第四話「刀では斬れぬ敵がいる」
皆さんこんにちは、橘 酒乱です。
いよいよ真之介たちは、出航の時をむかえます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
季節は秋、夕刻。
傾きかけた陽光が道場の高窓から差し込み、床の上に長い影を落とす。
明日の出航を控えた最後の稽古。木刀と木刀がぶつかり合い、乾いた音が響く。
額から滴る汗が、足元を濡らす。
その光景を藤波 志津は、一歩離れて見据えていた。
「……本日はここまで。刀を下げよ」
静かな声が、張りつめた空気を断ち切る。
四人は同時に木刀を下ろす。
帳簿をつけていた松下 華子も顔を上げ、仲間を見渡した。
「三ヶ月、誰一人欠けずによく耐え抜いたな」
藤波の眼差しが一人ひとりに注がれる。
その瞳には、仲間を船へ送り出す者の責任が宿っていた。
「明日からは海が師となる。心して臨め」
重い言葉だった。 皆の表情が引き締まる。
「ここで我ら“朱刃組”の制服を授ける。明日からはこれを纏え」
差し出されたのは朱を基調とした陣羽織。
裾には黒と金糸で龍の刺繍が施され、背には徳川の家紋が染め抜かれている。
「おお、立派なもんやな!」
筒井 景虎が子供のようにはしゃぎ、広げて見せた。
「本格的ですね……」
佐伯 清次も布地を撫で、縫い目を確かめる。
「こうして同じ装束を着ると、本当に一つの組になった気がするな」
俺の言葉に皆が頷き、道場の熱気は昂揚感へと変わっていった。
◇
その後、藤波に導かれ江戸城下の武器蔵へ。
分厚い扉が開くと、冷気と鉄と油の匂いが流れ出す。
棚には刀、槍、弓、火縄銃——業物が整然と並び、夕陽に反射してきらめいた。
「各自、任務に応じた武装を選べ」
藤波の声が低く響く。
俺は迷わず一振りに手を伸ばした。 ——「桐月兼光」。
二尺三寸の打刀。 揺らめく波のように美しい刃文。
柄には月の神秘を思わせる深い藍色の組糸。
「…良い目をしている。それは肥前の名工の鍛えだ」
藤波が頷く。
手に吸い付くような感触。
この刀と共に、俺は新たな武士道を見つけるのだと胸の奥で誓った。
「僕はこれを」
「ほなわいはこれや」
皆も思い思いに武器を選ぶ。 そんな中、松下が困ったように近づいてきた。
「あの……私、武器のこと詳しくなくて。浅葱さん、選んでいただけませんか?」
「ああ、いいよ」
俺は懐剣“白露”を手渡した。鞘は白木造りで、柄には桜の花弁が彫られている。
「軽く取り回しも効く。護身用には十分だ」
「ありがとうございます! 私、刀を持つなんて初めてですけど——」
「いや、それは俺たちの役目だ」
俺は微笑み、続けた。
「松下殿は松下殿の務めがある。その刀はあくまで護身用。抜かずに済むよう、俺たちが尽力する」
「……そうですね。ありがとうございます、浅葱さん」
松下は安堵の笑みを返した。
◇
夜明け前の江戸湾。 水平線が白み始め、波間に光の粒が散る。
潮の香りと濡れた木材の匂いが混じり、冷たい風が頬を撫でた。
港には数隻の朱印船。 その中でもひときわ巨大な一隻が俺たちを待っていた。
——朱印船「海鳴丸」。
三十間を超える船体。
三本の檣に白布の帆を張り、船首の金色の大蛇が朝日に輝く。
その眼差しは大海を睨んでいた。
「いよいよだな」
思わず口にした言葉は、自分でも驚くほど静かに響いた。
「ええ……夢みたいです」
佐伯が目を輝かせる。
「私も初めて朱印船に乗ります!」
松下は朱の着物に革の胸当てを纏い、小柄な体を凛々しく見せていた。
そこへ藤波が現れる。 朱と黒の陣羽織に徳川の家紋。
その威風に一同の背筋が伸びた。
「準備はよいか」
「はい!」
「この季節の風は追い風。今こそ最も安全かつ効率的な出航時だ。
では、乗船する」
◇
甲板に足を踏み入れると、潮風と木の軋む音に包まれた。
帆を張る水夫、綱を締め直す者、樽を抱えて行き交う者——
船全体が巨大な生き物のように動いていた。
「お前たちが”武傭兵”か」
背の高い男が歩み寄ってきた。 日に焼けた顔に深い皺、右目には古傷が走る。
「船長の佐久間殿だ」
藤波が紹介する。
「ふむ……若い衆が多いな」
佐久間はひとりひとりを値踏みするように見渡した。
「だが、藤波殿が選んだ者なら疑う余地はあるまい」
低い声ににじむ信頼は、藤波の人望を裏打ちしていた。
「出航準備にかかれ!」
佐久間の号令が響く。
綱が解かれ、帆が風を孕み、甲板を駆ける足音が木を震わせる。
海鳴丸は、目を覚ましたかのように、音を立てて動き出した。
「三ヶ月の訓練は積んだが、長期航海は初めてだ。船酔いに気をつけろ」
藤波が諭すように言う。
「わい、酔いやすいんよな……」 筒井の弱音に、松下が励ます。
「大丈夫です! 慣れれば楽しくなりますから!」
「松下ちゃん、いっつもそれやんけ……」
筒井が肩を落とし、皆の笑いが甲板に広がった。
◇
「錨を上げい!」 佐久間の号令が甲板を震わせる。
ガラガラガラ…… 重い錨が上がる音。
海鳴丸はゆっくりと港を離れ、波を切り裂いて進み始めた。
江戸の町が徐々に遠ざかっていく。 見慣れた家並み、港を見下ろす江戸城。
その姿が小さくなっていくにつれ、胸の奥にさまざまな感情が渦を巻いた。
「浅葱殿、どうされた?」 声をかけてきたのは宗田 巌だった。
「いえ…俺にはもう故郷はないと思っていたんです。 でも、こうして旅立つと……日本そのものが故郷だったんだと分かりました」
俺の声はかすかに震えていた。
宗田は一瞬、目を細めると優しく笑った。
「ふふ、そうか。わしも同じ気持ちじゃよ。 此度の遠征は、わしらにとってただの任務ではなく、学びと試練の旅になるじゃろうな」
その言葉が、朝の海風に乗って流れていった。
◇
その時、藤波の視線は鋭く港の方を射抜いていた。
「……」
ただならぬ気配に俺たちも目を向ける。
港の一角に、異国風の人影が数人。 南蛮風の上衣を纏い、こちらを注視している。
「……ポルトガル人か」 藤波が低く呟く。
「…気づいておったか。昨日から張り付いておる。 どうやら我々の動向に関心があるようで」
佐久間が答えた。
「……やはりな」 藤波の眉間に深い皺が寄る。
この航海は初めから監視の眼にさらされている——
◇
江戸の陸影が遠のき、昼には水平線すら霞んだ。 見渡す限り海と空だけ。
「すげぇ……ほんまに海しか見えへん」 筒井が目を丸くする。
「落ちるなよ」 俺が釘を刺すと、筒井は慌てて船べりから離れた。
「おっ。あ、危な……」
その様子に佐伯がくすりと笑う。
「筒井殿、意外と怖がりなんですね」
「そんなことあらへんわ!!」 筒井が慌てて否定する。
足音を鳴らし、藤波が現れた。
「順調な出航だ。このままで行けば、二ヶ月でシャムに着く。船内を案内しよう」
藤波の案内で、俺たちは甲板下へと降りた。 そこは小さな町のようだった。
食堂、倉庫、水夫の寝床、そして俺たちの船室。
「ほお…ここが、わしらの寝床か」 宗田が物珍しそうに辺りを見回す。
「なんや、思ったより立派やな」 筒井が満足げに頷く。
「私は藤波さんと同じ寝室ですね。よ、よろしくお願いします」
松下が少し緊張しながら言うと、藤波は一拍置いてから苦笑した。
「ああ、こちらこそ」
◇
船内を案内された後、俺たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
筒井は船員たちと賭け事に興じ、 佐伯は松下からシャム語を教わり、 宗田は黙々と武具を磨いている。
俺は一人、甲板で刀を振っていた。 夕暮れの空に向かって素振りを繰り返す。
船の揺れに合わせて体を動かし、バランスを保ちながら刀を振る。
ふと、夕日が目に入った。
太陽が水平線に沈み、空が赤く燃える。 波の音だけが静かに響いていた。
「凄いな……」
つい刀を下げて、感嘆の声が漏れる。 陸地では決して見られない、雄大な景色。
これも航海の醍醐味のひとつだろうか。
「精が出るな」
振り返ると藤波がいた。 手すりに片肘をつき、同じ夕日を見つめている。
「心構えはできているか」
「はい」
藤波は小さく頷き、しばし黙した後、低い声で続けた。
「良い返事だ。だがな、覚えておけ。海は人の都合を顧みん。
順風もあれば、一夜で地獄と化すこともある。いずれも、刀では斬れぬ敵だ」
彼女はゆっくりと夕日に染まる水平線を指差す。
「そしてそれは我らが向かう先にも言える。 真の敵は刀で斬ることのできぬものだ。
時代や利権……それでも貴様は戦うのか?」
俺は言葉を失った。
何とも言えぬ深みをそこに感じ、鋭い現実を突きつけられた気がした。
「……それでも、俺は行きたいんです」
沈黙の後、ようやく口を開いた。
「この海の先に何が待っているのか、自分の目で確かめたい。
何を斬って、何を守るのか。武士として生きる意味を——己の武士道を探したいんです」
藤波は横目で俺を見て、わずかに笑った。
「若いな。だが、それでいい」
俺は強く頷いた。 手に持つ「桐月兼光」が夕日を受けて赤く光る。
船は静かに海を進んでいく。
遥か彼方のシャムを目指して。
第四話 了
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