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異国刀  作者: 橘 酒乱
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第三話「武士道は海を渡る」

皆さんこんにちは、橘 酒乱です。


本章では、真之介たちの「訓練の日々」に焦点を当てました。


少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

同じ夜、江戸城奥御殿。


燭台(しょくだい)の炎がわずかに揺れ、うるし塗りの柱は黒々と光を吸い込み、

壁や天井には重々しい陰影が落ちている。


障子越しに響くのは、徳川 家康(とくがわ いえやす)の低い声。

その背後に控える側近たちは息を潜め、影のように頭を垂れていた。


藤波ふじなみよ。”武傭兵”どもはいかがじゃった」


畳に膝を揃え、両手を(もも)に置いた藤波 志津(ふじなみ しづ)は、揺るがぬ声音で応じる。


「五人、選抜いたしました。いずれも使えるかと」


「ほう。 “例の者” についてはどうじゃ」


一瞬、藤波の表情に(かげ)りが走る。


「……お戯れはご勘弁を、殿」


障子の向こうで、家康の声がかすかに笑みに変わった。


「怒るでない。――シャムでの任務、任せるぞ。あの地は複雑じゃ。


ポルトガルとオランダが睨み合い、山田やまだ 長政ながまさも独自の動きを見せておる。


目的は()()()()()()()()()()。必ずやり遂げよ」


「御意。必ずや」


藤波は深く一礼し、廊下へ歩み出た。夜風が頬を撫で、宵の御殿に涼やかな匂いを運んでゆく。


「……殿……」


その声は微かに、闇の中へ溶けて消えた。



真夏の朝。すでに陽は強く、江戸の町を白々と照らしている。


「へい、おにぎり!」


町角の握り飯屋から威勢のよい声が飛ぶ。

軒先には朝顔が涼しげに咲き、七輪から立ち上る湯気が青空に溶けていた。


真之介しんのすけたちは店脇の長椅子に腰を下ろし、湯気の立つ握り飯を手に取る。


うっすらと焦げた香りが鼻をくすぐり、腹の虫が鳴く。


かじれば、ほくほくとした米の甘みが口いっぱいに広がる。

熱い味噌汁をすすれば、朝の身体に沁み渡った。


「うまっ!江戸の米は別格やな!!」


筒井 景虎(つつい かげとら)が頬張りながら叫ぶと、周りの者たちも自然と笑みをこぼす。


「確かに。江戸には諸国から上質な米が集まると聞きます」


佐伯 清次(さえき せいじ)が箸を止め、穏やかな口調で応じる。


湯気の混じる空気を、風が柔らかく撫でていく。蝉の声が遠くで小さく響いた。


「……いよいよ今日からだな」


俺が口にすると、一同の目が自然と重なった。笑みの底に、わずかな緊張がにじむ。


顔を上げれば、澄み切った青空。その下にそびえる江戸城天守が、白く陽を浴びていた。



「み、皆さん、おはようございます」


木目の濃い床板が敷かれた講義場に入ると、松下 華子(まつした はなこ)がすでに席に着き、

シャム語の書を広げていた。


「すごいな、松下殿。もう予習をされていたとは」


華子は少し照れたように肩をすくめ、笑みを返す。


「そ、そんなこと……でも、精一杯やります。よろしくお願いします!」


その芯の強さに、意外な一面を垣間見る。



やがて藤波が静かに現れ、机に広げた大きな和紙に筆を走らせた。


くねる線と点が並ぶ見慣れぬ文字に、俺は思わず眉をひそめる。


「まずは簡単な会話例だ。“コープクン”――感謝の言葉。そして“コー・トー”――謝罪の言葉」


「こーぷ……くん?」


真之介が口にすると、藤波は軽く頷いた。


続けて両手を胸前で合わせ、深く頭を下げる。


「ワイ――これが礼である。相手の身分によって角度を変える。王に対しては深く、町人には浅く」


「こ、こうでしょうか……?」


華子が慎重に真似る。


「悪くない。だが手の高さが、もう少しだ」


藤波がすっと添えて直すと、華子は赤面した。


「こーーぷくんん!! こーとおぉぉ!!」


筒井が声を張り上げると、藤波の目が鋭く光り、彼を睨みつけた。


「筒井殿……それでは、まるで脅しているかのように聞こえます」


佐伯が小さくくすりと笑い、つられて俺も口元が緩む。


「おい……笑っている場合か。筒井のように声を荒げれば、不敬と受け取られるぞ」


その一言で、笑いはぴたりと止んだ。


宗田 巌(そうだ いわお)だけは黙々と反復を重ね、やがて完璧にこなしてみせる。


「ふむ……武芸も礼も、要は型の反復だな」


「…貴様らも宗田を見習え」


藤波の声が、朝の光に冷たく響いた。



午後、江戸湾。


朱印船を模した中型船の甲板に立つ。潮風が頬を撫で、波のうねりに船体が(きし)む。


遠く房総(ぼうそう)の山並みが、視界の端で上下していた。


「船上では足場が不安定になる。重心を低く保て!」


藤波の声は海風に溶けながらも、鋭く耳を打った。


「むっちゃ揺れるやんけ!!」


筒井が船べりにしがみつき、情けない声を上げる。


「ふふ、慣れですよ」


華子が髪を押さえ、微笑んだ。


「波の動きを読んで、一緒に揺れるんです」


「さすがは商人の娘じゃな」宗田が感心する。


俺も波に合わせて重心を移し替え、身体を揺らす。


潮の匂いが鼻を刺し、水飛沫(みずしぶき)が頬を冷たく打った。



「よし、二人一組で木刀稽古を行う」


藤波の指示に、俺は佐伯と相対した。


「お手柔らかに」


佐伯は中下段に構え、涼やかに口角を上げた。


「こちらこそ」


俺は正眼(せいがん)に構える。

剣先を相手の目へと据え、わずかな揺らぎも許さぬように気を張った。


船体が大波に持ち上げられ、足裏が床から浮くような感覚に襲われる。


膝を深く折り、腰を沈めてぐらつきを抑えた。


「始め!」


藤波の声と同時に、佐伯が低い重心で踏み込む。速い。板がきしみ、海鳴りが響いた。


その瞬間、船が大きく(かし)ぐ。


俺は揺れを逃さず、佐伯の切り上げを避けるために体を紙一重で横に滑らせる。


波に翻弄され間合いがわずかに狂ったが、その戻りの力を利用して横一文字の反撃へと転じる。


ガギンッ。


佐伯は即座に木刀を立て、俺の刃を受け止める。衝撃が弾け、腕に痺れが走る。


佐伯は即座に体勢を整え、振り下ろした木刀が俺の頭上に影を落とす。


俺は半身に捌き、波の勢いごと受け流すように刃を滑らせた。


「なるほど……船の上では力任せは通じませんね」


「波を読むのが肝心だな」


汗が頬を伝う。一度間合いを切り、呼吸を整え、正眼に木刀を据える。今度は俺の番だ。

船体が左へ傾いた刹那、その力を乗せて横なぎを放つ。


佐伯は下から撫でるように弾き返す。だが波の勢いに押され、わずかに体勢を崩した。


好機と見て踏み込む――逆の揺れが全身を叩き、足裏から力が抜ける。

視界が大きく揺らぎ、体が泳いだ。


「うおっ!」


その隙に佐伯はすぐさま立て直し、木刀の切っ先が俺の脇腹を捉えた。


一拍の静寂。


「……参りました」


俺は苦笑し、木刀を下げる。


「最後は波に救われました」


佐伯も息を整えながら笑った。


藤波が頷いた。


「良い稽古だった。船上戦では自然が味方にも、敵にもなる。それを学べたはずだ」


続いて筒井と宗田の番。


筒井は派手に転がって甲板を転げ回り、皆の笑いを誘う。


「慣れですよ筒井さん!最初は皆そうですから!」


華子の声が、夕風に柔らかく溶けていく。


「……なんや、わいだけいいとこ無しやんけ!!」


暮れゆく江戸湾の波が、淡くきらめいていた。



第三話 了

第三話「異国の稽古」をお読みいただき、ありがとうございます。


感想や誤字脱字のご報告など、コメントでいただけると執筆の大きな励みになります。


今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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