脱力…緊張
「ううぉーい」などと言いつつ入ってきた男は四人。内の二人は女を連れているが、これも女か男か一瞬見間違うような筋骨隆々とした体をしている。全体にわたって同じ印象を受けるのは、下卑た笑いと血臭が原因だろう。
如何間違ってもお近づきにはなりたくないし、なったところで利益も無い。過ぎ去るのを待つが上策と思われる六人組だ。
すでにどこかでひっかけて来た様で、酒の匂いが漂っている。まず間違いなく、質より量の安酒だろう。ちょっと仕事でいい目を当てた冒険者が、酔った勢いで普段は行かない上流の店に乗り込んだ、大方そんなところだろう。
値段にそこまで大きな格差は無いが、店自体の格という物が違う。そもそも方向性がまったく違う。安酒かっくらって騒ぐ店と、静かに酒と話を楽しむ店では存在の仕方が違うのだ。上品下品や格の違いはあるとは言え、どちらにも良い面がある。しかし、他の店の流儀を他の所に無理矢理持ち込んでは、軋轢を生まぬわけがない。
しかし、彼らはその辺りの事がまったく分かっていなかった。
「酒持って来い!上等なのをだぞ、安心しなよ金はある」
ゲハゲハと笑いながらテーブル席を占拠すると、にぎやかに騒ぎ始めた。数人の客が入れ替わりに店を出て行く。
店の若い者がやんわりと注意しに行ったが歯牙にもかけていない、と言うよりも、注意として気が付いていない様子だ。
アルトも不快には思ったが、あえて藪をつつく事もあるまいと放っておいた。
しかし、酒がさらに回り、気が大きくなった連中は、舞台で踊っていた女に汚い野次を浴びせ始めた。脱げとか足を広げろとか言った類の言葉だ。妓館での猥らな見世物ではない、あまりにも下劣な物言いと言えるだろう。
仕舞いには舞台に上がって踊り子に掴みかかろうとまでしている。連れの女共も囃し立てるばかりで止める様子は無い。片方の女は連れの男となにやら始めそうな雰囲気だ。さっきまでの静かで落ち着いた雰囲気が、たった六人の所為でぶち壊しになっている。
ついには我慢できなくなって踊り子が叫んだ。ついでとばかりに足も出る、見事な蹴りが相手の股間へと走った。
「ふざけるな、醜男!!自分の顔と格好を少しでも考えて店に来な!この、醜男ぉぉ!!」
股間を蹴られた男は勿論、その仲間達もにやけていた顔を赤黒く絞めて怒りを露わにする。
「優しくしてやろうと思っていたのに、つけ上がりやがって!」
これは説明の必要も無いほど自分勝手な言い様で、恐ろしく馬鹿げた言い様だ。世界中の人間に尋ねた所で、素面で是と言う者はいないだろう。しかし、彼らは色々なものに酔っていた。
踊り子の娘は、掴みかかろうとして来る男達の腕をスルリスルリと巧みに抜けて、唯一残っていた客であるアルトの方に駆寄ってきた。数人残っていた客も、踊り子が絡まれ始めたあたりで逃げ出し、新たに来る客は店の若い者が扉の外で事情を説明して帰ってもらっている。客を引かせてから、何か目算があったのだろう。
ところがアルトは、騒ぎを他所に杯を見つめている。
踊り子も、そんなアルトの度胸を認めて助けを求めようとしているのだろうが、彼にはそんな気はさらさら無い。踊り子も男達も、今は眼中になかったのだ。ただただ、仲間達の事を思い出し悼んでいる。葬式も出せない、別の世界で出来る唯一の儀式を淡々と進めていた。
その姿が、気障ったらしく映ったのだろう。
踊り子にすがられてもなお視線を移さず、静かに目を閉じ杯を掲げる優男。事情を知らないならば、気障に見えても仕方が無い。そして、先ほど踊り子にも言われたとおり、醜男と言われた男達は外見に劣等感を持っていた。
あくまでも仮定であるが、このとき男達がアルトに直接難癖を付けず踊り子への攻撃を継続すれば、アルトは面倒に思ってその場を後にしたかも知れない。店の主人の考えている策が成立し、表面上は穏便に済んだかもしれない。
しかし、男達はアルトに恥をかかせたいと思った。そして、標的を踊り子からアルトへと移したのだ。
男達がとった行動は、短絡的だった。アルトが態々用意してある、仲間の為に分けた方の杯を手に取り、中身を飲みかけると。
「プッッヘ。不味い、不味いぜ、気障兄ちゃん!!」
それを吐き出して、アルトが持っている杯に吹き付けたのだ。飲まずに残していて、この後店を去れば捨てられるのは分かってはいるが、仲間に捧げた儀式の酒を酷く扱われて、アルトは激しく怒りを感じた。
幽鬼の様に、アルトはゆらりと立ち上がった。右手は、すでに腰のものに添えられている。
「ご主人…こいつらを潰す。迷惑を掛ける事になるが、許して欲しい」
男達に目も向けず、静かに言い放ったアルトを見て、男達は大いに笑った。
「げぁっはっはっは!何を言ってやがる。お前みたいなガキなんぞに」
笑う男達を無視して、アルトはゆっくりと大きく腰の刀を抜いた。弧を描くようにして、刀を高々と頭の上まで上げたその時、先頭にいた男の体が沈んだ。刀は未だにアルトの頭上にある。刀を使って攻撃を受けたわけでもないのに、気を失った男を見て、仲間の男達は狼狽した。
「なぁ!?何を?」
しかし、その問いに答えるものはいなかった。アルトは淡々と作業するように攻撃の手を休めることは無かった。次の男の目にアルトが何かを掛け、手を前にとっさに出した男をアルトが投げた。ふわりと音がしそうなほど緩やかに投げられた男は、床に激突する時にも音らしい音は立てなかったが、前の男と同じように白目をむいて倒れている。
やられた男の仲間からすれば、摩訶不思議、不気味以外の何者でもない。長年、暴力の中に身を置いてきた彼らにとっても、魔法か悪魔の手管にしか見えなかったのだ。当然のようにギョッとして、テーブル席にいた女たちも攻撃態勢を取る。
しかし、勿論アルトに魔法が使えるわけでも、悪魔の生まれ変わりでもない。最初の男を含め、男達はいずれもアルトよりも身長が高く、体重も重い。甚だしいのは最初の男で、身長はアルトより頭一つ分高く、体重にいたっては三倍近くあるだろう。相手が暴れ始めては、自分はともかく店への迷惑が増えると考えたアルトは、少々小手先の業を使うことにした。
まず、堂々と大仰な形で刀を上に上げて見せることで、視線を刀に集中させる。すると、見上げる形になり大男の顎が上がる。顎を引いていては衝撃が拡散されてしまう場合もあるが、隙を作り体の陰に隠れて死角から蹴り上げることで、蹴られた当人も気が付かないままに気を失わせる。
次の男は、先ほど摘みとして出されたハツカゴマの実を目の前で潰し、酸と塩気を目の中に振り撒く。視界を奪われ、目に痛みを感じた男は、不安も相まってとっさに防御態勢をとる。すなわち、手を前に出し相手との距離をつくり、とっさに後ろへ跳べる様にして、心臓や顔面などを守るため体を丸めるのだ。しかし、アルトの狙いは正しくその体勢で、前傾姿勢を作ったことによって均整を欠いた体を投げると同時に下から肩で心臓へと衝撃を与えたのだ。つまり投げる最中に相手はすでに気絶しており、その後はゆっくりと床に寝かせた事になる。
こうして二人を神秘性を見せつつ倒したアルトだったが、どうにもこうにも相手から漂ってくる小物臭に怒りを持続できなくなっていた。むしろ、こんな相手に怒っていたのかと言う自責の念のほうが強い。
彼らとて冒険者としての経歴も実績もそれなりの者達なのだが、アルトからしてみれば束になっても楽勝の相手だ。
アルトは心底面倒になった。ついでではないが、せっかく美味い酒を飲みに来たのだから、もう少し飲みたい。よくよく考えれば、あんな儀式なんて自分らしくないと、何やら恥ずかしくもなってきた。
そしてアルトは、深々とため息をつくと、びくびくとしながら剣をこちらに向ける残り四人に向けて言った。
「ああ、あ、あぁ。もぅ、良い。如何でもいいから消えてくれ。面倒くさい。はぁー、ああ、うん、面倒だな、本当に」
本当だったらこんな言われ方をすれば怒り出してもいいのだろうが。あまりにも段違いの腕を見せられ、わけも分からず仲間がやられてしまっては、体を巡っていた酒も引く。
残った四人は、唸りもしない二人を抱えてそそくさと店を逃げ出そうとする。
「待て。その、何だ。店に金は払っていけ、迷惑料も足しておけよ」
椅子に座りなおしたアルトが見向きもせずに言うのを真に受けて、連中は折れそうなほど首を振る。アルトの口調は何処までも冷淡に聞こえて、彼らからすれば恐ろしさが増えているのだが、アルトとしてはただただ自己嫌悪中と言うのが実情だ。冷淡と言うよりは、ぼんやりのほうが形容としては相応しい。
ともあれ、彼らにとっては悪魔のお言葉、有り金をはたいて逃げ去ってしまった。
「お手数でしたな」
「迷惑を掛けました」
アルトの前のカウンターを綺麗に拭き、主人は新たな杯と酒を出した。
何か言いたそうにしている踊り子を、主人の視線を受けた店の若い者が舞台袖へと下がらせる。どうやらこの娘さん、過去にも何度か問題を起こしている様子だ。演奏をしていた楽隊の二人は、早々に逃げ散っている。
「此方は当方からの侘びでございます。出来れば楽しんで飲んでいただければ、嬉しゅうございますな」
杯に手をつけようとしないアルトを見て、主人が杯を一段前に押し出す。アルトも素直に受けて、杯を手に取ると目の前に掲げて礼をした。
「どうもすみませんね。そちらに任せておいたほうが、後々楽だったでしょうに」
「そんな事はございません。実に穏便に収めていただけまして、感謝しております。正直な所、此方も困っておりましたからね」
「そう言っていただけると、気が楽ですよ」
そう言ってアルトは杯を干した。先ほどまで飲んでいた癖の強い酒とは違う、果実香のある穏やかな酒だった。少しばかりアルトの趣味とは違うが、若い女性などは好む味だろう。とても優しい味だ。
「もう一杯いかがですかな?アルトさん」
「なぜ、名を」
アルトから、噴出すように殺気と威圧感が溢れ出した。しかし、店の主人は平然としている。
読んでいただきありがとうございます。
アルトさん怒りの回なのですが、相手のあまりの小物っぷりに即刻鎮火いたしました。
まぁ、喧嘩にもなりませんわな。アルトさんはかなりチート級に強いのですが、対人無双はあんまりしません。
それでは、次回の更新は未定でございます。
お酒の話をウジウジ書いたりしますが…私自身は体質が変わってしまってさ酒が飲めない体になってしまいました。無念・・・