第5話 PC起動
朝の空気は思ったより冷たかった。
鍋の中身は正直うまいとは言えなかったが空腹は満たされた。
食べ終えたあと俺は村外れの少し静かな場所に腰を下ろす。
周囲には誰もいない。
視線もない。
「……今しかないな」
背負っていたリュックからノートPCを取り出す
この世界に来てからずっと存在感だけは主張していた代物だ。
黒くて、薄くて、明らかに場違い。
だが、だからこそ慎重になる。
壊れたら終わりだ。
失くしても終わりだ。
見られても、たぶん面倒なことになる。
深呼吸する。
ここは村のすぐ外。
完全な安全地帯ではないが今の俺に選べる最善だ。
「短時間で……確認だけ」
自分に言い聞かせるように呟き蓋を開いた。
聞き慣れた起動音。
異世界の空気の中でそれだけがやけに現実感を持って響く。
画面が点灯しロゴが表示される。
……動いた。
思わず肩の力が抜ける。
「よし……」
デスクトップが表示され右上にバッテリー表示が出た。
35%
「……少なっ」
わかっていたことだが思わず声が出た。
しかも今は充電はできない。
つまりこの35%が……ほぼ全財産。
時間制限付き。
失敗は許されない。
ゲームだったら序盤で縛りプレイが始まった感覚だ。
まず確認すべきは中身だ。
デスクトップにはいくつかのフォルダが並んでいる。
・電気・工学
・料理・生活
・社会・思想
・その他
「……思ったより整理されてるな」
神の善意をここで少しだけ評価する。
だが同時に嫌な予感もした。
これは手順書じゃない。
ぱっと見で分かる。
教科書。
専門書。
それも基礎寄り。
「即チート、とか誰でもわかる、とかではないのか……」
まあ最初から期待していなかったが。
試しに電気・工学フォルダを開く。
ファイル名が並ぶ。
・電気工学基礎
・エネルギー変換工学
・機械工学入門
・数学・物理基礎
どれも見覚えはある。
だが同時に嫌な記憶も蘇る。
「……これ、読むのに時間がかかるやつだ」
今は開けない。
ここで深入りしたらバッテリーがとける。
次に料理・生活フォルダを見る。
家庭料理の基礎
食品化学入門
「……飯か」
自然と視線がそこに吸い寄せられる。
昨日からずっと食事の質は低い。
前世の食事が懐かしい。
(知識として使うならこっちが現実的だ)
だが……まだ開かない。
今日は確認だけだ。
ふと別のフォルダが目に入る。
その他
開くとファイル名だけが並んでいた。
壊れているのだろう。
どれをクリックしてもエラーが出る。
電力網概論
大量生産の理論
「……これはまだいいか」
名前だけ見えて中身は見れない。
最後に視線が一瞬だけ別のファイルに行く。
タイトルですぐ分かる。
「……いや、今じゃない」
即座に目を逸らした。
ここで理性を失ったら色々終わる。
画面右上を見る。
34%
「……減るの早くないか?」
焦りがはっきりと数字になって突きつけられる。
確認はここまでだ。
PCを閉じる。
起動していた時間はほんの数分。
それでも確実に消耗している。
ノートPCをリュックに戻し、俺は大きく息を吐いた。
神が言っていた「知識」。
それは確かにここにある。
だが、"読めば勝てる"ものじゃない。
"持ってるだけで強い"ものでもない。
「知識ってこういうことか……」
思っていたより、ずっと現実的で、ずっと不親切だ。
だが同時に納得もしていた。
この世界は便利な答えを最初から与えてくれる場所じゃない。
だからこそ、この知識は――この世界で必要なのかもしれない。
俺はノートPCをリュックに戻した。
次に開くときは生き延びるために「何を知るか」を決めてからだ。




