程仕込みが良いらしい」
「それは、素直に嬉しいですね」
はにかみながら顔に手をあて、それを隠すように顔を伏せるが辺りに穏やかな空気が流れる。本心から、悦びを表した所為だろう。
それにウィルキンズも双眸を崩す。
「やれやれ、交渉でなくしてしまえば勝ちも負けもありはしませんが。どちらかといえば貴方の勝ちですね。まったく、貴方を見ると先人がいかに意地悪に、いかに喜んで貴方を鍛えてきたかよく分かる」
「勝ちでも負けでもないには同意します。勝負自体が無効となっては引き分けですらありませんが。後半は良く分かりませんね。苛めてくれる年寄りには不自由しませんでしたが」
マーチングコックテイルのメンバーには、年寄りと言うには少々歳が足りない者もいたがと思ったアルトだが、鍛えてくれていた事には変わりない。そのほかにも、行く先々で年寄り連中からはおもちゃにされた経験がある。結果としては鍛えられたから良いようなものだが、自ら飛び込んでいったものではない。
「まぁ、その家の中にいるものに家の外観は見えませんから。私の拙い感覚で言ってしまえば、未完成の大豪邸が崖に建っていると言う所ですかな。家に手を加えたい、庭に花を添えたい、住み着きたい、色々と考え方はあるでしょうがね。しかもその崖が脆そうでしてね、心配になるのですよ。だからなおさら手を加えたい、そう思わせる」
「それはまた、過分な」
「言ったでしょう。中から外観は見えないものですよ」
アルトはどう言った顔をして良いやらわからなくなり、ただ渋い顔をして無言を保った。そんなアルトを見てウィルキンズはにこやかに微笑む、一旦はアルトの側に戻った流れを示す針は、再びウィルキンズのほうを向いたようだ。しかし、ウィルキンズも言った様にすでに交渉の場ではない。
「そうですねぇ。私は教育者ではありませんし、貴方の家を如何こうしようと言う気もありません。ありはしませんが、少々話しを聞いてもらったほうが後々楽ですね。恐らくはお互いに」
ウィルキンズは未だにへたり込んでいるレーンを見ると、ため息を一つして声をかけた。
「レーン。聞いても構いませんが、ちゃんと椅子に座って下さい。はしたない。それから、棚から地図を取って来て下さい、一番縮尺の低いものを」
レーンは操られているかのように、ふらふらと背後にある棚から地図を取り出しウィルキンズの前に置いた。それを広げると、四方に重石を置きウィルキンズは放し始めた。
「まずは、そう。アルトさん、貴方は差別と言うものを如何捉えています?」
「差別…建前で言うなら良くないもの。無くした方が良いものと言った所ですが」
「本音では?」
「必要な場合も在るとは思っています。もっとも、状況によって相当変化するので一概に言えないでしょう。しかし、感情としては嫌いですね。利害としても害のほうを多く受けているので、どうやっても好意的には受け取れない」
「なるほど」
ウィルキンズは頷くと言葉を続けた。
「今回の事にはその辺りの事が絡んでいましてね。あの偽ガーリーが相手方に回るとは私の予想の範疇外でした。なにせ、差別を受けていたはずの者が、差別をしている者、より積極的に差別を守ろうとしている者の行動を助けたのですから」
「理解に苦しみますね」
アルトは居住いを正し、レーンも習って椅子に深く腰掛けた。もっとも、未だに腑抜けたような状態ではあるが。
「一から説明しましょう。
重要なのは、教会と貴族です。このフランの街は、貴族の直接支配を受けてはいませんが、貴族が国王の代理人として代官が行政の一部を担っています。無論代官でしかありませんので、直属領と比べれば非常に低い権能しか行使できません。
そして、代官とは呼ばれていませんが、行政補佐に当っている者が他に二人います。治安担当の騎士長そして教会の司祭です。
代官・騎士長・司祭の三人の合議でこの町の運営は行われています。勿論、国王の名の下に国王の代理としてその会議があるわけですが」
「三つのうち二つだけを最初に仰ったと言う事は、騎士長は今回の件には無関係と言う事ですか」
「と言いますか、騎士長は完全に貴族の方でしてね。一纏めですよ」
「権力と武力はやはり癒着しますか。何処でも変わりませんね」
「情けない話ですが…
そして簡単に言ってしまえば、私は教会の司祭の側についているのですよ。彼はあんな人間がどうやって権力を持つに到ったのかが不思議なほど良い人間です。
私にとってはですがね。
森人・窟人・山窩・小人・混血の者。彼は出来得る限り迫害から守ろうとしています。本来貴族が制定したはずの亜人平等の考えを、貴族が否定し。本来亜人を認めえなかった者達が多く集まっていた教会から擁護者が出た事は皮肉なのか、時間の流れなのかと言う所ですか。
前の百日熱の流行は、歴史上稀なほどの規模でした。普段の流行であれば十分賄えるはずの備蓄でも足りず、薬の値段は高騰し貧しい者や通貨をあまり使用しない亜人にとっては支払いが不可能な値段になってしまいました。
そこで、彼は自身の持っていた伝手や金銭を全て使い、薬をかき集めて無償で配ったのですよ。
しかし、物理的に薬の量が足りなかった。そして、彼も病にかかりました」
「そこまでされては偽善ともいえませんね。しかし」
アルトは横においておいた背嚢をポンポンと軽く叩いてみせる。
「これから薬を作って渡せば良いのでは?」
そう言われたウィルキンズは渋い顔を作る。
「恐らく想像はついていると思いますが。行政を掌る三者の権能は平等ではありません。司祭が最も重きを置かれているのですよ。
当然、貴族からすれば彼を廃したい。
しかし、中々良い方策と言うものはないのです。暗愚な貴族には、なおさら思いつきにくいことなのでしょうな。降って沸いた幸運に、なりふりは構わずと言うやつですよ」
「渡すにも障害があると?」
「そちらは私どもでも何とかなるのですが……本人に問題がありまして。そちらについて苦慮していますな」
「病人は病人でしょうに、一体何の問題が?しかも、傷害はそちらでも対処できる?他に何が?」
どんどんと口調が重くなり、何のためなのかは分からないが汗まで書き出すウィルキンズの様子に、アルトの頭には大量の?が並ぶ。
「教会内にも貴族の息のかかったものは多く、薬などは直接渡さねばなりません。しかしながら、直接渡せば済む話でもあります」
「はぁ、そうでしょうね」
「薬そのものを私たちが手に入れられない様に、様々な妨害がありました。しかし、現在材料はそこにあります」
「ありますね」
「相反するはずの立場の者をどうやって利用したか?疑問は残りますが、それは追々考えて対処していけば良い問題でしかありません」
「確かに」
「一番の問題は、本人が誓いに反すると言って受け取らない事です」
「はぁ?」
「このたびの病人が根治するまで、薬は全て他の病人に渡す誓いを立てたそうで」
この問答に馬鹿らしくなってきたアルトは、目頭を押さえて呻くように言った。
「いっそ誓いに殉じて死ねばよいのでは…」
「そうは行かないから困っているのですよ」
読んでいただきありがとうございます。
続きは明日の昼にでも。