第30話 深みが足りない
翌日。
土鍋はもう一度火にかかっていた。
昨日と同じ分量。
同じ水。
同じ火加減。
主食は安定して炊ける。
粒も立つ。
匂いもいい。
カレーも同じだ。
焦げない。
味もブレない。
(……安定してる)
それ自体は悪くない。
ジンが小屋に入ってきた。
「またやってるな」
「昨日の続き」
「だろうな」
皿を出す。
主食。
黄色いカレー。
昨日とほぼ同じ見た目。
ジンは何も言わず座り普通に食べた。
一口。
二口。
「……」
三口目で、スプーンを少し止める。
「前よりうまい」
「……」
「土鍋のやつ、効いてるな」
「うん」
そこまでは想定通りだった。
だが――
ジンは皿を見ながら首をかしげる。
「でもさ」
「なんか、足りない気がする」
俺は何も言わない。
「まずくはない」
「むしろ普通にうまい」
「でも……」
言葉を探している。
「肉じゃがの時みたいな、あれがない」
(……あれ)
「腹は満たされるんだけど」
「記憶に引っかからない感じ」
静かな指摘だった。
否定じゃない。
失望でもない。
(……やっぱりか)
俺も同じことを感じていた。
火じゃない。
主食でもない。
量でもない。
「鍋はもう問題ない」
俺が言うとジンは頷いた。
「だな」
「炊けてるし」
「カレーも崩れてない」
「でも……」
ジンが言う。
「なんか弱い気がする」
その言葉が妙にしっくりきた。
神が少し離れたところで呟く。
(料理の“構造”はできたね)
(……でも核が足りない)
否定できなかった。
俺は鍋を見つめる。
色は黄色。
匂いも、それっぽい。
でも――弱い。
「香りだ」
口から自然に出た。
「……香り?」
「うん」
ジンはもう一口食べて考える。
「うーん……」
「香りが薄いな」
「香り……?」
「カレーには香ばしい香りが必要なんだ」
「あと……」
俺は続ける。
「一口目と最後が……同じ味」
「変化がない」
ジンが少し笑う。
「言ってることが難しいな……」
「最初は『お』ってなるけど」
「途中から流れてく感じがしない?」
「なるほど、確かに美味しいんだけど持続しない」
(持続……味の奥行きってやつか?)
その言葉が頭の中で形になる。
平面じゃない。
層がある感じ。
「火じゃない」
「主食でもない」
「……素材か」
言いながら、すぐに首を振る。
「いや、素材でもない」
神が頷く。
(足し算じゃないね)
(……引き算でもない)
(“重ね方”だよ)
ジンが言う。
「これ以上がは俺にはわからないな」
「今あるもので何をしても変わらない気がする」
「だな」
土鍋は完成した。
主食も立った。
だからこそ――次が見えた。
(……ここが限界か)
俺は正直に言う。
「今のままじゃ」
「これ以上よくならない」
ジンは驚かなかった。
「なるほど」
「でもさ」
少し笑って続ける。
「限界が分かったなら」
「次、探しに行けるだろ」
(……ああ)
香り。
奥行き。
それは――
今この小屋の中には、ない。
鍋を火から下ろす。
今日のカレーは悪くない。
でも完成じゃない。
「……何を探すの?」
ジンが聞く。
俺は少し考えて答えた。
「香りの強いやつ」
「あと、苦味か、甘みか……」
「重なるやつ」
神が小さく笑う。
(やっと“料理人の悩み”だね)
(……ようやく、わかってきた)
鍋は静かに冷めていく。
安定した味。
足りない深み。
それをはっきり自覚できた。
(……次は香りだ)
そう思った瞬間少しだけ胸が軽くなった。
限界は行き止まりじゃない。
方向を示す線だった。
俺は土鍋に蓋をしながら静かに決める。
次は――
この村の外側を覗いてみよう。




