在りし日に
時間軸が変わります。
番外ではありませんが、一応報告おば。
「師匠、小包が届いてるよ」
ノックもせずに扉を開けたアルトは、その中の光景にため息をついた。多分にわざとらしくではあるが。
「ハァ。まだ飲んでるの?昨日の夜と姿勢が変わってないよ、飲みすぎだよ」
薄暗い部屋の中で籐編みの椅子に揺られながら、一人の男が酒を飲んでいた。サイドテーブルには数本の酒の空き瓶。反対側には小型の冷蔵庫。中には数種類の酒と氷、そして酒を割るためのソーダやトニック、他には塩やライムが入っている。
「情報は入ってこない。仕事の予定も入っていない。だったら他に何をする?」
グラスに氷を入れながら男が答えた。
「俺は走ってきたよ。師匠の言ったノルマもこなした」
「そうか、中々早くなったじゃないか。これも、俺の教えの賜物と言う訳だ」
時計を見て頷くと、酒を注いだグラスをアルトへ向けた。
「如何だ?一人前にはまだまだだが、4,5人前くらいにはなっただろ。飲むか?」
「半人前ですらないのかよ。それに、まだ俺は15。法律云々、いつも言うのは師匠だろ」
「明日で16だ。幾つか飲めるようになる酒もある。如何だ?」
「いらないよ。俺、酒の匂いは好きじゃないんだ。それに、師匠の唯一尊敬できないのは、その酒びたりだよ。聞いてる?飲みすぎだよ。飲 み す ぎ」
「聞いてるよ」
掲げた杯を飲み干して、ふと男は考える。
「ん、何だ、唯一って事はそれ以外は全て尊敬しているのか」
師匠で、父代わりでもある男は豪快に笑った。アルトは顔を真っ赤にして、部屋を出て行く。まだ笑い足りないとばかりに、さらに大きな声で笑う男に部屋の外からアルトが声を張り上げた。
「小包はそこに置いてるからな!」
それを聞いて男、バウマンはさらに激しく笑った。
ひとしきり笑うと、椅子から立ち上がりPCの電源を入れた。ブラウン管のモニターにメール管理ソフトを立ち上げると、保存してあったメールを読んで呟いた。
「しかし、これ本気なのか?無理だと思うんだけどなー」
バウマンはしばらく考えた後。
「寝よ」
寝た。
「あいつも16か。……歳とる訳だ」
「お前のほうが2つも若いぞ?」
「この年になったら変わらんさ。40と38なんて」
「まだ39だが」
「……気にすんなよ。どっちも歳だ」
場の片隅、テーブル席に座る二人の間に沈黙が漂った。
「ま、まぁ、良い。それでラッセル、やつの娘のネタ、何処までわかってるんだ?」
ラッセルは財布から写真を一枚出す。写真にはブレザージャケットを着た少女が写っている。恐らくは中東系と白人の血が混じっているのだろう、そばかすが気になるが中々可愛らしい娘だ。
「こいつだ。本名はスジャータ。偽名はスージー・アンクール、半年前から新興ではあるが名門の聖アダルベルト学園にいる」
「聖アダルベルト。ってことはチェコか?あんまり伝手がない土地だな」
考え込むように唸るバウマンに、ラッセルが思わぬ言葉を返した。
「いや、スイスだ。全寮制でな、人数は9年生まで合わせて700人ちょっとらしい。スイスならお前さんの伝手が有効活用できる」
「待て!聖アダルベルトはプラハの聖人だぞ。何でスイスに名前を冠した学校があるんだ?」
聖アダルベルトは900年代後半の聖人で、プラハで司教をしていたが布教中に殉教した。後に聖人に認められボヘミアやポーランド、プロイセンの守護聖人とされた。しかし、スイスとは離れていると言い切れない部分もある。プロイセンは時代によってその形状を大きく変えたからだ。だからと言って重なるともいえないのだが。
「知るかよ。我が頭上に神は在らずだ!宗教関係の細かい話なんか知るか!お前だって無信教だろうが。俺は無神論者だが」
「ああ」
「続けるぞ、娘の事だ。娘の年は17。しかし、留学を理由に1年留年している、学年は10年生だ。そこで、アルトを学校に入れる」
「ああ、それは聞いたが……女子校だぞ」
「それがどうした!」
心底嫌そうにバウマンは項垂れた。
「それがどうしたって、無理だろ!あいつ最近ガンガン背伸びてんだぞ」
「知ってるわい!だからって他に手が無いだろうが、宗教関連は怒らせると怖いんだよ、無茶はできねぇだろうが!」
段々と2人の言葉遣いが荒くなってくる。
「何かねぇのか!他に」
「あったら他の手を言ってるっての!それとも、何か?お前他に案が在るか?」
「んぐぐっ…ああぁ!分かった、それじゃあ、まずはあいつがどのくらい女に化けるかテストしてからだ。バレて隠れられたら目もあてられん」
「良いだろう」
2人は息をつくと、テーブルの上の酒を一気に飲み干した。
「それで、あいつにはもう言ったんだろうな。さっき会ってただろ」
「………」
「おい、2人で話して置くから先に店に行っておけと言ったのはなんだったんだ?」
「言えるかー!」
「俺だって、もっと言えるかー!」
「お帰り、早かったね」
帰って来たバウマンのコートを受け取ると、アルトはそれをハンガーにかけながら尋ねた。
「ラッセル、話なんだって?何か言いたそうにしてたんだけどさ。もしかして、アイツ見つかった?」
途端にアルトの目が深く沈む。それまで普通の子供と言って差し支えない様な目に、溶けた鉛が流れ込んだ様に。
「いや、まだ何とも言えないような情報しかない」
「そうか、しょうがないね」
「ああ、それで、ラッセルの話だが。ちょっと、そこに座れ」
バウマンは自分の前の席を指差す。アルトは少し不思議に思いながらも素直に席についた。
「お前、学校に行ってみる気、あるか?」
「学校?」
突然の問いに、ただ聞き返す。思ってもいなかったことだ。
「学校って、あれ?その、高校とか、そう言うのか?」
「そうだ、高校だな。10年生になるわけだが…どうだ?」
「師匠…正気?」
バウマンの手刀がくり出される。が、アルトは冷静に避ける。
「本気ではなく正気と尋ねるのは、どう言った了見だ。ああぁん、アルト」
「今更俺が学校なんかに行ってどうすると思うんだ。無意味だろう。大体、その話は何年も前に断っただろうが」
「じゃあ、どうする」
「行かん!今の任務はあいつを探して殺る事だ。今は情報が無くて動けないとは言え、今更任務から降りる気も、ヤツを許す気も無い」
「分かった…ならばなおさら学校へ行ってもらうことになる」
「どういう意味だ?師匠」
「やつの娘がその学校にいるからだ。ちょうど歳も近い、お前が中に入って情報を集めろ。それなら望むところなんじゃないか?」
「勿論だ。絶対見つけ出して…ぶっ殺す!!」
満身の力を握り拳に込め、肩を震わせるアルトの様子に、バウマンはため息を漏らす。それは苦笑でもあったし、アルトに対してではない何かに対しての嘲笑でもあった。
「落ち着け。それと、ちょっと待て」
「何を?」
アルトの返事を聞かぬ間に、バウマンは立ち上がり台所へ向かう。戻ってきた彼の手に握られているのは、白い液体の入った2つのグラスだった。
「牛乳?」
「まぁ、良いから飲んでみろ」
変には思ったが、とりあえず口元に運ぶ。すると、変わった香りがする。牛乳の香りもするのだが、それだけではない特殊な酸味を連想させる香りと、さわやかな香りも足されている。
「何か、変わった匂いがするんだけど?」
「良いから飲めって。大丈夫だから」
「ん、苦味がある。何だこれ?でも、まずくはない」
「牛乳に、アルトビールと呼ばれるドイツのビールを混ぜた物だ。ブラック&ホワイトと言うカクテルのアレンジだな」
「酒?!」
「ああ、お前と酒を飲む夢が叶った。良いもんだな。想像していたのよりも、良い」
「不味くはないけど…そんなに美味いとも思えないんだけど」
そう言いながら、チビリチビリと杯をなめるアルトを見てバウマンは笑う。
「当たり前だ。これからもっと教え込んでやる。早く18になって、こんな酒かどうかも分からん物じゃなくって、ガッツリ沁みるようなスピリッツと行かなくちゃ、満足は出来ん。なぁ」
そう言うと、一気に杯を飲み干した。
この酒にはもう一つ意味がある。
ブラック&ホワイト。バウマンは黒人系の血が濃い、混ざっているのが何かなんて精確には分かりはしないが、見た目は黒人に近い。アルトは日本人と白人のハーフだ。日本国籍ではあれ、白人の血の濃い母の影響を色濃く継いだ、アルトの顔が女性的なのも美しかった母に似たのだろう。
対照的な色であれ、杯の中では交じり合って一つの形になる。それが言いたかった。さらに言えば、アルトビールは一般的に黒ビールと呼ばれる物の中では、褐色が濃く赤味が強い。名前だけではなく、日本と言う背景を持つアルトに近しいと思えたから、カクテルに使った。
「よく……わかんねぇ」
「それで良いさ。俺の楽しみだ、小僧っ子に分かられてたまるか」
「ふーん、そんなもんか」
「そんなもんだよ。歳くえば……いや、歳くっても分からないかもなぁ。ガキでもできればわかるさ、俺だってわかんなかった」
「ふーん、そんなもんか」
「ああ、そんなもんさ」
アルトはどこか照れくさく、まだ杯に残る酒を少しずつ飲みながら俯いている。
酒を全て飲み干す頃を見計らって、バウマンが言った。
「ああ、言い忘れてた。お前が行く学校な……女子校だ」
「はぁ!!??」
ラッセルがバウマンに送った小包は、学校の制服だった。勿論中には、スカートが入っている。
若いアルトさんです。
師匠との昔の話、お酒の段。
次の更新は未定。<予告する事を諦めました。