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【3】星屑の瞳[2]

 今度こそ迷わないように、と廊下を真っ直ぐに進んで行く。そうして歩いていた先で、壁に突き当たってしまった。もっと詳しく聞いておくべきだったと後悔しても遅い。左右どちらを見ても廊下の先は見えない。違うようだったら戻って来ればいい、とフェリクは左に向かった。なんとなくこちらのほうが賑やかなように感じる。

 勘が当たっていることを祈りながら廊下を進んで行くと、なんとなくこの場の空気に慣れていくような気がした。フェリクは、次に曲がり角があったら誰かに訊けばいいと考えながら進む。しかし、フェリクの考えを否定するように、次第に人気(ひとけ)がまばらになっていく。引き返したほうがいいだろうかと考えていたとき、フェリクは目の前に見えた光景に息を呑んだ。誘われるように足を踏み入れたそこは、村の修道院とは比べ物にならないほど立派な聖堂だった。白を基調とした壁は美しく、並ぶ椅子も上質のもの。見上げるほど高い天井には豪華なシャンデリアが誂えており、祭壇には剣を掲げる女騎士の彫像が祀られていた。

「ここで何をしている」

 厳しい声にフェリクは振り向く。先ほどの青い鎧の青年が目を細めてフェリクをめつけていた。

「迷ってしまって……」

「ここまで来てしまうなんて、相当の方向音痴のようだな」

 青年は呆れたように溜め息を落とす。フェリクは、また街への出入り口とは別の方向に来てしまったようだ、と苦笑いを浮かべた。

「エリオ、この方は?」

 青年の後ろから、鈴を転がすような少女の声がする。エリオと呼ばれた青年に庇われるように、ヴェールを被ったローブの少女の姿があった。

「レフレクシオ卿の乗っていた馬車が魔物の襲撃を受けた際に首を突っ込んだ少年です」

 険しい表情でエリオが言うと、少女は顔を上げる。ヴェールの隙間から覗く紫色の瞳が、真っ直ぐにフェリクを捉えた。それからエリオの脇を擦り抜け、フェリクに歩み寄る。姫様、とエリオが手を伸ばすのを気に留めず、少女はフェリクに近付き、彼の顔を覗き込んだ。

「本当に星屑の瞳を持っていらっしゃるのですね」

 少女が手袋を着けた手でフェリクの左手を取る。フェリクは驚きつつ、振り払うのも失礼かと少女に左手を委ねた。

「えっと……」

「このお方はフォルトゥナ姫様だ」エリオが言う。「ラエティティア王国の第一王女殿下であらせられる」

 そんな高貴な身分の者に手を握られていることに、フェリクは少しだけ怯んでしまった。少女――フォルトゥナはそれを気に留めず、優しい笑みを浮かべる。

「エリオから星屑の瞳をお持ちだと聞いて、お会いしてみたいと思っていたのです」

「……これはただの生まれつきです。そんな大層なものじゃありません」

 目を伏せるフェリクに、フォルトゥナはまた穏やかに微笑んだ。

「そうでしょうか。少なくとも、私は他にお会いしたことがありません」

 少女の美しい顔立ちに気圧されつつ、フェリクは握られたままの左手に視線を遣る。手袋越しに、手のひらの温かさが伝わってくる。それにより、あ、と呟いたフォルトゥナは手を離した。

「申し訳ありません。不躾に男性の手を握るなんて、はしたなかったですね」

「いえ……」

「星屑の瞳をお持ちの方がここまでいらしたのは、運命だったのかもしれませんね」

 フォルトゥナの微笑みは、神々しくすらある。その澄んだ紫色の瞳がフェリクの背後に向けられるので、フェリクはその視線を追って振り向いた。目に入ったのは剣を掲げる女騎士の像だ。

「この聖堂は第一世界暦から存在しています。星屑の瞳を持った最初の勇者アナスタシアを祀る場所です」

 フォルトゥナの言葉に、そういえば、とフェリクは思考を巡らせる。勇者アナスタシアの星屑の瞳を受け継いだのが現在のレーヴェ騎士団の始祖であるウル・レーヴェ、と村の長老が言っていたのを思い出していた。

「この世界には、何人も勇者がいたんですか?」

「はい。この世界はこれまで、八人の勇者に救われてきたとされています」

 フェリクは感心し、また女騎士の像に視線を向ける。長老はよくアナスタシアのことを口にしていたが、それ以外の勇者について聞いたことはない。

「星屑の瞳は最高神アーテルから勇者アナスタシアへの贈り物でした。“宝玉”と呼ばれ、この世界のどこかに存在する世界樹の種だとされています」

「世界樹の種……」

「宝玉を宿し、アナスタシアは紛争や貧困、病から人々を救いました。ただ……アナスタシアの末路は惨憺さんたんたるものでした」

 フォルトゥナの表情が曇るので、フェリクは首を傾げる。フォルトゥナの横顔は憂いを帯びても美しかった。

「アナスタシアは永遠の命を手に入れました。人々を救うために遣わされた使者が救えなかった命を想うと……」

 フォルトゥナは言葉を切り、目を伏せる。彼女が言いたいことの意味はフェリクにもよくわかる。惨憺たる末路、という言葉がより重くなったようだった。フォルトゥナは顔を上げ、またフェリクに微笑みかける。

「その瞳をお持ちということは、何か神のご加護をお持ちなのかもしれません」

「それはどうでしょうか……。僕はただの牧童ですし……」

「牧童……」

 不思議そうに呟いたフォルトゥナが、そういえば、とフェリクの身に視線を向けた。

「不思議な服をお召しですね」

「僕はアロイ村から来たんです」

「まあ、それでしたら、先ほど、アロイ村のお方が武具を納めにいらっしゃいました」

 父のことだ、とフェリクは心の中で独り言つ。もともとはフェリクの護衛を伴う予定だったが、無事に王都に来ることができたようだ。

「街へ出ればお会いできるかもしれません。エリオ、ご案内して差し上げて」

「はい」

「私はエリオが戻って来るまでここにいます」

「承知いたしました」

 エリオに微笑みかけたフォルトゥナは、またフェリクを振り向く。

「またお会いすることがあれば、村のお話を聞かせてください。私は城から出たことがないのです」

「あ、はい……わかりました」

 フォルトゥナは美しく微笑み、エリオに視線を遣る。行くぞ、とエリオが歩き出すので、フェリクは小走りでそれを追った。最後にフォルトゥナを振り向くと、上品な仕草で手を振る。ディナとは正反対だ、とフェリクはそんなことを考えていた。

 エリオはフェリクが来た廊下を戻って行く。また反対側に来てしまったらしい、とフェリクは自分の勘の悪さに小さく笑った。

 ややあって、街の喧騒が近付いてきた。薄暗い城内に光を差し込むそこが街への出入り口らしい。振り向いたエリオは、厳しい表情を浮かべている。

「ここで起きたことは他言するな。本来なら、村の人間がお会いできるような方ではないんだ」

「わかった。案内、ありがとう」

「村の者が出店を出すなら東側の市場だ。高いやぐらが立っているから、それを目印にしろ」

「わかった」

 エリオは小さく鼻を鳴らして去って行く。フェリクは、ようやく自分に不釣り合いな場所から離れることができて安堵していた。

 階段を降りる途中、街を見下ろしてみると栄えた街であることがフェリクにもよくわかる。高いやぐら、と辺りを見回せば、ここから少し離れた場所に立っているのが見える。道がどうなっているかはわからないが、城からは正面に位置している。おそらく街の民なら、王宮の騎士ほどの近寄りがたさはないだろう。いざとなれば道を訊けばいい。そう考えながら、フェリクは階段を降りた。

 門をくぐると、味わったことのない賑やかさで溢れていた。人々は忙しなく行き交い、どこを見ても人の波。馬車が通れるほど広い道は横断するだけで一苦労だ。なるべく大通りを、とフェリクは方向を見失わないよう意識しながら市場を目指す。どこを見ても同じ景色だった王宮とは違い、少しだけわかりやすいような気がした。

 市場への道は簡単だった。多くの荷物を積んだ馬車や大量の商品を乗せた車を引く者など、商売のために訪れたらしい者たちが向かう方角が同じだからだ。その波について行けば、市場に辿り着けることだろう。

 街には様々な表情の人が行き交っていた。明るく笑ってお喋りしながら歩く女性たちや、暗い顔でとぼとぼと歩く男性。子どもたちは元気に走り回っている。道の両側は数多くの店で埋まり、張りのある呼び込みの声も聞こえた。想像していた以上に栄えた街は、フェリクを萎縮させる。自分に不釣り合いな場所であることに変わりはないらしい、とフェリクは目が回りそうだった。

 フェリクは人混みに酔ってしまいそうになりながら市場らしい場所に出た。高いやぐらがすぐそばにあり、周辺では敷布に商品を並べる出店が多く見られる。あとは父とロウルズを探すだけだ、とフェリクは辺りを見回しながら歩いた。

「フェリク! フェリクじゃないか!」

 不意に聞こえた声にフェリクは足を止める。出店の列の向こうで大きく手を振るのはロウルズだった。フェリクがようやく安堵していると、ロウルズの後ろから顔を出したディナがフェリク目掛けて駆け寄って来る。そのままの勢いで飛び付いて来るので、フェリクは危うく倒れそうになった。

「ああ、フェリク……! よかった……!」

 ディナの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。フェリクが安堵の息をついていると、ぐいと肩を引かれた。

「なんだよ、お前。無事だったのかよ」

 つまらない、と言うような表情でフェリクとディナを引き剥がしたのはウォルズだった。

「そんな言い方はないじゃない、ウォルズ!」ディナが言う。「フェリク、突然いなくなったから心配したのよ!」

「あ、ごめん……」

「話はあとだ」

 厳しい声に視線を遣ると、ジェドが武具を敷布に並べている。ジェドは険しい表情をしていた。

「フェリク、さっさと手伝え」

「うん」

 つっけんどんに言うジェドがフェリクの無事に安堵していることは、おそらくこの場にいる全員が気付いていることだろう。ジェドはディナのように飛び付いたり、ロウルズのように手を振ったりするような性質ではない。それでも、フェリクの無事を一番に喜んでいるはずだ。

 商品を並べると、ディナとウォルズが呼び込みで声を張った。そのあいだ、フェリクは昨日の出来事をジェドに話す。ジェドは呆れた表情で息をついた。

「助けに入って、逆に助けられてるじゃねえか」

「まあ……そうなるけど」

「そういうのなんて言うか知ってるか? 身の程知らずって言うんだよ」

 フェリクには返す言葉がない。フェリクが何も言えずにいると、まあまあ、とロウルズが朗らかに言った。

「フェリクは無事だったんだし、いいじゃないか」

「無事じゃなかったらただじゃおかなかっただろうよ」

「まあまあ」

 ジェドが鼻を鳴らすと、ロウルズがフェリクの耳もとに口を寄せる。

「お前が無事で、安心してるんだ。昨日からお前を心配しっぱなしで、大変だったんだからなあ」

「へえ……」

「おい、フェリク。お前も手伝え」ジェドが言った。「お前がいなかったせいで、ディナとウォルズがくっついて来て、道中、大変だったんだからな」

「あら、役に立ったでしょ?」

「俺だって魔物を追い払ったじゃねえか!」

 得意げな表情で言ったディナとウォルズに一瞥を与えて、ジェドは意味深な溜め息を落とした。途端、ふたりは不満げな表情になる。

「ディナが、お前を探すんだっつって、ついて来るって聞かねえんだよ。仕方なく連れて来たら、おまけまでくっついて来やがった」

「ディナを危険な目に遭わせられねえからな!」

 ウォルズが拳を握り締めると、ジェドはまた目を細める。それから腰を屈め、フェリクに顔を寄せた。

「あいつら、騎士に向いてねえよ」

「はは……」


 それから、日が暮れるまで出店を続けた。ロウルズの山羊ミルクは多くの民から評判を受け、ジェドの剣は旅の剣士が興味を持つ。片付ける頃にはほとんどの商品がなくなっており、荷物が軽くなったな、とジェドは喜んでいた。

 出店の片付けを途中で抜け出して、フェリクは街の厩に向かった。王宮から見下ろしたときに場所を確認していたため、すぐに見つけることができた。管理人に挨拶をして、愛馬の姿を探す。いななく声に誘われて行くと、ルークスが興奮気味に鼻を鳴らしていた。フェリクが駆け寄ると、突進するような勢いで鼻を摺り寄せる。特に怪我もない様子で、すこぶる元気のようだ。

 ルークスの澄んだ瞳がフェリクの目を覗き込むと、不意にフォルトゥナのことが頭に浮かんだ。神々しさすら感じさせる美しい姫。フェリクの左目が本当に星屑の瞳であると信じているような目をしていた。だが、おそらく二度と会うことはないだろう。フェリクはただの牧童で、姫と何度も会うような身分ではない。フェリクのことは、夜にはすっかり忘れていることだろう。



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