第59話
「よし、では日本で会おう、蕭君。」
新妻祐泰と通訳は、蕭智堯とその母に一礼し、深紺のハットを被り直すと、静かにその場を去っていった。
木の扉が閉まると、母と子の間にしばしの沈黙が降りた。母は微笑みながら小さく息を吐く。ようやく息子の旅立ちを決心できた安堵か、それともまだ拭えぬ不安か。
「本当に、もう心は決まったのね?」と、母が不意に切り出した。
「ん?」部屋に戻ろうとしていた智堯は足を止めた。「どういうこと?」
「代表の陳コーチが言ってたでしょう。プロになるってことは、サッカーから得られる純粋な喜びが減ってしまうかもしれないって。私には難しかったけれど、その本当の意味……」母はゆっくりと食卓の椅子に腰を下ろした。「あなたなら、私よりもずっと分かっているはずよ。本当にその覚悟はあるの?」
「母さん、僕はもう十分考えたよ、」蕭智堯は母を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。「僕は、プロサッカー選手になりたいんだ。」
「そう、」母は頷いたが、その微笑みはまだどこか頼りなげだった。「あなたが後悔しないのなら、それでいいわ。」
部屋に戻りドアを閉める。扉にもたれかかった智堯は、部屋中に貼られたエジルのポスターを見上げ、ふと立ち尽くした。
後悔のない人生……か。
「サイドバックが開くのが遅い! センターバックや中盤にボールが入る前にもう開いてないと! ボールを受けてからじゃ遅いんだよ!」
数日後の校内練習。蕭智堯は相変わらず参加していた。たとえ僅かでも、自分の意見や経験をチームに残していきたかったのだ。
「守備の集中力が少し切れてるぞ。もしスタミナ的にゾーンプレスを維持できないなら、ディフェンスラインを少し下げて、守備ブロックをコンパクトにすることを考えた方がいいかもしれない。」
キャプテンの鍾偉豪は頷きながら、彼の助言をスマホのメモに必死に打ち込んでいた。
準々決勝の相手は湾仔区の北角協聖中学。突出した強さはなく、余仁海を擁する理善なら順当に勝ち上がれるはずだ。
「順当に行けば、準決勝は北区の芬園第一中学だな。去年もベスト4に入ってる強豪だ、」鍾偉豪はトーナメント表を見ながら言った。「守備が堅いらしい。」
「決勝まで行けば……やっぱり大埔の羅学強が来るか?」水を飲みながら蕭智堯が尋ねる。
「ああ、」鍾偉豪は頷いたが、その顔には不安が隠せなかった。「その頃には余仁海も……いや、まずは準決勝を勝つのが先だ。正直、決勝まで行ければ出来過ぎなくらいさ。」
グラウンドで走り込みをしている仁海と李向名に目をやる。蕭智堯の胸中に複雑な想いが去来する。二十年来の親友たちと共に学界の頂点に立つ――それは彼が夢見てやまなかった光景だ。だが今、圧倒的な優位を手にしながら、彼はその夢を諦めようとしていた。
「正直な話……」彼はふと俯き、ため息をついた。「この大会が終わるまで残ろうかとも、本気で考えたんだ。」
「はあ? バカ言うなよ、冗談だろ」鍾偉豪は呆れて笑い飛ばした。「海外でのトライアルなんて千載一遇のチャンスだぞ。たかが学界の数試合のために棒に振るなんてありえねえよ。」
「ま、説明するのは難しいんだけどな、」蕭智堯は笑って彼の肩を叩いた。「大人になれば分かるさ、ハハハ。」
「お前まだ中一だろ、先輩に向かって……」
蕭智堯が抜けた後の理善。中盤の構成力と配球力は著しく低下するだろう。鍾偉豪はずっと頭を悩ませていた。どういう布陣と戦術なら、余仁海の能力を最大化できるのか。
万能型の4-4-2か、堅守速攻の5-3-2か、それとも4-3-3で前線からプレスをかけてストライカーに自由を与えるべきか?
「やってみないと分からないことは多いさ。」ピッチ脇の芝生に座り込み、蕭智堯は首を傾げた。「練習試合を組んで、イメージしてる戦術を試してみればいい……自信があっても上手くいかないこともあるし、その逆もある。悩み続けても仕方ない、とにかく試してみるんだ。」
「……」鍾偉豪は彼をじっと見つめ、ふっと吹き出した。「なんかお前、グアムから帰ってきてから急に老け込んだというか、達観してないか?」
「なんていうか……」蕭智堯は両手を後ろにつき、夕焼けに染まる空を見上げた。「ただ……後になって誰も後悔してほしくないんだ。それに、僕自身ももう二度と後悔したくないから。」
「グアムで相当揉まれたみたいだな。」鍾偉豪は笑い、ゆっくりと立ち上がった。「俺にとっちゃ、今一番やりたいのは目の前の学界の一戦一戦を全力で戦うことさ……勝っても負けても、全力を尽くしたなら、将来後悔することはないはずだ。」
彼は以前言っていた。今年が終われば高校生チームに上がるが、理善の高等部は弱小で有名だ。
だから彼にとって、中学サッカーの青春は今年が最後になるかもしれない。
「よし、集合!」
練習後、顧問の彭為海が全員を集めた。数日後には蕭智堯が日本へ発つ。何事もなければ、これが理善での最後の活動となる。つまり今日が、彼が理善サッカー部員として立つ最後の日だった。
「蕭、みんなに何か言いたいことはあるか?」
「えーっと……」蕭智堯は少し照れくさそうに皆を見渡した。「実はみんなとはまだ……半年くらいの付き合いなんだけど、短かったような長かったような。でも、今年の学界をみんなと一緒に戦えて本当に良かった。ここ数試合、本当に楽しかったし、満足してる。この思い出は俺にとって宝物だ。一生忘れないよ。」
「ケッ、気取ってんじゃねーよ。」余仁海が横で大きなあくびをする。
「それから……」蕭智堯は少し俯いて考え込み、鼻の下をポリポリとかいた。「みんなの目には、俺が……才能のある選手に見えてるかもしれない。でも、実際はそうじゃないんだ。みんなまだ中学生だし、初心者のやつも多い。スポーツの才能っていうのは、すぐに上手くなることだけじゃない。基礎練習を乗り越えた先に、突然開花することだってあるんだ……」
チームメイトたちは笑顔で頷いた。もちろん、自分の実力を悟っている者もいれば、李向名のように数合わせで入部して、大それた志などない者もいる。
「昔……あるサッカーの先生に言われたことがあるんだ。サッカーは残酷なスポーツで、才能の限界も、ポジションも、戦術の中心になれるかどうかも、全部生まれた瞬間に決まってるって。――でも、僕は違うと思う。」智堯は皆を真っ直ぐに見据えた。「サッカーは後天的な努力で、いくらでも変えられると信じてる。だから……もし本気でサッカーが好きなら、後悔するような言い訳を作らず、その重要な一歩を踏み出してほしい。夢のために、全力で戦ってくれ。」
「僕は、先に行くよ。」
「またいつか、どこかで会おう。」
カラスの鳴き声が遠く響き、別れの名残惜しさが橙色の夕陽に溶けていく。蕭智堯は皆の拍手に包まれながら、短くも濃密だった校隊での日々に別れを告げた。
「ここ数日ずっと考えてたんだけどよ、俺ら二人でこんな大騒ぎして、どっちか片方でも失敗して帰ってきたら、学校で恥さらしもいいとこだよな。」麗閣団地に戻り、いつもの三人だけになると、余仁海は頭の後ろで手を組み、そっけなく言った。
「うわ、それ最高じゃん。想像しただけでメシウマだわ。」李向名が大笑いする。
「新聞とかネットで『ゴミ助っ人』とか叩かれて、野良サッカーに混ざるだけで散々笑われるとかな。」蕭智堯も笑う。
「クソが、俺ら腐っても香港代表だぞ。この香港で俺らを笑える奴なんざいねえよ」仁海は鼻で笑った。「おい、お前こそ日本行ってビビんなよ。『麗閣三銃士』の名を汚すんじゃねーぞ。」
「一番汚してるのはこのオタクだろ。」
「どうも。」
「たくっ、お前ももっと真面目にサッカーしろよな。放課後も休みもゲームだアニメだプラモだって、このままじゃマジもんのオタクになんぞ。」余仁海は李向名にパンチを入れ、歯軋りして喚いた。
「俺はオタクだ。否定も補足も必要ない。」李向名はどうでも良さそうに肩をすくめる。
蕭智堯はこの三人の他愛ない会話に心から笑っていたが、この時間が数日後には一旦終わってしまうことを痛感していた。
「麗閣三銃士」が次に肩を並べるのは、いつの日になるのだろうか。




