第23話 黄色いもの
しばらく何も浮かばなかった。
ふと、胸の奥がざわついた。
(……カレー、食べたい)
理由は分からない。
唐突だった。
空腹でもない。
匂いを嗅いだわけでもない。
ただ思い出したという感覚だけがあった。
(……なんで今)
頭の中に浮かぶのは鍋いっぱいの茶色……いや、黄色がかった何か。
湯気。
独特の匂い。
だがそこから先が続かない。
(……あれ?)
記憶を辿る。
(カレーって……どう作ってたっけ)
思い出そうとしてすぐ気づいた。
(……俺、ルーからしか作ったことない)
箱。
固形。
溶かす。
それしか知らない。
スパイス?
粉?
(……知らないな)
神が静かに言った。
(もっと料理しておけばよかったね)
(うるさい)
それでも興味は消えなかった。
(でも……スパイスから作れないのかな)
そう思った瞬間少しだけ怖くなる。
(……いや、無理だろ)
分量も工程も分からない。
そもそも何が必要かも曖昧だ。
(……でも)
肉じゃがだって最初は同じだった。
完璧じゃなくていい。
再現できなくてもいい。
(不完全でも……作れたら面白いか)
机の横に置いてあった箱を見る。
PC。
この世界で唯一、前世に直接つながっているもの。
(……開くか)
バッテリーが怖い。
本当に怖い。
だが今回は必要だった。
俺は意を決して電源を入れる。
画面が点く。
見慣れた起動画面。
(……よし)
急いでレシピ本を探す。
「カレー、スパイス、カレー、スパイス……」
スパイスカレーのレシピが書いてあった。
(……よかった)
「ターメリック」
「クミン」
「コリアンダー」
聞いたことのある名前と、ない名前。
(……覚えきれない)
スクロールする。
分量。
工程。
写真。
頭に入ってこない。
神が淡々と言う。
(人はね、知識が多すぎると逆に何も残らない)
(今まさにそれ)
気づくと画面の隅に数字が出ていた。
30%
(……もうそんなに減ったのか)
思ったより早い。
(……だめだ)
俺はPCを閉じた。
これ以上は危険だ。
正解に近づく代わりに切り札を削ることになる。
(最低限でいい)
覚えたことを整理する。
・黄色くするもの
・香りの核になるもの
・辛さを出すもの
完璧じゃない。
でも方向は見えた。
翌日。
まずは道具の相談をすることにした。
「鍋、作れますか」
職人の男は例の顔でこちらを見る。
「決まったか」
「はい」
「今度は何人分だ」
「……とりあえず自分用です」
正直に言った。
男は笑った。
「いいな、それ」
鍋。
お玉。
菜箸。
これさえあれば作れるはずだ。
「用途は?」
少し考えて答えた。
「……専用じゃないんです」
「?」
「いろんな料理でも使えるやつで」
男は頷いた。
「なるほど、作っておくよ」
次は材料探しだ。
だが「スパイス」という言葉は通じない。
「香りが強いもの、ありませんか」
「料理に使う、色が出るやつとか」
村人は首をかしげながらも考えてくれる。
「辛いやつならある」
干した赤い実を渡される。
(唐辛子系だな)
「これは?」
小さな種。
匂いを嗅ぐと土っぽくて少し甘い。
(……それっぽい)
確信はないが、保留。
そして――
「黄色ならウコンがあるよ」
そう言って年配の女性が根を出した。
(……ウコン?飲み会前に飲むやつか?)
一瞬分からなかった。
だが、色を見た瞬間理解する。
(ターメリックだ)
神が言う。
(名前が違うだけで、同じもの)
(……なるほど)
集まったのはほんのわずか。
足りないものだらけだ。
香りの層も深みも足りない。
(……たぶん、ちゃんとしたカレーにはならない)
でもそれでいい。
材料を抱えて戻る途中声をかけられる。
「肉じゃが、どう作るんだ?」
「味付けは?」
立ち止まって答える。
一つずつ。
分かる範囲で。
教えながら思う。
(……もう、俺だけの料理じゃないな)
夕方。
机の前に座る。
ウコン。
辛い実。
名前の分からない種。
鍋はまだ届いていない。
PCは閉じたまま。
バッテリー30%。
(……いったんはこれ以上見ずに作るか)
目を閉じる。
鍋。
火。
人。
頭の中で黄色い鍋が揺れる。
匂いはまだ想像だけだ。
(……失敗するかもしれない)
でも――
(それでも作ってみたい)
神が静かに言った。
(君はもう止まれないね)
(……ああ)
(「始まり」だ)
俺は小さく息を吐く。
次の料理は決まった。
完璧じゃないし再現もできないかもしれない。
それでも――
(次は、カレーだ)
そう思うと自然とお腹がなった。




