遭遇
「情けない」
目的の穢れ物が出没すると言う場所へ向けて歩きながら、アルトは小さく呟いた。
首筋をなで、俯くと立ち止まる。
辺りは一面丘が広がり視界は良いとはいえない。緑色の丘陵が延々と連なり、その境には幾つもの小川が流れている。さわやかで、心地よい風が吹き抜ける穏やかな日だ。しかし、アルトの心は反省と大きな違和感によって曇っている。
辺りには誰もいない。
人もいない。動物もいない。建物などはあるはずも無い。虫や小鳥の存在すらない。
アルトは道ともいえない道を外れて、丘の上へと歩き登る。丘の下を流れる小川のせせらぎだけが、かすかに聞こえる頂上で、背嚢を下ろし大の字に寝転がった。
地球にいた頃は見たことも無いような、深くて濃い青空が広がっている。空色、そう聞いて思い出す薄い水色がかった青ではなく。藍銅鉱のように重く、何処までも吸い込まれていくそうな蒼天。
「喰って、寝て、働いて。それで、誰かと結婚でもして…子供が出来て。生活……生活か」
ふと漏らした言葉に、誰よりも自分で驚いて、そして傷ついて。
「そんな夢は十五年。いや、二十二年前に言わなきゃな。今更のように、人付き合いだの、生活の…そんな事を考えなきゃならんとは」
やれやれとばかりに目を瞑る。まだ朝の気配の残る日差しは柔らかいが、地面に寝て天を仰げば瞼を突き抜けてくる。その光をさらに遮るように手で覆うと、静かに静かに息を吐きだした。
「戦って、酒飲んで、訓練。それだけ考えていればよかった時の方が、いっそ気楽だったんだな。あー………面倒だ」
ブツブツと呟きながら、なぜあんな事をしたのだろうと、ギルドでの事をアルトは悔やんでいた。
そのアルトの感覚の境界を、ゆっくりと越えた者がその時居た。
アルトの寝ている丘の下、そこを流れる小川をゆっくりと大きなものが這って来る。幸いにも此方は風下、彼方は風上、匂いや音は伝わりにくい。位置も丘の上で伏せたまま相手を見ることが出来る。そして、相手を視認すると。
大きなサンショウウオがそこに居た。
体高は定かでないが、縦横共に人の背よりは長い。まるで大きな盆が水の中を滑ってくるように丸っこくて平たい体に、疣が浮かんだ小さな尾が申し訳程度に生えている。色は茶褐色にまだらに紫が混じる、お世辞にも気味の良い光景とは言えないが、何より問題は危険性。
実の所、このサンショウウオのような穢れ物は、名前をアルンズと言う。特別な事は何も無い穢れ物だが、水辺の足場の悪い所を好む、皮膚が厚くて攻撃が通りにくい、待ち伏せを得意とするが積極的に移動して獲物を襲うこともある獰猛な性格などから、フラン周辺では危険視されている穢れ物だ。
大きな口で、人間を丸呑みにすることもある。一応、D級に認定されている穢れ物だ。ちなみに、アルトがこれから討伐に行こうとしているウォルンバットはE級。ただし、E級の中では強いほうの穢れ物である事、仲間を呼ぶ事が多く集団で襲われる事が多いと言った理由でD級の依頼になっている。
かの受付嬢は、そこの所は説明していないので、アルトは「探すのが面倒」などと思っているが、言って見れば無用な心配だ。一匹見つけて適当に攻撃すれば、雲霞の如く蛇が這いよって来る事になる。
ウォルンバットの事は置いておくとして、今アルンズは非常にゆっくりとした動きではあるがアルトの方に近づいている。やり過ごす事も出来るが、しかし。
「水の深さは無い。銃弾への抵抗は考えなくて良いが、あのいかにも厚そうな皮に通じるのか?」
アルトは静かに背嚢を背負い直すと、背嚢から銃を出し男装を確認してホルスターに収めた。使う銃はCZ.75。弾丸は9パラ。決して大威力最新鋭の銃でも弾でもない。しかし、枯れた技術の結晶で作られた製品同士、信頼性には十分満足できる。
丘の影から一気に駆け下りると、アルンズの意識がアルトへ向くのが分かる。背後へ回り込むように、少し弧を画きながらアルトは疾走、延髄があると思われる場所へ向かって三連射。
消音機の内側からくぐもった音と共に弾丸が射出される。
ブスブスと音を立てて精確にめり込むが、ただめり込んだだけだった。拳銃弾では厚い皮膚を貫くことは出来ず、相手を怒らせて終わるようだ。感じた痛みで言うならば、ちょっと尖った物を踏んだ、その位だろうか。
「無意味か」
アルトは銃をホルスターに戻すと刀を抜く。
「あんまり近づきたくは無いんだが」
戦闘状態の興奮からか、あるいは痛みに対しての防御行動か。アルンズの体表からは、ヌトヌトとした粘液が染み出し垂れている。アルトが一般的な思考や常識を持っているかはこの際置いておいても、触ったりするのは嫌だろう。
アルトは一旦後ろに引いた。そして、追ってくるアルンズが小川を出たその瞬間。
突進してくるアルンズの目から、その体に比してあまりにも小さな脳を刀が貫いた。
すばやく剣を引き、そのまま一気に駆けて離れる。情報も何も無い相手だ、何かが起こる可能性は否定できない。直感で自分よりは弱いと言う事を理解していた。しかし、戦闘能力としてはそうであっても、スカンクなどのようにガスを出されたり、死体が毒をもっていた場合など、危険が無いわけではない。
アルトは一気に駆け抜け、別の小川の支流で抜いたままの刀を洗った。あまりにも素早い抜き差しに、体液等は殆どついているようには見えないが、念のためだ。
それに、単純にあのサンショウウオを切ったかと思うと気分も悪い。
「今更のように思う。相手が人であろうと、ひしゃげたサンショウウオであろうと、戦ってさえいれば考えなくて良い。楽だ」
アルトは刀を一振りして飛沫を飛ばすと、布を一枚出して拭った。刀を鞘に納めると、弾かれたように走り出す。
「後は、鍛えているのも良い」
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続きは明後日です。かな?