第30話
「左右両足蹴れるセンターバックだと?」
杉田直人はそのロングフィードに目を見張った。相手選手を観察し続けてきた彼にとって、あの一見平凡なセンターバックが右利きであることは確信事項だった。だが、この試合で初めて見せたロングパスは、鮮やかな左足によるものだった。
何より想定外だったのは、ボールの落下地点が、ゴールキーパーが出るに出られない絶妙な位置だったことだ。受け手の技術さえ高ければ、決定的なカウンターになり得る。
『ポゼッションスタイルを掲げる群馬伊香保温泉に、こんなフィードの名手が潜んでいたとはな。』
ボールを収めた今村一彦は、右へ行くような大きなフェイントを入れた。背後から狼狽して飛び込んできたセンターバックを1メートル以上も引き離すと、左足のアウトサイドで外へ持ち出した。その一瞬の動作だけで、ミドルシュートを打つ十分なスペースを作り出した。
『迷いのない動きだ。スピードで劣ることを自覚し、相手の走路を塞ぐコース取りを瞬時に選択した。宮沢を巧みにブロックしてボールを収める技術も高い……。こいつ、かなりのポテンシャルを秘めているな。』杉田直人は思わず頷き、心の中で賛辞を送った。
『惜しいが、ミドルシュートは今村の得意分野じゃない。』鈴木卓はこの攻撃の結末を半ば予想していた。『だが、この一撃は狼煙になる。少なくとも、チームを少しは落ち着かせられるはずだ。』
ん?
相手をかわし、左足でシュートを打てる絶好機にもかかわらず、今村は打たなかった。代わりにもう一度フェイントを入れたが、体勢を立て直した宮沢は引っかからなかった。
味方の上がりを待つための時間稼ぎか? 杉田直人は中盤へ目をやった。蕭智堯は以心伝心のように既に上がり始めていたが、長谷川千空が影のように追走している。そもそも、あの高速ロングフィードにセカンドボールとして反応するのは現実的ではない。
いや、違う。彼はここで相手センターバックを直接抜き去り、よりゴールに近い位置で打つつもりだ。
……
「今シーズンのリーグ戦に向けて、特に注意すべき点はありますか?」
郡山神風戦の前夜、鈴木卓と中西智和はオフィスで戦術と育成方針について話し合っていた。ユース総監督として、中西の任務は各選手の成長曲線を描き、トップチームのスタイルと融合させることだ。
「そうだな……」中西は腕を組んで数秒考えた。U-13の課題と聞いて真っ先に浮かぶのは蕭智堯だ。「郡山神風は厄介な相手だ。明日の試合は蕭智堯にとって厳しいものになるかもしれない。」
「彼に関しては、相変わらずあの問題が残っています。安定したパスの受け手がいないと、自分でリズムを作れない。」鈴木卓は軽く溜息をついて頷いた。「フォワードに関しては、今村がU-13で最もポテンシャルがあるのは間違いない。だが、彼ら二人の連携はあまり良くない。機能する時としない時の波が激しすぎます。」
「今村のプレーが理性的すぎるからだな。」中西智和は微笑んだ。「彼のポジショニング、ボール処理、思考回路は全て教科書通りだ。理路整然としている。どんな瞬間でも、彼を止めて『なぜそうした?』と聞けば、全ての判断と動作の理由を論理的に説明できるだろう。」
「確かに。蕭智堯とは正反対ですね。」鈴木卓は笑った。「つまり、蕭智堯にその点を改善させるべきだと?」
中西智和は首を振った。
「逆だ。」
「今村を改造しろと?」
「改造というほど大げさな話ではない。」中西智和は笑った。「ただ、今村に教えてやってほしいんだ。『サッカーは理屈だけでプレーしてはいけない』と。あまりに理性的すぎるということは、相手にとって全ての行動が予測可能だということだからな。」
……
鈴木卓はその言葉をまだ今村に伝えていなかった。彼は蕭智堯と今村一彦というコンビに、独自の化学反応を起こさせる方法を模索していた。二人のスタイルに正解も不正解もない。指導者として、自分の価値観や目先の利益のために、その独自性を安易に壊したくなかったのだ。
だが今日の今村は、どこか違って見えた。
基礎技術は確かだが、彼はドリブラーではない。普段ならボールを持てば真っ先に味方を探し、オフ・ザ・ボールの動きで相手を崩そうとするのが彼のスタイルだ。
だが今、彼は執拗にフェイントと駆け引きを繰り返し、郡山のセンターバック宮沢祐一と数秒間も格闘した末、強引にシュートを放った。ボールは力なくキーパーにキャッチされた。
『ミドルシュートが入る確率は低いと分かっているはずだ。それでも、コーナーキックを取れる可能性に賭けて、理性を捨てて勝負に出たか……。』鈴木卓は分析したが、以前の彼なら間違いなくパスを選択していただろう。
「ハァ……ハァ……。」 全速力でサポートに駆け上がってきた数人の味方は、その光景を見て呆気にとられた。今村一彦らしからぬ独断専行だったからだ。だが誰も文句は言わず、手を叩いて彼を鼓舞した。
「……」蕭智堯はもう一人のフォワード、見嶋覚を振り返った。やはり彼も守備に戻ろうとしていたため、今村は前線で孤立無援だったのだ。
だが皮肉にも、その状況が今村に単独突破を決意させる空間を与えたとも言える。
その時、今村は後方の舞木に向かって親指を立て、あの完璧なロングフィードを称えた。
「ナイスだ今村! 切り替えていこう!」舞木も手を叩いて応えた。彼は知っていた。これが現状最も効果的な攻撃手段だと。スコアこそ動かなかったが、戦況を変えるには十分な一撃だった。
最も顕著な変化は、郡山神風の前線からのプレスがさらに激しくなったことだ。舞木にロングフィードを蹴らせないためだが、それは同時に、群馬の中盤と前線に、より多くのスペースと自由を与えることを意味していた。全体のプレッシャーは確実に緩和された。
「もうすぐハーフタイムだ。準備しておけ。」杉田直人はピッチサイドにしゃがみ込み、助監督に指示した。「後半はさらに徹底的にいくぞ。」
……
ハーフタイム。群馬の選手たちは例外なく肩で息をしていた。郡山神風の捨て身のようなプレースタイルは未体験の領域だった。「オールコート・マンツーマン」という古めかしい戦術への戸惑いもあったが、何より相手が速すぎた。
そのスピードは、ショートパスで崩したはずのスペースを、前線であれ後方であれ、一瞬にして埋めてしまう。
「一番恐ろしいのは、あいつらのスタミナが無限に思えることだ。」岡田健也は水を飲みながら不安げに言った。後半もこの状況が続くことを恐れているようだ。
その時、鈴木卓は首を振り、相手選手たちの方へ視線をやった。
「確かに、相手のコンディションは素晴らしい。」彼は言った。「だがあえてもう一度言おう。ポゼッションサッカーの方が、スタミナの消耗は激しいんだ。だからこそ我々は常にフィジカル練習に重点を置いてきた。自分たちの体力に自信を持て。消耗戦になったとしても、我々が不利になるとは限らない。」
「ですが監督、このマンツーマン戦術にどう対抗すればいいんですか?」橘大輔が尋ねた。
「スタイルを変える必要はない。今のままでいい。ショートパスとワンツーでスペースを作り、ギャップを突く。相手が一人でもマークを外せば、全体のバランスが崩れる。そうなれば、彼らはその穴を埋めるためにさらに走らなければならなくなる──つまり後半、相手の消耗は幾何級数的に増大するはずだ。」
「でも、プレスがきつすぎて、かわす余裕さえ……。」岡田健也は渋い顔をした。
「一つ覚えておけ。相手はスピードを武器にしている。だがスピードが速ければ速いほど、その『反作用』も大きくなる。」鈴木卓は微笑んだが、選手たちはまだピンと来ていない様子だ。「簡単に言えば、もっと相手を惑わせろということだ。相手に『加速し続けて張り付く』余裕を与えるな。『急停止と再加速』を強いるんだ。」
彼はスマホを取り出し、シャビが中盤で相手をかわす動画を見せた。マークについているのは俊足の黒人選手だ。動画の中で彼は全速力でシャビに向かって突進していたが、このマエストロはボールを受ける瞬間にわずかなフェイントを入れただけで、相手を数メートル彼方へ置き去りにした。
「見たか?」鈴木卓は動画を止めた。画面には、悠々とボールを運ぶシャビと、全速力でのプレスに失敗して急停止しようと足掻く相手選手との間に、三、四メートルの距離が開いているのが映っていた。「たった一つのフェイントで、これだけの距離を作れる──その理由はまさに、相手が速いからだ。」
選手たちは静止画を見つめ、何かを悟ったように体を揺すり、その感覚を掴もうとした。スピードが速いほど、失敗した時の距離が大きくなる。そう知った途端、相手の驚異的なスピードがそれほど怖くないものに思えてきた。
「もちろん、プレスの全場面で全速力とは限らない。だが、相手が矢のように向かってくると想像しろ。まず相手をある方向へ誘導し、逆方向へドリブルする。そうすれば相手は大きな『判断の代償』を払うことになる。飛び込んでくる速度が速ければ速いほど、その代償は大きくなるんだ。」
「つまり、フェイントを多用すればするほど、相手の心身への負担は増していくってことですね。」橘大輔が得心がいったように言った。
「その通り。シャビのような名選手たちが、足が遅くても中盤で自分のリズムを保てるのは、相手の重心を操る術を知っているからだ。」
蕭智堯は鈴木卓の説明を完全に理解できたわけではないが、「矢印」という言葉と手振りから大意を掴んだ。そして突然、何かが閃いたように、さっき長谷川千空のプレスを受けた時の自分のミスを悟った。
「蕭。」考え込んでいると、今村一彦が近づいてきた。普段は無口な彼が、珍しく自分から話しかけてきた。「後半、もっと大胆に俺へパスを出してくれ。さっきの舞木みたいに、迷わずダイレクトでいい。俺が何とかして合わせる。」
「え? ああ……分かった。僕も君の動きに合わせるようにするよ。」蕭智堯は予想外の申し出に少し驚きながら頷いた。
「違う。今まで俺たちの連携が噛み合わなかったのは、互いに『完璧なパスコース』を探しすぎていたからだ。」彼は断固として首を振った。「後半はもっと自分の感覚で出してくれ。俺が走り出すのを待ったり、アイコンタクトを取る必要はない──俺が君の思考を読み取ってみせる。」
「でもそれじゃ、君が……君は相手より足が遅いのに、そんな状態でパスを受けたら……。」
「鈴木監督の言う通りだ。『惑わす』んだよ。」今村一彦は再び首を振った。
「チームのトップスコアラーとして、俺は相手を動揺させる『トリガー』になる。」




