第32話 森へ入る
森に入った瞬間空気が変わった。
湿った匂い。
土と葉とどこか生き物の気配。
「ここからは俺の後ろを歩け」
カリノさんが低く言う。
「勝手に触るな」
「木の根も草も油断するな」
「毒のあるやつもいるし虫や獣が急に出る」
「了解です」
ジンは少し緊張している。
俺は――
(……忙しくなりそうだ)
神が肩越しに覗き込む。
(目つきが完全に料理人だよ)
(……放っておいてくれ)
森は“食材の宝庫”じゃない。
危険だからこそ近づかれず――
結果的に放置されてきた場所だ。
最初に見つけたのは低い木に実った赤い実。
「……梅だ」
硬く小さい。
「食うなよ」
カリノさんが即座に言う。
「強いぞ、それ」
「腹やられたやつもいる」
割って匂いを嗅ぐ。
「……酸っぱい」
「だろ」
俺は少し考えてから実をいくつか袋に入れた。
「持ってくのか?」
「干して、塩漬けにします」
「…………変わってるな」
ジンが首をかしげる。
「それ、使う前提なんだな」
(使えるかどうかは試してからだ)
次に地面から伸びる細い葉。
白っぽい塊が見えて、匂いにつられて手が伸びかけ――
「待て」
低い声。
「勝手に掘るな」
「…………すみません」
「近くに虫や獣がいないのを確認してからだ」
「そうなんですか」
「だから周り見てからだ」
教えられた通り慎重に掘る。
土を落とした瞬間――
「うわ、くっさ!」
ジンが鼻をつまむ。
だが俺は深く吸った。
(……これは必要だ)
袋に入れると、信じられないような視線を向けられた。
「……まじかよ」
「これは絶対に必要なんだ」
その後も――
怒られながら、止められながら
強い匂いの種。
土っぽい香りの根。
苦味がありそうな葉。
袋はどんどん膨らんでいった。
「それ食うの?」
「……分からない」
「よく分からんものを集めてるの?」
(分からないから集めるんだ)
歩いていると見覚えのある葉が目に入った。
「…………」
「どうした」
「…………草だろ?」
葉をちぎって匂いを嗅ぐ。
「……パクチーだ」
ジンが吹き出す。
「ははっ、その草にも名前があるのかよ」
「…………有名な草だ」
正直、苦手だ。
(……よりによって)
神が腹を抱えている。
(嫌いなやつ来たね)
(……嫌いだ)
「それ、食うの?」
「……俺は食べない」
「じゃあ捨てようぜ」
だが――
使えるかもしれないと思うと捨てきれない。
ふとパクチーを裏返してみた。
花のあとに、小さな丸い実。
潰す。
香りが変わる。
「…………え」
その瞬間。
(あ、それね)
神がつい口を出す。
(葉と実で使い道が違うよね)
「…………」
(おい)
(なんで今回は教えてくれるんだ)
(つい)
(もっと言えよ!)
(いや、基本は見守り役だから)
ジンが不思議そうに見る。
「どうした」
「…………いや、独り言」
カリノさんが腕を組む。
「お前」
「森のもんを、食えるかどうかで見てないな」
「…………?」
「普通はな」
「安全か、とか腹壊さないか、で判断する」
「お前は」
「料理に“使えるか”で見てる」
「…………はい」
「変わってるけど面白いやつだな」
森は危険だ。
だから誰も踏み込まなかった。
だから使われなかった。
でも――
(……カレーには必要なものがあったな)
袋の中には名前も分からないものばかり。
だが匂いが言っている。
足りなかった“深み”の正体だと。
「今日はここまでだ」
「欲張ると本当に帰れなくなる」
頷く。
森を出るころにはすっかりあたりは暗くなっていた。
俺は袋を握り直した。
次は――
これをどう活かすかだ。




