演技
不味い。
古くなって、香気が抜けた酒。恐らくは、適当に作られて深みも何も無い酒。泥臭く如何表現した所で清らかとは言えぬ水。
それらをさらに適当に混ぜた酒を、これまた適当に誤魔化そうとして焼いた酢を混ぜて深みを中途半端に出そうとした酒。
酒と呼ぶのもおこがましい。酒精入りの酸っぱくて、平坦で、浅い、濁った、舌に障る、ゴミのような液体。
そんな酒をあおる者達のいる店だ。
当然のように汚く、臭く、煩く、暗く、荒れている。店も客も等しく悪い。
とてもではないが、一般家庭4人が50日は暮らせるほどの金を手に入れたアルトが行く店ではない。
が、しかし。
「で、オヤッさん。最近景気のいい話聞いた?」
「ありゃあ、こんな所で安酒売ってねえよ」
「そりゃ、ごもっとも」
苦虫と言う苦虫を口の中に詰め込んでいるように、顔を顰め続けている酒場の親爺に態と軽薄な調子でアルトは話しかける。酒を口に含んだ瞬間不味さに顔を顰めたが、そのまま勢いで飲み干すと、もう一杯と追加を頼む。
「それじゃあ、安酒の中でもマシな物をくれ。あと、適当にツマミ」
「アンちゃん。金があんなら他の店行きな」
そう言いつつも、アルトの前には先ほどよりは少しだけマシな酒と時化たツマミが出される。ツマミは、何かの肉を乾燥させた物らしいが匂いが悪い。
「つれないね。まぁ、良いけどね」
鼻で軽く息をつくと、今度は酒に手を付けず店内のざわめきに耳を傾けていく。
昼間から下品な話で盛り上がっている男達、酒を煽りながらブツブツと小刀に呟く男女、仕事帰りなのか化粧の剥がれて疲れ果てている娼婦風の女。何処の一コマを切り取っても健全とは言いがたい風景。
挙句の果てには、隅の方で怪しげな薬の取引をしている者までいる。店の親爺も知っていて放っておいているのだろう、あるいはその親爺が胴元という可能性もある。
そのまま目の前から親爺も消え、他の客へ酒を出し始めるのを横目に見ながら、アルトはため息をついていた。小汚くて、なんだかニチャニチャするカウンターの板を指先でコツコツと叩く。暇だ、そう言うアピールだ。声をかけて来ても良いよと辺りに教えている。
先ほどまでなにやら取引をしていた風の男が、店の親爺に酒を頼む。それと同じくして、はしっこそうな少年が店の外へと駆けて行った。その直後、体中から汗をかきかき太った男が店に現れた。入り口の幅と男の横幅が変わらない。もう少し体重が増加すれば、店に入ることも難しそうだ。
その男は、太い体をゆっさゆっさと揺らしながらアルトの横まで来ると、気合を入れて椅子に座った。椅子が軋むと言う表現のもっとも顕著な例かもしれない、むしろ、なぜ椅子が砕け散ってしまわないのか不思議なほどだ。
「隣、よろしいですか?」
男がアルトに問いかけてくる。
「普通は、座る前に訊くと思うんだけどね」
「椅子に座るのにも覚悟が必要なんでね。まぁ、そこは気にしなさんな。見かけない面だが、こんな所に来てるんだ、何か欲しい物があるんだろう?」
そう言うと、男はアルトが手もつけなかった干し肉に手を伸ばし咀嚼し始めた。酒にも勝手に手を付け、飲む端から汗になって行く光景はお世辞にもよろしくない。不快指数が跳ね上がる様な光景だ。
「ほしい物は………お薬」
「お前さんが最高な気分になるヤツか?他の奴が最低な気分で逝くヤツか?」
アルトはパタパタと手を振ってみせる。違うと言うジェスチャーだ。
「後の方に興味が無いわけじゃないけど、欲しいのは怪しいお薬じゃない。禁制でもなんでもない薬さ」
「馬鹿馬鹿しい。治療院でも薬屋にでも行きな。大通りに出てスグだ」
立ち上がろうとカウンターに手を付けた男の肩にアルトが手を置く。
「それで手に入るんなら苦労は無いんだけどね。欲しい薬は百日熱の薬なのよ。何処にもなくてねぇ。高値だろうが、後ろ暗い物だろうが構わないから欲しいんだ。これなら、話を聞いてもらえるかな?」
再び座りなおすと、男は鼻から息を吐く。
「んふー……幾ら出す?」
「3000かな?一人分でなら大もうけだと思わない?」
「気張ったな。でも、無理だ」
「足らんかね?」
「いや、その半額でも普段ならぼろもうけだ。だがな、今は本当に無いんだ。それを訊いて来た奴は他にも居たが、結局無理だった。無い物は売れない」
アルトはしばらく男の目を見つめると、息を一つついて立ち上がった。
「親爺、勘定だ。ついでに、もう一杯こいつに注いでやってくれ。それと…」
アルトは後ろを振り返り、小刀に向かって話しかけている男を指差した。
「彼にもだ。面倒な伝達方法にご苦労様と言った所か」
そして銅貨を三十数枚カウンターに置くとそのまま店を出た。
太った男は仕組みがばれていた事とアルトの急変に舌がまわらなくなっている。さっきまでのやや軟弱な男の風から急激に、冷気を感じるような雰囲気を纏った男へと変わったのだ。驚くほうが当然だろう。
仕掛けは言ってしまえば単純だ。アルトの座っていた椅子の前の棚には伝声菅が備え付けられている。それを聞いている男は、手に持っている小刀に反射する光を利用して部下に指令を伝えていたわけだ。勿論、店の親爺もグルになってやっている。
見るからに怪しくて近づきたくないと思わせるような行動は、目を逸らすための演技だったと言うのが事実だ。目立つのではないかとも思われるが、あまりにも強い個性を発揮している人間と言うのは印象が固まってしまう。まさか、あんなにもアブナイ奴が黒幕とは、人間そう簡単には気付けないのだ。
店の中で、気付かれた事に男達はため息を漏らし、店を出たアルトもまたため息を漏らしていた。
「「演技は疲れる」」
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