フラン
少し長めでございます。
フランの街。
アイゼナッハ王国の北部、首都アイゼナッハから見て北西にある街。
北にジギスムント王国、西にリヒテンラーデ公国を近くし、交易路の中継地として栄えるこの街は、少々変わった歴史と形式を持っている。
貴族からの支配を受けず、直接国家に所属しておりながら、ある意味においては国家の束縛からも多少離れている。独立独歩の気概を持っているのだ。
もっとも大きな理由は、国家としてのアイゼナッハはもとより、その前の統治国家、さらに前の国家、さらに古い国家よりもフランの歴史は古いと言う事が理由だろう。人類史の当初からとは言えないまでも、その大半を同じ名前で同じ場所で存在し続けている。
およそ八千年前、人類史の始まりは最初の覇王と呼ばれた大アグレリオの北部侵略によって始まったと言われている。この北部侵略に関しては、現在も歴史家によって色々な仮説が出されているが、少なくとも南部の人間によって北部の亜人が侵略されたと言うのだけは事実なようだ。
元々、荒れ果てて水害の多かった南部には、現在で言う所の人間達が小さな集落を幾つも作って生活していた。そして、肥沃な台地を多く持っていた北部には、亜人達が種族ごとに生活していた。
自然環境が様々な北部では、森では森人が、山岳部では山窩や窟人、草原や湖畔などには小人が存在した。そして、その後の歴史の中で絶滅して行った物に、元々少数だった蛇人と魚人が居る。どちらも水場から離れる事ができないため、集中的に人間に狙われた結果絶滅した。
彼ら亜人は、極端とも言える住み分けがなされていたためお互いに干渉することも少なく、争いと言う事をすることが少なかった。彼らにとって戦いとは野生動物から身を守ったり食糧確保のための狩猟の事で、戦争などは想定もしていなかった。
しかし、貧しい南部の人間達はお互いを襲い合い食料を奪ったり、あるいは略奪婚の為により小さな集落を襲ったりすることが多く、戦いに慣れていた。
その中でも特に優れた戦士であった大アグレリオは、自身の所属していた集落の中を僅か10歳で制圧、長になる。彼は自身の配下達を巧みにあめと鞭を使いながら教育し、二年後には近隣の集落を制圧していった。彼はまず、自身の集落内の女性を全て自分のものとして子を作りだした。そして、優秀な戦士のみが他の集落から手に入れた女を物に出来ると言うシステムを作り上げたのだ。
こうして、統治者による支配と報酬、そして能力による階級や差別と言ったものを始めて作り上げた大アグレリオは「国家」と言うものを形成した。そして、人類史上初の王となったのだ。
彼の作り上げた侵略国家は、当時の世界のほぼ半分を60年ほどで手に入れた。しかしながら、当時の人間としてはかなり長寿を保ったとは言え、死は平等に彼の上にも訪れた。彼は76歳でこの世を去ったと言われている。伝説では、子供の数が二万と九百人、妾の数が4万人以上いたと言われている。
しかしながら、王位の継承と国家の継続と言うものを想定はしておらず、彼の死後その王国も消え去った。
再び集落の単位まで交代した人間社会は、大アグレリオを規範として彼の後に続く人間を幾人も生み出した。集落のそれぞれの長が王を名乗り、再び戦いあい、吸収されあるいは滅ぼされた。同時に北部への国家自体の移動や拡大、侵略と亜人と人に対しての殺戮も数多く行われた。
亜人たちは押し上げられるように北に逃げて行き、人もその後を追った。さらに北へ、そして東へ、あるいは西へ。亜人を含めた人々は、彼らの世界をドンドン広げて行った。
フランの国が生まれたのもこの時代といわれている。元々は小人が生活していた、草原と丘の国は人間たちの手によって侵略された。小人の国は、侵略した王の名を冠しフランの国となる。
その後しばらくは安定期とも言える時代が続いた。小競り合いはあったが戦争と侵略の最前線は世界の外輪部へと移り、大陸中央に位置するフランやその周辺の国々は平穏な日々を送っていた。
亜人との軋轢は大きかったが、同時に交流も生まれた。窟人や小人から鍛冶の技術や畜産、森人から学んだ農耕、山窩から学んだ文字。蛇人からは漁、魚人からは彫刻などの芸術を学んだが、この二つの種族は大アグレリオの時代から千年ほどで絶滅してしまった。
大きな変化が起こったのは四千と二百年ほど前。
フランの国は一人の賢人を輩出した。ゲルベイルと言う名のその男は、王族の生まれではあったが六男で妾腹、直接的に国政に携わる者ではなかった。政事とは言え、当時の国政とは剣を持って兵を率いる事であり、王と言うのは間違いなく強力な戦士だった。
しかし、ゲルベイルは文を愛し、詩を創り、絵画を是とした。学者や教育者と言うよりは、明らかに芸術家に近しい人間だったようだ。
だが、同時に彼は類稀なる視点の高さと視野の広さを有していた。彼は、一つの町が一つの国家そのものであると言う、当時としては主流の国家の限界を知っていたのだ。
政治と言う物が、武力でしかなかった当時としては、国王がいない場所ではすぐに他の誰かが台頭しその支配から離れてしまう。大アグレリオの時のように、誰も王という存在を知らない時ならばともかく、力ある者であれば誰しもが王になれるという状況は、国家と言うものの成長を止めていた。
彼はその芸術に燃える情熱を、そのまま国家に向けた。あるいは、国家と言うものを自身の作品として完成させたくなったのかもしれない。
彼は、叔父や従兄弟、兄弟に至るまで暗殺し、あるいはその肉体と精神を壊した。そして父王を傀儡と化し、自身は「法」と言うものを整備しだした。完全な人治国家から不完全な法治国家へ、王の権能は維持しながら、それ以外の部分を規則と慣例によって動かすシステムを作り始めたのだ。
しかしながら、彼は自分自身が王に向いていない事を良く知っていた。彼は間違いなく芸術家で、法制度の創生を行った創造者であり、同時に冷酷なまでに冷静な統治者ではあった。もしも、すでに法が整備され国家としての形式が整った現代であれば、彼は名君として揺ぎ無い名声を得ただろう。しかし、進歩と伸張の時代にあっては、人々を率いていく為に必要なカリスマを持っていない事を自覚していた。
王を操りながら、ピースの欠けたパズルのように決して完成しない国家を治めていた彼は恐らく悲嘆していただろう。自己の理想と、そこに到る筋道を見ていながら完成できないと言う事実は彼を苦しめていたと想像できる。それでも彼は、地道に法を整備をしながら国を治めていた。
そして、ゲルベイル47歳の時、彼は彼にとっての救世主に出会った。
隣国の王子として、次代の国家を担おうとしていたミリオキスに出会ったのだ。生まれながらに高貴な印象を人に与え、快闊で勇気に溢れ、人を愛し愛される。まるで伝説の中に出てくる理想の王子を体現したかのようなこの王子は、直後に戴冠するにあたって戴冠式へゲルベイルを招いたのだ。周辺の国では、類稀なる知者としてゲルベイルの名は知れ渡っており、一種の流行のように国家の祭典に彼を招く国は多かった。これを指して、彼を人類史最初の外交官と捉える意見もある。
さて、招待に応じたゲルベイルは一目でこの若虎とも呼ばれていた王子に心服し、ミリオキス即位と同時に彼への忠誠を誓った。
ゲルベイルはフランの王の死を早めると、彼自身が王位に就き、そして一日でその王としての権能をミリオキス王に譲った。
二国が合体し、法によって整備された国力を持つ事になったこの国は、名前をイェロン王国と言う。他の国の二倍以上の国力を持つこの国は、国王ミリオキスと宰相ゲルベイルの統治下の元、他の国を次々と併呑して行った。
一つまた一つと国々を飲み込みながら法とカリスマによる支配を完成させたこの国は、地表の8割を支配下に置いた。
ミリオキスの最も優れたところは、今まで虐げていたはずの亜人たちを保護した所だろう。この保護は未だ強い勢力を維持していた窟人と森人からは情けをかけられたと言う事で恥として歴史に残った。しかし、すでに個体数を激減させていた小人と人の中で暮らすことを選んだ山窩からは歓迎された。
ミリオキスの統治はその後数世代にわたって引き継がれ、この時代で亜人に対する迫害や差別は、表面的には殆ど消えたと言っていい。幾つかあった問題もゲルベイルの提案により再び住み分けが行われ、交流を持ちつつも直接的には国家に所属しないと言う特別な権利が亜人たちには与えられた事によって緩和された。もっとも、この方法は長い時間をかけて再び亜人と人の間に溝を作る原因にもなってしまったのだが。
ともあれ、史上最大の賢王・有情王・善王の名を冠されるミリオキスの治世にもっとも大きな影響を与えたのはゲルベイルであると言うのはもはや常識となっている。
彼の最も大きな功績として「貴族」を生み出したことを挙げる者は多い。彼は自身に統治者としての権能を一部残したまま王の配下となり、国家に所属する下位統治者、すなわち貴族に自らなったのだ。
それまでの王とそのスペアとしての王族>戦士>平民と言う支配体制から、王>貴族>戦士>平民と言う新たな支配体制へと転換を果たした。その後の歴史の中で、戦士から王に忠誠を誓う騎士へと変化した者や、国家に直接所属しない傭兵へと変化した者が現れた。そして傭兵の中から冒険者と呼ばれる者達も出てくる。
ゲルベイルが王に全てを伝え、自身を「出涸らし」などと揶揄するようになって2年ゲルベイルは69歳でこの世を去った。ミリオキスは自身の半身であり、師であり、友であったゲルベイルに王傍の名前を送った。出生の地であるフランには彼のための廟が建てられ、芸術を愛した男の為に周囲を絢爛豪華な壁画で覆った。
彼の夢見た国家は、その夢見た王の下で更なる発展を遂げ今に続いている。
法。
貴族。
貨幣。
国家。
彼らの作り上げた物は、正しく今日に続く世界の雛形となっている。
至高の王ミリオキスと最高の王佐ゲルベイルの名前は、人類史に燦然と輝いている。
いかに素晴しいものが出来上がろうと、いかに確固たる物が構築されようと、時間と、それによる劣化はあらゆる物に訪れる。物質ならば壊れ、生物ならば死ぬ。そして、システムと言うものにもほころびは間違いなく訪れる。
世界の八割を飲み込んだ王国も、時間の流れの中で反乱や独立、分裂を繰り返していく事になる。いかに至高の王や最高の王佐を先祖に持っていたとしても、その子孫が全て優秀と言う訳ではない。イェロン王国の繁栄も、その歴史が六百年ほど続いた頃から陰りが見え始め、そして崩壊した。
群雄割拠の戦国時代の到来。
およそ二千年、戦乱と動乱の日々が続いていた。
そして今から千と七百年前、人類史上最後の覇王にして初の帝ウォルホウフルがブルヘルミナに誕生した。
彼は王族として生まれたが当初は王位から遠かった。彼は王位継承権十三位、母親も後ろ盾の少ない小貴族でたいした力は持っていなかった。側室として彼を産んだ母自身も、王から寵愛を受けていたと言うわけではない。幾人も居る側室の中の一人に過ぎなかった。
当然のように王になる事を諦め、せめて王佐として玉座の近くに侍ろうと志した彼だったが、呆れるほどの強運を持っていた。
王は死に、異母兄たちは次々と事故や病の中で死んでいった。あれよあれよと言う間に、ウォルホウフルは13歳で玉座の主となった。
しかし、彼の強運はそんなものではなかった。
王位を継承してすぐに、若輩の王が治める国家を降し易しと見て隣国の王が進攻して来た。しかし、進軍の中その王は病死、王子達もバタバタと倒れてしまった。逆に荒れ果てた隣国を僅か二十日で侵略すると、気勢に乗って更なる侵略を開始した。
ところが、彼が向かう所勝手に敵が倒れ続けた。天災や事故、病気、呪いの様に彼に歯向かう者には速やかに不幸が訪れた。そのまま勢いで飲み込んだ国家はなんと三十以上、ここまで大きくなれば後は運に関わらず力だけで他国を圧倒できる。
彼が治めた国は、なぜか異様なほどの好天や豊作が続き物資の心配も要らないまま、津波のように世界を飲み干していった。
世界を統一できる強運を持つ自身を天に愛されたとして、彼は自らを天子と呼び「天帝」を自称した。後にも先にも歴史上唯一万民に認められた「帝位」を持つ男は彼だけだ。後の歴史にも幾人が自らを天帝や皇帝、あるいは帝王を自称したものは居た。しかし、それらは全て「偽帝」と呼ばれることになる。
まさに天を掴もうとしていた男の世界を一変させた出来事が起こる。
「堕天」の出現と「神」の顕現だ。
堕天とはそれまでにないほどの力を持った穢れ物の事だ。
それまでも、龍や双角の巨人など人の手ではどうあっても勝てない存在が無かった訳ではない。彼らは各々が持つ武力と比べればささやかとも言える領土を持ち、その縄張りさえ侵さなければ到っておとなしい存在だった。時には神のように扱われる事すらもあり、実際に人を助けた例もある。
しかし、堕天は理性と法則を持たない存在だった。ひたすらに暴れ周りあらゆる場所であらゆる存在を殺し、壊し、消滅させる、そんな存在だった。実際に、神と崇められた双角の巨人の一体と西方の山岳に存在した冷気を纏う巨鳥、そして虹色の甲羅を持つ怪亀は堕天に倒された。
世界中の存在が危機に瀕し、人類は亜人も含めて全体数がおよそ半分にまで減少した。
もはや世界も終焉かと思われた時、それまでは伝説と思想の上の存在でしかなかった神が顕現した。
緑色の光を纏った女神が顕現した時、人々の頭に近くで大鐘が鳴る様に声が響き渡ったと言われている。少なくとも、距離も何も関係無しに全世界の人間に意思が伝わったらしい、家畜や愛玩動物などの様子からすれば、全ての生物にと言っても良いようだ。
この時の言葉は長く多くの意味を含んでいたそうだが一字一句損なわず現在に伝わっている。知ろうと思えば、全ての教会の壁には必ず言葉が刻まれた板が掲げられているので読んでみれば良いだろう。
それは新たな「教会」の始まりであり、それまでの「宗教」の終わりだった。それらに関する歴史は、また別のものとして考えていく必要があるだろう。少なくとも、フランと言う街とアイゼナッハという国はそこに関してなんら影響を及ぼしていない。
フランが関係してくるのはその後のことだ。
神は堕天を南方の山に叩き付け消滅させた。その時の衝撃は南方の地質や地形も変化させ、結果的に水気が多く湿地や沼地が広がり、大河の所為で洪水を頻繁に起こしていた南方は、肥沃な大地と豊かな水資源を備えた豊かな土地へと変わった。
数が減った人たちは、思い思いに人の消えた場所へと戻ったり、新天地として再び南方へと赴いた。
この時に求められたのは、少人数でも栽培できて保存が利く食料だった。
フランにおいて旧来からの宗教教会で研究をしていたオトフリートという僧が開発した芋は、まさに時代に求められていた食料だったと言える。現代でも多く食用に使われる芋は、当時は根茎が小さく、主に蔓から汁を採って糖に加工するための物だった。オトフリートの開発した芋は、現在でも殆ど変化せずにそのまま栽培され続けている。
フランの街が太字で歴史書に表されるのはこれが最後と言えるだろう、しかしながら賢人ゲルベイルを排出した事だけでも十分な権威を街に与えたことは誰しもが認めるところだ。ウォルホウフルもゲルベイルのような賢人が自分の前に現れて欲しいと願い、ゲルベイルの墓に一度参った事があるらしい。もしも、実際に彼の前に真の賢人が現れていたら、その後の事態は別のものになったかもしれない。
堕天の出現に衝撃を受けたのは、世界中の全ての人間にとって言えることだが、中でも彼の衝撃は大きかったと言える。
自身の強運を誰よりも信じ、それを尊崇していた彼にとって、歴史最大の凶事と言える出来事が彼の時代に起きた事は根幹をゆるがせるほどの驚きを彼に与えた。
更には、天に愛されていたと信じていたにも関わらず、神にまったく顧みられず、他の者達とまったく平等に扱われた事は、彼の揺るがされた自信を完全に破壊した。
他の者からすれば、傲岸不遜と思い上がり、あるいは冗談や狂気ともとられかねない心情だろう。しかし、彼にとっては深刻な問題だったのだ。それまでの決断や行動の根幹には、楽天的で無心に幸せを願う子供のような精神が在ったのだ。
その信用が信用でなくなった時。彼はもはや天帝で居る事が出来なくなってしまったと言える。
彼はその晩年になって人が変わったようになり、それまで気にも留めなかった読書と美食に明け暮れた。世界統治を完成した後も精力的に各地を飛び回り玉座を暖める暇すら持たなかった帝は、椅子に根が生えたように自室から動かなくなった。謁見の間にすら姿を見せなかったと言われる、まったく別の意味で玉座を暖めなくなっていた。
彼は、神の顕現からその死までの8年間、現実的な意味で椅子に座り続けた。
8年かけて、ウォルホウフルは一冊の本を書き上げた。
その本を持って息子に宣言した。
「今後の世界と国家のあり方を全て書き記してある。全てこれに従い国を作ってゆけば良い」
彼は39人の息子の中から8人を選び国を割った。国を分け合った息子達に渡された本は「王権論」。ウォルホウフル曰く国家存続の真髄。
内容としては国家のあり方、王の務め、階級の詳細、戦争の方法、神とのあり方、多くが復古的なミリオキスとゲルベイルの世に在って有効であった事をそのまま伝えている。
それが慎重になりすぎたゆえに、すでに枯れた法則を今に復活させたものであったと言う事は間違えようがない。あるいは、楽天的であった彼の本質は結局変わらず、芝居の脚本のように華やかで壮大だった憧れの時代を書き記しただけなのかもしれない。
彼の真意がどこに存在したかは定かではないが、停滞した時代の中でその基部となった者を生み出したフランは、さしたる理由も無しにある種の不可侵性と自立性を確立した。歴史の中で少しずつ薄れながらではあるがそれは現在に続いている。
フランにも、勿論そのほかの国や街でも善悪美醜様々な逸話や事実がある。特別にフランの街だけに何かがあるわけではないが、アルトはひとまずこの街に居つくことになる。
読んでいただきありがとうございます。
続きは明後日。
今回のはあまりお話っぽくないですね。
もうチョット読みやすく書きたいものです。
PS.見返したところ予約を間違えておりました。寝惚けた日々が続いております。