トー横DAYZ
歌舞伎町のネオンは、天井のない監獄の明かりみたいだった。
6月の蒸し暑い夜。西武新宿駅のガード下、チーズドッグの油と人間の汗のにおいが混ざる場所に、俺たちはいた。座り込んで、笑って、スマホを弄って、酒を回して、時々泣いて、でも死なない。いや、死ねないだけかもしれない。
「ヤバくね、あいつ?」
隣でタバコを吸っていたアイリが、顎であっちを指す。見ると、パンダメイクの女子高生が、明らかに50代のオッサンとラブホ街に消えていくところだった。何かを言いたかったけど、何も言わなかった。ここでは何もかもが普通だ。
俺は19歳。高校中退。家出して3年目になる。家庭は機能してなかった。母は鬱で寝たきり、父は酒乱で手が出る人間だった。親から殴られるより、知らないオッサンに金をもらってセックスする方がまだ対等だった。少なくとも、終わったら金を置いて帰ってくれる。
トー横にいると、誰もが似たような過去を持ってることに気づく。みんな、普通の家庭にいられなくなって、学校に居場所がなくなって、SNSを漂ってここにたどり着く。まるで自殺防止ネットの上に張られた薄い膜みたいな場所。落ちたくないけど、もう地面すれすれ。
「今日、泊めてくれない?」
声をかけてきたのはミオ。ピンクの髪にピアスだらけ、目は腫れていた。たぶんどこかで泣いてたんだろう。俺はうなずいた。今夜の寝床は漫画喫茶。個室じゃなくてオープン席だ。1000円を二人で割る。その安さのために、カラダ売ることもある。でもミオとはそういう関係じゃない。ただの“同類”。
俺たちは、夜の東京を浮浪する“半人間”だ。大人でもない、子どもでもない。親にも社会にも捨てられて、制度からも落ちこぼれたまま、でもかすかに「生きたい」と思ってる。
「ねぇ、マコトは将来どうなりたいの?」
ミオが聞いてくる。将来?そんな言葉がまだ自分に向けられるとは思ってなかった。夢なんて、15の時にとっくに捨てた。サッカー選手になりたかった。だけどサッカー部の先輩に暴力を受けて、それを訴えたら「お前も同類」扱いされて退学になった。
「知らん。つーか、なれんでしょ、どうせ。」
「うちら、もう終わってるのかな。」
「終わってる奴は、ここにいないよ。」
それが本当かどうかなんて、わからない。でも、死にきれないからここにいるのは事実だ。
ミオはスマホをスクロールしている。トー横グループLINEには、また新しい“ヤバい奴”が追加されたらしい。手首に無数のリスカ跡。見世物みたいに共有されている。「この子、ウチ泊めてあげよっかなー」と誰かが書き込む。優しさなのか、搾取なのか、もう境界線がわからない。
「ちょっと外出るね」
俺はネカフェを出て、歌舞伎町一番街を歩いた。金もない。希望もない。あるのは、コンビニの明かりと、風俗の客引きと、吐き捨てられた夢の残骸だけ。
ふと、バス停に座っている男が目に入った。まだ若い、大学生くらい。でも、目が死んでいた。俺と目が合った瞬間、そいつはこう言った。
「お前も、こっち側か?」
なんだそれ、と思った。けど、答えた。
「そうかもな」
男は、無言で自販機の前に行き、コーヒーを2本買ってきた。1本、差し出される。俺は受け取った。ありがとうも言えなかった。
「俺、就活失敗して、なんか全部どうでもよくなって……でも死ぬ勇気もなくて、ここまで来ちゃった」
なるほど、そういうパターンか。トー横には家出少年少女だけじゃない。中年の無職、ギャンブル依存の女、精神病院を抜け出した男。いろんな人がいる。社会の“正常”からちょっとはみ出しただけで、ここに流れてくる。
「名前、なんていうの?」
「タカシ」
「俺は、マコト」
変な出会いだったけど、トー横じゃこれも普通だ。タカシと別れ、ネカフェに戻る途中、警察官に声をかけられた。
「キミ、未成年? 補導するよ」
「違います、19です」
「身分証見せて」
俺はポケットに手を突っ込む。あるわけがなかった。財布なんて、何ヶ月も持ってない。スマホも割れた画面で、LINEとXしか使ってない。マイナンバー?保険証?知らない。社会に属していない人間には、そんなもの必要ないのだ。
結局、警察署に一晩。取り調べられるというより、哀れみの目で見られるのが苦しかった。「親と連絡つかない?」「どこに住んでるの?」「施設に行く気は?」全部、何度も聞かれた。
そして、朝。
解放された俺は、またガード下に戻ってきた。ミオはもういなかった。LINEには「少し休む」とだけ。もしかしたら、どこかの家に泊まったのかもしれないし、もう生きてないのかもしれない。わからない。でも俺は、ここにいる。
トー横。酸欠の街。だけど、ほんの少し、誰かと関わってるという感覚だけが、俺を人間にしてくれる。
明日も、俺はここにいるだろう。誰かと笑って、誰かを見送って、また誰かと出会って。
それだけが、今の「生」だ。