第二話「武傭兵」
皆さんこんにちは、橘 酒乱です。
いよいよ物語の舞台が動き出します。第二話、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
江戸城下。武家屋敷の一角に、ひときわ大きな道場が構える。
板張りの床は稽古に磨かれ艶を失い、白木の柱には斜めの刀傷が走っていた。
その中央に、十二人の浪人が膝を揃えて座している。
衣の色は褪せ、膝は擦り切れていたが、眼差しだけは濁っていない。
武傭兵の選抜試験、三日目。
剣、槍、弓を経て、今日の課題は火縄銃。
「浅葱 真之介!」
名を呼ばれ、俺は静かに立ち上がった。
監査役の案内で、道場の裏手にある射場へと進む。
土を高く盛って築かれた土手の前に、藁束を固めた的が据えられていた。
足元の土には黒く焼けた跡が点在し、鼻をつく硝煙の匂いが風に混じっている。
その場で、ずっしりと重い火縄銃が手渡される。
五十間先の的――三発で勝負が決まる。
指先に汗がにじみ、耳の奥で血が脈打つ。
火薬を詰め、鉛玉を座らせ、火縄の先端に火を近づけた。
火縄がパチリと音を立てる。
次の呼吸で引き金に力を込めると、銃は唸るような轟音を放った。
白煙が流れ、反動が肩を強く押し戻す。
一発目は的の縁を掠め、二発目はわずかに外れた。
三発目で芯を穿ち、藁屑がはらりと舞った。
審査役が軽く頷くのを見て、俺は小さく息を吐いた。
◇
夕刻。
十二人が板間に並び、正座のまま息を潜めていた。
やがて足音が近づき、白髪を結い上げた役人が姿を現した。
「これより合格者を発表する」
名が一つ、また一つ読み上げられる。
「佐伯 清次」
背が高く端正な顔立ち。整った髪と涼しげな目元からは、知的で実直な性格が滲む。しかし、その瞳の奥には、野心が見え隠れする。
「筒井 景虎」
がっしりした体格に短髪、浅黒い肌。豪放な性格に見えるが、眼光は隙を見せぬ獣のそれである。
「松下 華子」
小柄で控えめそうな娘。年の頃は十八で、肩までの黒髪をさらりと整えている。
商家の出らしく、実用的な着物がよく似合う。通訳と実務に務めるようだ。
「宗田 巌」
五十代半ばの老武士。年齢を感じさせないほどに鍛え上げられた肩周りと胸板が目立つ。弓の名手で、顔の傷が歴戦を物語る。
そして――
「浅葱 真之介」
名を呼ばれた瞬間、胸の鼓動がひときわ大きく跳ねた。
これまでの俺は大坂城で死に損ない、家康公に救われた裏切り者。
徳川の下で生きながらえているだけの半端な存在。
だが今――
武傭兵として選ばれた。
異国の地で、ただ一人の武士として生きることができる。
浅葱 真之介としての道を歩めるのだ。
◇
「これより、お主らが所属する”朱刃組”の長を紹介する」
役人の声とともに、奥から一人の影が現れた。
黒髪を背に結い、紺の着物に二本の刀を帯びた女が、板間をゆっくり踏みしめる。
凛とした顔立ちに、四十を越えた気品と威厳が漂い、一歩ごとに空気が引き締まる。
「藤波 志津と申す」
低く澄んだ声が板間に響いた。
視線は鋭く、五人を射抜く。
「貴様らには、シャム・アユタヤ王朝への派遣を命じる。
表向きは朱印船の護衛。だが実際は、情勢把握と軍事顧問だ」
木壁に掛けられた南蛮図の前に導かれる。そこには、遠い外海の国々が描かれていた。
「シャム――遥か南海の彼方に広がる国。
香辛料と黄金に恵まれ、アユタヤ王朝は東南アジア随一の国力を誇る。
我らが日本人の町もある。山田 長政を知る者もいよう。
王に信頼され、重きをなす存在だ」
山田 長政。
日本人でありながら、異国で成功を収めた人物。
藤波は図上で指を移動しながら続ける。
「現地ではポルトガル、オランダ、そして日本が利権を巡り争う。
血が流れることも珍しくはない」
その言葉を遮るように、筒井 景虎がにやりと笑った。
「……組長て、この人がか」
目を細め、藤波を頭からつま先までじろりと見やる。
「思てたんとちゃうな。
もっとごっつい大男が来るんや思たわ」
ざわめきが小さく走る。
俺が制そうと声を上げかけたが、藤波は眉一つ動かさなかった。
「そう思うのも無理はない。
だが海外では日本の常識は通じぬ。女の指揮官であることが武器となる場もある」
そう言い放つと、帯の太刀を外し、筒井の前に差し出す。
「納得できぬなら、取って構えよ」
空気が凍りついた。
筒井は一瞬刀を見下ろし――やがて両手を上げ、降参のポーズを取る。
「へっ……参ったわ。遠慮させてもらいます、クミチョー」
◇
緊張が解け、場に息が戻る。
藤波は淡々と告げた。
「さて――質問はあるか」
俺は思わず手を上げる。
「藤波殿は、これまでにも海外派遣の経験がおありなのですか」
「三度ほど。ルソン、ジャワ、そして今回のシャム。いずれも朱印船による派遣だ」
女性でありながら、これほどの経験を積んでいるとは……。
松下 華子が遠慮がちに口を開いた。
「その……現地の日本人町の人たちとは、どのような関わりになるのでしょうか」
「良い問いだ。日本人町も一枚岩ではない。
幕府に従う者もいれば、己の商いを優先する者もいる。我らは彼らとも渡り合わねばならぬ」
その言葉に、宗田 巌が何も言わず、ただ重く頷いた。
間を置き、筒井が声を張る。
「結局のところ、ポルトガルとオランダ、わしらはどっちの肩を持ちゃええんや?」
「基本的には日本の国益を第一にせよ。
ただし情勢を見誤れば反発を招く。軽挙妄動は許されぬ」
藤波の声は揺るぎなく、場の空気を圧した。
皆が黙り込む中、佐伯 清次が苦笑混じりに言う。
「つまり……我らは剣だけではなく、立ち振る舞いそのものが"国の顔"となる。
そう心得るべきですね」
「……その通りだ」
藤波は目を軽く細める。
静寂を置き、藤波は最後に告げた。
「質問は以上か?ならば本日はこれにて解散とする。
明日より三ヶ月間、海外派遣のための特別訓練を行う。
シャム語の習得、船上戦、異国の礼法――いずれも必須だ。覚悟せよ」
◇
その夜、松下を除く四人は同じ宿に泊まった。
湯上がりの畳の間。外の虫の声が絶え間なく響き、夜気が涼しく流れ込む。
低い膳に肴と徳利が並び、湯気の立つ酒が盃に満ちていた。
「しかしよ、女だてらにあの迫力はなんや」筒井が盃を置き、肩を揺らして豪快に笑う。
「藤波殿のことか」俺が頷くと、佐伯も静かに盃を置いた。
「ええ。あの威厳は本物でしたね」
「ほんまやで。せやけど女の大将やし、ちょい不安っちゅうか、やりにくいわ」
「なぜ不安なんだ?」俺は思わず訊き返す。筒井は盃をくるくると回しながら、口を尖らせた。
「女は感情的になりやすいやろ? 戦場では冷静さが――」
「今日の様子を見る限り、むしろ俺たちより冷静だったぞ」
とっさに遮ってしまったことに気づき、慌てて盃をあおって誤魔化す。
酒の辛みが喉に刺さった。
筒井が悪戯っぽく笑う。
「ほぉ、真之介。お主、藤波殿に惚れてもうたんとちゃうか?」
「そ、そういう意味じゃない! 単純に……将として――」
佐伯がくすりと笑い、盃を掲げた。
「浅葱殿の仰ることは尤もです。僕も感服いたしました。あれこそ大将の器です。
宗田殿も、同じお考えでしょう?」
その名を呼ばれ、宗田はゆっくりと目を開き、落ち着いた声を落とした。
「……うむ。案ずるな、筒井殿。あのお方の下であれば、道を誤ることはあるまい。若い衆よ、学べることは多かろう」
一瞬だけ沈黙が落ちた。盃を置く音と、外の虫の声が間を埋める。
「へぇ、宗田殿まで女の大将に従う気ぃかいな」
筒井が目を丸くし、からかうように言う。
宗田は口元に小さな笑みを浮かべた。
「ふふ……そうじゃな。経験ばかりで語るは味気ない。異国の地での戦、藤波殿の背に従うことこそ、何よりの安堵となろう」
◇
そう言って再び目を閉じ、盃を傾けた。
「とはいえ、明日からの特別訓練……なかなか骨が折れそうですね」佐伯が苦笑する。
「シャム語か……」
俺は肩をすくめる。
「今日、藤波殿が発音しておられたが、俺には呪文にしか聞こえなかったぞ」
「僕はもう予習しました。“サワディー”が“こんにちは”だそうです」
「おぉ、清次!やるやないか。ほな“酒をもう一杯”はなんて言うんや?」
「……えっと、それは、まだ……」
「安心せえ。どこの国でも、杯を掲げたら通じるわ!」
筒井の笑い声が畳に響き、皆もつられて笑った。
俺は笑いながらも、胸の奥に芽生えた言葉にできない感情を持て余していた。
それは恋慕でも憧れでもない、ただあの人の背に惹かれる、不思議な力のようなものだった。
笑い声と酒の匂いが夜の静けさに溶けていく。
障子の隙間から差し込む月光が、四人の影を畳に淡く映し出していた。
第二話 了
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