第七話「アユタヤ上陸!黄金の都と浪人王」
皆さんこんにちは、橘 酒乱です。
先日、ひさびさに焼肉へ行きました。
「感想をメモるぞ」と意気込んでいたのに、気づけば肉をひっくり返すのに夢中。
結果残ったのは「焼肉は最高」というシンプルな真理だけ。
いやほんと、焼肉って最高ですよね。
「お前たち! 陸が見えたぞ!」
船長・佐久間の声が、長い航海の終わりを告げた。
俺たちは一斉に甲板へ駆け上がる。
太陽は容赦なく照りつけ、潮風はどこか温く、花の蜜を思わせる甘い香りを運んでいた。
胸の奥に、異国への期待と不安が綯い交ぜに広がる。
水平線に浮かんでいたのは、見渡す限りの深い緑。
海風に揺れる椰子の木々は、まるで旅人を歓迎するように枝葉を振っている。
その背後には白砂の浜が連なり、腰布をまとった人々が小舟を曳きながら歩く姿が見えた。
――ついに異国の地、シャムに辿り着いたのだ。
美しさと同時に、得体の知れぬ緊張が胸を締めつける。
これから踏み入れる土地で、俺たちは何を目にし、何を得るのだろうか。
◇
やがて船は大きな河口に入り込む。
チャオプラヤ川――シャム王国の大動脈と呼ばれる大河だった。
川幅は湖のように広大で、泥を含んだ茶色の水がゆったりと海へと注いでいる。
「みな、あれを見ろ」
宗田 巌が対岸を指差した。
黄金に輝く巨大な仏塔が林立し、その間に赤瓦の屋根が幾重にも重なる。
陽光を受けて煌めく姿は、まるで宝石を敷き詰めた都市そのものだった。
「あれがアユタヤですか……」
松下 華子が息を呑む。
「美しい……絵で見るよりも、ずっと壮麗ですね」
佐伯 清次の声も震えていた。
川面には無数の船が行き交う。
細舟に揺られる地元民、荷を満載した商船、そして――
「あの船は?」
俺が指したのは、見慣れぬ形をした巨船。
「ポルトガル船だ」
藤波 志津の声が低く響く。
「あれはオランダ船。この川が、いかに国際的な水路であるか一目で分かるな」
確かに、異国の旗を掲げた船が次々と停泊している。
アユタヤが世界交易の要衝であることを、否応なく示していた。
”海鳴丸”が桟橋に接岸すると、
褐色の肌をした港湾作業員たちが縄を受け取った。
腰に鮮やかな布を巻き、裸の上半身は筋肉に浮き彫りの刺青をまとっている。
「サワディー・クラップ!」
ひとりが朗らかに挨拶した。
「サワディー・カー!」
松下が照れ笑いしながら応じると、男は人懐っこく笑った。
「日本人ですか? 久しぶりです!」
片言の日本語に、俺たちは驚く。
「ええ、初めてシャムに参りました」
「素晴らしい! シャムは良い国です。でも……」
男の顔に一瞬、影が差した。
「最近、少し危険です。気をつけてください」
何が危険なのか尋ねようとしたが、男は作業に戻ってしまった。
「いったい何なんでしょう……」
松下の声に、俺は「……警戒を怠らないようにしよう」とだけ答えた。
◇
いよいよ上陸の刻。
「次の季節風に乗れる頃、”朱刃組”も日本へ帰国する予定だ」
佐久間の説明を受け、俺たちは異国の大地へ足を踏み入れた。
藤波を先頭に進むと、湿り気を帯びた重い空気が肌にまとわりつく。
様々な肌の色の商人が荷を運び、耳慣れぬ言語が飛び交う。
まさしく国際都市の喧騒。その人々の多様さに圧倒される。
「ついに着いたんだな」
俺は思わずつぶやく。
「ごっついわ……こんな世界があったんやな」
筒井 景虎が目を丸くした。
「浮かれるのは構わんが、異国では一言、ひとつの仕草が命取りになることもある。肝に銘じておけ」
藤波の声に一同が引き締まる。
市場では見たこともない品々が並んでいた。
色鮮やかな香辛料、奇怪な果実、光沢を放つ絹織物、象牙の彫刻に黄金の装飾品。
「あれは何でしょう?」
松下が籠の中を指差す。
「猿の子供のようですね」
佐伯が答える。
売り主の女が笑顔で何かを早口に語るが、意味は分からない。
その時だった。
「朱刃組の皆様、ようこそシャムへ」
流暢な日本語が、喧騒の中で鮮やかに響いた。
◇
目の前に立っていたのは、深緑の着物を纏った日本人の男だった。
その着物は日本のそれと似て非なるもの。
襟は大きく開き、袖口は細く絞られている。暑さと動きやすさを考えた異国仕様だ。
細身の体に切れ長の目。顔には曖昧な笑みが浮かび、感情を決して読ませない。
「私は市川と申しますね。山田 長政殿の使いで参りましたね」
山田 長政――ついに、その名を本人の使いから耳にした。
「藤波殿。長政殿がお会いしたがっております。ご同行いただけます……ね?」
市川はにやりと笑った。その表情は、底を測ろうとしても測れない。
「……いいだろう。案内せよ」
藤波が短く答えると、市川は一礼し、踵を返した。
◇
市川の案内で港を離れ、俺たちは内陸へと進んだ。
道端には橙色の袈裟をまとった僧侶が托鉢をしていた。
日本の僧と違い、髪を剃り落とし、裸足で静かに鉢を差し出す姿は神聖さと禁欲をまとっていた。
「上座部仏教の僧侶ですね」
市川が横目で説明する。
「こちらでは僧侶は妻帯も許されず、午後は食事を摂りませんね」
「そんなに厳しいのか」
「ええ。しかし人々の信仰は篤く、僧侶は大いに敬われていますね」
歩を進めるうち、黄金の仏塔が天を突く大寺院が現れた。
陽光を浴びて輝くその姿に、思わず息を呑む。
「ワット・プラシーサンペット。王室の守護寺院ですね。仏塔には歴代の王の遺骨が納められておりますね」
宗田が頭上を仰ぎ、「これは見事じゃな」と声を漏らす。
だが俺は、寺院を取り巻く兵士の厳しい警備に、別の気配を感じていた。
「……物々しいな」
俺がつぶやくと、市川の顔がわずかに強張った。
「ええ。いろいろとありまして……ね」
曖昧にかわすその声音に、確かな含みを感じた。
さらに歩を進めると、街並みが変わった。
瓦屋根が連なる一角に、木造の建物が並び始める。
障子の格子、軒の曲線――
異国の地にありながら、そこには確かに日本の面影があった。
「なんだか、懐かしいですね」
松下が薄く笑みを浮かべ、目を細める。
「ほんまやな。日本の匂いがするわ」
筒井が鼻をひくひく動かした。
だが近づくほど、違和感が膨らんでいく。
住民の多くは上半身裸で腰布を巻き、日本語とシャム語を混ぜて会話している。
風景は日本だが、漂う空気は異国そのものだった。
「あの連中は?」
俺が指したのは、日本人町の一角で口論している男たち。
確かに日本人だが、顔つきは険しく、今にも刃傷沙汰に及びそうな勢いだ。
「...最近、日本人の間でも意見が分かれることが多いんですね」
市川が小さくつぶやく。
「意見が分かれる?」 藤波が鋭く切り込んだ。
「ポルトガルに付くか、オランダに付くか、それとも王朝に忠誠を誓うか...。皆、生き残りをかけて必死なんです…ね」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
――三か月前、藤波が口にした言葉が脳裏をよぎる。
「日本人町も一枚岩ではない」
まさに、その現実が目の前に広がっていた。
◇
町の中央にそびえる立派な屋敷に案内された。
鮮やかな色彩の布が下げられたシャム風の装飾だが、構造は日本家屋。
東西の文化が見事に融合していた。
「長政殿がお待ちです」
案内された部屋からは、甘い香油の匂いが漂う。
そして、ついに山田 長政その人と対面した。
精悍に引き締まった顔立ち、無造作に撫でつけた黒髪。
その風貌からは荒々しさと同時に、狡猾さも感じられる。
現地の高官らしい宝石をちりばめた衣装に漆黒の外套をまとい、
腰には日本刀が差されていた。
「……よう来たな。おめえらが江戸から来た”武傭兵”か」
長政は立ち上がることもなく、
扇子をあおぎながら胡座をかいたまま俺たちを見上げた。
その態度には、王者の余裕があった。
「山田 長政殿。お噂はかねてより」
藤波が丁寧に頭を下げるが、長政は軽く手を振る。
「堅苦しい挨拶は要らん。藤波、おめえの腕は認めとるで。けどその他は……」
長政の視線が、俺たちを舐め回すように見渡した。
「使いもんになるかどうか、まだ分かんねえな」
「何やと!」
その傲慢な物言いに筒井が前へ出ようとする。だが、俺は制止の視線を送った。
長政はにやりと笑う。
「怒ったか?だけんど、ここは日本じゃねえ。おめえらの常識なんか、虫けらほどの価値もねえ」
彼は立ち上がり、悠然と俺たちの前を歩き始めた。
「この国で生き残るには、三つある。
一つ、いつも勝者の側に立つこと。
二つ、敵を完全に叩き潰すこと。
三つ、躊躇わずに裏切ること」
その言葉は氷のように冷たく、しかし妙な説得力を帯びていた。
「ポルトガルが強い時はポルトガルに付く。オランダが強くなればオランダに乗り換える。王が邪魔なら新しい王を立てる。それが政治っちゅうもんだ」
「じゃが、それでは忠義も名誉も……」
宗田が口を挟みかけたが、長政は鼻で笑った。
「忠義だ?名誉だ?そんなものは墓場に持って行け。生きてこそ、すべてに意味がある」
長政は窓辺に立ち、アユタヤの街を見下ろした。
「見ろ、あの黄金の都を。昔は俺も一介の浪人に過ぎなかった。だけんど今や、王の信頼を得、軍を率いる身だ。なしてだか分かるか?」
振り返った長政の目には、狂気にも似た野心の炎が宿っていた。
「他の奴らが古い常識に縛られてる間に、俺が新しいルールを作ったからよ。この国では、俺がルールそのもんだら」
◇
外から太鼓の音が響いてきた。ドンドンと単調なリズムが、張り詰めた空気を破る。
「おお、王からの召集か」
長政が愉快そうに笑った。
「明日からおめえらには、この国の本当の姿を見せたる。覚悟しとけ」
その瞬間、俺は悟った。
この美しい黄金の国の陰には、血なまぐさい権力争いが渦巻いている。
そして俺たちは、望むと望まざるとに関わらず、その渦中に巻き込まれることになるのだと。
第七話 了
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