第25話 火を覚える
結局何も思いつかないまま朝を迎えた。
小屋の外に出るとまだ空気が冷たかった。
昨日の鍋は乾いている。
底の焦げ跡が薄く残っていた。
(……まずはここからだな)
俺は薪を組みながらそう思った。
料理を作るにも練習するにも――
火を人任せにしている限り限界がある。
「教えてください」
昼前、ハタケヤマさんを捕まえて頭を下げた。
「火の扱い方を」
少し意外そうな顔をされた。
「料理用か?」
「はい」
「魔法じゃなくて?」
「薪で」
一瞬だけ間があってから彼は笑った。
「まあ魔法の方は教え方もわからんしな」
「ただ料理用も面倒だぞ」
「覚えたいんです」
それ以上は聞かれなかった。
焚き火の前に並んで座る。
「まず見ろ」
ハタケヤマさんは言った。
「火じゃない。薪だ」
薪の太さ。
組み方。
隙間。
「火は勝手に出てくるもんじゃない。育てるもんだ」
薪を一本抜く。
火が一段落ちる。
別の薪を差し込む。
火が息をするように広がる。
「……あ」
理屈じゃない。
感覚だ。
(なんとなくわかった気はする)
午前中いっぱい火を触った。
強くしすぎて鍋を空焚きにし、
弱くしすぎて何も起きず、
その中間を探す。
「完璧にはならん」
ハタケヤマさんは言った。
「だが、料理はできる」
それで十分だった。
午後。
一人で火を起こす。
薪が鳴る。
火が安定する。
(……いける)
肉じゃがを作ることにした。
材料はもう見慣れたものだ。
手が自然に動く。
火を見る。
鍋を見る。
音を聞く。
(……あ)
焦げそうな気配に気づき薪をずらす。
煮えすぎない。
止まらない。
味を見る。
「……よし」
一人で作った肉じゃがはちゃんと肉じゃがだった。
(やっとだ)
夕方。
小屋の外に出ると匂いに気づいた。
――肉じゃがだ。
しかも、一軒じゃない。
通りを歩くとあちこちから似た匂いがする。
だが、微妙に違う。
甘いところ。
香りが強いところ。
肉が多い家。
(……広がってる)
村人同士で作り方を教え合っているらしい。
「うちは玉ねぎ多めにした」
「火を弱くして長く煮るんだ」
「肉は最初に焼く派だな」
誰も同じじゃない。
だが、どれも肉じゃがだ。
(……レシピってこうやって崩れるんだな)
神が言った。
(正解が一つじゃなくなると文化になる)
(……なるほど)
火加減に自信がついたことで俺は再びカレーに目を向けた。
肉じゃがを作った後にもう一度鍋を洗う。
昨日より慎重に火を作る。
ターメリック。
赤い実。
名前の分からない種。
油を温める。
火は弱め。
――ジュッ。
今度は焦げない。
(……よし)
だがそこから先が難しい。
香りが立たない。
深みが出ない。
煮ても薄い。
足すと濁る。
「……違うな」
二回、三回。
どれも「黄色いスープのようなもの」止まりだった。
(……火は良くなったのに)
神が笑いながら静かに言う。
(問題は別のところだね)
(……なんだっけな)
ふと、思い出す。
(……カレーって)
前世ではいつも一緒だった。
ご飯。
(……あ)
鍋を止めて、気づく。
(米がない)
今まで意識したことがなかった。
「米、見たことありますか」
村人に聞いて回る。
返ってくる答えは似ていた。
「噂だけだな」
「高いって聞く」
「南のほうじゃ食うらしい」
村にはない。
日常のものじゃない。
(……そりゃそうか)
カレーを食べたいという欲が、
無意識に「ご飯」を前提にしていた。
(……パンでもないし)
(米がないなら、代わりを探すしかないな)
夜。
小屋に戻る。
鍋を眺める。
火を思い出す。
肉じゃがはもう作れる。
だがカレーはまだ遠い。
神が言った。
(料理はね、そんな簡単に取得できないよ)
(……分かっている)
(次に必要なのは?)
俺は少し考えて答えた。
(主食だ)
火は覚えた。
料理も回り始めた。
次に足りないのは――
一緒に食べる「土台」だ。
俺は椅子に座り、深く息を吐いた。
(……探そう)
米がないなら、
この村で“代わりになるもの”を。
夜は静かだ。
だが、次の課題はもう見えていた。
――次は、一皿の料理を完成させる番だ。




