【5】守り
フェリクがなかなか起きて来ない。レフレクシオから、度々夜中に目を覚ましているようだと聞いているが、そのせいで寝坊しているのだろうか。ダイニングテーブルから立ち上がり、ミリアはフェリクの寝室に迎えに行くことにした。
城はすでに目覚めている。使用人たちはミリアを見つけると口々に挨拶をして来た。それに応えつつ、城の端にあるフェリクの寝室に向かう。軽くドアをノックすると、向こう側から返事はない。もう一度、少しだけ強めにノックをする。それでも返事はない。ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかった。
「フェリク、起きてるかい?」
部屋の中を覗き込むと、フェリクの姿はなかった。回収される前の寝間着がベッドにまとめられている。すでに着替えを済ませて部屋を出ているのだ。
「アンブラ!」
ミリアの呼びかけに、廊下の影からアンブラが姿を現す。どこにいても誰かに呼ばれれば聞こえるといつか言っていたのは本当のことなのだ。
「フェリクがいないんだけど」
「坊ちゃんなら早朝に起き出して、いまは牧場にいる」
「なんだって?」
「よく眠れていないみたいだ。アミキティアの連中がいるから落ち着かないんだろ」
「それにしたってひとりで牧場に出るなんて……」
溜め息を落としつつ、ミリアは駆け出した。
「とにかくあたしも行って来る。あの怪しい兄から目を離すんじゃないよ!」
走り去って行くミリアを見送り、アンブラは重い溜め息をついた。
「やれやれ。王族ってのは、みんな、人遣いが荒いのかね」
* * *
なんとなく眠れない夜を過ごし、早朝に目が覚めてしまったフェリクは、厨房の使用人に頼んで早めに朝食を済ませた。自室に居ようにも落ち着かず、必ず仕事のある牧場に出た。すでに女たちや牧童が仕事を始めており、フェリクも鶏に餌をやることにした。
「フェリク!」
すべての鶏に餌が行き渡ろうという頃、ミリアが鶏小屋に飛び込んで来た。その表情は少しだけ焦燥が見える。
「そんなに急いでどうしたの?」
「どうしたじゃないよ! ひとりで出歩くなんて、どういうつもりだい!」
「牧場なら城から離れてるから大丈夫かと思って……」
「それにしたって、ひとりで出歩くんじゃないよ! 危険なのはアミキティアの連中だけじゃないんだよ!」
ミリアの表情には安堵も見える。おそらく起きて来ないと思って寝室を覗いたのだろう。
「心配しすぎだよ。いざとなればアンブラもいるし、宝玉もあるんだから」
「危機感がなさすぎるよ。どっちも通用しなかったらどうするんだい。あんたは宝玉がなければただの牧童なんだよ」
「それはそうだけど……」
アンブラの力で敵わず、宝玉も通用しなければ、フェリクは丸腰のようなもの。世界王の手下に攻め込まれれば戦う術はないだろう。
「このことを王様が知ったらきっと怒るよ」
「まあ、そのときはそのときだよ」
「そのときはそのときでどうするのか」
厳しい声が聞こえ、フェリクだけでなく、ミリアもつられて表情を強張らせる。鶏小屋に入って来たレフレクシオに、フェリクは思わず目を逸らす。無表情なのがかえって恐ろしかった。
「お前はまだ自分の重要性をわかっていないらしい」
冷静な声で言い、レフレクシオはフェリクを肩に担ぎ上げる。こうなっては抗う術はない。
「助けて、ミリア!」
手を伸ばすフェリクに、ミリアは呆れたように目を細める。
「あたしは先に朝食に行ってるよ」
「見捨てないで!」
助けを求めたところで、ミリアにも為す術はない。フェリクには厳しい叱責が与えられることとなるだろう。
* * *
アンブラは城の屋上から町を見下ろし、その平和を確認する。フェリクは牧場で仕事を始めたことだろう。ミリアが戻って来たら牧場に護衛に行ってもいいかもしれない。
そう考えていたところで、眼下から何やら声が聞こえる。フェリクを肩に担いだレフレクシオが城に戻って来るところだった。その姿に、くく、と短く笑う。
「懲りねえやつだな」
そのとき、不意に背後に気配を感じて振り向いた。屋上に出て来る者がある。階段を上がって来たのはフェリクの――自称――兄レーニスだった。
「やあ、アンブラ殿。フェリクはどこにいるかな」
「いまは王のところにいる」
レーニスは人畜無害な笑みを浮かべている。アンブラから見てその笑みが明らかに怪しく感じられるが、敵意はないと見て問題はない。
「フェリクはこの国にとってどういう存在なんだい?」
「それは部外者であるあんたには関係ないっスよ」
冷たく突っ撥ねるアンブラにも、レーニスは笑みを崩さない。
「きみがフェリクに似ている理由は?」
「それについて部外者に説明する義理はないっスね」
アンブラは肩をすくめる。レーニスはどこか困ったように薄く笑った。
「どうにも僕は警戒されているようだね」
「それは当然じゃないっスか。この十四年、一度も接触して来なかった兄が急に現れたんスから」
アンブラの言うことはただの事実で、それは覆しようがない。レーニスもそれはわかっている様子で、軽く肩をすくめて見せる。
「勘当された家に会いに行くことはできないよ。そちらこそ、随分とフェリクを大事にしているようだね」
「何か不服でも?」
「まさか。冷遇でもされていればアミキティアに連れて行くのは簡単だっただろうね」
「心配は要らないっスよ。坊ちゃんはこの国で満足に暮らしています」
「そのようだね」
小さく息をついた瞬間、アンブラの肌がピリと痺れた。不意に感じた気配に、パラソルの影に潜り込む。そのまま天井を擦り抜け、床に着地する。フェリクを肩に担いだレフレクシオが、アンブラの出現に眉をひそめた。
「陛下、そのまま坊ちゃんを捕まえていてください」
厳しい声でそう言い残し、アンブラはまた影に潜って行く。その姿を見送り、フェリクは首を傾げた。
「何かあったんでしょうか」
「さあな」
レフレクシオは冷静な表情で、フェリクを担いだまま再び歩き出す。アンブラの表情は険しかった。どこかで何かの動きがあったのだろう。
* * *
朝食を終えると、フェリクとミリアはレフレクシオの執務室に同行した。アンブラがまだ戻らない現状、レフレクシオから離れているのは危険だと判断された。背後からの襲撃に備え、本棚の前に椅子が並べられる。
レフレクシオが机に着くと、アミキティアの使者たちが通される。そこにはレーニスの姿もあった。
レーニスが微笑みかけた瞬間、フェリクは左目に激しい痛みが走り、唸り声を上げた。まるで刃物で刺されたような痛みに頭を抱える。
「フェリク、大丈夫かい?」
心配そうなミリアが背中をさする。言いようのない痛みが頭を支配していた。
浅い呼吸を繰り返すフェリクを抱き上げ、レフレクシオがアミキティアの使者たちを振り返る。
「部屋へ送って来る。ここで待っていてくれ」
アミキティアの使者たちは困惑した様子で顔を見合わせている。レフレクシオはそれに構わず、フェリクを抱えたまま執務室を出た。そのあとに、心配そうな表情でミリアが続く。
執務室から離れると、次第に痛みが引いていく。それでも体には力が入らず、レフレクシオの肩に身を委ねることしかできなかった。
「……あの中に、偽物がいます……」
「偽物?」ミリアが怪訝に眉をひそめる。「本人じゃない者ってことかい?」
「そう……もしかしたら、世界王国の……」
「あの兄か」
厳しい声で問いかけるレフレクシオに、フェリクはまた首を振った。
「たぶん、違います……。あの兄は、本物の僕の兄です……。とても嫌な感じがします……」
「宝玉が反応したってことは」と、ミリア。「宝玉を狙う者ってことだね。でも、王様とアンブラは気付いていなかったのかい?」
「情けないことにな」レフレクシオは低い声で言う。「巧妙に魔力を隠しているのだろう」
フェリクが捉えたのも感覚でしかない。誰がどう魔力を隠しているのか、それを宝玉で感じ取ることはできなかった。魔力の研ぎ澄まされたアンブラですら気付けなかったのなら、僅かに漏れ出した魔力を宝玉が敏感に感知したのだろう。
レフレクシオはフェリクの寝室に入り、フェリクをゆっくりとベッドに下ろす。ミリアがフェリクのそばに行くと、窓とドアに向けて手をかざした。その魔力は結界を作るものだった。
「アンブラが城内を走り回っている。しばらくここにいろ」
厳しい声で言い、レフレクシオは寝室をあとにする。アミキティアの使者たちの中に何が紛れているのか、これからレフレクシオとアンブラの厳しい調査が始まるだろう。
「大丈夫かい?」
「うん……なんとか落ち着いてきた」
フェリクは呼吸を整えつつ頷く。それにしても、とミリアは険しい表情になった。
「やっぱりアミキティアの連中は世界王の手下だったんだね」
「全員ではないと思うけど……」
「それにしたって、おかしいと思ったんだよ。フェリクの兄がいきなり現れるなんてさ。アミキティアの使者は良い隠れ蓑だったってことだね」
「うん……アンブラが何か掴めるといいんだけど……」
「そうだね。とにかく、しばらくここで大人しくしていよう。王様の結界があれば安全だよ」
これまで世界王の手下は上手くアミキティアの使者に紛れていた。世界王の力に対抗するフェリクの宝玉だからこそ、その隠れた魔力を検知することができたのだ。フェリクに気付かれたことを悟れば、敵も大人しくしていないかもしれない。民に犠牲を出すことだけは許されない。この王城で決着をつける必要があるだろう。




