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砂の散開星団~元魔王に拾われた闇堕ち勇者は寵愛で運命を覆す~  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)
運命の勇者

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【25】孤独

『キミもほんとに物好きだよね』

 楽しむような声が言う。両手で耳を塞いでも、無意味であると嘲笑うように。

『自分を辛い目に遭わせた張本人を助けるなんてさ』

 身動(みじろ)ぎひとつ取れない。いくら呼吸を繰り返しても、空気が肺に入っていかない。

『勇者って……ほんと、都合の良い存在だよねえ』

 否定することは叶わない。声を発することは許されない。

『可哀想に。いま解放してあげるよ』

 背後から声が聞こえた瞬間、体が自由を取り戻す。無意識に振り向いた先で、鋭い切っ先が振り下ろされた。



   *  *  *



 喘ぐように目を覚ますと、ひたいから垂れるほど汗が流れていた。重い体をどうにか起き上がらせ、確かめるように首に触れる。息が苦しいだけで、特に異常はない。大きく息をつき、ベッドから立ち上がった。

(あの声……)

 思い出そうとするたびに頭が鈍く痛む。よく思い出せない。思い出したくないのかもしれない。

 チェストのカンテラに触れる。淡い光が室内を照らし、またひとつ息をついた。

 窓の外を見る。まだちらほらと明かりが点いており、活動を終えていない民がこれだけいると思うと、孤独ではないような気がして少しだけ安堵していた。

『キミは孤独さ』

 耳元で聞こえた声に背筋が凍る。振り向いても、誰の姿もない。夢が思い出され、心拍が激しくなる。整ったはずの呼吸が再び荒くなり、汗が背中を伝った。

『その宝玉がなければね』

 左の目元に触れた瞬間、頭の中に映像が浮かぶ。あの平和な村。穏やかに笑う少女。突っかかって来る少年。曖昧に笑う少年。

(僕は村に帰りたかった)

 溢れるその思いが胸中を満たす。忘れようとしたもの。捨てようとしたもの。

(宝玉があれば、あの村でみんなと一緒にいられた)

 忘れられなかったもの。どうしても捨てられなかったもの。

 ――こんな気持ちを味わわずに済んだのに。

 窓ガラスに映る自分と目が合う。左目に輝く星。

(いまのは、誰の声……? 僕の、声……?)

 背後に何かの気配を感じて振り返る。暗闇の中、横たわる何かが見えた。歩み寄って覗き込むと、それは色素の薄い浅葱色だった。

 ――ああ、これは僕だ。

 それを見ていることができなくなり、後ずさりする。そのとき、背中が何かにぶつかった。振り向くと、自分を見下ろす大きな影が見えた。

「こんな時間に何をしている」

 ぼんやりと影を見上げているうちに、それが誰だかわかるようになる。呆れた表情で見下ろしているのはレフレクシオだった。不意に違和感を覚え、辺りを見回す。そこはいつも町を見下ろしているバルコニーだった。

「……あれ……僕は、部屋にいて……」

 頭が混乱する。いまのいままで、部屋から町の明かりを眺めていたはず。部屋を抜け出した記憶はない。

 肩に伸ばされた手を、フェリクは無意識に弾いた。自分の行動に驚いていると、また呼吸が苦しくなる。空気を求める肺に押し出されるように溢れた涙が視界を歪ませた。

「……どうしてわからないんですか……」

 振り絞った声が震える。こんなことを言うつもりはなかったのに。

「僕には、愛される資格なんてないのに……」

 勝手に口が動くようで、この感情を自分でどうにかすることはできない。その重苦しい想いとともに、左の目元に手を伸ばす。それが触れるより一瞬だけ早く、強く掴み上げられた。

「嫌だ、放して!」

 暴れても意味はない。肩に担ぎ上げられれば、もう抵抗することはできない。ただ、肩に顔を埋めて泣いていることしかできなかった。



   *  *  *



 フェリクの寝室のドアを静かに開くと、壁に寄りかかってレフレクシオを待つ者があった。アンブラだ。

「坊ちゃんは」

「眠らせた」

 寝入るまで、フェリクはずっと泣いていた。彼に何が起きたかはわからない。起き出して寝室から出ることを察知してバルコニーに行くと、フェリクは酷く混乱していた。泣きながら宝玉の力を使おうとした。確かなのはそれだけだ。

「あの辺りに残留思念は感じられませんでした」アンブラが言う。「漂っているんじゃなく、坊ちゃん自身に憑いているのかもしれません」

 フェリクの様子は異常だった。まるでそこに居るのがレフレクシオであると認識できていないように。

 ――僕には、愛される資格なんてないのに……。

 それが意識の混濁から零れた言葉なのか、心の奥底に秘めていた想いなのか、それは判然としない。ただ、それが真実であるとはレフレクシオには思えなかった。

「もう躊躇っている時間はないんじゃないっスか」

 アンブラは硬い表情で言う。フェリクがどういった状態であるかは、レフレクシオと魔力回路を繋ぐ彼にはよくわかっているのだ。

「躊躇すればするだけ、坊ちゃんの状況は悪くなるんじゃないっスか」

「わかっている」

 それが真実か言い訳か。レフレクシオにはただそう言うことしかできなかった。



   *  *  *



 もう指先すら動かない。脚には感覚もない。

 とすっ、と音がして、なんとか視線を持ち上げる。折れた切っ先が、地面に突き立てられていた。

 そのそばに、小さな血溜まりが見える。

 ――ああ……――、きみまでいなくなったら、僕は独りぼっちになってしまうじゃないか……。

 そこには何もない。何も残されていない。

 ――ああ……寒い……寒いよ……。

 もう、この手に触れるものは何もない。

 ――誰か……ああ、そうか……誰もいない……僕は、独りぼっちだ……。

 それはただの事実。覆しようのない真実。ただ、目の前に突き付けられただけのこと。



   *  *  *



 フェリクの寝室から、暗い表情のミリアが出て来る。レフレクシオが歩み寄ると、ミリアは不安そうに彼を見上げた。

「小僧は」

「酷い熱だ。今日はそっとしといたほうがいい」

 昨夜のフェリクが頭から離れない。震える小さな肩、揺れる星屑、拒絶の手。何を言ったところで無駄だっただろう。

「……ねえ、王様」

 見上げるミリアの瞳は、不安の色を湛えている。

「王様は心からフェリクを愛しているんだよね」

「もちろんだ。なぜそんなことを」

「どうして、フェリクはそれを受け入れないんだろう」

 それは自分が最も知りたい答えだ、とレフレクシオは心の中で独り言つ。なぜフェリクはいつも泣いているのだろうか。

 愛される資格なんてない、と涙を流すフェリクの姿が思い浮かぶ。何がフェリクにそう言わせたのか。フェリクには、レフレクシオには見えない何かが見えているのだ。

「あたし、いまもまだフェリクの心が遠いところにあるような気がしてならないんだ」

「……それは間違いではないのかもしれん」

 自分の不甲斐なさに腹が立つ。心を開いてやることができないのは自分だ。ミリアの声すらその心には届かない。何かがフェリクの耳を塞いでいるのだ。

「どうにかしておくれよ、王様。このままじゃ、フェリクは世界王に取られちまうよ」

「…………」

「あたし、まだフェリクが心から笑ってるのを見ていないんだ」

 それはきっと、誰にとっても同じことだろう。フェリクは心を閉ざしている。誰にも触れられないように。

「……小僧の心を壊したのは私だ」

 それは自責の念。自分に課された罪。逃れようのない事実である。

「私が小僧を無理やり戦わせた。私に、小僧を愛する資格があるだろうか」

 フェリクと同じ空色の瞳に涙を溜め、ミリアがレフレクシオに拳を叩きつけた。

「王様の意気地なし! そんな過去のことなんてどうだっていいだろ!」

 返す言葉のないレフレクシオに、ミリアは眉をつり上げる。

「そんな過去はなかった。なかったことになったんだ! だからフェリクはいまでも苦しんでいるんじゃないのかい!」

「…………」

「フェリクは過去に囚われたままなんだよ。手を引けるのは王様だけなんじゃないのかい⁉」

 フェリクが苦しんでいる分、ミリアも苦しい想いをしている。それはレフレクシオもよくわかっていた。

「宝玉がなんだってんだい! フェリクはもう勇者じゃない! 王様だって、もう悪の大魔王じゃないんだ! 何をうだうだしてんだい!」

 ミリアの気持ちは痛いくらいによくわかる。だからこそ、レフレクシオは何も言えなくなるのだ。

「これでフェリクが世界王なんかに取られたら、あたしは一生、王様を軽蔑する……」

 ついに堪えきれなくなり、ミリアの瞳から大粒の涙が溢れ出す。その姿が、昨夜のフェリクと重なった。

「落ち着け、ミリア姫」

 レフレクシオの背後からアンブラが顔を出す。

「陛下を責めたって何にもならない」

「ふんだ! あんただってフェリクの影だったくせに!」

 ミリアはアンブラにも殴り掛かる。ミリアの怒りをよく表していた。

「この意気地なしども!」

 吐き捨てるように言い、ミリアは廊下に走り出す。その後ろ姿を見送り、アンブラは溜め息を落とした。

「あいつ……」

「そっとしておけ。フェリクを救う手段を持たないことが悔しいだけだ」

 アンブラは軽く肩をすくめる。ミリアの心はアンブラもよく理解しているはずだ。

「でも、坊ちゃんは何に苦しんでるんスか」

「それを我々が理解することはできないだろう」

「もうこれ以上、時間をかけてらんないっスよ」

「わかっている」

 言葉だけではなんの意味も持たない。それは充分に思い知らされている。自分を責めることは間違いではない。自分が責められるべきであることもよくわかっている。それだけでは意味を成さないことも。



   *  *  *



 ふと、温かい何かが降り注ぐ。顔を上げると、空から落ちる涙が地面で弾けている。

 この温かいものはなんだろう。もう体を持ち上げることはできない。それを確かめる方法はない。

 ――なんでもいいか……。

 ――ああ……いまなら、ゆっくり眠れそう……。

 静かに目を閉じる。すべてを拒み、息を止める。これでもう、何も見ずに済む。何も考えずに済む。ただ、地に顔を伏しているだけ。




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