第三話「武士道は海を渡る」
皆さんこんにちは、橘 酒乱です。
本章では、真之介たちの「訓練の日々」に焦点を当てました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
同じ夜、江戸城奥御殿。
燭台の炎がわずかに揺れ、うるし塗りの柱は黒々と光を吸い込み、
壁や天井には重々しい陰影が落ちている。
障子越しに響くのは、徳川 家康の低い声。
その背後に控える側近たちは息を潜め、影のように頭を垂れていた。
「藤波よ。”武傭兵”どもはいかがじゃった」
畳に膝を揃え、両手を腿に置いた藤波 志津は、揺るがぬ声音で応じる。
「五人、選抜いたしました。いずれも使えるかと」
「ほう。 “例の者” についてはどうじゃ」
一瞬、藤波の表情に翳りが走る。
「……お戯れはご勘弁を、殿」
障子の向こうで、家康の声がかすかに笑みに変わった。
「怒るでない。――シャムでの任務、任せるぞ。あの地は複雑じゃ。
ポルトガルとオランダが睨み合い、山田 長政も独自の動きを見せておる。
目的は現地日本人勢力の掌握。必ずやり遂げよ」
「御意。必ずや」
藤波は深く一礼し、廊下へ歩み出た。夜風が頬を撫で、宵の御殿に涼やかな匂いを運んでゆく。
「……殿……」
その声は微かに、闇の中へ溶けて消えた。
◇
真夏の朝。すでに陽は強く、江戸の町を白々と照らしている。
「へい、おにぎり!」
町角の握り飯屋から威勢のよい声が飛ぶ。
軒先には朝顔が涼しげに咲き、七輪から立ち上る湯気が青空に溶けていた。
真之介たちは店脇の長椅子に腰を下ろし、湯気の立つ握り飯を手に取る。
うっすらと焦げた香りが鼻をくすぐり、腹の虫が鳴く。
かじれば、ほくほくとした米の甘みが口いっぱいに広がる。
熱い味噌汁をすすれば、朝の身体に沁み渡った。
「うまっ!江戸の米は別格やな!!」
筒井 景虎が頬張りながら叫ぶと、周りの者たちも自然と笑みをこぼす。
「確かに。江戸には諸国から上質な米が集まると聞きます」
佐伯 清次が箸を止め、穏やかな口調で応じる。
湯気の混じる空気を、風が柔らかく撫でていく。蝉の声が遠くで小さく響いた。
「……いよいよ今日からだな」
俺が口にすると、一同の目が自然と重なった。笑みの底に、わずかな緊張がにじむ。
顔を上げれば、澄み切った青空。その下にそびえる江戸城天守が、白く陽を浴びていた。
◇
「み、皆さん、おはようございます」
木目の濃い床板が敷かれた講義場に入ると、松下 華子がすでに席に着き、
シャム語の書を広げていた。
「すごいな、松下殿。もう予習をされていたとは」
華子は少し照れたように肩をすくめ、笑みを返す。
「そ、そんなこと……でも、精一杯やります。よろしくお願いします!」
その芯の強さに、意外な一面を垣間見る。
◇
やがて藤波が静かに現れ、机に広げた大きな和紙に筆を走らせた。
くねる線と点が並ぶ見慣れぬ文字に、俺は思わず眉をひそめる。
「まずは簡単な会話例だ。“コープクン”――感謝の言葉。そして“コー・トー”――謝罪の言葉」
「こーぷ……くん?」
真之介が口にすると、藤波は軽く頷いた。
続けて両手を胸前で合わせ、深く頭を下げる。
「ワイ――これが礼である。相手の身分によって角度を変える。王に対しては深く、町人には浅く」
「こ、こうでしょうか……?」
華子が慎重に真似る。
「悪くない。だが手の高さが、もう少しだ」
藤波がすっと添えて直すと、華子は赤面した。
「こーーぷくんん!! こーとおぉぉ!!」
筒井が声を張り上げると、藤波の目が鋭く光り、彼を睨みつけた。
「筒井殿……それでは、まるで脅しているかのように聞こえます」
佐伯が小さくくすりと笑い、つられて俺も口元が緩む。
「おい……笑っている場合か。筒井のように声を荒げれば、不敬と受け取られるぞ」
その一言で、笑いはぴたりと止んだ。
宗田 巌だけは黙々と反復を重ね、やがて完璧にこなしてみせる。
「ふむ……武芸も礼も、要は型の反復だな」
「…貴様らも宗田を見習え」
藤波の声が、朝の光に冷たく響いた。
◇
午後、江戸湾。
朱印船を模した中型船の甲板に立つ。潮風が頬を撫で、波のうねりに船体が軋む。
遠く房総の山並みが、視界の端で上下していた。
「船上では足場が不安定になる。重心を低く保て!」
藤波の声は海風に溶けながらも、鋭く耳を打った。
「むっちゃ揺れるやんけ!!」
筒井が船べりにしがみつき、情けない声を上げる。
「ふふ、慣れですよ」
華子が髪を押さえ、微笑んだ。
「波の動きを読んで、一緒に揺れるんです」
「さすがは商人の娘じゃな」宗田が感心する。
俺も波に合わせて重心を移し替え、身体を揺らす。
潮の匂いが鼻を刺し、水飛沫が頬を冷たく打った。
◇
「よし、二人一組で木刀稽古を行う」
藤波の指示に、俺は佐伯と相対した。
「お手柔らかに」
佐伯は中下段に構え、涼やかに口角を上げた。
「こちらこそ」
俺は正眼に構える。
剣先を相手の目へと据え、わずかな揺らぎも許さぬように気を張った。
船体が大波に持ち上げられ、足裏が床から浮くような感覚に襲われる。
膝を深く折り、腰を沈めてぐらつきを抑えた。
「始め!」
藤波の声と同時に、佐伯が低い重心で踏み込む。速い。板がきしみ、海鳴りが響いた。
その瞬間、船が大きく傾ぐ。
俺は揺れを逃さず、佐伯の切り上げを避けるために体を紙一重で横に滑らせる。
波に翻弄され間合いがわずかに狂ったが、その戻りの力を利用して横一文字の反撃へと転じる。
ガギンッ。
佐伯は即座に木刀を立て、俺の刃を受け止める。衝撃が弾け、腕に痺れが走る。
佐伯は即座に体勢を整え、振り下ろした木刀が俺の頭上に影を落とす。
俺は半身に捌き、波の勢いごと受け流すように刃を滑らせた。
「なるほど……船の上では力任せは通じませんね」
「波を読むのが肝心だな」
汗が頬を伝う。一度間合いを切り、呼吸を整え、正眼に木刀を据える。今度は俺の番だ。
船体が左へ傾いた刹那、その力を乗せて横なぎを放つ。
佐伯は下から撫でるように弾き返す。だが波の勢いに押され、わずかに体勢を崩した。
好機と見て踏み込む――逆の揺れが全身を叩き、足裏から力が抜ける。
視界が大きく揺らぎ、体が泳いだ。
「うおっ!」
その隙に佐伯はすぐさま立て直し、木刀の切っ先が俺の脇腹を捉えた。
一拍の静寂。
「……参りました」
俺は苦笑し、木刀を下げる。
「最後は波に救われました」
佐伯も息を整えながら笑った。
藤波が頷いた。
「良い稽古だった。船上戦では自然が味方にも、敵にもなる。それを学べたはずだ」
続いて筒井と宗田の番。
筒井は派手に転がって甲板を転げ回り、皆の笑いを誘う。
「慣れですよ筒井さん!最初は皆そうですから!」
華子の声が、夕風に柔らかく溶けていく。
「……なんや、わいだけいいとこ無しやんけ!!」
暮れゆく江戸湾の波が、淡くきらめいていた。
第三話 了
第三話「異国の稽古」をお読みいただき、ありがとうございます。
感想や誤字脱字のご報告など、コメントでいただけると執筆の大きな励みになります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。




