第31話 森に入る理由
「森に行こうと思う」
そう言った瞬間、小屋の空気が少し止まった。
ジンが瞬きをする。
「……森?」
「うん」
「採りに行くって意味か?」
「探しに行く、かな」
言い直したが似たようなものだ。
外に出ると近くにいた村人にも聞こえたらしい。
何人かが顔を向けた。
「森はやめとけ」
すぐに声が飛ぶ。
「今さら何しに行くんだ」
「危ないぞ」
「戻ってこないやつもいる」
止める言葉は感情的というより事実だった。
この村にとって森は恵みの場じゃない。
境界だ。
薪や薬草を取ることはある。
だがそれは“縁”まで。
奥へ行く理由は基本的にない。
「肉なら村に迷い込んだ獲物などを狩る」
「野草も知ってる範囲だけでいい」
「わざわざ入る意味がない」
もっともな意見ばかりだった。
「……料理のためです」
俺がそう言うと一瞬だけ沈黙が落ちた。
「料理?」
誰かが聞き返す。
「あの黄色いやつか」
「そうです」
少し笑いが起きた。
否定ではないが、軽い。
「それ森に行くほどのもんか?」
「命かけてまで作るもんじゃないだろ」
その言葉に俺はすぐ返せなかった。
正直分からない。
でも――
「今のままじゃ足りないんです」
静かに言う。
「火も、鍋も、主食も揃った」
「でも、香りが足りない」
「この村の中にはもう答えがない気がする」
自分でも驚くほど言葉が素直に出た。
村人たちは顔を見合わせる。
「……よく分からんが」
「本気だな」
「本気です」
そのとき。
「話、聞こえたぞ」
低く落ち着いた声。
振り向くとカリノさんが立っていた。
猟師だ。
森に入る数少ない人間。
背中の弓と無駄のない動き。
森に属している人。
「森に行きたいって?」
「はい」
「料理のために?」
「……はい」
一瞬、カリノさんは俺を見つめた。
値踏みするように。
だが嘲笑はなかった。
「目的は?」
「香りの強いもの」
「名前も、形も、分かりません」
正直に言う。
カリノさんは少しだけ口角を上げた。
「いいな」
「……え?」
「理由がある」
周囲がざわつく。
「森はな」
カリノさんは続ける。
「食材の宝庫じゃない」
「危険と、偶然と、無駄の倉庫だ」
「欲しいものがあるからって見つかる場所じゃない」
「それでも行くなら」
俺を見る。
「付き合う」
「……本当ですか」
「条件がある」
一歩近づく。
「勝手なことはするな」
「俺の言うことを聞け」
「食えそうでも、触るなって言ったら触るな」
「それでもいいか」
即答だった。
「お願いします」
ジンが横で息を吐く。
「話が早すぎるだろ……」
カリノさんはジンを見る。
「ジンも来るか?」
「……行く!」
「だろうな」
軽く笑う。
村人たちはまだ不安そうだったが、猟師が付くとなると止められない。
「……無事に戻れよ」
「変なもん食うなよ」
「死ぬなよ」
全部真剣な忠告だった。
(……行くしかない)
森は答えをくれる場所じゃない。
でも――
問いを投げるには十分すぎるほど興味深い。
香り。
それの正体が何なのかまだ分からない。
ただ一つだけ確かなのは――
この村の外にしか次はない。
カリノさんが言った。
「明日の朝だ」
「夜明け前に出る」
「森は早い者勝ちだからな」
頷く。
小屋に戻り鍋を見る。
安定した味。
足りない深み。
(……探しに行く理由はもう十分だ)
土鍋の蓋を閉める音が静かに響いた。
明日は――
森に入る。




