第35話 冷やせばいいと思った
夜。
小屋の中で俺は頭を抱えていた。
目の前には鍋。
中身は――カレー。
(冷蔵庫があればな……)
神が即座に反応する。
(それは無理だな)
(……いや、言っただけ)
本気で欲しいわけじゃない。
分かってる。
ここにない。
冷蔵庫。
電子レンジ。
そして電気。
どれもこの村には存在しない。
「……はぁ」
ため息をついたところでジンが首をかしげた。
「なあ」
「さっきから独り言多くないか?」
「いや……」
「冷蔵庫があればな、って思って」
「れいぞうこ?」
しまった。
「なんだそれ」
「箱みたいなもの」
「箱?」
「中をずっと冷たくしておける箱」
ジンは一瞬考えてから言った。
「魔法か?」
「違う」
「じゃあ水を入れておくのか?」
「違う」
「……じゃあ何だ」
(言うんじゃなかった)
俺は諦めて話題を変えた。
「冷たいと」
「傷むのは遅くなるんだ」
ジンが腕を組む。
「それは分かる」
「冬は肉が長持ちするしな」
そこでジンが急に顔を上げた。
「川」
「……川?」
「今の時期、冷たいぞ」
「鍋、沈めたりできないかな」
(あ)
神が吹き出した。
(シンプル!)
(でも発想としては正しい!)
「……試してみる価値はあるな」
というわけで。
夜の川。
村の端で男二人が鍋を抱えている。
「落とすなよ」
「分かってます」
「おい、流すなよ」
「分かってますって!」
結局、石で固定して鍋は川の浅いところに沈められた。
――冷たい。
手を入れただけでびくっとするほどだ。
「これは……」
「効きそうだな」
翌朝。
鍋を引き上げる。
「……お」
「匂い、昨日と変わらないな」
中身も問題ない。
(いける?)
希望がほんの少しだけ芽生えた。
そして――その翌日。
「……ん?」
鍋を見た瞬間、違和感があった。
「……減ってないか?」
「……減ってるな」
中身が明らかに少ない。
匂いは問題ない。
腐った感じもしない。
だが――
「鍋の縁、見ろ」
引っかいたような跡。
石の位置も微妙にずれている。
「……食われたな」
「鳥か?」
「いや……」
ジンは川岸を見て言った。
「獣だ」
「匂いに寄ってきた」
神が納得したように言う。
(強い香りはね)
(人間だけのものじゃない)
結果。
「……だめだな」
「だな」
腐ってはいない。
だが――守れない。
「冷やすのはできても」
「隠すことができない」
ジンが結論を出す。
「寝ずに番をするのも無理だしな」
俺は苦笑した。
「ですね……」
そこへ、あの男がやってきた。
三日前のカレーで腹を壊した男。
「おう!」
「今日は平気か?」
「腹?」
男は腹をぽんぽん叩く。
「もう元気だ!」
「さすがに学んだぞ!」
「もう三日は置かねえ!」
(進歩してる)
男は川の鍋を見て言った。
「何してるんだ?」
「長持ちさせられないか試してたら獣に食われました」
男は一瞬きょとんとして――
次の瞬間、腹を抱えて笑った。
「ははは!」
「俺が腹壊して」
「今度は獣が先に食ったか!」
「カレー、人気だな!」
――周囲にいた村人も笑っている。
ジンが肩をすくめる。
「保存は諦めて作りすぎないように気をつけたほうがいいかもね」
「カレーだぞ」
男は豪快に笑う。
「作りすぎるに決まってるだろ!」
「食べれない量を作らないようにしなよ」
「腹壊さねえ範囲でな!」
(結局そこか)
俺は川を見た。
冷たい水。
空になりかけた鍋。
匂いだけ残った流れ。
「……カレーのままじゃ」
「無理だな」
ジンが頷く。
今日は、答えは出なかった。
でも――
何が"だめ"なのかも知った。
残すことは、まだできない。




