第六話「ひとひら舞う刃」
皆さんこんにちは、橘 酒乱です。
私はお酒が大好きなのですが、皆さんはお酒、飲みますか?
書きながらチビチビやると筆は乗るのですが、後で読み返すと「あれ、破綻してる…?」って箇所が出てきたりします。
でも、意外と使えそうな部分もあったりして、それを拾いながら書き直すのが楽しみだったりもします。
…やっぱり、私はお酒が大好き。
暗雲に覆われた南シナ海。鉛色の空が重く垂れ込み、稲妻が鋭く雲間を走る。
高波が船体を揺さぶり、立つ者の足元も安定を欠いて震えていた。
”海鳴丸”の甲板は鉄の匂いが濃く漂い、
倒れた死体が海水に洗われ、血とまじり合って赤茶色に染まっている。
その光景の中、一際大きな巨漢が藤波の前に立ちはだかっていた。
海賊の頭領――。筋骨隆々の巨躯にひげを蓄え、
その口元からは欠けた歯がのぞく。
黒い眼帯が左目を覆い、対照的に右目は鋭く光り、藤波を睨みつける。
右手に握られた鋸刃の大曲刀は、刃こぼれこそあるものの手入れが行き届いており、海戦に熟練した者の所作がにじむ。
一方、藤波 志津は刀を鞘に収めたまま静かに立っていた。
朱と黒の陣羽織が強風に翻る。
その姿は、不動の岩のごとき威圧感を放ちながらも、ひとひらの花弁のように気高く舞っていた。
周囲の戦闘はすでに止み、海鳴丸の甲板には静寂が支配している。
”朱刃組”の五人も、船員たちも、そして海賊たちでさえも――。
荒れる海の上でのこの一騎討ちを、固唾を呑んで見守っていた。
◇
「Aku Jawan, si Paus Hitam(俺の名はジャワン。通り名は『黒鯨のジャワン』だ)」
頭領が低く、唸るように呟く。
「Aku akan bunuh kau…(ぶっ殺してやる…)」
藤波は何も答えない。
ただわずかに半身になり、腰を落として重心を安定させただけだった。
「Serang!(いくぞ!)」
ジャワンの雄叫びが、荒れた海風を突き抜けて響いた。
曲刀を頭上高く振りかぶり、全身のバネを使って突進してくる。
その巨体が甲板を踏みしめるたび、ドン、ドンと衝撃が響く。
右足を大きく踏み出し、腰をひねって体重を乗せた一撃。
刃先は曇天の光を鈍く反射する。
藤波の首筋を狙う、重く力強い振り下ろし――。
だが藤波の動きは冷静そのもの。まるで攻撃の軌道を読み切っているかのようだ。
右足を軸にして、流水のように左へと滑り、上半身をわずかに後ろへ反らせる。
ジャワンの体が前のめりに崩れ、攻撃は空振り。
重心を失ったその瞬間――。
藤波は低い姿勢のまま、鞘走りの音と共に居合の構え。
刀が一閃し、鞘から抜き放たれる。
銀色の刃が弧を描き、首筋を鋭く狙った。
だが、ジャワンも只者ではない。
とっさに体を右に捻り、首を引っ込める。
完全には避けきれず、刀の切っ先が頬を掠めた。
皮膚が裂ける微かな音と共に、一筋の血が流れ落ちる。
「Hebat juga kau ni‼(ちっ…やるじゃねぇか!!)」
ジャワンが吠えた。
頬を伝う血を舌で舐めながら、凶暴な笑みを浮かべる。
次の瞬間、予想外の動きを見せた。――曲刀を捨てたのだ。
金属が板に当たる乾いた音が響く。
両手を大きく広げ、藤波に組み付こうとして迫る。
剣技では勝負にならないと見切り、格闘戦に持ち込もうとしているのだ。
その巨体が、藤波に覆い被さろうとする――。
藤波はとっさに後ろへ跳んだ。
だがそのとき、船が大きな波を受けた。
強風にあおられた波が船体を激しく揺さぶる。
藤波の足がもつれ、バランスを崩した。
「まずい!」
佐伯 清次の鋭い声が響く。
「藤波殿!」
俺は駆け寄ろうとしたが、海賊たちが武器を構えて阻む。
一騎討ちに横槍を入れるな、ということなのだろう。
ジャワンはその千載一遇の隙を見逃さなかった。
藤波が体勢を立て直そうとするより早く、熊のようにがっしりと抱きついてくる。
「Hahaha! Pedang hanyalah hiasan!(ガハハハ!剣なんざ飾りよ!)」
その太い腕が、藤波の体を渾身の力で締めあげる。
両手で抱え込まれ、刀を振るう隙も自由も、一切奪われてしまった。
「ぐっ…あぁぁ…!」
藤波が苦悶の声を漏らす。
ジャワンの怪力で肋骨が軋むほど締め上げられ、肺が空気を求めて悲鳴を上げていた。
「Aku akan campak kau ke laut sekarang juga!(このまま海に放り込んでやる!)」
藤波を抱えたまま、船べりに向かって走り始める。
そのまま荒れた海に投げ込まれれば、溺死は免れない。
「やめろ!!」
俺が叫んだが、振り返ることもない。
ジャワンの足が船べりへと迫る。あと数歩で、海へ――。
その瞬間、藤波が動いた。
身動きが制される中、彼女は瞬時に右手の握りを変えた。
刀を逆手に持ち替え、柄頭でジャワンの膝の皿を叩きつける。
ガンッ――
鈍い衝撃が骨を打ち抜き、膝がぐらりと揺れ、ジャワンの体がわずかに後ろへ傾く。
痛みに顔を歪め、腕の力がわずかに緩む。
その一瞬の隙を、藤波は逃さなかった。
身体をひねり抜けると、一気に間合いを取り、刀を正眼に構えた。
「Mudah sangat.(甘いな)」
藤波の声には、荒い息が混じっていた。
先ほどまでの怪力に、確かに追い詰められていたのだ。
「Jahanam!(くそったれ!)」
ジャワンは甲板に目を走らせ、鞘から柳葉刀をギラリと抜き放つ。
日本刀に比べて非常に幅が広く、遠心力を乗せて斬ることで威力を発揮する刀だ。
「Bunuh kau dengan ini!(これで殺す!)」
怒りに任せ、柳葉刀を横なぎに振り下ろす。
幅広の刃が遠心力を伴い、凶暴な風圧を生む。
「Cubalah.(やってみろ)」
藤波は静かに応じる。
身を低く沈め、刃をいなしながら、そのまま頭領の懐へ滑り込む。
刀を下段に構え、下から胸へ駆け上がるように斬撃を振るった。
頭領は飛び退いたが、船べりに背中をぶつけ、逃げ場を失う。
藤波は八相の構えに似た姿勢のまま、じりじりと間合いを詰めた。
切っ先は胸元まで、あと数寸――。
その時、ジャワンの左手が素早く動く。
右手の籠手に隠していた短刀が滑り出し、胸めがけて突き刺そうとした。
「だから甘いと言っている」
今度は藤波が一枚上手だった。
短刀が出るや否や、すばやく身を捻り、刃先をかすめるように受け流す。
回転の勢いを殺すことなく、そのまま左手首を一刀両断。
短刀と断たれた手首が甲板に転がり、鋭い金属音と生々しい肉の音が重なった。
巨漢の目が怯えに染まるより早く、藤波の刀身はすでに喉仏に触れている。
「Sudah habis(終わりだ)」
藤波の声は、まるで静かな湖面のように穏やかだった。
ジャワンは動けない。
断たれた手首から鮮血が噴き出し、喉に触れる冷たい刀身が命の行方を突きつける。
「Aku kalah, aku menyerah(俺の…負けだ、降参する…)」
その声は、まるで魂を絞り出すかのように小さかった。
藤波は静かに刀を引く。
ジャワンの首筋には赤い線が一本刻まれているが、皮膚を破るほどではない。
「Tarik diri seperti yang dijanjikan(約束通り引き上げろ)」
藤波の命令に、ジャワンは歯を食いしばり、血走った眼で睨み返した。
生き残った海賊たちが、怯えと戸惑いの表情で見つめている。
「Hei, kamu semua! Kenapa muka macam tu? Kita undur sekarang!(おい野郎ども!なんて面してやがる!今すぐ引き上げるぞ!)」
怒号が響くと同時に、海賊たちは我に返ったように慌てふためき、仲間を担ぎ上げて自分たちの船へと逃げ帰っていく。
鉤縄を切り払い、帆を張り、海鳴丸から必死に離れていった。
◇
「二度と現れるな」
藤波の声は冷たく、情けも容赦もなかった。
「皆、怪我はないか?」
藤波は何事もなかったかのように涼しい顔で、”朱刃組”の面々を見回す。
「大丈夫です」
「問題ありません」
俺と佐伯が答える。
それぞれ軽傷は負っているものの、命に別状はない。
「へっ、かすり傷にもならんわ!」
筒井 景虎が胸を張る。
「それより藤波殿、あんたとんでもないな! ほんまに人間かいな」
「ふふ、まあ……どうだろうな」
藤波は肩をすくめ、かすかに笑った。
「僕らもまだまだ腕を磨く必要がありますね」
佐伯が静かに言う。
「清次! お前、二刀の心得があったんかいな!」
筒井が茶化すと、佐伯はばつの悪そうに笑いながら答えた。
「ハハ、ええ…実は家に伝わる流派がありまして」
宗田 巌も肩を回しながら甲板に歩み寄る。
「ふぅ、さすがに年には勝てんな。明日は筋肉痛じゃわい」
そのぼやきに、一同が思わず笑いを漏らした。
◇
そのとき、船室の入り口から恐る恐る顔を出す人影があった。松下 華子だ。
懐剣を握る手が、まだ小刻みに震えている。
「松下殿、安心してくれ。もう大丈夫だ」
俺は声をかけた。
「浅葱さん……。みなさん、本当に無事で良かった。わたし……」
彼女の声には、安堵と涙が入り混じっていた。
藤波は全員を見渡し、静かに告げた。
「悪天候の船上戦という過酷な状況の中、よく連携を保った。初陣としては上出来だ」
その言葉に、江戸で積み重ねた訓練の成果を、ようやく実感できた。
「これなら海賊どもなんざ怖ないな!」
筒井が豪快に笑う。
「おいおい、紙一重だった場面もあったんだから油断は禁物だぞ」
俺がすかさず釘を刺すと、筒井は肩を組んできた。
「せやな! 真之介、あん時はわいが助けたったもんな」
「お前にも、な」
俺も苦笑して答える。
「うむ、悪くない戦いじゃった。皆の息の合った場面がよく見れたぞ」
宗田が弓を背負いながら、感慨深げに呟いた。
◇
シャムでは、さらに困難な戦いが待つだろう。
だが今日の一戦で、海上でも戦えることを証明し、
何より“朱刃組”の結束が強まった。
雲の切れ間から差した陽光が、海を金色に照らす。
まるで戦いの終わりを祝福するかのように。
「さあ、シャムはもうすぐだ」
藤波が水平線を見据えて言う。
俺は波のきらめきを見つめながら誓った。
どんな困難が待とうとも、この仲間と共に乗り越えてみせる、と。
異国の地、シャムを目指して――。
今日も“海鳴丸”は進んでいく。
第六話 了
第六話「ひとひら舞う刃」をお読みいただき、ありがとうございました。
感想やリアクションをいただけると、執筆の大きな励みになります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。




