第九話「心なき刃に、心ある刃を」
俺は異国の土を踏みしめる。
日本の土とは感触がまるで違った。
乾燥した砂が混じり、踏むたびに微かに舞い上がる。
庭の周囲には、日本人町の住民たち二十人ほどが集まり、
固唾をのんで見守っていた。表情には恐怖と好奇が入り混じる。
「浅葱さん……」
松下 華子の声がかすかに聞こえた。
振り返ると、藤波 志津が鋭い視線で俺を見据えている。
制止する意志と、それでいて信頼の光も宿していた。
「来い、小僧」
視線を戻すと、山田 長政が右足を半歩引き、
刃先をわずかに下げた構えで立っていた。
一見隙があるように見える中段崩し——だが、これは罠だ。
(この男は、本当に俺と同じ武士、いや…日本人なのか)
心の中で疑念が芽生える。
権力のために兄弟王子の暗殺を企て、部下を駒として扱う。
そんな男を、同胞と、日本人と呼べるのか、呼んでいいのか——。
だが今は、その答えを刀で問うしかない。
俺は悩みを振り切るように刀を頭上に掲げ、刃先をまっすぐ長政に向ける。
長政の刀、”和泉守兼定”と俺の”桐月兼光”が、
強い日差しを受けて相対的に眩しく光る。
”兼定”は乱れ映りを呈し、まるで炎がゆらめくように刀身を走る。
”兼光”は月光のように静かに、武の鼓動を刻んでいた。
二振りの名刀が、異国の空の下で交わろうとしている。
「いざ……!」
◇
第一太刀——袈裟斬り
上段の構えから踏み込み、一気に間合いを詰める。
右足で地面を蹴ると、砂利が跳ね、雑草が揺れた。
狙いは左肩、初太刀で崩すつもりだった。
長政は微動だにしない。
いや、動いた。
わずかに右肩を引き、刃先を下げた中段崩しの構えから、体を流れるように捻る。
彼の目には、俺の動きの先まで見通す冷静さが宿っていた。
俺の斬撃は空を裂き、肩先をかすめる。
第二太刀——返し斬り
俺は体を捻り、刃を逆手に返して胴を狙う。
刹那、長政の刀が、まるで待っていたかのように滑り込み、
逆巻くように返ってきた。脇腹を狙った水平斬り。速い。
ガキイイイン!
間一髪、金属がぶつかる鋭い音が庭の静寂を破った。
俺は咄嗟に刀を下げて受け止めた。
第三太刀——下段払い
体勢を崩さぬまま、刃を低く払う。
長政の膝を狙った一撃。だが長政は跳ねるように一歩引く。
着地と同時に、彼の刃が下から突き上げる。俺の腹を裂こうとする一撃。
両足を開き、体を沈めて受ける。
刃と刃が噛み合う。
ギリギリ…
「うおお!」
第四太刀——押し返し
力を込めて、長政の刃を押し上げる。
その瞬間、彼の目が細くなった。
「甘い」
長政の横一文字が唸りを上げる。刃を滑らせ、俺の左肩を狙って横に払う。
「っく……!」
体を捻り、肩を沈める。
すれすれの処でかわした。
だが、完全には逃げ切れなかった。
布が舞い、肌に赤がにじむ。
血が一筋、肩先から腕へと伝い落ちる。
痛みよりも、長政の技の鋭さが骨に響いた。
刃を腰の脇に構え、柄を後方に引いた――脇構え。
刃先は地を這うように低く、だがその先にある一点を鋭く捉えていた。
長政の口元がわずかに吊り上がった。
「少しは見られるようになったな」
◇
左足を滑らせるように前へ。 踏み込みと同時に、”桐月兼光”の切っ先が風を裂く。
狙いは胸元、一撃の「突き」。鋭く、深く、相手の急所を穿つための一太刀。
長政は刃を斜めに構え、軌道に乗せて逸らす。
次の瞬間、長政は体重をかけ、初めて踏み込んだ。
返した刃で中下段から切り上げてくる。
俺は刃を返し、受け太刀で軌道を逸らす――だが、重い。
肩に響く衝撃。腕が痺れる。
「ううっ……!」 一撃の重みは、技術だけではない。
それは、幾度の死地を越えてきた者の“重さ”だった。
腕を痺れさせ、足を後退させる。
その後も、縦、横、斜め——連続した攻撃を仕掛けるが、
長政は全て受けるか避けるかして対処する。
攻撃は全て見切られ、反撃も紙一重で避けられる。
まるで俺の動きが手に取るように分かっているかのようだった。
「どうした、小僧。もう息が上がっただか?」
長政が余裕綽々で挑発してくる。
追撃は無く、その笑みには余裕が漂っていた。長政の技量は想像以上だった。
(……まだ本気ではないな)
そう確信した俺は、飛び退き、距離を取る。
ザザッ
砂混じりの土を蹴り、着地する。
額には汗がにじんでいた。
確かに息は上がっていた。シャムの暑さと湿気が、体力の消耗を早めている。
だが俺はまだ諦めていない。
長政の一挙手一投足を追ううちに、俺はひとつの気付きに至った。
確かに強い。だが——
◇
「長政殿……あなたは、何のために刀を振るうのですか」
問いかけた瞬間、長政の眉がかすかに動いた。
「……何だと?」
「今の切り合いで感じました。確かに長政殿は強い。しかし、技ばかりが際立ち、心が定まっていないように思えるのです」
俺は静かに正眼に構えた。
「——だからこそ、もう一度問います。あなたは何のために刀を振るうのですか」
長政の顔が強張った。
図星だったのだろう。その瞳に、怒りの炎が走る。
「……死んでも文句言うなよ、小僧ォッ!」
次の一撃は、怒気を帯びた刃だった。
腰をひねり、肩ごと振り下ろす——全身の重みを乗せた斬撃だ。
その力は倍増しているが、精密さは欠けていた。
刃の軌道は大きく、重く、だがわずかに読める隙を孕んでいる。
俺は左手で刀の柄を締め、瞬間的に体軸を逆に回転させる。
刃を立てて斬撃の勢いを受け流し、右膝で踏み込みながら間合いを詰める。
狙うは胴の右側面——
長政は慌てて刀を少し下げ、腕の角度を微妙に調整しながら、斜めに構えて防御に回った。
しかし、その防御は完璧ではなかった。
力の流れが刃の先に残り、体重の配分が後方に少し偏る。
金属音と共に、初めて長政が後ろによろめいた。
「何だと...」
怒りに支配されていた長政の顔に、人間らしい焦りの影が走る。
今だ——この一瞬こそ、勝機だ。
俺は刀を腰の前に構え、刃先を地面へ向けて静かに下ろす。
◇
長政がわずかに腰を落とす。
柄を胸元に引き、刃先を水平に構えた――独特な突きの型。
次の瞬間、刃が風を裂いた。 突きが来る。
無駄を削ぎ落とした一点突破。 狙いは、俺の喉元。
俺は寸前で刃を立て、縦に弾き上げた。火花が散る。
その反動を利用し、俺は肩口へ斬り下ろす。
刃が弧を描き、長政の右肩を狙う――が。
横薙ぎが来た。
稲妻のような返し刃。
首元めがけて、地を這うような軌道で滑り込む。
至近距離――長政の体勢は崩れていない。
むしろ、怒りの中で次の動きを読んでいたかのようだった。
「——ッ!」
退こうとした足を、長政が踏み潰している。
間合いは潰され、逃げ道はない。
刹那、冷たい死の感触が迫った。
避けられぬ——死。
そう悟った瞬間だった。
◇
「長政!!そこまで!」
凛とした声が庭の空気を裂いた。
まるで一振りの刃が空間を断ち切ったかのようだ。
俺と長政の動きが止まる。
刃を交えたまま、互いに睨み合いながらも、次の一手が出ない。
殺気が宙に浮いたまま、時間が止まったようだった。
視線を逸らし、声の主を探す。 屋敷の軒先から一人の影が静かに現れた。
漆黒の外套に身を包み、背筋は伸び、歩みは静か。
その姿は、ただの貴族ではない。
空気が彼を避けるように流れ、周囲の者が自然と頭を垂れる。
その人物はゆっくりと頭巾を外す。
現れた面差しは理知的で、眼差しには威厳と慈悲が同居していた。
その一瞥だけで、場の支配者が誰かを誰もが理解した。
「プラサート殿下!」
長政が息を呑み、刀を下ろす。
片膝をつきながらも、顔には明らかな不満が浮かんでいた。
「なぜここに……」
「噂を聞いたのです」
王子の声は流れるような日本語だった。
発音は完璧で、言葉の節々に日本文化への理解がにじむ。
「日本から”武傭兵”が到着したと。そして長政殿と立ち合いをしていると」
王子はゆっくりと俺に歩み寄る。その歩幅は均整が取れており、足音すら品格を帯びていた。
「立派な戦いぶりでした」
王子の言葉に、俺は刀を収める。
そして、胸の前で両手を合わせ、指先を揃えて額の高さまで持ち上げた。
シャム式の礼――合掌の姿勢。
◇
「浅葱 真之介殿ですね。長政殿から話は聞いております」
「恐れ入ります」
言葉を交わす間にも、長政の視線が刺さる。
立ち上がった彼は、俺に向かって毒を含んだ声を吐いた。
「覚えとけ、小僧。今回は俺がおめぇを殺さんかっただけだ」
「長政殿」
王子の声が、空気を制するように響く。
「今は私の護衛が必要です。この件は後日改めて」
長政は王子を見つめ、やがて不承不承といった様子で頷いた。
「……承知いたしました、殿下」
王子は”朱刃組”の面々を見回す。
その眼差しは、選定ではなく信頼の表れだった。
「”朱刃組”の皆さんも、私の護衛に加わっていただけませんか。長政殿と共に、私をお守りください。即位の暁には必ずや貴国の王へと礼を尽くしましょう」
藤波が一歩前に出て、深く礼をする。
「光栄に存じます、殿下。…ただ、我ら”朱刃組”は、武の道をもって忠を尽くす者。その性質上、任務には限りがございます」
「藤波!護衛も暗殺も同じと言ったはずだら」
「それでも、一線は越えられません」
長政と藤波の視線がぶつかる。 火花こそ散らないが、空気が再び張り詰める。
その間に、王子が一歩踏み出し、穏やかに割って入る。
「……詳しい話は今晩いたしませんか?長政殿、あなたも来てください。護衛の件と……その他の件について。本当に必要かどうか、慎重に検討する必要があるでしょう」
その言葉に、場の緊張がわずかに緩む。 だが、誰の胸にも、まだ刃が収まりきってはいなかった。
◇
王子は踵を返し、屋敷の脇に控えていた籠へと向かう。
側近が天蓋を持ち上げ、担ぎ手たちが静かに歩みを始めた。
俺はその背を見送りながら、胸の内に複雑な感情が渦巻いていた。
立ち合いは中断され、暗殺計画の真相も明かされぬまま。
だが、確かに俺は命を救われた。
そして、長政との決着も、また別の機会へと持ち越された。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
俺たちは、王子の願いのもと、一時的に協力することになった――それだけだ。
長政が振り返る。その目には、まだ敵意が残っていた。
「勘違いするなよ、小僧。これは殿下の命令だから従うだけだ」
「……理解しています」
もちろん心から納得などしていない。だが、今はそう答えるほかに道がなかった。
「だが、いずれ決着はつけるずら。今日の続きは、また今度だ」
長政はそう言い残すと、踵を返して屋敷へと歩き出す。
肩越しに漂う気配は、油断すればすぐに斬りかかってくる獣のようだ。
「真之介!大丈夫かいな?」
筒井 景虎が駆け寄ってくる。その顔には、安堵と焦りが入り混じっていた。
「ああ、なんとか」
俺は額の汗を拭いながら答える。刃を交えた余韻が、まだ腕に残っている。
「良かったです…しかし、複雑な状況になりましたね」
佐伯 清次が長政の後ろ姿を見つめながら呟く。
藤波が俺たちを呼んだ。
「ひとまず、今晩の会談まで待つことにする。それまでは自由行動だ。決して無礼の無いようにせよ」
俺たちは頷いた。
庭には、さきほどまでの刃の気配がまだ残っており、
胸の奥には薄い緊張の膜が張り付いたままだった。
第九話 了
第九話「心なき刃に、心ある刃を」をお読みいただき、ありがとうございました。
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