第11話 いい匂いは隠せない
昼食を終えたあと、小屋の中にはまだほんのりと匂いが残っていた。
煮物特有の甘くて重たい匂い。
空腹を直接殴ってくるタイプのやつだ。
(鍋にふたをしたし、窓も閉めたし……もう大丈夫だよな)
自分に言い聞かせるように呟きながら使った器を洗う。
木の器に水を張り布でこするだけの簡単な後片付けだ。
文明レベルは低いが洗い物はどの世界でも面倒だ。
(しかし……)
手を動かしながらふと気づく。
匂いが消えない。
失敗したとはいえ、あれはあくまで「現代基準での失敗作」だ。
この世界の基準で言えばかなり攻撃力の高い食べ物だったのではないか。
(いやいや考えすぎだろ)
そう思ったそのときだった。
外から気配がした。
音というほどはっきりしていない。
視線というには少し違う。
だが確実に――
空気が動いている。
(……来てるな)
理由は分からないが直感がそう告げていた。
意識を集中すると、小屋の壁の向こうからわずかな衣擦れの音。
そして――
扉の隙間に影。
「……」
目だけが、覗いていた。
「……あ」
俺と目が合った瞬間、その影はビクッと跳ねて勢いよく引っ込んだ。
(いや今のは絶対――)
見間違いじゃない。
完全に人の目だった。
思わず扉を見つめたまま固まっていると今度は別方向から気配が増える。
一人じゃない。
小屋の周囲をゆっくり回り込むような足音。
踏みしめる草の音が、二つ、三つ。
(待て待て待て)
状況を整理しようとする。
ここは俺が借りている小屋。
何か盗まれるほどの物もない。
危険人物が来る理由もない。
じゃあなんで囲まれてる。
なんで俺の小屋が動物園の檻みたいになってるんだ。
扉の外でひそひそと声がする。
「……なあ、匂い」
「ここだよな」
「間違いない。まだ残ってる」
「腹減る匂いだ」
(匂いで特定されてる……!?)
思わず頭を抱えそうになる。
完全にバレてるじゃないか。
俺は反射的に天井を見上げた。
(これ……やっちゃだめなパターンだったか?)
この世界で「いい匂い」は「目立つ」とほぼ同義だ。
扉がこんこんと控えめに叩かれる。
「……あの」
遠慮がちで少し申し訳なさそうな声。
無視できる雰囲気ではない。
俺は一度深呼吸してから扉を開けた。
そこには村人が三人、まるで悪いことをした子どもみたいな顔で立っていた。
全員年齢も性別も違う。
だが共通点が一つ。
視線が俺じゃなくて、俺の背後――小屋の中を泳いでいる。
(あ、やっぱり)
完全に鍋の存在を探している。
「何か用ですか?」
そう聞くと、三人とも一瞬言葉に詰まった。
目線を交わし、最後に年配のおばさんが代表して口を開く。
「……いや、その」
「いい匂いがして」
やっぱりか。
「料理、ですか?」
「ええ、まあ……」
一瞬だけ「失敗作なんですけど」と正直に言いそうになったが飲み込んだ。
今それを言うのは余計に話が長くなる気がする。
村人たちは言葉少なに頷きながら、ちらちらと小屋の中を確認している。
(あ、完全に鍋を見てる)
目が獲物を見る目だ。
「……覗いてすみません」
「気になってしまって」
「腹が勝手に……」
最後の一言は正直すぎる。
俺は思わず苦笑しながら小さく息を吐く。
(ああ、そうか)
ここでようやく腑に落ちた。
料理って作って終わりじゃない。
匂いが出る。
匂いは広がる。
広がった匂いは人を呼ぶ。
これは隠せない。
個人で完結する行為じゃない。
鍋にふたをしても、窓を閉めても、匂いは外へ出ていく。
(料理って社会行動なんだな……)
思わずそんな結論に至る。
「……少し味見します?」
気づいたらそう言っていた。
自分でも驚くほど自然に、当たり前みたいに。
村人たちの目が一斉に輝く。
「いいのか?」
「本当に?」
「あんまり自信はないのですが……」
保険をかけつつ
鍋を開けて小さく取り分ける。
時間が経っている分、味は多少なりとも染み込んでいるはずだ。
たぶん。
きっと。
村人が一口食べて
少し間を置いて、ゆっくり頷いた。
「……腹にくる」
最高の評価だ。
別の人も言う。
「なんか、不思議な飯だな」
「固いのに、嫌じゃない」
俺は内心で全力ツッコミを入れる。
(それは、完全に失敗した部分です)
だが誰も不満そうな顔はしていない。
気づけば小屋の前にさらに人が増えていた。
誰も騒がない。
押しかけるでもない。
ただ匂いにつられて様子を見に来ただけ。
(……完全に始まってるな)
この料理はもう俺一人のものじゃない。
村の中で静かに、確実に共有され始めている。
その実感が少し怖くて、でも不思議と悪くなかった。
俺は鍋を見下ろして、小さく苦笑する。
「……次は、量も考えないとな」
いい匂いは、隠せそうになかった。




